6
その途中で少しだけ歩調を緩めて、メディルスがほほ笑んだ。
「ふうん、ジェシーに告白をねえ、君がねえ」
なんだか申し訳ない気持ちになって、ガストゥは頭を下げる。
「なんだか、すみません」
「なぁに謝ってるの、まさか、告白じゃなくてカラダ目当てで口説いたとか、そんな感じ?」
「いや、そんなわけがない! 正真正銘の告白だったと、それだけは誓います」
「ふうん、じゃあ、いいんじゃないの?」
階段を上りきったところで、彼は立ち止まる。
「僕にとっては自分の娘みたいにかわいい子だけど、実の娘ってわけじゃない。僕にはあの子の恋愛に口を出す権利なんて何もないんだよ」
少し寂しそうに微笑む横顔にあふれているのは父性――少なくともガストゥはそう思った。
「それに君は誠実そうだし、あの子を大事にしてくれそうだ」
「いや、その言葉はありがたいですが、俺はまだジェシーから返事すらもらっていない」
「そう? いやあ、そうなの?」
メディルスが廊下の奥にあるドアを開く。そこは清潔なバスルームだった。そこへガストゥを導きながら、彼はぽそっとつぶやく。
「まあ、ジェシーのこと、よろしく頼むよ」
「え、あ、はい」
「じゃあ、ごゆっくりね。僕は着替えでも用意してくるとしよう」
ドアが閉まると、ガストゥはさっそく服を脱ぎ捨ててシャワーカーテンを引いた。ひねりはじめの冷たいシャワーに撃たれれば、少しばかり身が引き締まる。
「『ジェシーをよろしく』……か」
まるでそれは、娘の身を想う父親からの言葉……身だけではなく、心までもが引き締まるような気分にガストゥは戸惑う。
彼はシャワーの湯音調整を一気にホット側にひねって、流れ出す熱い湯に顔を向けるのだった。
◇◇◇
ひげを剃り終え、すっかり身ぎれいになったガストゥがリビングに戻ると、すでに表から帰ってきた猫たちは部屋のあちこちに転がって身づくろいをしている最中だった。
その数およそ二十頭、ほとんどが黄色い毛皮に黒々と虎縞を巻き付けた毛色である。それがソファの上にぎゅうというほど身を寄せ合い、床に長く体をのばしてリビングという空間の中を埋め尽くす様子は、どこか虎の毛皮を敷き詰めた高官の屋敷の一室にでも迷い込んだような気分にさせる。
ジェシーはソファの真ん中に陣取って、右から左からじゃれつく猫たちと戯れているところだった。彼女の相棒である黒猫はその光景がお気に召さないらしく、ソファからはかなり離れた入り口の近くで、体を丸めてふて寝の構えだ。
ガストゥは笑いながらプロキオンに声をかけた。
「なんだ、ご主人様をとられて拗ねてるのか?」
プロキオンはそんな冷やかしには興味ない風を装って目を閉じたままであったが、ペタペタと床を打つ尻尾のリズムが不機嫌を伝えている。
ガストゥはひざを折って座り込み、怒りに痙攣している眉間の毛並みをそっと撫で上げてやった。
「まあ、気持ちはわかるよ」
何しろ猫たちは、ジェシーに顔を擦り付けては喉を鳴らし、体を押し付けて一ミリも彼女を放そうとはしない。割り込もうにも体の大きな木虎縞が邪魔で、近づくことすらできそうにないのだから。
困ったようにプロキオンの頭をなでるガストゥに、奥から出てきたメディルスが声をかけた。
「おや、シャワーは済んだのかい、ビアでも飲むかね?」
「いや、帰りの運転もしなくてはならないので」
ガストゥは片手をあげて断ろうとするが、メディルスはにこやかに笑いながらもその拒絶を許さなかった。
「話のあらましは聞いた。僕は今から猫たちを移動させる準備をするが、これには少し時間がかかるのでね、そのあいだ、仮眠でもとるといい」
キッチンに引っ込んだメディルスは、すぐにビアの缶を持って戻ってきた。
「さあさあ、寝室に案内しよう、こっちこっち」
メディルスに肩を押されて、ガストゥはリビングを出た。メディルスはリビングのドアをくぐるときに「じゃあ、頼むよ」と言ったが、これはもちろん、ガストゥに向けた言葉ではない。
寝室に向かう廊下の途中で、ガストゥはそれを確かめた。
「先ほどの言葉は、プロキオンに向けて?」
「ああ、彼女はジェシーの保護者だからね。彼女が見ていてくれるなら、うちの猫たちも手荒なことはしないだろう」
「手荒なことって、ジェシーにか?」
「そんな心配な声を出さんでも、意地悪で手荒にしようというんじゃない。ただな、猫たちは人間をかわいがるにしても、加減を知らんのでな」
「ああ、ジェシーは、ずいぶんと懐かれている様子だったからな」
「懐かれる? 何を言っておるんだね、君は」
「え、だって、ジェシーはずいぶんと猫たちに好かれている様子だったじゃないか」
「そりゃあ、好きだろうさ。あの子は従順で愛くるしいからね。彼らにとって最高の愛玩対象なんだろう」
「愛玩対象……」
ジェシーが繰り返し言っていた言葉の意味の、何一つ間違いのない本当の意味を、ガストゥはやっと理解した。
「この星で一番賢いのは猫……」
「そう、だからあそこでプロキオンに挨拶したのは、これから君に聞かせる話をうちの猫たちが盗み聞きにこないようにという、見張りをお願いする心づもりもあったのさ」
すでに二人は廊下の突き当りにある薄いブルーに塗られたドアの前にいる。扉を開ければそこは寝室だった。壁はドアと同じ薄いブルーに塗られていて、シンプルな白いシーツをかけたベッドだけが置かれた部屋だ。
「さて、この部屋に入る前に君の気持ちを確かめておきたい」
メディルスはビアの缶をガストゥに差し出しながら、静かに笑っていた。それは見た目こそ先ほどまでの人の好さそうな微笑みと何ら変わるところはないというのに、なぜだろうか、ガストゥはあたりの空気が急に張り詰めたような気がして、背筋を伸ばした。
「俺の気持ちですか?」
「そう。ジェシーから君が地球から来たこと、その理由も聞いたよ。つまり、君はこの星に来て、ちょっとしたトラブルに巻き込まれただけの哀れな配達夫だ、ならば、このまま何も知らずにこの星から脱出する権利もあるだろうと、僕は判断したわけだよ」
「つまりそれは、知れば後へは引き返せないような秘密がある、という解釈でいいか?」
「そうだね。そして、君にはそれを知らず、このビアを飲んでそこのベッドで仮眠をとった後、本来の君の仕事を果たすために僕が用意した猫を黙って地球まで運ぶという道を選ぶこともできる」
ガストゥはほんの少しだけ逡巡した。しかし、それはさして長い時間ではなかった。
「その秘密を、ジェシーは?」
「おそらく知らないだろうね。何しろ彼女は猫に愛されすぎている。何も知らされていないだろう」
「猫に……」
「そう、猫だ。もちろん僕は第一世代で猫から直接話を聞けるわけではないからね、これから話すことにはいくつかの仮説も含まれている。それでも、だよ……真実から遠くは離れていないと思うんだ」
「真実とは、いったいなんだ?」
「待って待って、冷静に考えてね、これから話すことを知ったら君は、たぶん自分の本来の仕事を投げ出してしまうだろう」
ガストゥは迷うことなく、メディルスの手の中からビアの缶を奪い取った。しかしそれは寝酒として軽い催眠効果を得るためではなく、メディルスの言葉に臆し始めた心を奮い立たせるための気付けとしてだ。
「たった二万ゲリスのために命を投げ出すつもりはない。俺の目的はすでに、自分の仕事を全うすることではなくて自分自身の命を守ることにある」
ビアのプルタブを引き起こして、彼はその中身を大きく呷った。良く冷やされた麦臭い液体は炭酸の刺激で喉奥をひっかきながら胃の腑に流れ落ちたが、今の彼にはそれを味わっている余裕さえなかった。
「それに、ジェシーを……彼女を無事に地球に連れて帰りたいと思っている。だから、そのために聞いておいた方がよいというならば……話してくれ!」
メディルスが深く頷く。そして彼は、寝室のドアを静かに閉じた。
「すまないが、年なのでね」
メディルスはベッドの端に腰を下ろして、長い長いため息をついた。
「ふう、うれしくてはしゃぎすぎたようだ。何しろ、安心してジェシーを預けられる男が、やっと現れたんだからね」
「俺はまだ、告白の返事すらもらっていない片思い男だが?」
「そうかねえ、僕にはジェシーが君に『懐いている』ように見えるんだがね」
「まあ、憎いとは思われていないはずだが、それを判断するにも俺たちはまだであって間もない」
「いいね、まじめだね、そういうの好ましいよ」
それは茶化しではなく、心底の言葉なのだろう。メディルスは少し震える手でガストゥの手を握り、それを額に当てて祈るような仕草を見せた。
「だからこそ……あの子を見捨てないでやってほしい」
「見捨てたりはしない。確かに俺たちは出会って間もないが、俺はすでにジェシーを『好ましい』と思っている。彼女に対して不誠実なことはしたくないと思う程度には」
「ありがとう、ガストゥくん。それじゃあ早速、本題に入ろうか」
身を起こし、ベッドの端にしゃんと背を伸ばして座りなおしたメディルスが語りだしたのは、宇宙開発が始まって以来の――いや、もっと太古から続く生物の進化に隠された物恐ろしい秘密であった。




