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猫がたくさん載せられるようにと、借り受けたのは大きなワンボックスカーだった。車体は目が覚めるような青空の色をしているが、日の落ちきった砂漠ではもはや時速50キロで走る闇の欠片と化していることだろう。
「こんなに暗くちゃ、どっちへ進めばいいかわかりゃあしない」
ハンドルを握るガストゥは、車の鼻先を照らすヘッドライトの中に黄色い砂ばかりが映る単調なドライブに疲れ切っていた。
「方角は、本当にこっちで合っているのか」
ジェシーは相変わらず表情を変えず、ただフロントグラス越しの夜空を見上げる。
「正面にヤスタクの星が出ている。大丈夫だ、間違いなく北へ進んでいる」
「ヤスタクの星?」
「ああ、あそこに赤くて明るい星が見えるだろう、あれが北天の中心だ」
「地球でいう北極星みたいなものか」
車のスピードを少し落として見れば、地球から遠く離れて星辰の並びさえも全く違う夜空が、底も見えぬほど深く広がっている。
「少しだけ、車を止めて休憩してもいいか?」
ガストゥが聞くと、ジェシーはこっくりと頷いた。
「長距離の運転は精神的な疲労につながるものだ。良ければ代わろう」
そのころにはガストゥはサイドブレーキまで引き上げてしまって、車はすっかり停止していた。ヘッドライトも消してしまった車は、今ではすっかり闇色に沈んでしまって夜空の底にひっそりと姿を潜めてしまっていることだろう。
用心のために、ガストゥは腕を後ろにひねって室内灯をつけた。
「いや、運転を代わってほしいんじゃない。少し表に出てみたいんだ」
後部座席で眠っていたプロキオンがのっそりと起き上がり、にゃあと鳴く。
「危険はないそうだ。行っても大丈夫だろう」
ジェシーが軽やかにドアを開く。ガストゥもドアを開け、砂地へと足を下ろした。
昼間の日差しでたっぷりと焼かれていた砂も、今はその熱を天に向けて吐き出してしまった後で、足元はひんやりと心地よい冷涼が流れている。空を見上げればまさに満天――遠く深く、果てしなく広がる黒色の空には儚くきらめく小さな光点が無数にちりばめられて仮初の半球状の天井となって荒涼たる砂漠の上に覆いかぶさっている。
ジェシーがそんな夜の天井を指さした。
「あれがレスタイアの星、ここからは数百万光年離れている。あっちに見えるのがワスタル、あれほど明るく見えているのに、あれこそここから一番遠い星だと言われている。そしてあっちにあるのがサン、俗にいう『地球の太陽』だ」
彼女の指の動きを追って目を凝らしても、それはあまたある光点のうちにたった一つでしかなく、ろくに見分けなどつかない。
「宇宙は……広いな」
ガストゥが呻くように言うと、ジェシーは深く頷いた。
「ああ、広い」
夜の空気はさらに少し冷えてきた。宇宙の一番底に沈められたようなこの砂漠の真ん中に立っていると、人間というものがいかに小さい存在であるのか、それを嫌でも思い知らされる。
宇宙を砂漠に例えるならば、きらめく光点にしか見えない星は砂の一粒である。その砂粒の表面を這いまわる人間とは、なんと小さくて哀れな生き物なのだろうか……
「そりゃあ、太陽だって見逃すはずさ」
ガストゥの言葉を肯定するかのように、車の中から猫の鳴き声がした。それでもジェシーは注意深く、闇を透かすように彼に顔を向ける。
「太陽が見逃す?」
「ああ、俺の元相方のデニスをさ、あいつは太陽教の信者だったんだから、太陽の加護ってやつを信じていた。たとえ何万光年離れても、自分は太陽の膝元に帰りつくことができるだろうってね」
「でも、その男はこの星で死んだ。太陽など無力だ」
「ああ、確かに俺もさっきまでそう思っていたんだけどな……もしかしたら太陽が無力なんじゃない、俺たちが小さすぎるんじゃないだろうか」
「それはまた、壮大な考え方だな」
「そうでもない。君がさっき指したサンのあたりには地球があって、その星には90億人の人間がひしめき合って暮らしている。ところが、ここから見たらどうだ?」
「恒星ではないから、星の姿すら見ることはできないな」
「だろう? 俺たちはそれほどに小さくて、不確かなものだ」
今、ガストゥの声はかすれて、ひどく頼りなく震えている。彼自身が砂漠の砂粒の間に埋もれて消えてしまいそうなほどに小さく、悲しく。
だからジェシーは飛び切り大きな声で叫んだ。
「見ろ、ガストゥ! 流れ星だ!」
それは一瞬のうちに天空を切り分けるように走って消えた。
「ガストゥ、願い事はできたか? 私はちゃんとしたぞ」
「へえ、どんな?」
「君が消えてしまわないようにと」
「消える? 俺がかい?」
「ああ、私の個人的な見解ではあるが、君は今、ひどく落ち込んでいる。こういう状態をひとは『消えてしまいそうだ』と例えるのだろう」
「だから、消えてしまわないように、か」
小さく笑い声を立てた後で、ガストゥはジェシーに向かって片手をあげた。
「出発しよう、そろそろ夜空にも飽きてきた」
「そうだな、それに気温もだいぶ下がってきた」
「なあ、ジェシー、俺は消えたりしない」
「本当にか?」
「ああ、例え太陽が見逃すほどちっぽけだとしても、俺は俺個人としてここに立派に存在している。そう簡単には消えてやったりしないのさ」
「そうか。それは元気が出たのだという理解でよいか?」
「まあ、そういうことだな」
「そうか、ならば良い」
二人が車に乗り込むドアの音が砂漠に響いた。
キーをひねれば、エンジン音は星のきらめく天空へと上る。後部座席では猫が退屈まぎれに大きなあくびをして、尻尾をゆらりと揺らした。
砂漠は夜空よりも濃い闇を重ねてなだらかな丘の形を描き出している。その間をしばらく走ると、突然、にょっきりと太い塔のような影が現れた。
「なんだあれは」
砂漠のど真ん中に枝葉を取り払った丸太を突き立てたような、ただまっすぐに太いだけの影。
「地球にもあるだろう、サボテンだ」
「ずいぶんと大きくないか」
「それはそうだろう。あれは人間が来るよりもずっと前からここに立っていた古木だ」
空を突くようなその足元にはさらに小さい――おそらく若木だろう細い影が何本もまとまっていて、幻惑的な光景を成している。
車のヘッドライトが照らす大地にも、緑の細い棒きれが映った。左のリアタイアが無常にもそれを踏み砕き、車体は軽く跳ね上がる。
後部座席の猫が不満そうなうめき声をあげるから、ジェシーは振り返った。
「もう少しの辛抱だ」
猫はニャグニャグとわめくような声をあげるばかりだが、ジェシーはそのいちいちに頷きを返す。
「わかった、そうしよう」
やがて顔を正面に戻したジェシーは、フロントグラスの右上を指す。
「少し東に迂回する。この時間ならレスタイアが真正面に来るように調整すればいい」
そうはいっても星は無数にあるのだ、運転しているガストゥにはそのうちの小さな一つを探している余裕などない。ただジェシーの指さす方へと素直にハンドルを切っただけだ。
「もう少し右へ。別に焦る必要はない」
そのやり取りを茶化すように、猫が声高に鳴く。
「プロキオンも『落ち着け』と言っている」
「そうかい、そりゃどうも」
ジェシーの案内でしばらく東に進むと、持ったりと横たわるような丘とも、すっくと立つサボテンの群生とも違う、こんもりとして形の定まらぬ大きな闇の塊が見えてきた。
「デストの森だ。道はきちんと通っているから、砂漠よりも走りやすいだろう」
確かに路面の調子も変わりつつある。砂に埋もれてはいるがきちんと舗装された路面がところどころに顔を出しており、タイヤが深く砂に沈むこともない。
「確かに走りやすいが……」
前方に横たわる黒々とした巨大な影を見て、ガストゥは少しだけスピードを落とした。
「まるで星が食われてしまったみたいだ」
ガストゥの喩えを嗤うかのように猫が鳴いたが、別に彼が人並み外れて臆病だというわけではない。星空の一部を塗りつぶしたように真っ暗な、ただ何もない大きな闇を目の前にしては当然の怯えなのである。




