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進化の終焉を猫は嗤う  作者: アザとー
宇宙港内
42/48

 撃ち抜かれた窓をくぐって入る。ネズミたちは乾いた空気を避けようというのか、部屋の隅に体を擦りつけて動こうとはしなかった。ガストゥたちの足元に触手を伸ばす活きのいいヤツもいるにはいたが、これはその都度、猫たちが大きな前足で踏み砕く。

 ネズミたちはおとなしく、人のいる気配もなく、どこか遠くから機械の駆動音が響くだけの静かなターミナルの中を、一行は這うようにして進んだ。

「なんだか、張り合いがないねえ、まるでピクニックだ」

 メイビーが軽口を言うと、その声は静かなターミナルの壁に反響して小さな残響を残した。

 実際はピクニックなんて暢気なものではなく、逆に何も起こらぬ平穏に身が震えるほど誰もが緊張している。だからこれはメイビーの言葉は場を和ませるためのジョークだったのだが、これは不発に終わった。

 ジェンスもジェシーはいつも通りの黙とした無表情を崩さず、デリスクに至っては少しイラついたような声で言葉を返す。

「もっと緊張しろ、メイビー!」

「緊張ならしているよ、この上もなく、ね」

「その緊張を保ち続けろといっているんだ。レクスンたちも格納区を目指しているはず、ここから先、やつらとはちあわせるという事態も十分に考えうる」

「まさか! 地下にある駐車場から、ネズミの雨の中をかいくぐってここまでたどり着くなんて不可能さ。さっきのやつみたいにゾンビになって、下のフロアでうろうろしてるんじゃないのかい」

「メイビー!」

 ひときわ強い声のあとに、デリスクはふっとほほを緩める。

「わかっている、そうやってみんなの緊張をほぐすのが君の気づかいだってことは。だけどジェシー、今回の敵は人間ではなくて動物だ。やつらはこちらの思考も作戦も解しないのだから、俺たちが得意とする裏の裏をかくという作戦が通用しないんだ、わかるか?」

「わかってるけどさあ」

「わかっているなら口を慎め、ここは戦場だ」

 全身に緊張感をたぎらせて、メイビーは背筋をただした。その表情にはおふざけの色はない。

了解イエッサー

 彼女はすっと身を低め、警戒態勢をとって一番後ろへと回った。頷いたデリスクは、油断なく視線を四方に走らせながら前へ、猫たちはそんな二人を援護するかのようにガストゥたちのサイドに回り込む。

 この仰々しい警備に面食らって、ガストゥは声を上げた。

「おい、何もここまで……」

 その声を片手を上げて制して、デリスクはさらに厳しい視線を天井に向ける。

「聞こえないか?」

 メイビーが軽く顎を引いて答えた。

「ああ、聞こえてる、さっきから」

 耳を澄ませば、どこからともなく、何か重たいものを引きずるような音が聞こえる。それはゆっくりと、断続的に、だが確かに近づいてくる。

「天井裏だ」

 デリスクは銃口を天井に向け、猫たちは髭と耳をピンと立てた。メイビーは逆に頭を下げ、天井に耳を向ける。

「来た」

 音はぴたりと止まり、一瞬だけ、静寂が訪れた。と、次の瞬間、さほど離れてはいない点検口の蓋が、わずかに語りと音を立てた。もちろん、戦闘のプロであるメイビーがこれを見逃すわけがない。

「あんたたちは離れて!」

 壁際に突き飛ばされる瞬間、ガストゥは視界の中にとらえた点検口が外れるのを見た。まるで映画のコマ送りのように、床に向かって落ちる四角い蓋ばかりが鮮やかだった。

 最初に動いたのは猫たちで、これは床でバウンドした蓋を避けようと大きく飛びのく。猫たちが身を引いた隙間に、重たい音を立てて落下したのは巨大な肉だ。これがぶちゃりと無様な音を立てて、床に這いつくばった。

 ガストゥはその肉片が体に巻き付けている衣服の残骸に既視感を感じて震える。

「デニス!」

 見る影もないほどに擦り切れてはいるが、木綿に派手なチェックをプリントした安っぽい……デニスが愛用していたシャツの模様だ。二重縫いになった襟だけを巻き付けた首元には太陽教の信者であることを示す陽光のペンダントがぶら下がり、その肉塊がかつての同僚であることを示していた。

 肉体の損壊は激しく、顔は半分が腐り落ちて象牙色の頭蓋骨がむき出しになっている。もとから太っていた体は腐敗ガスと潜り込んだネズミのせいで倍ぐらいに膨らんで丸く、どこから見ても『肉塊』としか形容しようのないありさまだ。

 その肉塊は体を揺すって床の上をずるりと這った。節がないほど膨れ上がった丸太のような手がガストゥに差し伸べられる。次の瞬間にガストゥが聞いたのは、懐かしい同僚の声だった。

「連れて……行って……」

 感傷と恐怖がないまぜとなってガストゥの脊椎の上をなぞる。堪え切れぬ戦慄に体を震わせて、彼は立ち尽くした。

 これを見ていたデリスクはグレネードの銃口を油断なく肉塊に向けて、声だけはガストゥに向けて。

「おい、騙されるな、こいつは人間じゃない!」

「わかっている、わかっているが、長く一緒に宇宙を飛んだ相棒なんだ!」

 ガストゥはすでに興奮しきっている。両手を振り回してわめき散らすばかりだ。

 肉塊はさらに弱弱しく声を震わせて、彼に訴えた。

「連れて帰って、地球へ……」

「デニス、ああ、デニス!」

 我を失って頭を掻きむしるガストゥの背中に、ジェシーが強く抱き着いた。

「落ち着け」

「落ち着けるもんか! デニスだ、デニスが俺を呼んでいる!」

「違う、アレはネズミが死体の声帯をコントロールしているだけだ」

「そんなことはわかっているよ、それでもあいつは相棒だった、だから心がかき乱される、こんな気持ちは、感情のないあんたにはわからないだろうが……」

「ガストゥ、落ち着け」

 彼を抱く腕にさらなる力を込めて、ジェシーは囁いた。

「あれは同僚だ。同僚だったんだ」

 呼吸を奪うほどに強いジェシーの感触とぬくもり、そして『同僚だった』という過去形がガストゥの心を落ち着けた。

「ジェシー、それは……」

「初めて家に止まった日の朝、あそこにいる彼の死を乗り越えるために君が使ったおまじないだ。覚えていないのか?」

「いや、覚えているさ」

 ガストゥはあたりを見回す。

 ジェンスは壁際に身を寄せて、恐ろしい出来事から少しでも遠ざかろうとするように体を丸めこんでいる。メイビーとデリスクは銃口を肉塊に向けて引き金に指をかけており、必要とあらばいつでもこれを撃ち抜くだろう。そして五匹の猫たちも――語の猫も頭を低く、尻尾を立てた尻を大きく突き上げて肉塊に狙いをさだめており、銃弾で破られた皮膚の下からネズミが這い出せば、たちまちのうちにこれを食ってしまうだろうと思われた。

 すべては万全、ただガストゥの覚悟が待たれている状況である。

「そうか、同僚だ。同僚だったんだ」

 黙とうの代わりに軽く目を閉じて数秒、そのあとで大きく顔を上げたガストゥには、もう迷いなどない。

「デリスク、メイビー、頼む」

 その声を合図に、メイビーの手元で機関銃が歌いだす。ネズミをたっぷりと詰め込んだ肉塊は弾け飛び、猫たちは散らばった触手をとらえるべく跳躍する。

 時間にしておよそ一分、デニスのふりをしていた肉塊は完全なるミンチ肉となって床にこびりついていた。それを見下ろすガストゥは、別れの言葉の代わりにいま一度。

「そう、同僚だった」

 ジェシーの腕を優しくほどいて、ガストゥは彼女に微笑みかける。

「行こう」

 デリスクは少し離れて転がっている陽光のペンダントに気づき、それを拾い上げた。銃撃の中、いち早く肉塊から弾かれたらしいそれは、ほとんど傷もなく美しく光っている。

「せめてこれだけでも地球に持って行ってやんな」

 それをガストゥに投げ渡した後で、デリスクは微笑んだ。

「責任重大だな」

「ああ」

 返された言葉は短くとも力強い。それに安心して、デリスクは小走りに走り出した。

 あとに続くガストゥ、そしてジェンスの手を引いたジェシー、最後方はメイビーと猫たちが軽快に。一行はこのフロアを一気に駆け抜けた。

 発着場に向かう長い自動歩道も今は停止している。足裏に不快なゴム製の歩面をダシダシと踏みつけて走る。それを抜ければ広い待合ロビーがあり、その向こうは入星審査ゲートだ。

 ここは、ガストゥがこの星について初めてネズミの姿を見た場所……あの時は、いくつも並ぶガラスのブースのたった一つに異常があっただけのはず。

 しかし今、あまりに変わり果てた光景に臆して、ガストゥは足を止めた。

「ひどいな、これは」

 そこはまるきり大きなネズミの巣だ。円筒型のガラスを柱にして、ネズミが吐き出した粘液が壁のようにわたされている。乾ききった白い粘液の中には、黒っぽくしなびれた人間の死体がいくつも埋め込まれていた。

 デリスクは銃の先で薄い壁状の粘膜を無防備につつく。

「大丈夫だ、この巣は枯れているらしい」

 がさっと乾いた音がして死体が一つ崩れたが、ネズミが動く気配はなかった。

「っても、こんなに通せんぼされちゃあ、どうしようもないな、ちょっと下がっていてくれ」

 デリスクがグレネードの銃口をネズミの巣に向けたその時、どこからかレクスンの声が響いた。

「おいおい、死体とはいえ同胞がこれだけ詰まった袋を焼こうとは、君はひどい男だな」

 デリスクはバックステップで壁から離れ、その奥を透かし見た。レクスンの声がしたのは壁の向こう、そんな気がしたからだ。そして、それは目算としてはひどく正しいものだった。

 まずは壁の奥が、向こう側から切り裂かれた。薄い粘膜で吊り上げられていた干しブドウみたいな死体がばらばらと地面に落ちる。裂け目はさらに広がり、ついにはガストゥたちの目の前に大きな裂け目を刻んだ。

 その裂け目から最初に出てきたのは猫だ。プロキオンなんかよりもずっと大きい、サビ模様の猫。

 これを見たジェシーが、歯を食いしばってうめいた。

「レグルス!」

 ジェシーだけではない。猫たちもみな一様に歯を見せて、低く唸っている。サビ猫の後ろからは、レクスンが悠々とした足取りで現れた。

「やっぱり君の家の猫か、見覚えがあると思ったんだよ」

 レクスンが片手を上げると、サビ猫はさっとその傍らに駆け寄ってかしこまる。

「今はごらんのとおり、俺の猫だがね」

 確かにサビ猫は、まるで甘えるようにレクスンの足元に鼻先を擦りつけていた。

 ジェンスはこれを見て、メイビーの袖を引く。

「あいつを狙って」

「あいつって、あの猫かい?」

「そう、あの猫」

「いや、司令塔はどう見てもレクスンじゃないか、坊や、戦争ではね、頭をとるのが必勝法なんだよ」

「知ってる。だから、あの猫を狙って」

 メイビーはしぶしぶながらも銃口をサビ猫の眉間に向けた。

 これを笑ったのがレクスンである。

「おいおい、狙う相手が違うんじゃないかい、しっかりと俺を狙いたまえよ」

 彼は顔が割けるんじゃないかというほど大きく口を開いて、その端をいやらしく上げて笑顔を浮かべていた。

「そこにいる猫たちを見ても分かる通り、この猫はそこにいる駄猫たちよりもずっと強い」

 確かにどの猫も後ろ脚の間に尻尾を隠して唸るばかり、プロキオンなど、いくらか腰が引けて今にも逃げ出しそうな風情である。

「そしてその強い猫さえもが、この俺に跪いた……つまり今、ここで一番強く、そして偉いのは俺だ」

 けたたましく破裂するような高笑いを吐き出しながら、レクスンが進む。その足の動きにすり寄るように、大きなサビ猫も進む。メイビーとデリスクが構えている銃など目に入らないかのように、平然とした足取りで。


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