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それから間もなく、車はトンネルを抜けて宇宙港のターミナル前へと出た。ここからガラス製の回転扉を抜ければ搭乗手続きをするカウンターが立ち並ぶロビーがあるはずだ。
いつもなら送迎のマイクロバスが何台も連なり、絶えず人の行き交うこの場所も、いまは閑散としている。ただ一台だけ、ドアを開けたままのリムジンバスが止まっているのが寂しい。
回転ドアに一番近いレーンに車を止めて、デリスクは後部座席のメイビーに声をかけた。
「ミッション開始だ」
「はいよ!」
掛け声とともにメイビーが座席下から引きずり出したのは機関銃と、それに装填する細く連ねた弾丸の束。彼女はこれを袈裟にかけてからミンストンに声をかけた。
「具体的なプロセスを指示しておくれ」
ミンストンは幾度か頷き、回転扉を中心にぐるりと建物を見渡す。
「この建物の構造で空調の効果を最大限に生かすには、メインの加湿器は高い場所……つまり屋上に仕掛けられているはずだよ。だけどそれだけじゃ館内全部に加湿効果は及ばないからね、このロビーの天井にはいくつかシーリングファンが取り付けられているはずだ」
「オーケイ、そいつを壊せばいいんだね」
「そうだけど、ご存知の通り、ここの天井にはびっしりとネズミが巣をはっている。うかつに天井に銃口を向けようもんなら、ネズミの雨が降っちゃうよ」
「だから俺がいるんだよ」
ミンストンの肩を叩いたデリスクは、グレネードランチャーを肩に担ぎあげている。
「メイビー、イギア星の作戦でやっただろ、ツーマンセルだ」
「つまり、あんたが主砲をぶっ放している間、あたしは落ちてくるネズミをせん滅すればいいと、そういうことだね」
「そういうことだ。なあに、相手がこっちの作戦を先読みしない分、あの時よりも簡単だろうさ」
その間にミンストンは、自分の座席の下からゴロゴロと手りゅう弾を引きずり出した。
「君たちの突入と同時に表側からガラスを破壊するからね、といっても、こっちは非戦闘員ばかりだ、君たちの援護ができるわけじゃなし、むしろ君たちを囮にしての作戦だけどね」
「囮に使われるのは慣れっこさ。あたしたちはそういう部隊にいたんだからね」
「そいつは頼もしい、つまりは囮のエキスパートというわけか」
それがジョークだということはわかっていたが、ガストゥは笑わなかった。いや、笑えなかったのだ。彼は頬をわずかに引きつらせて、電子銃をしまったポケットに手を伸ばす。
「俺も援護に入ろう」
しかし、デリスクが片手を上げてこれを制した。
「あんたはパイロットだ。今回のミッションで一番重要なのは、あんたを生かして航船まで送り届けること。そのあんたに前線に出られたんじゃ、ミッションの難易度がとんでもなく上がっちまう」
メイビーもガストゥに笑いかけ、親指を突き立てて見せる。
「援護の援護には、猫たちがいる。あんたはそこで、ジェンスの子守でもしてな」
そんなメイビーの袖を、ジェンスがくいっと引いた。
「あのね、注意して」
「ん、何に?」
「猫。もしも中に大きな猫がいたら、すぐに撃ち殺して」
「猫? ネズミじゃなくて猫かい?」
「そう、猫。プロキオンよりもずっと大きい猫だよ」
「そうかい、まあ、気にかけておくよ。だから心配しないで、ここでおとなしく待ってな」
メイビーはシートを乗り越え、勢いよくドアを開ける。
それが開戦の合図だ。
「おうよ!」
少しも遅れることなく、デリスクが運転席のドアを開いて飛び降りる。そのまま車の後ろのに回った二人は、バックドアを跳ね上げた。
「出陣!」
ジェシーの号令とともに、車が軽く傾くほどの勢いで、猫たちが飛び出した。
「デリスク、猫の通り道を作ってやんな!」
メイビーの声、そして響く発射音。グレネードの弾は猫たちよりも疾く駆け、回転ドアのガラスを突き破り、ロビーの中を噴煙と閃光と爆音で染めた。
猫たちはそんなものにはいささかもひるまず、後ろ脚をきれいに矯めてガラスの破片を飛び越える。ロビーの中で幾たびか、猫たちの鳴き交わす声が聞こえた。
「よし、俺たちも突入だ」
「あいよっ!」
今度はメイビーの機関銃が歌う、高らかに。そこにガラスの割れるメロディが重なり、荘厳な軍歌のように鳴り響いた。
それは勝利へと進むための行進曲。
二人は降りかかるガラスの雨をものともせずに突き進み、建物の中へと姿を消した。続いて起こる爆音と機関銃の声、そして閃光と。巻き起こる粉塵でガラス張りの建物は白く曇り、中の様子がわからぬことがもどかしい。
「よし、援護に出よう」
ミンストンはジェシーの手の中に何個かの手りゅう弾を押し付けた。
「使い方はわかっているね?」
「わかっている。だが、中の状況も分からずにこれを使うのは突入した二人を危険にさらす行為では?」
「だから、狙うのはあくまでもガラスの表面、根元近くだ。むしろこちらへ吹き返す爆風のほうが危険だから、十分に距離を保ってね」
「了解」
ジェシーは眉の一つすら動かさずに手りゅう弾を握りしめたが、これにガストゥはひどくあわてる。
「お、おい、女には危険だろう、俺が行く」
しかしジェシーは揺らぎなく、彼が差し出した手を押し返した。
「だめだ、君はここでジェンスを守れ」
「いや、それじゃあ君が……」
「君が私の身を案じている、その感情は理解した。だから私は細心の注意でこのミッションをこなし、必ずやここに戻る」
「でも……」
「ならばガストゥ、私の気持ちを聞いてくれ」
ジェシーはガストゥに顔を近づけ、囁くように、だがしっかりとした声で言った。
「私は、君を愛している」
さらにガストゥの頬に軽い口づけを落として、ジェシーは……まるで花が開くように微笑んだ。
「私は地球についたら、ジェンスを手元に引き取ろうと思っている。あの子は私にとっては弟のように思える子で、あの子の保護者になるのが最良であると思うからだ。その時に、もう一人の保護者として、ガストゥ、君が協力してくれれば、私にとってはさらに最良だ」
「それって……」
「プロポーズというやつだ。そして、この最良の未来をかなえるためには、私が死んではいけないのだということを理解している。だから、君はここで待っていてくれ」
ガストゥの返事も聞かず、ジェシーは開いているドアから飛び出して行ってしまった。ガストゥは、彼女の残した唇の余韻を確かめるように、指先でほほをなぞる。
「ジェシー」
その余韻さえ吹き飛ばすように、手りゅう弾の破裂する閃光と爆音。
「ジェシー!」
ドアから身を乗り出したガストゥが目にしたのは、粉じんの雲の中に立ち尽くす女の影であった。
「どうした、ジェシー!」
ガストゥが声をかければ彼女はびくりと大きく震え、無言で建物の中を指さした。ガラスの内を曇らせていた硝煙の煙は割れた窓からすっかり押し出され、吹き散らかされた粉じんがわずかに舞うロビーの真ん中でメイビーとデリスクが立ち尽くす姿が見えた。
二人が銃口を下げているのは、搭乗の手続きをするカウンター越しに一人の青年と対峙しているからだ。ガストゥの記憶が確かならば、あれはレメスと呼ばれていた青年ではないだろうか。まるでカウンタースタッフであるかのように背筋をただしたその男は、ニコニコと愛想良く笑っている。
この状況の真っただ中にあって、平素であるように屈託ない笑顔を浮かべているということ自体が異常だ。猫たちは警戒も明らかに逆毛を立てて彼を取り囲み、メイビーとデリスクも銃口こそ下げてはいるが、いかにも戦闘のプロらしい絶妙な間合いをとっている。
デリスクが警戒を含んだ上目使いで聞いた。
「お前は誰だ?」
その男はいささかも姿勢を崩さず、もちろん笑顔さえも崩すことなく、まるでカウンターに備え付けられた備品のように動かない。
「おい?」
デリスクが一歩を進む。メイビーは黙って、いつでも銃口を上げられるように銃に両手を添えている。
「おい、聞こえないのか!」
苛立ったようなデリスクの声に、その男はぱかっと口を開いた。そこから発せられるのは意味の無いでたらめな発声。
「イェィラシュタルカリスタレス……」
「え? なんだって?」
さらに一歩を進もうとしたデリスクの目の前で、その男の頭は桃色に染まった。いや、染まったように見えたのだ。
男の耳から鼻から口から――頭部にある穴という穴すべてから、細くて柔らかい桃色の触手があふれるように垂れ下がった。目玉は内側から押し上げられて眼窩を外れ、空洞になった瞼の内からも触手がぞろりとこぼれだす。
その凄惨な光景に凍り付いたデリスクに向かって、触手を垂らした男は片手を上げた。
「本日……レシュトスレ……ご用意できるお席は……ヤシュヤシュラ……」
「どうなってんだよ、これ!」
耐えかねたデリスクが悲鳴を上げるが、メイビーだって答えを持ち合わせてなどいない。
「知らないよ!」
ミンストンに至っては割れたガラスの前で両手をだらりと垂れて立ち尽くしている。その表情は惚けきって思考のかけらも感じられない。
ただ、ジェシーだけがつぶやく。
「言語の獲得を……?」
その言葉にわずかに正気を取り戻したガストゥは、跳ぶようにしてジェシーに飛びつき、この体をガラスの前から引き離した。中からは歌うように連なる機関銃の声が。
ガストゥの目の端には、細かな桃色の肉片となってカウンターの合板の上に飛び散る『人間の姿だったもの』が映った。




