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彼を撃った狙撃手は薄い笑みを浮かべて、たった今しがた止めたばかりのトラックの陰から歩み出てきた。手の中に硝煙香る銃を握りしめたひょろりと背の高い男……レクスンが!
「ち、外したか」
銃口は静かに動き、ガストゥの眉間を睨みつけた。
「動くんじゃないぞ、一発で楽にイカせてやるからな」
ウェスカーがのども張り裂けんばかりの叫びをあげる。
「兄さん! 何をするんですか!」
「決まってるだろ、死んでもらうんだよ。パイロットは二人もいらないんでね」
「先発隊のパイロットは、航船の本来のパイロットである彼だ! 兄さんも、そう納得してくれたじゃないですか!」
「気が変わった……いや、はなっから俺は、ヨソモノなんか信用しちゃいない」
レクスンが顎をしゃくると、砦の入り口に隠れていたらしい彼の『仲間』たちが走り出してきた。めいめいが銃を抱え、その銃口をガストゥたちに向けている。
こうなっては彼らも、無抵抗を誓うために両手をあげて立ち尽くすばかりだ。
その様子に満足したか、レクスンは薄く上げていた口の端を大きく裂いて大きな笑い声をあげた。
「は! いいざまだな」
砂地に倒れたメディルスは、撃たれた膝を押さえてうめき声をあげるばかりだ。他の者は反意を失って両手を上げ、銃口はしっかりとガストゥの眉間を狙って動かない。ただ一匹、プロキオンだけが戦意を失わずに逆毛を立ててはいるが、賢い彼女が銃の恐ろしさを知らぬはずはなく、向けられた銃口に向かって威嚇の唸り声を聞かせるばかりで動こうとはしない。
レクスンにとってこれ以上完全で、これ以上満足のいく光景はなかろう。彼は今、まるで獣であるかのように大きく顔をゆがめてあたりも憚らずに高らかな笑い声をあげている。
「いいざまだ、まったくいいざまだ!」
ガストゥに向けた銃をさらにぐっと差し出して、レクスンが獣のように吠えた。
「あんたは所詮ヨソモノだ! うまく宇宙に飛び立てようが、無事に地球にたどり着こうが、この星の人間のことなんか忘れて知らんぷりをして生きていくことができる、そうだろう? つまりあんたを宇宙に活かせたところで、救援が呼ばれる各省なんか何にもありはしないんだ!」
「そんなことはない、俺はそんな不人情はしない」
「それはどうかな、口でだけなら何とでもいえる」
「あんたこそ、俺にとっては信用できない」
「へえ、気が合うなあ」
レクスンの指がゆっくりと引き金に向かう。天に向けてあげたガストゥの指は、ピリピリするような緊張に震えてわなないた。
この時、ガストゥは自分の眉間を狙っている銃が火を噴くよりも早く動けるだろうかと思案していたのだ。
指先を自分の尻ポケットに滑り込ませること、それさえできれば電子銃に手が届く。しかし彼の指はすでに一節目から鉤のように曲がり始めており、腕を大きく下ろすよりも先に引き金に届くであろうことは明らかだ。
万事休す……と、その時、砦の中から一匹の黄虎縞の猫が飛び出してきた。
「く! 血のにおいを嗅ぎつけやがったな!」
レクスンはとっさに銃口を動かし、指を引きまげてこの猫を撃つ。だがなにぶんにもとっさの動きの中でのこと、弾は大きくそれて宙へとまぎれた。
猫の方はメディルスに駆け寄り、その体を丹念に嗅ぎまわっている。いまだ出血の止まらぬ膝の周りは特に丹念に嗅ぎまわり、そして納得したように「にゃあ」と声をあげる。
その声を合図に、砦の中にいた猫たちが次々に飛び出し、レクスンたちにとびかかった。
「くそっ! この数の猫が相手では分が悪い、おい、逃げるぞ!」
レクスンは身をひるがえし、トラックの運転席へと飛び乗った。それを見た彼の仲間たちも手近な車に飛び乗り、キーをひねる。
砂漠に響くいくつものエンジン音が重なり響きあい、車輪が巻き上げた黄色い砂は砂塵となって猫の姿を霞ませる。
「デネブ、デネブ、いかん! 奴らを行かせてはいかん!」
メディルスの悲鳴に答えた黄虎縞の猫はトラックに向かって大きく跳躍したが、ガウガウとタイヤを鳴らして進む車体になすすべなどなく、フロントグラスの上にわずかな肉球の跡を残して飛びのくことしかできなかった。
「プロキオン!」
ジェシーも叫ぶが、デネブよりさらに体の小さな黒猫はうかつに動くことさえできず、車の通り道から大きく飛びのくのがせいぜいだ。
大きなトラックを先頭に車は五台、すっかり日の落ちた砂漠に向かって走り出す。車影はすぐに宵闇に隠れ、赤いテールライトも砂漠の空にちりばめられた星の間に紛れて消えた。
「くそっ!」
銃口から逃れたウェスカーとガストゥはすぐに車に駆け寄るが、キーを回すよりも先に車体が不自然に傾いていることを不信に思う。
「パンクだ」
見渡せば隣にとまっているバンは左に傾き、逆隣りにとまっているセダンは右に傾き、その向こうにも傾いたワンボックスの屋根が見える。車を飛び降りて確かめれば、タイヤは肉厚の刃物で切り裂かれて情けなくひしゃげていた。
「くそ、あいつら!」
遠くを見てもすでにレクスンたちの姿はなく、星空の下にただ荒涼と広がる砂漠が広がるばかりだ。
ウェスカーが砂の上に両ひざを崩し、まるで祈るように天空を仰ぎ見た。
「ああ、ああ、兄さん、なんてことを!」
ガストゥはそんな彼を引き立たせる。
「嘆いている暇はない。スペアのタイヤは?」
「砦の中を探せばあるはずです。だが、タイヤを取り換えていては兄たちには追いつけない」
「別に追いつく必要はない。あいつらは航船の開錠・コードさえ聞かずに行ってしまったんだから、デクスト号の扉を開くことはできないはずだ。それより、メディルスの手当てを」
すでにジェシーが砂に膝をついてメディルスの傷口を押さえていたが、その手の平も血で真っ赤に染まりつつあった。表情はいつも以上に固く、唇は青ざめてわずかに震えている。
「ガストゥ、助けてくれ、メディルスが……メディルスが……」
駆け寄ったガストゥはメディルスの口元に耳を近づけ、その呼吸音を確かめた。痛みに食いしばった歯の間からこぼれる呼吸は不規則に乱れ、時折、うわごとをつぶやく声が漏れる。
「ジェシー、ジェシー、どうか、逃げておくれ」
その声を遮るように、ジェシーが絶叫した。
「いいからしゃべるな、メディルス!」
そんな彼女を押しのけて、ガストゥはメディルスの体を支える。
「ウェスカー、そっちを持ってくれ、彼をとりあえず砦の中へ!」
呼びかけられた男よりも早く、砂漠に散っていた猫たちが動いた。
大きな黄虎縞が駆け寄ってきてガストゥを押しのける。別方向から駆けてきた一匹はめでぃるしの服の裾を咥えてそっと持ち上げ、遅れてきた別の一匹が胸倉のあたりを咥えあげて、メディルスを持ち上げた。
猫たちによってあっという間に砦の中に運ばれてゆくけが人を見送って、ジェシーがポツリとつぶやく。
「教えてくれ、ガストゥ。レクスンは、なぜメディルスを撃った?」
「それは、俺を撃とうとして、間違って……」
「そういうことじゃない。なぜ、自分と同族を傷つけることにためらいさえ感じず、引き金を引くことができるのだ? 感情を理解できない私には、その行動の原理がどうしても理解できないんだ」
「強いて言うなら憎しみ……というやつか」
「それがわからない。プロキオンは私に憎しみで同族を殺してはいけないと教えてくれた。だから私は父を憎いと思ったときにも、レクスンを傷つけて逃げ出したいと思ったときにも、常に自分の中にある憎しみと戦い、同族を傷つけることをためらいながら生きてきた。なのに、レクスンは……!」
あとはただ絶叫……ジェシーは砂地に身を投げて大声で泣き叫ぶ。
ガストゥは、そんな彼女の『感情』の発露にも驚いたりはしなかった。
思えばこの星に来てから、彼女が本当に無感情なのだと思ったことなど一度もない。反応は乏しくとも、なにがしかの心の動きを読み取ることができたではないか。だとすればこれは、無表情の下に長く押し込めていた感情が一気に噴き上がったものに違いない。
皮膚の下にたっぷりと膿が溜まったできもののように、彼女の気持ちは柔らかい外側の無表情を押し上げて外へ噴き出す機会をずっと待ち構えていたのだろう……それこそ、長い長い彼女の齢と同じだけの歳月をかけてゆっくりと膨れ上がり、膿を押し込めた皮膚はつるつるに光って薄くなり、外側から小さく傷をつけられるこの時を待っていたに違いないのだ。
だとすれば、この涙を止めるのは無粋だろうと、ガストゥは黙って彼女の背中に手を添えた。
ジェシーの背中は瞬間、びくりと大きく震えはしたものの、添えられた手のぬくもりを拒絶することもなく、ただ嗚咽に合わせて揺れていた。
しばらくののち、ようやくすべての嗚咽を吐き終えたか、乱れた呼吸を飲み込みながらジェシーが身を起こした。
「すまない……見苦しいところを見せた」
「いいや、ちっとも」
「君は、優しいな」
はにかんだようにうつむいたジェシーは、もしかしたら微笑んでいたのかもしれない。だが、さらに闇深く降りた砂漠にまぎれて、その表情までは読み取ることができなかった。
ガストゥはそんな彼女の表情を確かめたいと手を伸ばしたが、それよりも早く、彼女は星空に向けて顔を上げた。
「ガストゥ、私たち人間は、本当に進化を極めた生き物なのだろうか」
声は凛と澄んで、暗い砂漠の闇に明るく響く。星影を切り抜いたシルエットで描かれた彼女の横顔は、きゅっと鼻が高くて絵画のように美しかった。
だから、ガストゥは掛け値なしの賞賛のつもりで言葉を紡ぐ。
「俺にはそんな難しいことはわからないが、少なくともジェシー、君はパーフェクトだ」
「そうか、ありがとう」
「なんだよ、せっかくほめたんだから、もっとこう……盛り上がるとかさ、ないのかよ」
「それはジョークか?」
「ああ、まあ、そうだな。俺は今、君に笑ってほしいと思っている」
闇の中から小さな笑い声が聞こえた。
「君はそうやって、私の心を軽くしてくれる。君こそパーフェクトだ」
「そりゃあ、どうも」
「なんだ、照れているのか?」
さらにくすくすと笑い声を続けて、彼女はガストゥの腕に体を擦りつけた。
「私は別にパーフェクトじゃない。あれほど気高く心優しいプロキオンに育てられたというのに、彼女のような気高さも、心優しさも、私は持ち合わせてはいない」
「俺だって別にパーフェクトっていうわけじゃない。感情的だし、もしかしたら君よりももっと泣き虫かもしれない。それでも、人間っていうのは、そういうものだ」
「そうか、だったら私は、猫に生まれたかったな」
「それは安上がりだな、プレゼントは美しいアクセサリーじゃなくて、マタタビでいいかい?」
さらに笑い声が闇に紛れて聞こえる。
「ならば私からのお返しは、自分で狩ってきたネズミのしっぽだな」
軽口とともに、彼女のぬくもりがするりと離れた。
「ありがとう、ガストゥ。少しだけ元気が出た気がするよ」
「そりゃあよかった」
「さあ、メディルスの様子を見に行こう。死ぬようなけがではなかったが、万が一ということもある。それに、可能ならばパンクしたタイヤを取り換えて、一刻も早くレクスンたちを追いたい」
最後の言葉は笑い声の気配など消えて、少し憎悪を含んでいるように剣呑だった。
「レクスンが君を信用できないといったのと同じように、私はレクスンを信用できない」
あとは静寂、砂漠の砂が風に転がされてサラサラと囁く声ばかりが響く。
ガストゥは深くうなずいて闇の中を探り、彼女の手をとったのだった。




