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――そもそもが、人類は『知性』というものに対して誤解をしているのではないだろうか。
茫洋に漕ぎだすがごとき宇宙開発の過程で、人類は実に多くの新種の生物たちと遭遇した。顕微鏡で探さなくては見つからないような粘菌の類から、きちんと脊椎をそなえた生物まで、それこそ数知れぬ未知の生物たちとの遭遇を果たしたのである。
しかし、そのいずれもが人類と知的なコンタクトを取るに至らなかった。これを科学と融合させ、『地球の太陽は宇宙でも特に特別なものである』と教義に刻んだ始まりが太陽教であった。この一派の説によれば、地球の太陽は若かりし頃に様々な太陽線や表面爆発のエネルギーを地上に降らせ、生物の多様化と進化を促したのだという。
この時に太陽が恒星としては大きくない星であること、そして地球から遠すぎず近すぎずの絶妙な距離で存在することが他星とは違う進化のバリエーションとして人類に知性を与えたのだと、つい最近まで真剣に信じられていたのである。
これに異を唱える一派が現れたのは、つい近年になってからのことである。開発準備のためにとある星の生物相を調べていた科学者が、ほかの生物の生態に干渉する強勢種を発見したのである。それは地球でいう犬に似た生物で言語体系すら持たず、地球人類と意思疎通するような『知性』を持たぬがゆえに『動物』と分類されたものだった。
しかしこの生物は自分たちの食用とするためにほかの生物を飼いならし、産数制限をする技術を持っていた。もちろん、それだけのことなら地球でもある種の昆虫が見せる粘菌農場と何ら変わりはない、単なる生産行為として看過されるようなものだっただろう。
しかしこの生物はそれのみならず、自分の住処を守る番犬の役割を果たす生物、荷を運ばせたり自分たちの交通として乗用する大型の生物、愛玩用の役には立たないが愛くるしい生物など、その役割に応じて使い分けるための他生物を自分たちの群れの中で飼育していたのだ。
これにより生物界の一部からは人類との意思疎通ができるという点のみに絞って『知的生物』と定義することを疑問視する声が上がった。自分の生活の快適を獲得するために他生物をコントロールする、これを『知性』と言わずしてなんだというのかと。
しかし宇宙の開拓を推進する地球政府には人類を唯一の知的生物と定義づけておく必要があった。新たに開拓を始める星に『知的生物』がいると認定されれば、人類はこれを排斥することに心情的な戸惑いを感じ、宇宙開拓は後れることとなるだろう。
そのため政府によってこの学説は封殺され、研究者たちは地球以外の星へと強制的に移民させられた。この時に政府が表立っての混乱を防ぐために利用したのが太陽教の教義であり、これが今日の教団の絶大なる権力の礎となっているのである。
「もちろん、政府が研究者たちを排斥した後も、この説は地下的な学問として細々と学会のすみに生き残っていた。僕とジェシーの父親はね、この学説を信じる学生だったんだよ」
メディルスは遠い、過去の中の風景を見るようなまなざしをしていた。
「いやあ、あの頃は若かったなあ……二人で知性の定義とは何か、尽きぬ議論をツマミに飲み明かすことも良く合ってさ、あの頃の彼は、間違いなく好青年だった」
ガストゥは手の内にある空き缶をつぶさんばかりの力で握りしめる。
「だが、俺が聞いた話では……その男は自分の娘に……」
「ああ、それは僕も薄々気づいてはいた。それでも止めることができなかった気弱な僕を、どうか許してほしいというのは……あまりに虫が良すぎるかな?」
「今は、そんな懺悔を聞くつもりはない。ただ、俺のイメージの中では件の男は『好青年』なんかじゃないってことだ」
「それは仕方ないよ。この星の調査員に選ばれたあの時から、彼は変わってしまった」
寂しそうに目を伏せて、メディルスはため息とともに言葉を吐き出した。
「彼は気づいてしまったんだよ、この星には地球の太陽が失った可能性が無限大にあるのだということに……」
この星の太陽は若い。地球の太陽がすでに失った生物の遺伝子情報に対する干渉力をいまだ有している。
そのことに気づいた彼がもくろんだのは、人類のさらなる進化をデザインすることだった。
人類が生物としての進化を終えてからすでに悠久の時が過ぎようとしている。遺伝子に大きな変化をもたらされるわけでもなく、固有の種族としてあまりにも安定したまま、人類は来るべき太陽の終焉におびえるひ弱な生物となってしまった。これをこれから開拓されるどの星にも適応されうるように人類の遺伝子にわずかな変化を起こし、生物的な多様性をもたらすことこそが宇宙開拓の今後に役立つこととなるだろうと、彼はそう信じて疑わなかった。
生物学的なアプローチとシミュレーションを繰り返した彼は、人類の新しい可能性として
『アタケクリオ脳室』という新しい器官の出現を見出した。
自身の導き出した狂説にとりつかれた科学者とは哀れなもので、彼は自分の仮説の正しさを証明するためにこの星の開拓を政府に勧め、ここを自分のための実験場と決めた。なぜなら生物の発生が遅れており、意図して導入した生物だけを繁殖させることに適したこの星は、実験のための環境としては最適だったからである。
それは無菌状態で作り上げた寒天培地に似ている。彼はそこに自分の意図する人類という菌株を植え付けた。彼のもくろみ通り、これは生活に必要な数種の生物を抱き込んで美しいコロニーを作り上げた。
さて、進化の過程で次に起こるべきこと、それは種の存亡を脅かす捕食者の存在だ。生物はすべからく滅亡を回避するようにプログラミングされている。人類が長く進化の兆しを見せなかったのは、種の存在を脅かすような絶対的な捕食者が不在だったからである。
これを発現させるため、彼は極秘裏にネズミをこの星に導入し、その選別と遺伝子改造を行って凶悪な『捕食種』を完成させた。
これに真っ先に捕食されたのが自分自身であったことは皮肉であったが、ともかくこの星は、彼が生物実験場とするべく選定した特別な星だったのだ。
「ところが、この星に彼の目論見にはなかった、ある種の生物が紛れ込んだ……いや、人間が移住するところについてくることは予想ができたんだが、生物的に重要ではないだろうと彼が判断した生物が、図らずもこの星の頂点に立ってしまったんだ」
「それが、猫か」
「そのとおりだよ」
メディルスは、ここまでの長い話に乾いた唇を軽くなめて湿らせた。これから話そうとしていることこそが一番のキモであるというのに、ここで言葉を戸惑うわけにはいかない。
「猫は、自らの意志で宇宙に出た」
「そんなバカな」
「バカなものかね、例えば君はだよ、滅びることがわかっている星と一緒に、自分も滅びたいと思うかい?」
「それは、太陽のことか?」
「そうだよ。ほかの生き物たちは太陽が爆発しようが、ブラックホール化しようが知ったこっちゃない、いま目の前にある今日に精一杯だからね。ところが人類と、そして猫だけは違った。地球に見切りをつけて、新しい太陽を見つける道を選んだのさ」
「だから、その前提条件がおかしい。猫に自分の意志があるだって? 人間みたいに?」
「ああ、そうだよ。君も、何度かみたんじゃないのかな、この星に来てから……ジェシーが猫の言葉を理解するのを」
「それは……」
確かに見た。時にはプロキオンと会話したり、口喧嘩としか思えないやり取りがあったりと、彼女は確かに猫と意思を通じ合わせることができていた。
ふいに、メディルスが顔をあげる。
「君は、生物の品種改良がどうやって行われるか知っているかい?」
「いいや」
「例えば毛並みのいい親と、性質のいい親をかけ合わせるだろ。そうして生まれた子の中から自分の意図する性質を持つ子を選び出し、これをまた性質のいい子と掛け合わせて……その繰り返しの選別の中から自分の意図する性質の子を繁殖させるんだ」
「原始的なやり方だな。遺伝子に細工をして、一気に自分の望む形にすればいいじゃないか」
「もちろん、今ではそういうやり方もあるよ。しかしその性質が次世代に固定されるとは限らない、これが生物の面白いところでね、昔ながらのやり方の方が確実なんだ」
「で、その話がいま、何の意味がある?」
「つまりさ、僕たちは猫によって品定めされ、選別されているんだよ」
ガストゥはぎょっとしてメディルスの顔を見た。しかし彼は相変わらず柔和な笑みを浮かべていて、その感情の機微は読み取れない。
「猫たちは第二世代が好きだ。アタケクリオ脳室の機能のおかげで第二世代は賢く、大人しく、そして従順である。愛玩動物としてこれ以上好ましい生き物がいるだろうか」
「オーケイ、わかった。この星はジェシーの父親によって作られた実験室的な環境なわけだ。ほかの生物が混ざりこむ心配のない、フラスコ惑星だ。この星で猫たちは自分好みのペットとなる人間を作り出そうとしていると、そういうことか?」
ガストゥは空き缶を何気なくひねりつぶし、そして笑った。
「で、その話のどこからどこまでがあんたの作り話なんだい」
しかしメディルスはくすりとも笑わず、ただ優しい微笑みを形作った顔をガストゥに向ける。
「残念ながら、作り話ではなく『推論』だ。ジェシーの父親がネズミを飼っていたくだりなんかは、彼が書き残したものを丹念に調べて見つけ出した事実であって、実際に彼がネズミを飼いならしていた現場を見たわけではないからね。それに猫たちの意図するところも、僕の観察から導き出した仮説でしかない。そういう意味でいうならば、すべてが作り話だともいえるだろうさ」
小さなため息の音が、「ふう」と挟まる。
「だが、ここから先に話すことは僕が実際に体験したことだ。聞くかい?」
ガストゥは深く頷く。
「まあ、その体験があったからこそ、僕は必死で真実を探し、この結論にたどり着いた……たどり着いたところですでに手遅れなんだけどね」
メディルスが乾いた笑い声をあげた。