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進化の終焉を猫は嗤う  作者: アザとー
ネスニア宇宙港
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「この宇宙港は完全に機能を停止したわけではなさそうだ。行こう」

膝を払って立ち上がるガストゥに、デニスはお決まりのふくれっ面を見せる。

「行こうって、どこにだよ」

「お待ちかねのラウンジに。まあ、ホットドッグ屋が開いているかどうかは保証しかねるけどな」

「ふふ、心配しなくても、僕には食いっぱぐれない運があるんだってよ。この前、太陽教の本部会でそう言われたよ」

「占いか。何の根拠もない、非科学的な遊びだな」

「遊びなんかじゃないんだってば。例えば僕がブリトーを食べたいと思いつくだろ、ところがご存知の通り、メイガンの店は水曜日が休みだ。ところが、どういうわけか水曜日、どうしてもメイガンのブリトーが食べたくて食べたくて、出勤の途中にひょいと店を覗くわけだよ、そうしたら、メイガン=デイは気まぐれに店を開けている日だった、そういうことが何度もあってね……」

「あの爺さんは最近ボケてきている、火曜と水曜を間違えることが多いんだよ」

「それでもさ、なんとなくこう、運命を感じるんだよ」

「お前の運命の相手はブリトーか。いいから少しの間だけ、口を閉じていてくれ」

すでに二人は格納庫エリアを抜けて、入星審査室の前まで来ている。ここまでおよそ三分間、誰ともすれ違わなかったし、誰にも会わなかった。

「いくらなんでも、人が居なさすぎるだろ」

入星審査室の手前には、審査待ちの人間を座らせておくためのベンチを並べた広いロビーがある。宇宙を航行する人間たちは他人との会話に飢えているのだから、こういった場所ではコーヒーの入った紙カップを片手にたむろする一団が居座っていたりするものだが、それすらいない。整然と並べられた二十脚ほどのベンチに座る人影は一つもなく、もちろん、立ってロビー内をうろつく人影もない。全くの無人なのだ。

ガストゥは尻ポケットから電子銃を抜いた。さすがのデニスもここに来て異常に気付いたか、もはや何も言わずに電子銃のセーフティを外すガストゥの手元だけを眺めていた。

広いロビーを滑るように通り抜けて、二人は入国審査室へと進む。ここには円柱型のガラスを立てたブースが五基ほど並んでいて、入星を希望する者はガラス越しにブースの中に座った審査官と面談するシステムになっている。だが、どのブースの前にも入星審査を受ける人影などなかった。それどころか、ガラスでできたブースの中にすら、ただの一人として審査官など見当たらない。

「これはずいぶんと大掛かりなバカンス休暇だね」

デニスの軽口すら、無音の空間にむなしく響くばかりだ。

ガストゥは慎重に、できるだけ身をかがめてガラス製のブースへと近づいた。中を覗き込めば、本来なら入星審査官が座るための丸椅子は倒れ、床には書類の類が散乱している。

「ガストゥ」

デニスの声に振り向けば、彼は隣のガラス柱の下の方を太った指で指し示しているところだった。

「これ、なんだと思う?」

そこには膜状に乾いた白い物体が、人の腰くらいまでの高さびっしりとこびりついている。おそらくは粘液質の、例えば人の痰が大量に吐きだされた後で乾けばこうした見た目になるだろうか。

「良く分からない。だが、汚いな」

ガストゥはその物質の不快さに顔をしかめながらも、中をよく確かめようとガラスに顔を近づけた。

その時だ、張り付いた乾燥痰の幕を破って、世にも醜悪な生き物が飛び出してきたのは。それは何十匹ものミミズを握り固めたような、桃色の触手を無数に持つ生き物だった。

「うわっ!」

ガストゥは後ろのガラスに後頭部をぶつけるほど飛びのくが、もとよりこの生物がいるのはガラスの向こう側、それは無様にベチャッと音を立てて透き通ったガラスに張りついただけで、それ以上こちらへ出てこられないことを歯噛みするかのようにうぞうぞと身をくねらせた。

「なんだ、これは」

見れば見るほどに醜怪な生き物だ。大きさは手のひらに載るほど小さいというのに、その表面に生えた数百本の触手はどれも精巧な内臓突起を思わせる形をして、おまけに実に緻密な動きでもってガラス面をなで回しているのだ。触手の先からひどく粘度の高い乳白色の汁が染み出し、それはガラス面を白く汚した。

「そうか、この膜はこいつらの粘液が乾いたものか!」

デニスは少し興奮した様子でガラスに歩み寄り、奇態な生き物が張り付いているあたりをコツことと指先で叩く。

「デニス、危ないぞ!」

電子銃を構えたガストゥは彼を下がらせようとしたが、太った体はガラスの円柱を守るように立ちはだかって動こうとはしなかった。

「デニス! そいつを焼くから、どけ!」

ガストゥの怒声にすら動じず、デニスは眉根を曇らせる。

「ダメだよ、そんなかわいそうなことしちゃ」

「かわいそうなもんか、そいつがきっと、宇宙港中の人間を食っちまったんだ!」

「落ち着いて考えなよ、ガストゥ、こんな小さな生き物に、どうやってそんなことができるっていうんだい?」

ガストゥは銃を下ろした。デニスの言うことなら――こと生物に関しては、この男は信頼に足るだけの知識を持っている。

デニスは生物学の修士課程を収めた優秀な人材で、生体運搬には必ず借りだされる生き物のエキスパートだ。その彼が恐れを抱かないのだから、これは危険な生物ではないのだろう。

「なんなんだ、その気持ち悪いやつは」

「これはね、ネズミだよ。ただのネズミさ」

「うそつけ、俺だってネズミぐらい知っているが、これは……その……」

「ああ、ごめんごめん、宇宙生物学ではね、手のひらに乗るくらいの小さな生き物を『ネズミ』と総称するんだ。もちろん正式な学術名じゃなくて、俗称みたいなもんさ」

「そのネズミが危なくない生き物だと、どうして言い切れる?」

「これはミスロリア星団のあたりに生息する実にポピュラーなネズミでね、僕の卒論のテーマはこいつだったんだよ」

「噛みついたりしないのか?」

「歯はすでに退化しているよ。ミスロリアの原生植物は固くて、消化するのが困難だ。だからこの種のネズミは消化器官を体の外側に形成することによって効率よく植物質を吸収できるようになっているのさ」

「それが、なんでこのネスニアにいるんだ。ミスロリアといえばここから一万光年は離れた星だぞ」

「たぶん、何かの積み荷に紛れて来たんだろうね。星間輸送の発達した今日ではよくあることだよ」

頼んでもいないというのに、デニスはさらにガラス面を叩きながら講釈を垂れた。それは普段の彼からは想像もつかないほど理知的で、堂々とした態度で。

「この宇宙港に何かのトラブルがあった、それは確かだ。だから入星審査官たちは職務を放棄して逃げ出したんだろうさ。ところが、たぶんこのブースに座っていた審査官はここにランチパックまで放り出していったんだろう、その食べ物の匂いにつられて、この哀れなチビはここに迷い込んだんだろうよ」

「その根拠は」

「ほかのブースをごらんよ、どれもガラスは汚れちゃいない。つまりはここにしか餌となるものがなかったと、そういうことだろう」

「なるほど、合理だ」

ガストゥはもはやガラスの筒になど目もくれず、入星審査室の先に続くラウンジへと銃口を向けた。

「だったら、そいつはほっとけ。俺たちが警戒するべき『何か』は、おそらくこの先にある」

ここを抜ければ一気に空間は広がる。おまけに細かい土産物屋やスナックスタンドが立ち並び、その空間を複雑に区切っているのだ。もしも何者かが潜もうと思えば、身を隠す場所などいくらでもある。


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