表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君と始める異世界料理開拓記  作者: 奥田 舎人
 第一章 おじさんと変わった貴族
1/27

   第一話 焼き魚は至高の一品と化す

 北から吹く風は氷の彼方より悪しき者を運ぶだろう。

 十三世紀「ルアド王国」領「アンテラ」。数百年もの昔に、周囲百キロメートルを誇る巨大な「マグ湖」の北沿岸に作られた「人族」の街である。現在は島となっているが、当初この土地は湖の半島の一部だった。

 湖の周辺一帯が森で覆われている危険なこの土地に街を作るにあたって、人は木を切り倒し、土を削り、岩を砕き、半島を切り離す一本の川を通した。川の幅は十数メートル。それを無事に渡る為に三本の橋を用意した。森には「魔獣」と呼ばれる魔導を操る獣や、「魔物」と呼ばれる一定の知恵を持った異質な生き物の生息が確認されており、それらから生活を守る為の手段だった。

 島には建物が建てられ、多くの人間が住み着いた。橋を渡った本土側は切り開かれ、多くの田畑が作られた。湖の沿岸には他にも似たような街が作られた。

 結果、湖には港が開かれ、湖内の街と街を多くの船が行き来するようになっていた。


 灰色の空の下「瀬戸(せと)一房(いちふさ)」は塩焼きにした魚を食んでいた。

 歳は三十二。背が高く体格が良い。黒い髪はボサボサに、顎と口周りの髭は無精に伸び、眉と眉の間にはしっかりとした縦皺が刻まれている。額の右側には大きな傷。そして三白眼のおかげだろうか。いかにもとっつきにくそうな雰囲気を醸し出している。少なくとも美丈夫に分類されるような男ではない。

 薄汚れた粗末な衣服。革製の靴に、上半身を覆う程度の鎧。腰には汚れた柄に収まった長剣。それらを身にまとった瀬戸は大きく口を開けて魚の頭に齧り付いた。

 魚は頭から。皮も骨も一緒くたに噛み砕くのが一番——。


「……うん」


 瀬戸の表情が緩んだ。


「美味い!」


 さして大きくはない川魚のエラの辺りから木を削って作った串を刺し込み、それを焚き火のそばで炙る。魚を直接火にかけないのが良い。パリパリになった皮の隙間から染み出した魚の脂と、岩塩の塩味が口の中で混ざる。シンプルだが、少々高価な岩塩をふんだんに使った料理である。

 これは美味い。


「ここに醤油があったらなぁ……」


 文字通り、焼き魚を跡形もなく平らげた瀬戸は、もぐもぐと口を動かしながらほんの少しだけ眉をひそめた。

 塩や砂糖は貴重品だ。塩は主に岩塩を削り、砂糖は主にサトウキビを加工して作る。岩塩採掘場が乱立している訳ではなく、サトウキビがその辺の雑草のように生えている訳でも無い。どちらも人の手できちんと管理、整備され、加工されて市場に出回る。手間暇がかかる分、価格もそれなりのものになる。しかし醤油は別物だ。この世界には存在すらしなかった。

 何故なら、ここは地球ではないからだ。

「しっかしなぁ……」瀬戸はボリボリと頭を掻きながら漏らした。

 いわゆる「異世界」へと来たにもかかわらず、瀬戸にはすることが無かった。

 瀬戸は誰かに案内されてここに来た訳ではなかった。

 無機質な喫煙所の扉を開けたら、そこは緑一色の草原だったというだけの話だ。後は適当に歩き、街を見つけ、話しかけたら言葉が通じたおかげで今は下っ端の冒険者稼業をやっているという話である。

 異世界からの勇者が——。

 そんな話を成立させる要素はなく、異世界からの英雄が——。

 そんな要素もない。ただ平穏な、平和な、平凡な日々が過ぎて行くだけだった。

 ならば自分からアクションを起こして面白可笑しな生活を——。

 そう考えた事ももちろんあった。しかし何か事を起こすには資金が必要になってくる。下っ端冒険者が日々の労働で稼ぐ金では、その日暮らしが精一杯だった。

 当然のように腹は減るし、眠くもなる。たまには贅沢もしてみたい。借金はしていないが金は入った分だけ出て行く自転車操業。とてもじゃないが貯めておく余裕などない。何かをする余裕などまるでなかった。


「もう一本行っとくか」


 真面目に漁をすればそれなりの数は採れるのだが、今日の収穫は淡水魚が五匹。

 こんな数では大して腹が膨れる訳では無いが、あくまでこれは遊びだ。金も無い。友もいない。もちろん女もいない。そんな瀬戸にあるのは大量の時間だけ。そんな時間を潰すとなると、糸を垂らしてぼーっと釣りをする程度のことしか彼には思い付かなかった。

 本気で釣りに来た訳ではなかったが、それでも昼から夕暮れまでに五匹の収穫。しかも焼き魚はなかなかの美味。おかげで気分もまあまあ良い。


「よし。酒でも飲みに行くか」


 瀬戸のいる場所は湖に近い川のほとりだった。少し上流には橋がある。その橋を渡ってすぐに街があった。村や集落には置かれない酒場やギルド、ホテルなどが揃ったその街の名前は「アンテラ」という。

 瀬戸が拠点にしている街なのだが、彼は他の街には行ったことがない。出不精なこともあるのだが、必要最低限の物は大体この街で揃う。わざわざ面倒や危険を冒してまで他の街に向かう理由にはならない。

 この世界に電車や自動車という便利な道具は無い。移動する手段は徒歩、もしくは馬の代わりに「竜」と呼ばれるトカゲのような二足歩行の生物を使う方法がある。徒歩は疲れるし、竜は値が張る。どちらも今の瀬戸にとっては割に合わない。

 ちなみに馬車のように、竜に車を引かせる竜車という乗り物も存在しているが、こちらは竜単体よりももっと高価な代物だった。


「よっ!」


 瀬戸が酒場のドアを開いた瞬間、つい今し方まで馬鹿騒ぎをしていた冒険者たちは、まるで潮が引くように徐々に大人しくなっていった。


「良いね。静かなのは」


 誰も何も答えない。それどころか話し声、食器の音、煙草を吐く息の音、酒を飲む喉の音すらもが消えていた。そんなお通夜のような静けさにもにもかかわらず誰も席から立とうとしなかった。それどころか今まで立っていた者は流れるように席に戻り、皆が一様に視線を落としテーブルの目の数を数えている。


「セトさんじゃない?」


 そんな空気の中で、唯一まともに口を開いたのは店の看板娘「リズ」だった。

 未だ酒が飲めるような歳ではなさそうなのだが、店の主人である父親が病気で寝込んでいる為、代わりに店を仕切っている。年相応の童顔に、茶色の髪を左右でまとめあげたツィンテールが可愛らしい娘だった。


「注文は? 今日は何してたの?」


 物怖じしないところも良い。彼女はぱっと見、とっつきにくい容姿をしているセトにも気さくに話しかけてくる。これなら看板娘というよりも店のママと言った方が近いかもしれない。


「ビールちょうだい。御通しはいらない。つまみもいらない。今日は準備して来たからね」


「えー! セトさん! 何でいつもお酒だけなの?」


「まずいから」


 リズの質問にセトは即答した。お世辞も社交辞令も何もない。ただ思った事を口にしただけだ。


「そんな事ないって!」


「いや、まずいよ。何であっさりしたのを頼んだのに油ギトギトのが出てくるの? おじさん、胃がムカムカして二、三日お粥しか食べられなかったよ」


「おじさんって! まだそんな歳じゃないでしょ?」


「いや、おじさんだから。胃腸の弱いおじさんだから」


「こないだだってそこら辺のろくでなしを叩きのめしてたじゃん!」


「それ関係ないよね。ここにいるのは胃腸がデリケートな普通のおじさんだから」



   ◆◆◆


 ——二週間前。

 セトがこの世界に来たての頃の話だ。草原を出て、特に行く当てもなかった彼はたまたま近くにあったこの街に流れて来たのだ。その時の彼は、上下揃いの黒ジャージにスニーカーという出で立ち。持っていたコンビニのビニール袋にはタバコを一カートンとおまけでもらった百円ライター。そしてくわえタバコ。額の傷はまだない。

 そんな異様な風体の男がフラフラとやって来たのだ。街の警戒度は一気に上がった。

 そんな中、最初に行動を起こしたのが冒険者たちだったのだ。


「おうおうおうおう! お前何者? 何が目的でこの街に来たの?」


 十代後半くらいだろうか。幼さの残る顔つきに未だ華奢気味の四肢。それでも一丁前に革鎧を上半身にまとい、腰には棍棒を携えている。

 冒険者と言えばそれなりの職業に聞こえるのだから面白い。しかし現実はというと単なる便利屋だ。それも来るもの拒まず、去るもの追わずの精神でギルドが受け入れるものだから、このようなチンピラ風の者も少なくない。

 そんな男たちが数人で、しかも思い、思いの装備でセトを取り囲んだのだ。普通の人間ならばガタガタ震えて、動くことすらままならなくなってしまうことだろう。しかしこの男は違った。

 セトはそれなりのおじさんだった。

 今年で三十二になる。年齢に関係なく若々しい人間も存在するし、髭を剃れば彼も年齢不詳で通るような気はする。今時三十代でおじさんという事も無い。しかし彼は自身の事を「おじさん」であると認識していた。


「おいおいおいおい。他人に名前を聞くのはまず自分からって習わなかったっけ? 今時の幼稚園児でも『僕、太郎です! おじさんは?』っていう会話が出来るんだよ?」


「ようち? えん?」


 チンピラは何を言われているのか理解出来ないでいた。この世界には幼稚園どころかまともな学校ですら少ない。その上学校に通うのは貴族や王族といったいわゆる金持ちである。一般階級の彼が知らないのは仕方ないと言えば仕方がない。


「え? 知らないの? マジで? もしかして行った事ないとか?」


「え? あ……。うん」


 セトは最初に驚きの。それから徐々にすまなさそうに。そして何やらばつが悪そうにと表情を変えた後「あそー。おじさん悪い事言っちゃったね。ごめんね。これあげるから許してね」と、タバコを一箱差し出した。


「ふっざけんな!」


 チンピラは差し出されたタバコを怒りに任せてはたき落とすと、そのままの勢いでセトの胸倉を掴み上げた。こうなると止まらない。周囲の警戒も一気に上がる。中には「やめろ」という者もいたがそんな言葉はもう耳には届かない。

「ぶっ殺して——」言い終わる前に辺りから悲鳴にも似た声が上がっていた。


「火だ! お前、服が燃えてるぞ!」


「は?」


 チンピラの服が燃えていた。視認すると同時に熱さも感じ始める。


「お、おい!? 何これ? 何これ!?」


 チンピラはパニックに陥りつつあった。突如起こった炎。燃えている自分。優位に立っていたはずの事故。もうセトどころではない。掴んでいた襟を手放すと素早く転がって火を消した。


「お、やるじゃん」


 その様子を眺めていたセトは素直にそう褒めた。その言葉に反応したチンピラは土まみれのまま怒りの形相で立ち上がった。


「お前、何しやがった?」


 声が大きいからと言って怒りの度合いが大きい訳ではない。低く静かな声ではあったが、彼の人生の中でここまで怒ったのは初めてだったのかもしれない。それ程に彼の怒りは大きかった。

 そんな彼の様子をまるで他人事としか見ていないセトは、ただ一言「百円ライター」とだけ答えると、表情一つ変えずに目の前でカチカチと火を着けて見せた。

 途端にセトを取り巻く人の円が一気に広がった。


「な、何だあれ?」「魔導だ!」「こいつ魔導士だな!」


 魔導とはこの世界においてはごく一般的な力である。

 この世界では手を触れずに物を動かしたり、手を触れずに物を燃やしたりなどという事が出来るのだが、一般人にはそこまで高等な事は出来ず、せいぜい軽い食器を浮かべて運ぶ、マッチ程度の火を着ける、くらいが限界だ。しかし先に登場した「魔導士」は違う。一般人よりも魔導に長けた存在だ。


「そう言えば魔導士っぽい格好してやがる」「確かに黒なんてあいつらの好きそうな色だ」「くっそ魔導士め!」


 雑言を浴びせる周囲のことなどどうでも良いとばかりにセトはタバコを口にくわえると先ほどのライターで火を着けた。そして軽く吸い込むとそのまま吐き出す。最初の一口は火を着ける為のもの。吸い込まない。肺に吸い込むのは二口目から。これは彼の中のルールだ。


「君たち、人のことを魔導士だとか呼んでいるようだが……」


 セトが話を始めると同時に周囲のざわめきが途絶えた。


「これはただの百円ライターです。ここを押すと火が出ますね。それだけの便利な道具です。さっきのはこのライターを使って服に火を着けただけです。おじさんは魔導士なんかじゃありませんよ」


 和やかな声。にこりと微笑んだ笑顔。会話の内容に目を瞑れば、セトの話し方はまるで子どもを諭す親のような優しいものだった。無論、会話の内容を無視すれば、の話だが。


「——っざけんな」


 怒声と同時のいきなりの一撃だった。先のチンピラの握りしめた棍棒がセトの前頭部を直撃した。

 セトは左膝を地面につけ、殴られた箇所を手で押さえる。指の隙間からはぼたぼたと生ぬるい血液がこぼれ落ちる。


「結局はお前が火を着けたんだろうが。魔導士だと思って少々ビビったけどただの人間じゃねえか。ぶちのめしてギルドに引き渡してやるよ」


 チンピラはそのままサッカーボールキックで俯いているセトの顔面を蹴り上げた。それは相手のことなど考えない一撃だった。勢いで跳ね上がる頭部と上半身。しかし跳ね上がった上半身は落ちてこなかった。

 チンピラは瀬戸に見下ろされていた。


「あ?」


「さすがに(いて)えよ」


 次の瞬間人が宙を舞った。



   ◆◆◆



「その後、全員ボッコボコにして、血まみれでギルドに登録に行って、帰りにボッコボコにした奴らに装備一式揃えさせて、この店で飲んで、食べてたじゃん。注文してよ!」


「だからまずいから嫌なんだって」


「愛情はこもってますー!」


「その愛情をおじさんの胃腸にもに分けてあげてください。後、『まずい』ってとこ否定しなさいよ」


「そんなにまずいのかな?」


「うん」


 リズは「う……」唇を噛み締め「うう……」眼に涙を浮かべ「うええええええ——」大声で泣き出した。しかし周囲の視線は泣き声の主に向けられない。彼女に視線を送ったが最後、その視界の中には収めなくとも良い者まで入り込んでしまうからだ。そしてここにいる大半の人間は冒険者。あの時の惨状の一部始終を心に刻んだ者たちばかりだった。


「泣いてもダメ」


「ちぇっ」


 リズのそれは本泣きではあったがセトには通じない。彼女もその事はなんとなく理解出来ていた。


「酒は美味いんだから頑張ってよ。アルコール低くて酔わないけど。あ、これ今日のツマミ」


「おおおおおお!」


 勢いよく手を伸ばしたのはリズだけではなかった。さっきまで視線すら動かそうとしていなかった店内の冒険者たちまでもがセトの周囲を取り囲んでいたのだ。


「セトさん、それ! 一口だけでも!」


「ダメ」


「セトさん一口で良いんです」


「ダメ」


「セトさん、お願いします」


「ダメ」


「食わせてくださいいい!」


「ダメダメ。これは俺が半日かけて(ぼーっと川見ながら)釣った魚だよ? 手間も暇も(ちょっとだけ)かかってんのよ?」


「金払います!」


「いや、それは悪いよ」


「俺、明日釣ってきます!」


「いや、魚は鮮度が命だから」


「ここの飲み代、俺が出します」


「よし、それ採用。別に金もらってる訳じゃないから良いよね?」


「よっしゃああああああ!」


 セトの料理が地球の一流シェフ並みの腕、という訳ではない。この世界の料理は単純にまずいのだ。

 素材が悪い訳ではない。調味料もゼロという訳では無い。下処理のきちんとされていない肉や魚を、味の濃いソースや油でごった煮にしたようなもの。それがこの世界の料理なのだ。火を入れすぎて固まった食材。油ギトギト。濃すぎる味付け。兎にも角にも、食材と調味料を大量に投入していくスタイル。そして味見など一切しない。煮物やスープは台無し。焼き物は炭寸前。地球人であるセトが受け入れる理由はない。そんな料理の割りには、酒がなかなか美味いのが実に不思議な話だ。

 おかげでセトは特にやりたくもなく、特に得意でもない自炊をする羽目になっていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ