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窓の外はいつしか森の風情から林の風情へと変わる。とはいっても植生は相変わらず多肉の植物で、それが幾分まばらで細いものになったというだけなのだが。
ガストゥはさらにアクセルを踏み込んでスピードを上げる。
「どこが『すぐそこ』なんだよ。家らしきものすら見えないぞ」
「家ではないが、工業地帯が見えてくるはずだ」
樹木の相を為す植物はまばらに、その足元にみっしりと茂る背の低い多肉植物は草むらと呼んだ方がよいだろうか。その向こうには広大な敷地を抱き込んだ憎らしいほど無機質なコンクリート造りの建物がうずくまっている。
道も幅が広まり、さっきまでは一つもなかった四つ角が現れる。
「そのまま、まっすぐだ」
ジェシーの指示に従って進むと、巨大な建物の間に小さな畑と農地が挟まり、それもだんだんに人家の方が多くなり……生活の匂いがあふれる住宅地の風情が現れた。
家の多くは木材で梁と切妻屋根を組み、壁を漆喰で固めた地球でもよく見る形のものである。土を突き固めた武骨な家が畑の中に立つクレスタの光景とはあまりにも違う。
ジェシーが窓にもたれながらぽつりと言った。
「地球みたいだろう」
「ああ、俺の住んでいた隣の地区は、ちょうどこんな感じだった。まあ、そっちは金持ちが暮らす場所だったんだがな」
「ここもそうだ。この星の植物は多肉性であるがゆえ、どんなに大きく育ってもスポンジのような材しか取れない。ここに住む金持ちたちは他の星から木材を運ばせて家を作った」
「なるほど、だからこじゃれた家が多いのか」
「この星で生まれた私には、遠く地球から離れてまで『地球式』にこだわる理由がわからないのだがね」
最後の言葉は吐き出すようで、たぶん、あきれの感情をいくぶんに含んでいるのだろうと思われる。ガストゥは軽く肩をすくめてみせるほかに、反応のしようなどなかった。
それにしても静かな住宅街だ。人の声ひとつしない。
広い道の路肩に寄せて止まっている車は何台か見かけるのだが、すれ違う車にすら出会わないことに不安を覚えて、ガストゥはスピードを落とした。
「なあ、ジェシー、この町はおかしくないか?」
庭先に洗濯ものをたっぷりと吊るした家が見える。子供用のはでな色のTシャツから、真っ白いシーツまで、家じゅう全ての布製品を吊るしたんじゃないかというほどぎっしりと吊るされた洗濯物に竿が軽くしなっている。それが照り始めた早朝の白い陽光の中で風に揺れている様子は、ありきたりだが違和感を覚えずにはいられないものだった。
(この家の主は、いつ、この洗濯物を干したんだ?)
庭先に無造作に転がった小さな三輪車。横倒しになって片方の車輪を空に向けているあれは、いつからああして転がっているのだろうか。
いくら早朝とはいえ、新聞配達の少年すら見かけないとは……
「まるで町が死んでいるみたいだ」
ガストゥがつぶやくと、ジェシーがそっけなく返す。
「おかしなことを言う。町は生き物ではないのだから死んだりはしない」
「いや、これは比喩表現ってやつだ。この町は『生き物が死んでいるみたいに』活気がないと、そういうことだ」
「それは仕方のないことだ。この町はすでにネズミの襲撃を受け、大部分の人間は死んだ。生き残った者もどこかへ逃げてしまったから、住人はたった一人しかいないはずだ」
「たった一人だって?」
「そう、その一人が私たちが訪ねようとしている『ブリーダー』だよ」
「いや、そいつは……ちゃんと生きているんだろうな」
「それならば心配ない。彼のところの猫は優秀だからな、あの家だけはネズミの一匹も近寄ることは……」
ジェシーの言葉尻を飲むように、プロキオンが「にゃお」と鳴く。どこか不機嫌そうな声に合わせて、鼻先がぴくぴくと震えた。
「そうか、お前はあそこの猫たちは嫌いか」
それに答えて返された鳴き声に、ジェシーの眉の間を曇る。
「わかってる、あの家の猫と必要以上に慣れあうつもりはない。だけど今、私たちにはあの猫たちの力が必要なんだ、わかってくれ」
プロキオンの鼻が「ふん」と息音を立てる。それっきり前足の間に顔をうずめてしまった姿はふて寝のようにもみえて、ガストゥの不安をあおるには十分だった。
「おいおい、ケンカか?」
「ケンカじゃない。ちょっとした見解の相違だ」
「それをケンカというんだ」
「そうなのか」
後ろの方から「にゃあ」という声が聞こえたが、その鳴き声の意味をジェシーに尋ねることはできなかった。ちょうど、目的とする建物の前についたからだ。
背の低い生垣の前に車を止めると、短く刈り込んだ多肉の芝生の向こうに白いペンキ塗りの小さな家が見えた。
「おかしい。この時間ならメディルスは、庭に出て水やりをしているはずなんだ」
ジェシーが不用心に助手席のドアを開こうとするから、ガストゥは
思わずその手を引き戻した。
「おい、何をしようっていうんだ」
「決まっている。呼び鈴を鳴らすんだ」
「もう少し慎重に行動した方がよくないか?」
後部座席の猫も、同意を示すように「にゃあ」と鳴いた。
この二人の態度が気に入らなかったようで、ジェシーの声が幾分とげとげしくなる。
「私は十分に慎重だ」
「いや、もちろん、君は慎重だとも。でもここはあまりにネズミの隠れる場所が多すぎる」
こうして見渡せる限りでも家屋屋根から渡された雨どいの、通りに向かってぽっかりと口を開いた排水溝の中は暗くてネズミにとって居心地のよさそうな湿り気を感じる。マンホール、道に捨て置かれた車のボディの下、それに人家の庭先に茂る密度の高い植栽の中でさえ……ここには、何者かの姿を隠すにちょうどよく、そしてこちらから中を覗き込めない隙間があまりに多すぎる。
「せめて、プロキオンを連れて行け」
ガストゥは後部座席を覗き込むが、件の猫はすっかりとふて寝の構えで動こうともしない。
「仕方ない、俺がついていく。いいか、慎重に行動しろよ」
「呼び鈴を押すだけなのに、それはあまりに大げさだ。私一人でいい」
「呼び鈴を押す『だけ』? 違うな、どこから飛び出してくるかわからないネズミに気を配って進まなきゃならない、ミッションだ。しかし、四方に気を配るには、君はあまりにも無防備すぎる」
「私だってその危険は十分に考慮している。心配することはない」
ジェシーは頑なに首を振る。
そんな彼女の態度に困り果てたガストゥが思い出したのは、これまで何度か耳にした強い言葉だった。
――ジェシー、命令だ。
この言葉が実際に彼女に対して絶大な効果を発揮する様子を、ガストゥは何度か目の当たりにした。だからこそ、これだけは決して言うべきではないと、言葉を腹の奥にぐっと飲み下す。
代わりに懇願するように声を震わせて言った。
「わかってくれ、ジェシー、君のことが心配なんだ」
「それがわからない、小さな子供じゃあるまいし。私は大人なのだから危険に対する判断も自分でできる、十分に注意も払うと約束しよう、それ以上の何が心配だ?」
ガストゥは、自分の言葉が愛の告白ととられかねないことを良く心得ていた。心得ていながら、それでもかまわないとさえ思った。
何しろ実際に、彼女に対して抱いている好意は本物なのだから。
「君にもしものことがあったら、俺は自分を許せない」
「私と君は他人だ。もしも私に予測外の事態が起こったとして、それを君と結び付けて糾弾する者はいないだろう。それに、私も君にそこまで責任を負わせるつもりはない」
「そうじゃないんだ、ジェシー、俺は君に対する責任を、俺以外の誰にも譲りたくはないと望んでいる」
「よくわからないな。それは比喩表現か?」
最初からわかってはいたことだがやはり……ジェシーには回りくどい言い回しなど理解してはもらえない。
「わかったよ、比喩表現をすべて取っ払って言ってやろう」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「つまりだ、俺は君が好きなんだ」
それに返されたのは無言。顔を覗き込めば、さすがのジェシーも返事に戸惑っているのかすべての表情を失って目をきょろきょろさせている。
ガストゥはさらに畳みかけた。
「今すぐ恋人になってくれとか、肉体的な関係を結ぼうとかは考えていない。そんな気持ちに至るには、俺たちは出会ってからの時間があまりに短い。ただ、俺の方は君に対する好意をすでに自覚しているから、自分の好きな女性に例え一ミリでも危険が及ぶようなことはあってほしくないと、そういう気持ちなんだ」
「肉体的な関係は望んでいないと?」
「いや、そうじゃない。君はグラマーだし、君を抱きたいという気持ちは十分にある。だけど俺にとって一番欲しいものは君の肉体なんかじゃなく、もっと大事な……感情の部分なんだ」
「私に感情などないことは知っているだろう」
「わかった、君のわかる言葉に置き換えよう、俺が欲しいのは君の『判断』だ。君が自分の意志で俺とならば一緒にいてもいいと……俺のそばにいることが自分の幸せだと『判断』してくれる、それまでは俺の片思いでいいと、俺は『判断』した」
「なるほど、了解した。今後考慮しよう」
ジェシーは特に何かを感じた風もなく、体をずらして助手席のドアに手をかけた。
「君が私についてこようとする理由もわかった。私はここで二人が危険に遭遇し、全滅するよりも、どちらか片方が生き残れば猫を連れて帰るという目的は果たせると、そういった効率ばかりを考えていた」
「それは、確かに……作戦としちゃあ正しいな」
「その際、呼び鈴を押しに行くのに私のほうがふさわしいと判断したのは、君に死んでほしくはないと……『判断』したからだ」
最後の言葉を言い終わらないうちに、彼女はドアを開いて往来に転がり出た。
「あ、ジェ……!」
ガストゥの言葉を塞ぐように、ドアが勢いよく閉められる。その反動を利用して、彼女は歩道を駆け抜けて家のポーチに駆け寄ろうとした。