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進化の終焉を猫は嗤う  作者: アザとー
ネスニア宇宙港
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 ガストゥは身が震えるほどの緊張に耐えかねて、空咳をひとつ吐いた。電子銃を握る掌は冷や汗をかいて指の先まで重たくねばついている。

 ところがデニスは、そんなガストゥの隣でブースのガラス扉を開けた。

「おい、何をしている!」

「だって、チビがさ、こんなところに閉じ込めておいたら、飢えて死んじゃうよ」

「ち、お優しいことで」

「そりゃあそうさ、なんてったって僕は太陽教信者だからね、太陽がすべての生命の上に平等に照るがごとく、僕もすべての生命に平等に愛を与えるってわけさ」

 デニスの笑顔があまりにも悪びれないものだから、ガストゥの頬もいくぶん緩む。

 ガラスの隙間から転がるように飛び出してきたネズミは、そんな二人の足もとを駆け抜ける。無数の触手が必死に蠢くみっともない走りではあったが、そのネズミはあっという間にベンチの足元へと姿を消した。

 ガストゥはデニスの肩を軽く小突いて笑う。

「恩返しに来たりしてな」

「ネズミがかい? それはメルヘンだね」

 軽口をたたきあって少し笑えば、いくぶん緊張もほぐれる。ガストゥはこの太った男の偉大さに初めて気づいた。

 思えばこの一か月、デニスの明るい性格にどれほど救われたことだろう。

 すれ違う船影すら見えない広大な宇宙に、航船という入れ物に缶詰めにされて漕ぎだす航行というのは、地上から飛び立ったことのない人間が想像する以上に孤独なものだ。それは溺れたとてつかむわらさえない、櫂が折れようとも寄る辺すらない無頼の中を黙々と進むだけの『作業』なのだ。

 確かにデニスの生活態度はだらしなくて、何度も腹を立てることもあった。彼が信奉する太陽教も、おとぎ話に縋るようなうさん臭さがあって好きにはなれない。

 それでも思い起こしてみれば、デニスはいつでも笑っていた。喜怒哀楽無くへらへらと笑っていたというのではなく、例えばガストゥが果てさえ見えぬ宇宙の広大さに心折れて落ち込んでいるときなど、何とかこれを笑わせようと冗談などを辛抱強く言い続ける。そんな時のデニスは、相手を気遣う柔和な笑顔を浮かべているのだ。だから、ガストゥの記憶にはデニスの笑顔ばかりが刻まれている。

 確かに一人で過ごす時間は大切だが、そればかりでは退屈である。そういう意味でも、自分の殻に引きこもりがちなガストゥを笑わせてくれるデニスという男は、航行の相棒としては相性がいいといえよう。

 先ほどの恩返し云々もまるきりの茶化しの言葉というわけではなく、もしも彼が信じるように太陽が愛をもって照らすのならば、その加護の光は彼のような心優しい男に向けられるべきだと祈ってのことなのである。

 ――まあ、ただのガスの塊に過ぎない太陽が、誰かを守ろうとするなんておとぎ話は信じちゃいないがな。

 だからこそ、ガストゥは電子銃を構える腕に力を込めた。この先に何らかの危険が待っているのだとしたら、この呑気な男を守るのは『太陽』ではなくて自分の使命であると。

「慎重に行動しろ、デニス」

 彼を後ろにかばいながら、ガストゥは入星審査室からラウンジへとつながるゲートをくぐったのだった。

 ラウンジももちろん無人。座る者すらいないというのに、実にクッションの具合よさそうなソファがきちんと壁に沿って並べられているのが悲しい。

 特にこのラウンジは表からの明かりをたっぷりと取り込めるようにガラス張りで作られたここまでの経路とは違い、陽光を遮るように壁が張られていてひどく暗い。

「電気系統にトラブルが発生しているのか?」

 ガラス球をたっぷりとちりばめた瀟洒なシャンデリアには明かりの一つも灯っておらず、それは高い天井の闇の奥に身を潜めてでもいるかのように沈んで、その全貌すら見せようとはしなかった。

「でかい葡萄みたいだ。そうは思わないか、デニス」

 ガストゥはこれを冗談のつもりで言った。自分もデニスのように場を和ませてみようかと。しかし、デニスの表情を確かめようと振り向いた彼が最初に思ったのは、『なれないことはするもんじゃない』だった。

 デニスは少しも笑わず、首をすくめながらも恐る恐る上を見上げた。そして首を振る。

「そんなおいしそうなものには見えないよ。なんだか、大きな木を引っこ抜いてきてぶら下げたみたいだ」

 そのあとで、デニスは身をすくめて泣きそうな声を出した。

「ねえ、ガストゥ、ホットドックはあきらめてデクスト号へ戻らないか? 実を言うと僕、暗いところは苦手なんだ」

「へえ、そいつは初耳だ」

「だろうね、君にこれを話すのは初めてだからね」

「何をされてもニコニコしてるから、怖いものなんかないと思っていたよ」

「そんなわけがないだろう、僕だって人間なんだから、怖いものや苦手なものなんかいくらでもある。それに、嫌なことを言われれば内心では腹も立てたりするさ。でもね、そういう時に僕が不機嫌な顔をしたら、相手だって嫌な気分になるだろ、ケンカにだってなるかもしれない。僕はね、ケンカをするのは嫌いなんだ」

「ところが暗闇は、ケンカになってもいいから拒むほど嫌いだってことか」

「そうだね、もしも僕に無理をさせたら、たぶん君のことを一生恨むくらいには苦手だね」

「そいつは困ったな」

 ガストゥは薄闇の中に視線を走らせた。誰もいない暗い空間に並んだソファはもっくりとした質感ある闇となって暗い。その足元にはさらに黒色深い闇がわだかまっているのだから、ガストゥでさえ背筋に氷を押し当てられたような怯えが走る。

 デニスはさらに情けない声をあげてその場に座り込んだ。

「ねえ、もういいよ、この宇宙港は確かにおかしい。少しでもおかしなことがあったらすぐにでもデクスト号でここを離脱するって言ったのは、君の方だぞ」

「ところが、そうはいかないんだよ、デニス」

「どうしてだよ、これだけ広い宇宙港なのに人っ子一人いない、おまけに電気系統はダウンしている、これは明らかに非常事態だろ」

「確かに状況は異常だ。だが、その理由は? 理由の提出すらなく職務を放棄したりすれば、俺もお前もクビだろうな」

「クビか、さすがにそれは困るな」

「これに関しては謝っておくよ。俺はもっと明らかな異常があるもんだと思ってここまで進んでしまった。例えば死体の一つでも転がっていれば、そこに残された痕跡から死因が特定できる。つまり病死なのか、ここで銃撃戦でもあったのか、一目で分かるだろう? ところがここには、異常の原因を特定できるものは何もない」

「人でもいれば、何があったのかを聞くこともできるのに、誰もいない」

「そうだ、だから俺たちは進まなきゃならん」

「だけど、暗いのはちょっと……」

 その時、ラウンジの外からゴウンと下腹に響くような音がした。それは分厚い金属の床に、大きな金属の塊がこすれる、何かの駆動音だった。

 二人は緊張で体をこわばらせる。産毛の一本に至るまですべての毛がぞわっと逆立った。

「が、ガストゥ……」

「しっ! 黙っていろ」

 闇の中で身を寄せ合う二人は、まるで全身が耳になってしまったかのように『音』をたどる。その音はゴンゴンと一定のリズムで床をこすりながら、ラウンジの扉前を行ったり来たりしているようだった。


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