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進化の終焉を猫は嗤う  作者: アザとー
ネスニア宇宙港
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2

 少しだけ息苦しくなったか、デニスがシャツの首周りを引き下げた。

「ああ、早くネスニアの新鮮な空気が吸いたいよ」

「だめだ。まずは大気の組成調査が先だろう。人体に危険な感染菌でも存在するようなら、完全封鎖クローズプロテクトも解除せずに離陸する」

「わかってるよ、ガストゥ、言ってみただけさ。君は本当にまじめだな」

「慎重なだけだ。宇宙には人類には思い及ばぬような危機もたくさん残されている。宇宙に出る仕事で確実に生き残るには、慎重さこそが大事だと思うが?」

 確かに、いくら安全な航路が開拓されていようとも、宇宙を飛ぶ仕事は予想外の危険と隣り合わせなのである。人類は宇宙というものを知るには経験がなさすぎるのだ。時空式エンジンが開発されて『天文学的』だった宇宙の距離的な数字を制御できるようになったのがわずかに三百年前、それこそ宇宙規模で見れば瞬き一回にも足らぬほどの時間なのである。

「仕事ごときで死ぬのは本意ではない。俺は生きて帰りたいだけだ」

 ガストゥの横顔はひどく真剣なものだったが、デニスはそれを小馬鹿にするかのように鼻を鳴らした。

「ふん、君がそんなに地球愛好者だとは知らなかったよ」

「別に地球が特別好きなわけじゃない。俺の家はまだ地球にあって、俺を待つ両親もいまだに地球にいる。あそこしか帰る場所がない、ただそれだけのことだ」

「いっそ、太陽教に入団するか?」

「いいや、結構、何しろ俺は……」

 ――ただの燃えるガスの玉ごときに、何かを愛するなんて心があるとは信じられない。

 言いかけていた言葉を飲み込んで、ガストゥは視認式モニターをにらみつけた。宇宙港の管制塔はすでに目前だ。

「無駄口を叩いている暇はないぞ、デニス。機体を少しだけ右に(ライト ターン))

 コマンドに答えて、デクスト号は右に傾いた。

「入港口、オープンを確認、良し(グリーン)

 ガストゥが告げれば、デニスが答える。

「電磁係留フック確認、良し(グリーン)

 デクスト号は巨大な宇宙港の腹に開いた入港口に滑り込み、ゆっくりと電磁係留フックに引き寄せられて止まった。

「係留完了、オールグリーンだな!」

 デニスは椅子から跳ね上がるように腰を浮かせたが、ガストゥがこれを押しとどめる。

「まだだ、まずは大気の組成調査、その間に視認モニターによる状況確認。まだハッチは開けるな」

「ちぇ、わかったよ」

 椅子に座りなおしたデニスは、目の前のモニターを眺めながらいくつかのコマンドをつぶやいた。カメラが四方八方、およそ可動域ぎりぎりまで動き回って、デクスト号の周辺画像を映し出す。

 それはありきたりの宇宙空港の光景であった。

 太い鉄骨とぶ厚い鉄板を組み合わせて組まれた、航船一隻がきれいに収まるサイズの箱。飾りなどは一切存在せず、実用的な最低限度のモニターと、明滅するいくつかのランプだけが鉄骨の間を彩っている。上を見上げれば、天井からごちゃごちゃと張り出した何本ものロボット・アームが明かりの乏しい天井の闇の中に沈んで、それはくらい深海の底にいくつもの巨大なイソギンチャクがへばりついているような風情があった。

 ガストゥが、デニスの肩越しにモニターを覗き込む。

「艦周辺は特に異常なし、か」

「だから、心配しすぎなんだってば。大気の方はどうだった?」

「ああ、特に人体に影響を及ぼすような要素は何もなし。危険な病原菌種も、有害なガスも計測されてはいない」

「じゃあ、早く完全閉鎖クローズプロテクトを解除しよう、ここは息苦しくて」

「ダメだ。不測の事態に備えて、プロテクトは解除しない」

「不測の事態ってなんだよ、ここには何の危険も見当たらない、だろ?」

「ああ、危険だけじゃない、人っ子一人見当たらない、そうだろ、デニス」

 管制塔こそ自動プログラムで統制されてはいるが、これだけの規模の宇宙港であれば相当数の職員たちが居てしかるべきなのだ。特に航船の入港があれば、長い宇宙の旅をねぎらって温かいコーヒーと入星申請書を携えた『人間の』職員が出迎えに訪れるはず。

 何しろ宇宙は広大であり、ここを閉塞空間である航船に乗って長期にわたり航行するのだから、人間的な温かい出迎えが必要だと、どこの星の宇宙港でもこの仕事だけはオートメーション化せずに血肉の通った人間の職員を配置している。

 ところが、大気の組成調査や視認式モニターによる確認に相当の時間をかけているのに、いつまでたってもこの出迎え職員が現れないのである。

「おかしい」

 警戒に身を固くするガストゥを、デニスは笑い飛ばした。

「心配しすぎだって、こんな辺境の星の空港じゃ人手が足りていない、たぶん、そんなところだろ」

 それからでっぷりした腹を軽くさすって、彼は不満そうに唇を尖らせる。

「どうでもいいからさ、早く降りてラウンジに行こう。新鮮なホットドッグとビアで、ここまでの航行をねぎらおうじゃないか」

「ホットドッグなら、毎日のように食っていたじゃないか」

「わかってないなあ、ガストゥ、あんな魚の練り餌の見てくれを整えたような合成食じゃなくてさ、本物のソーセージを鉄板で転がして、焼き立てのパンに挟んだ、『新鮮な』ホットドッグが食べたいんだよ」

 つまり、気持ちの問題だ。それがわからぬほどガストゥも無粋ではない。

 いくら合成の精度が高かろうと、それがもともとは粉末を――デニスが言うところの魚の練り餌状のものを練り合わせて、単純に形と味を調えただけのものだと想像するだけでも食欲は失せる。そんな合成食を一か月も食べ続けていたのだから、ソーセージは肉で作られているものであると、そこに添えられた野菜は植物であるのだと、そして冷たく冷えたビアは麦であるのだと、それを実感しながら噛みしめる『まっとうな食事』を彼は欲しているのである。

 そしてガストゥも、そういった食事の楽しみに飢えていた。

「わかったよ、デニス、ラウンジに行ってみよう。ただし、完全閉鎖(クローズプロテクト)モードは解除しない、もしものことがあったらすぐにここへ戻り、離陸すること、これを約束できるか?」

「もちろん、約束するさ」

「よし、じゃあ準備をするから、待ってくれ」

 ガストゥは今まで座っていた座席をあげ、そこにあった緊急用の収納庫から電子銃を取り出した。デニスはこれを見とがめる。

「それは、宇宙港内持ち込み禁止だろ」

「ああ、だから、きちんと隠しておくさ」

 彼はそれをズボンの尻ポケットに滑り込ませる。

「もちろん、本当に撃つつもりもない。単なるお守りだ」

「じゃあ、いいけどさ、ずいぶんと物騒なお守りだね」

「そうか? その首から下げている陽光のペンダント、それよりは実用的で霊験あらたかだと思うがね」

 デニスがシャツ越しにぎゅっと胸元をつかむ。

「大丈夫、僕には太陽のご加護がある」

 しかし、その指先がほんのわずかに震えていることを、ガストゥは見逃さなかった。

 ――ほらな、ただの星なんか、誰も守ってくれないんだって。

 こうした言葉を飲み込むのは何度目だろうか。ガストゥは辛辣を腹に収め、デニスに向かって笑って見せた。

「なに、危ないことがあったら俺の後ろに隠れておけばいい。お守りがあるからな」

 心底安心しきったように笑うデニスを好ましく思いながら、ガストゥはデクスト号のメインハッチを開いた。

 航船というのは宇宙を飛ぶために気密性の高い構造となっている。おまけに│完全閉鎖クローズプロテクト状態なのだから、今のデクスト号はさながら缶詰のような状態だ。

 ハッチが開くと同時に船内からこぼれだした空気が「スハア」と、ため息に似た音を立てた。ネスニアの宇宙港は、その呼吸に似た音が金属製の壁に染みこむくらいに静まりかえっている。

「おかしい、静かすぎる」

 ガストゥは一歩をためらう。しかしデニスの方は体形に似合わぬ身軽さでハッチから飛び降り、固く冷たい金属の床に靴底の当たる音を大きく鳴らした。

 カツーンと甲高く鳴ったその音は、静まりかえった宇宙港の空気を長く細く振動させて遠くまで響く。

「デニス、音を立てるな!」

 叱りつけるガストゥの声も。

 今、静寂に沈んだ大きな鉄のボックスの中にある音の源は二人の男だけで、彼らの一挙手一投足に及ぶまですべての身動きが音となって鉄の壁に反響し、あたりの空気を震わせるのだ。ここはそれほどに静かで、生き物の気配など微塵もない。

 ガストゥはできるだけ足音など立てないように、慎重にハッチから這い降りた。

「おかしい、絶対におかしいぞ、これは」

 この期に及んでもまだ、デニスの思考の大部分を占めているのは温かいホットドックと、冷たく冷えたビアのことだけである。だから彼はガストゥの慎重さを笑った。

「ガストゥは本当に臆病だなあ」

 もはやそんな挑発に貸す耳などない。ガストゥは金属製の床に這いつくばって耳を押し当てる。冷たい床の中もやはり静かで、どこか遠くにある機械の駆動音だけがかすかに伝わってきた。


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