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進化の終焉を猫は嗤う  作者: アザとー
クレスタ集落
8/48

「ちくしょう!」

 ガストゥは自分の寝言で目を覚ました。身を起こせば質素な寝台の上で、シーツは長くしまい込まれていたものなのか、カビの匂いがかすかに香る。

 土壁に小さな明り取りの窓をつけただけのここは、あの女の家の客間だ。宇宙港から助け出されたガストゥはここへ連れてこられ、精神的な疲労から泥よりも重たい眠りの中に沈んで一晩を過ごしたのだ。

 どんよりとした眠気が頭の芯に残っている。悪夢の続きを見ているような心地を追い払おうと、ガストゥはこめかみを軽く揉んだ。

「デニス……」

 目を閉じれば、日向のヌガーのように溶けた最期の姿ばかりが浮かぶ。昨夜の泥のような眠りの中に見た夢の中でも、何度も何度も、あの時の光景ばかりを反芻していたような気がする。

「くそっ! なんでデニスが死ななきゃならん!」

 明り取りを見上げれば、昼の空に上りきった二つの太陽が見えた。実際には何千光年と離れている太陽もここから見れば等しく小さく、仲良く隣に並び立つようにも見える。

 無駄なことだとわかっていながら、ガストゥは太陽に向かって喚いた。

「なんでデニスを守ってやらない! 太陽ってのは万能の慈愛を持つ星なんだろ!」

 そんなわけがない、所詮は太陽なんて燃え盛るガスの塊でしかなく、愛など持たぬ単なる『星』にすぎない。それでもガストゥが苛立ちをぶつけられる相手など、その太陽しかいないのである。

 彼はベッドにあった枕を抜き取り、窓めがけて投げつける。衝撃で舞い上がるホコリが陽光に美しくきらめいてむなしい。

「デニスは……デニスは……」

 まだ何かを言ってやろうと動かす口元からはうめき声がこぼれるばかりで、思考が働かない。だからガストゥはあきらめてベッドから降りた。

 さしあたって、この家の主に挨拶をしなければなるまいと、ドアを開けて廊下に出る。

 部屋のすぐ前には土を突き固めた階段があって、階下からは賑やかなアニメ映画のオープニングミュージックが聞こえた。どこかで猫が甘えて泣く声も聞こえて、昨日の宇宙港での悪夢が嘘であったかのようにのどかな雰囲気だ。ガストゥの緊張も幾分和らいで、彼は軽い足取りで階段を下りる。

 階段を下りた先は広いリビングで、昨日の女がソファにだらしなく身を投げて巨大な猫と戯れていた。

 今日は触手を顔の皮の中にきちんと収めており、とりすました当たり前の猫の顔をしてはいるが、あらためて見るとやはり相当に大きい。甘えきって全身を擦り付けるという当たり前の猫のしぐさをしているだけなのに、小柄な女は押し倒されそうになりながらもこれを撫でていた。女と戯れているこの猫は白い毛の一本も混ざらない正真正銘の黒猫で、これが昨日宇宙港に現れた『プロキオン』だろう。そのほかにも数匹、鯖縞やらぶちやらの猫が我が物顔で部屋を闊歩しており、なおかつソファの前に置かれたテレビに映し出されているのはデニスが好んで見ていた追いかけっこアニメである。

「ここは猫だらけだな」

 ガストゥがつぶやくと、女が振り向いた。

「それは、ジョークか?」

「いや、思ったままを言ったまでだ」

「そうか、ならば笑う必要はないな」

 女がほっとしたように眉間を緩めたのを、ガストゥは見逃さなかった。テレビではちょうどネズミが現実ではありえないような大きなハンマーを振りかざして猫を叩きつぶしたところであり、いわゆる『笑いどころ』だというのに、女はくすりとも笑わない。

 ガストゥはこの女の正面まで歩いてゆき、握手を求めて片手を差し出した。

「昨夜は助けてもらった礼さえ言わず、失礼した。俺はガストゥ=メリアド、地球のアスニア・カンパニーに所属する星間配達夫だ」

 女の方は臆することすらなく、ガストゥの手を握り返して深く頷いた。

「そうか」

「名前は?」

「ガストゥ=メリアドだろう、覚えた」

「そうじゃない、君の名前は?」

「ああ、私の名前を聞いていたのか、ジェシー・テンダーだ」

「そうか、よろしく、ジェシー」

「これは、私からもよろしくを言うべきなのか?」

 どうも会話がかみ合わない。話の要点が大きくズレるというわけではなくて、例えていうならば歯車の間に紙一枚が巻き込まれたような違和感があるのだ。

 だからガストゥは、歯をむき出すように大きく笑って言った。

「そうだ、一緒にここに来た友人のことも紹介しないとな。名前はデニス=レックストン、長い航行中の不摂生がたたって彼は肥満気味だった。ところが、つい昨日のことだ、彼はダイエットに成功したんだ。どんなダイエットだと思う?」

「いや、ちょっと思いつかないな」

「なんと、ネズミダイエット! 彼は命と引き換えに、骨のように痩せた体を手に入れたんだ!」

 そのあとで、さらに付け加える。

「これ、ジョークだぜ」

 死人をジョークのネタにするなど、本来ならば反応に困るものだろう。人によっては死を笑い飛ばそうという不敬に怒りだすかもしれない。そんなことはガストゥも心得ているのだ。

 ところが、ジェシーは真っ赤な唇の端を不器用に吊り上げて「あはは」と空々しい笑い声を立てた。

 だから、ガストゥは確信した。

「ジェシー、君には自分の意志というものはないのかい?」

「意志はある。正確には感情がない」

 彼女の眉根が不安そうに歪み、笑いはおさめられた。

「私は、何か間違いを犯したか?」

「いや、君が悪いんじゃない、試すようなことをした俺が悪い。だからそんな顔をする必要はない」

 はじめて――ここで初めて、ジェシーとの会話の歯車はかちりとかみ合った。

「宇宙港でのジョークは笑うよりも脱出が先だと判断した、だから笑わなかった。先ほどの挨拶はジョークではないと明言された、だから笑わなかった。今の言葉はジョークだとはっきり……」

「ジェシー、悪かった。俺は君に対しては二度とジョークを言わない。だから俺の言葉がジョークかどうかなど、二度と悩む必要はない」

「本当か?」

「ああ、もともと俺はジョークは得意じゃないんだ、それはデニスの得意分野だったんでね」

「デニス、昨日ネズミに食べられた友達か」

「正確には同僚だ。そう、同僚だったんだ……」

「なぜ二回言った?」

「気にしなくていいよ、ジェシー、ちょっとしたおまじないだ」

 この一か月を過ごして、デニスとは『同僚』という言葉だけでは語れぬほど心を近くに寄せあった。それを改めて『同僚』なのだと唱えることで、デニスの死に対する苛立ちを少しでも治めようという腹なのである。だから、ガストゥにとっては間違いなくまじないだ。

 しかしジェシーは納得がいかなかったようで、食い下がる。

「それは、二回言うということに呪意があるのか? それとも、『同僚』という単語がマジックワードとなっているのか?」

 これを疎ましく思ったガストゥは、特に深く考えもせずにこれを叱った。

「ジェシー、こういう時は黙っておくのが正解だ」

「わかった」

 彼女はそれっきり口を閉ざす。静かなリビングに、テレビが垂れ流す毒々しい効果音だけが響いた。

 その静寂に耐えかねて先に口を開いたのはガストゥの方だ。

「そうだ、この家のあるじは君かい?」

「あるじ?」

「宿を借りたんだ、この家の持ち主に挨拶をひとこと入れるのが礼儀ってもんだろ」

「持ち主……家の名義人は父だ」

「だったらお父さんに挨拶を」

「父に会いたいのか?」

 ジェシーは膝から猫を追い払って立ち上がった。

「父は、地下室にいる」

 抑揚のない声からは、その男の所在しか理解できない。

 もっとも、地下室など地球でもありふれた建築構造で、特にガストゥの家では父親が持ち込まれたロボットの整備を行う作業場となっている。だから『父親が地下室にいる』というのは、ガストゥにとってしっくりくる言葉だった。

「よし、地下室だな。ちょっと行ってこよう」

 陽気に笑って歩き出したガストゥの腕を、ジェシーが引き留めた。

「そのままじゃダメだ」

「大げさだ、たかが地下室に降りるだけだろう」

「私も一緒に行く。少し待て」

 彼女は部屋の中を見渡して、猫たちに声をかけた。

「プロキオン、彼を守れ(ステイ ガード)、カノープス、私の横に(サイド ステイ)

 大きな黒猫と、それよりもさらに一回り大きな太った縞猫がひとこえ鳴いて、のそりと立ち上がった。

「あとのものはここを守れ(ステイ ヒア)

 まるで音声コマンドで稼働するマシン・システムのようだ。猫たちはいっせいに姿勢を正して座り、「にゃ~お」と声をそろえて鳴いた。


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