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さすがにカウンターの備え付けでなかった証拠に、撃ち抜かれた体は大きく揺れながら吹っ飛んで後ろに倒れる。
肉の飛び散る音に刺激されたか天井から無数の桃色の塊が降り注いだが、これは猫たちが風のように走り回って次々と顔面の触手の中に飲み込んでしまった。
かわいそうなのはミンストンで、ネズミを塞ぐガラスを失った大きな窓の前に立っているのだから、天井から降ってきたネズミたちが頭上から降り注ぐ。猫たちのいる場所からは少し距離があり、誰も彼を援護することはできなかった。
「うわあ、ひいい!」
悲鳴を上げながらのたうち回るミンストンの皮膚にネズミたちは触手を突き立て、皮下を探り始める。血は噴き上がり、ミンストンはひときわ甲高く悲鳴を上げる。
ガストゥはこれを助けるために駆け寄ろうとした。が、そんな彼を押しとどめたのはほかでもない、ミンストン自身の言葉だった。
「来るな!」
「しかし!」
「今回のミッションで最も重要なのは、君を間違いなく宇宙船に導くこと、そうだろう?」
拒絶の言葉など上げる隙さえなかった。ミンストンは間髪入れずに片手に持った手りゅう弾のピンを抜き、それを地面に叩きつけたのだから。
爆風とともに肉片が飛び散り、血しぶきがあたりを汚した。特に大きな胴体の一部は爆風に乗って大きく宙を飛んで転がり、無人のリムジンバスのタイヤに当たって止まる。
ガストゥは思わず両手を広げてジェシーの視界を塞ごうとした。ミンストンはガストゥにとっては数時間前に初めて言葉を交わしたばかりの他人であるが、ジェシーにとっては同じ集落に住む顔見知りである。親しく会ったかどうかまでは知らぬが、少なくとも同じコミューンに住む同胞の無様な死を目の当たりにさせるわけにはいかぬと考えてのことだった。
しかしジェシーはそんなガストゥを押しのけ、建物の中に向けて声を張り上げる。
「メイビー、デリスク、ミッションコンプリートだ! 撤退を!」
その声が、そして押し返す手が――それがかすかに震えているのを知っているから、ガストゥは黙って彼女の肩を抱いてやる。
粉じんと、割れるガラスのかけらの中から二人の戦士が戻ってくるまで。そして、猫たちがネズミの残党を踏み散らかしながら車に戻るまで、二人はそのまま身を寄せ合って無口であった。
レクスンの仲間がカウンターにいたということは、彼らがすでにこの宇宙港内に侵入していることを意味する。建物の構造、そして状況から、地下にある駐車場を通って侵入したのだろう。
だからガストゥたちは車に乗り、駐車場からできるだけ離れた入り口を探すべく、さらに上のターミナルを目指している。宇宙港は中に入れば五階建てで、その三階部分までがらせん状に上る高架道路でつながれており、三階まで上がるころには一階部分から吹き込む風でネズミたちの動きも鈍くなっているだろうと予想された。
それでも車内にはミンストンを失った痛手が重く立ち込めている。誰もが無口で、猫たちさえもが空気を読んだか声すらあげないのだから、ただ沈んだ葬送のような静けさだけが車内に満ちていた。
そんな中、ジェシーがかすれるような声でつぶやきをこぼす。
「人類の姿は、進化の究極形だといわれている」
誰も肯定せず、さりとて否定もせず……返事すらなく。
「両手を自由に使うための二足歩行、発達した脳、複雑な言語コミュニケーションを可能にするための柔らかい口唇と器用な舌、それらを統合してコントロールできる高次な脳機能。人類はそうした自分の姿を生物の中で最も進化した形だと定義したが、これはあながち間違ってはいないのだ」
静けさに耐えきれず、ガストゥはここにうめくような声をさしはさんだ。
「だからネズミは、進化の究極形として人間の形をまねようとしていると?」
「そうだ。それだけが人類の唯一の誤算だった。人類がさっさと進化の最終段階まで駆け上がった後も、ほかの生物たちは僅かずつの進化を積み重ね、進化の最終形態である二足歩行による脳の高次発達を目指していた。それが今、ネズミたちによってなされようとしているのだ」
「つまり、ネズミ人間だ。まるでアニメだな」
ガストゥは、デニスが好んで見ていたアニメのキャラクターを思い出した。
小さな体に針金のような手足を描きこんだ、愛くるしいネズミのキャラクター、あれは擬人化されて、本当の人間のように知恵のまわる生き物であったはずだ。追いかけられながらも狡猾に策をめぐらせ、人間のように器用に道具を使いこなし、猫をさんざんに懲らしめるあれはアニメの中だからこそかわいげもあったが、現実にあんな生き物がいられてはたまったものではない。
「猫なんかじゃ、勝てないんじゃないのか?」
ジェシーは何も答えなかった。車内には再び重苦しい無言が満ちる。
車がちょうど、三階のターミナル前についたことだけが救いだった。
「降りるぞ、用意しろ」
短く言った後で、デリスクはなんの躊躇もなく車のドアを開ける。こんな辛気臭い空気の中にいるよりはと、ガストゥもそれに続いた。
「みろよ、ミンストンの最期の仕事の仕上がりをさ」
ガラスの内側には、乾燥する空気から逃げ出そうとしたのか無数のネズミが張り付いてもがいている。その大半はすでに白くホコリを吹いたように乾いた己の粘液に体を囚われ、弱弱しく触手を揺らめかせて哀れだ。
デリスクはガラスを少し叩いて、鷹揚に笑った。
「俺たちを襲うほどの元気は、もう、ないだろうよ」
ガストゥは頷く。
「ミンストンは、きっちりと仕事をこなしたってわけだ」
「さて、仕上げは俺がしてやるか。この階にもちょいと、風を通してやろうか」
グレネードを抱えたデリスクが建物の端に向かって走るのを見送って、ガストゥはジェシーに顔を向けた。
「行こう、ジェシー」
彼女はさして表情を変えることもなく頷いたが、その背中がなんだかいつもよりも前のめりに丸まっているような気がして、ガストゥは不安になる。
「ジェシー、怖いのかい?」
彼女はそっけなく答えた。
「ああ、怖い。ここに張り付いている旧態のネズミは確かに鎮静化された。だが、先ほどのように人間の中に潜り込める個体がいる以上、リスクは必ずしも軽減されてはいない」
「わかっている。慎重に行くさ」
「わかっていない。君はわかっていない」
きっぱりと言い切った後で、ジェシーはガストゥの片手をとって彼の体を引き寄せた。それはジェンスに言葉を聞かせないため、ガストゥの耳元に言葉を吹き込むためだった。
「約束してくれ、この先、ネズミが襲い掛かってくるようなことがあれば、誰のことも見捨てて逃げると」
「そんな簡単に仲間を見捨てたりは……」
「それじゃダメだ。この先もしもネズミに襲われたら、見た目がどれほど元の姿のままだとしても、構わずに逃げろ。君はパイロットなのだから、航船にいきつく義務がある」
「う、わかったよ」
「たとえ相手が、私でも、だ」
「それは……」
「もちろん、そうならないように十分に留意する。それでも可能性はゼロじゃない。覚悟だけはしておくべきだ」
「わかった。覚悟だけは」
「よし」
ガストゥを手放して、ジェシーはジェンスを呼ぶ。
「ジェンス、ここまでついてきてしまった以上、君の身の上は私が引き受ける。だから、何があっても私から離れないように」
ガストゥは、これですっかり彼女の覚悟がわかってしまった。
人間の皮下に潜り込むことを覚えたネズミ、あれに浸食されれば、確かに見た目のわからぬうちに仲間がネズミとなり替わっている可能性もあるだろう。だからこそジェシーは、自分がジェンスの身柄を常に手元に置き、これを守るつもりなのだ……ネズミに浸食されぬように。もしもこれが果たされずに自分かジェンスのどちらかがネズミに侵されたら、彼女は迷うことなく、ともに死ぬつもりなのだろう。
「そんなことはさせられない」
小さくつぶやいたガストゥの決意が彼女の耳に届いたかどうかは定かではない。ジェシーがさっと片手を上げて、猫たちを呼んだからだ。
「さあ、行こう、プロキオン」
ガラス張りの建物を見上げる彼女の横顔は美しく、雄々しいものだった。