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もちろん、ガストゥはそんなことは知らない。目の前で思い出し笑いを浮かべる男をにらみつけて、いまだに組み敷かれたままだ。
しかし、この男が自分の偉業にうっとりと目を細めている今、まさにこの時こそがチャンスでもある。ガストゥは今生のうちに二度とはないほどに腰を跳ね上げ、右手を精いっぱいに伸ばす。その手は上手い具合に尻ポケットに届き、電子銃を握りしめることに成功した。
「デリスク!」
援護を求める大声とともに、ガストゥは電子銃の引き金を引く。細く伸びるレーザー粒子は天井に向かって跳ね上がっただけであったが、彼を押さえつけるネズミ人間をひるませるには十分だった。
「おう!」
野太い声とともに、デリスクが顔を上げたネズミ人間にとびかかってグレネードの銃身でこれを張り飛ばす。ガストゥのほうは圧の弱くなったネズミ人間たちの手をはねのけて素早く身を起こす。
「この距離じゃあグレネードは物騒すぎる、近接戦だ!」
デリスクはもう一体、うまく頭を上げたネズミ人間を張り飛ばして怒鳴った。
「あんたは下がってろ、パイロットさんよ!」
「でも!」
「あんたがやられたら誰がみんなを宇宙に連れて行く? 誰がこの星のための救援信号を出す? あんただけは絶対に死んじゃあいけないんだ!」
また一体、今度は逃げるように後ろに下がったネズミ人間を、デリスクは大きく一歩前に出て殴り飛ばした。
そんな戦いのさなか、ジェンスがメイビーに駆け寄る。
「猫を狙って」
「はあ、この状況でかい?」
「いいから、猫を狙って。絶対に外しちゃダメだ、あいつを普通の猫だと思っちゃいけない」
あまりに真剣なジェンスの表情にほだされたのだろうか、メイビーは柔らかい猫っ気の頭を撫でながら言った。
「安心しなよ、あたしはいくつもの戦場を渡り歩いてきた。なのに、こうやって生きている、これがどういうことかわかるかい?」
「わからない」
「つまり、あたしはどんな作戦も、一度としてミスしなかった、そういうことさ」
きゅっと表情を引き締めたメイビーは、機関銃を構えなおして走り出しす。
「デリスク、ミンクス谷の戦いだよ!」
「なるほど、了解!」
デリスクは力強い声で応えると、大きく飛びのいてネズミ人間たちの間合いから身を引いた。
そのままデリスクは右に回り込んで、メイビーは左に迂回して、二人はレクスンに向かって駆ける。あわてたレクスンは大声で猫を呼んだが、それが前足を上げるよりも先に、二つの人影が彼の間合いに入って銃を振りかざした。
「ひ、ひい!」
僅かに悲鳴を吐いて身を縮めるが、二人はそんなレクスンのすぐ横でひときわ高く踏み切る足音を立てたきり、彼には目もくれずに体を返してサビ猫へととびかかる。
いかに俊敏な生き物とはいえ、こうも虚を突かれては体勢を整える暇すらなく、大きく身を震わせるその鼻先に二つの銃が突き付けられる……はずだった。
「デリスク!」
メイビーの悲鳴に目を見張ったレクスンの、その視界の中、デリスクの首だけがほぼ垂直に弾き飛ばされる。頭という栓を抜かれた体は開けたばかりのシャンパンの瓶であるかのように血を噴き上げ、わずかに傾いてから、どうと倒れた。
メイビーは愛しい男の名を呼んだその唇の形のまま、縦に体を切り裂かれてこれも床に肉塊となって転がる。
「デリスク、メイビー!」
新鮮な血の匂いにつられてきたか、天井からピンク色の触手の塊が五つほど落ちてきて、血の海に沈む肉片へとすり寄った。その向こうで、サビ猫はそっぽを向いて前足の爪の間をなめている。たった今しがた二人の人間を切り裂いたのはあの爪であろうに、あくまでもシラを切るようなそっけない表情が憎々しい。
これにプロキオンは腹を据えかねたか、喉の奥で臼を回すような低い唸り声をたてた。しかし、尻尾のほうは相変わらず後ろ足の間に隠したまま、一歩も動けはしない。
レクスンのほうは半泣きの顔のまま、「はは、はは」と形だけの笑い声をあげた。
「よ、よし、よくやった」
震える手を伸ばしてサビ猫の頭を撫でようとするが、件の猫は体が膨れて見えるほどに毛を逆立ててこれを威嚇する。
「ひっ」
引きつった声をあげたレクスンは、大急ぎで手を引っ込めて覚えに体を震わせた。それでもこの男の不遜というのは生来のものなのだろう、くちぶりだけは尊大だ。
「お、俺にそんな態度をとっていいと思っているのか? お前は、これが怖いんだろう!」
レクスンが震える手でポケットから取り出したオイルライターを一瞥して、猫は「ふん」と鼻を鳴らした。
「いいのか? これが……これが怖いんだろう?」
鉄の蓋が硬質な音を立てて開かれ、小さな炎がともったが、サビ猫はさらにばかにしたように髭を小さく揺すって鳴いた。
「んまーごぉう」
そうだ、猫とはいえこれだけの大きな獣が、爪の先にも満たないほどの小さな炎を怖がるほうがおかしいのだ――レクスンがそのことに気づいた時にはもう、彼の頭はべろりと顔の皮を裏返した猫の触手に包まれていた。
その触手に頭蓋骨を押し砕かれる瞬間、彼は何か声を上げたが、これが断末魔だったのかさえガストゥたちには聞こえなかった。ただ、猫に咥えあげられた体がビクンと大きく痙攣するのが見えただけである。
こうしてレクスンは死んだ。この男の頭骨を砕いて命を奪ったことで満足したか、サビ猫はレクスンの体を吐き捨てる。
それから猫は、顔の皮をもとに戻してジェシーに向かって何かを鳴いた。それはガストゥにとっては変哲ない「にゃお」という声だったのだが、ジェシーは震えて膝から崩れ落ちる。
プロキオンはさらに高く尻尾を突き上げ、「シャー!」と威嚇の声を上げた。
サビ猫はプロキオンには目もくれず、ジェシーに向かってさらに二声ほど鳴き声を向ける。ジェシーがあわてたようにジェンスを引き寄せ、腕の中にかばいこんだことから察するに、それはそんなに恐ろしい『言葉』だったのだろうか。
ガストゥは焦れて声を上げる。
「おい、ジェシー、あいつはなんて言っている!」
「猫とネズミは共存の道を選んだ」
「共存って、つまり? 俺は生物は専門外なんだ」
「つまり彼らはお互いの生物的な役割をうまく分担し合うことによってニッチ分化を可能にした」
「もう少しかみ砕いてくれ」
「つまり、食うものと食われるものであることをやめ、お互いの生存戦略の邪魔をしないように協定を結んだということだ」
「つまり……それは、つまり……」
「猫とネズミが追いかけっこをするアニメがあるだろう、あれの中には猫とネズミが同盟を結んで犬を追い払う話もあったはずだ、あの同盟の本格的なものだと思えばいい」
「つまり、犬じゃなくて俺たち人間を追い払おうって算段か」
「ああ、だから、私たち人類に勝算は……もはやない」
「いつから!」
この怒声に答えたのはジェンスだ。彼はジェシーの腕の中で震えながらも、強い声で言った。
「ずっと前から」
「ずっとって?」
「あの猫が、ジェシーのお父さんと一緒にうちの店に買い物に来ていた、そんな前から。僕は、あの猫がネズミ相手にその話をしているの、聞いたことがあるんだ」
ジェシーが頷く。
「なるほど、すべてはずっと前から仕組まれていたということか」
猫はこの星に移住してきたそのころからすでに頭の良い生き物だった。第二世代という理解者がいなかったから表面化しなかっただけで、実はずっと前から知性を獲得した生物であったと思われる。対するネズミは、今日までその知性が人類に知られなかったのは、これはサビ猫による統率によるもので、この星に生息を始めたかなり早い段階から知性らしきものを獲得していたのだろう。
何も知らず、何も知らされず、自分たちが生物の中で唯一の頂点的な生物であると信じて疑いもしなかったのは人類ばかりということだ。
「つまり、父を殺したネズミを放ったのはお前か、レグルス」
ジェシーの問いに、猫はひどくいやらしい鳴き方を返した。いや、それはもはや猫の鳴き方というのはあまりにも意地の悪いものを含んだ、囁きのような声だったのだ。
これはおそらく、ジェシーの心の奥をひっかくような言葉だったのだろう、彼女は頭を何度も横に振って叫ぶ。
「違う! 違う違う!」
「にゃう?」
「私は確かに父を憎んでいた、だが、死んでいいとは、一度も思ったことがない!」
「にゃあ」
「本当だ、本当にだ! これだけは太陽に誓って、本当になんだ!」
「んにゃ~ご」
「頼む、それ以上その話はしないでくれ」
猫は満足そうに鼻先を上げて笑った。猫が笑うなどずいぶんと文学的な表現のように思えるかもしれないが、鳴き声を短く切ってつなげ、大きな口を横に押し開いて口角を上げるその行為を例えるに『笑う』以外の形容などないだろう。




