3
その時、いらだった様子のレクスンが洞窟へと入ってきた。彼はガストゥと、ジェシーと、そして自分の弟を順繰りに眺めた後で怒声をあげる。
「ウェスカー、その女に情けをかけるなと何度言えばわかる!」
「情けなんかかけていませんよ、兄さん」
「これだから第二世代ってやつは……ウェスカー、今すぐその女と一メートル以上の距離をとれ」
ウェスカーは少し肩をすくめながらも、言われた通りに動く。
「よし、それでいい」
乱暴に言い放った後で、レクスンはドシドシと乱暴な歩調でガストゥとジェシーの間を通り過ぎた。少し身を交わせばいいものを、わざとのようにガストゥを押しのけて木箱に飛び乗る。
「おい、お前ら、集まれ! 作戦会議だ!」
木箱のあちらこちらに身を寄せていたものたちが身を震わせ、それでもしぶしぶといった様子で腰をあげた。のろのろと這うように集まり、レクスンが立つ木箱を囲む。
誰の顔にも疲労の色が濃く浮かんでいる。それが長いネズミとの戦いに疲弊してのものなのか、それとも木箱の上で胸を張る男の横暴に虐げられた結果なのか……ガストゥは少しばかり同情してため息をついた。
ジェシーが耳ざとくこれを聞きつける。
「疲れているのか?」
「少しだけな」
「もう少しだけ我慢してくれ、作戦会議が終われば、食事と睡眠が与えられるはずだ」
そんな二人に向かってレクスンが怒鳴る。
「おい、勝手にしゃべるな! これはとても大事な会議なんだ!」
だからジェシーとガストゥは、口を閉ざした。
レクスンは木箱の上に両足を張り、まるで演説よろしく両手を広げる。
「諸君、二度にわたる鼠の襲撃を逃れて、今日ここで再び君たちとまみえることができた幸運を太陽に感謝しよう!」
「ち、太陽教信者か!」
小声で、しかし憎々し気につぶやいたガストゥを諫めようと、ジェシーは肘で空の脇腹を軽く突いた。幸いにもレクスンは二人のそんな仕草には気づきもせず、のけぞるほどに胸を張る。
「ああ、ああ! だがしかし、われらの尊き同朋を数多く失ったことも、また事実! この哀れな犠牲者たちに、敬意とともに黙祷を捧げようではないか!」
彼は片手を胸に当てて顔は天に向け、まるで彫像であるかのように動きのすべてを止めて黙祷を捧げた。それは地球の軍人がよくやる敬礼の作法だ。
「シーラー家の父親は、地球で傭兵家業をしていた」
ジェシーが耳打ちしてくれたそれは納得のいく回答だった。しかし、その場にいたすべての人が彼の動作を倣って胸に手を当てる、その統率力には驚きだ。
「ガストゥ、黙祷を」
ジェシーに促されて、ガストゥは慌てて回りと同じように片手を胸にあてた。それでも気持ちだけは黙祷のために閉ざすようなことはせず、木箱の上で指導者のごとく尊大にふるまう男を油断なく薄眼で追う。
彼は張りのある声で太陽に向かっての祈りを唱えていた。
「おお、恵み深き太陽よ、すべての生きとし生けるものの上に絶えることなき愛と生命を注ぎ続ける母なる星よ、あなたの愛から遠く離れたこの星の大地に沈んだ哀れな魂が、どうかあなたのもとに還れますように……」
その祈りは、デニスの姿を思い起こさせるものだった。ガストゥはレクスンの姿を目の端にとらえながらも、口の中でわずかに祈りの言葉を食む。
「願わくば……デニスの魂も連れて行ってやってくれ」
その言葉はジェシーにだけは聞こえたはずだ。なぜなら、彼女はほんの半歩を横に動いて、ガストゥの腕にもたれかかるように静かに体を寄せたのだから。
木箱の上では相変わらずレクスンが、偉そうに両腕を広げていた。そのしぐさは大げさすぎて、デニスが好んで見ていたアニメ映画の登場人物を見ているようだと、ガストゥは思った。
「さあ、嘆きだけでは前に進めない。我々はここに生き残った者の当然の義務として、先に進む道を模索しなくてはならない、すなわち、ネズミの脅威を退け、我々が生き残る道を! 同士諸君、顔をあげたまえ!」
一同の視線が自分に注がれたことに満足したレクスンの声はさらに大きくなり、砂岩の洞窟の壁に反響して割れる。
「知っての通り、まずは他星へこの星の状況を伝えることが最優先だ。うまく地球と連絡さえ取れれば、すぐにでもネズミ殲滅のための部隊がここへ派遣されるだろう。そのためにも我々は『メッセンジャー』となる者を選び出し、これが救援要請のために無事にこの星から旅立てるよう、全員が一丸となってことを進めなくてはならない」
ここでガストゥはふと浮かんだ疑問をレクスンに投げた。
「待ってくれ、普通に考えれば、星から脱出するなんて危険を冒さなくても、地球に向けてメールの一本も打てばいいだけなんじゃないのか?」
「それはできないんだよ、ガストゥくん、どうやらこの星の通信には何らかの異常があるらしくてね、ネズミの襲撃とほぼ時を同じくして他のどの惑星とも連絡が取れない状態になっているんだ」
「通信異常の原因は?」
「不明だ。しかし、メールだけではなく旧式の光学型モールスも、星間ネットも、すべての通信網が使用できなくなっている状況から、宇宙的な電波妨害の要素があるのだろうと考えられている」
「そういえば……」
地球との通信が途絶えたのは、この星の重力影響圏に入ったころではないか。
「つまり、どうしてもこの星の重力影響圏から脱出する必要があると、そういうことか」
「そうだ、そしてそのためには君の力が必要だ。ガストゥ、こちらに来たまえ、みんなに君を紹介させてくれ」
木箱の上に立つ男は張り付いた仮面のような嘘くさい親愛の笑みを浮かべて、両手を大きく広げている。
さながら大劇場の舞台に立つ役者のごとく。ならばガストゥもこれを受けて役者的にふるまえばいい、それだけの話だ。大きく広げられた彼の腕の中に身を寄せて生来の友人であるかのように抱擁を交わし、この星を救うと確約できぬ言葉を吐けば、きっとこの観客たちは喜んで両手を叩くことだろう。
しかし、誠実なガストゥは安っぽい三文芝居にのってやるつもりなどなかった。横を見れば、ジェシーが深く頷きながら身を離す。
「思った通りに話せばいい」
少し離れて立っていたウェスカーも、ガストゥに視線を送って頷いていた。
「わかったよ」
二人に後押されるようにして木箱に上ったガストゥは、大きく広げられたレクスンの両手を拒むように彼に背を向け、観客に向かって一礼した。
「ガストゥ=メリアドだ。所属は地球のアスニア・カンパニー、君たちが望むような軍事力の後ろ盾など何もない、ただの配達夫だ。昨日、この星に着いてネズミに襲われていたところを、そこにいるジェシーによって命を救われた、弱い、ただの男でもある」
落胆はひそひそとささやきあう声となって、観客の中に広がった。ガストゥはその囁き声を打ち消すように大きな声をあげる。
「それでも、俺にはデクスト号がある! あれを飛ばすことができれば、確かに他の星から助けを呼ぶこともできるだろう」
ささやきは安堵混じりに「おお」とつぶやく低い声に変わった。ガストゥはこれをも打ち消すように身を乗り出し、声を張る。
「だけど、考えてもみてくれ、宇宙港はすでにびっしりとネズミの巣が張って、うかつに近づくのは危険だ。まして、全員が一丸となって押し寄せたりしたら、その時点で全滅する可能性だってある!」
レクスンが小さく舌打ちする音が聞こえたが、ガストゥはこれを無視した。
「俺が提案したいのはリスクの分散、つまりここにいる者を何組かの部隊に分け、例えば第一部隊が航船の射出に失敗したときに、第二部隊がその任を引き継ぐと、そういったシステムを組むことだ。異存は?」
それに答えたのはウェスカーだった。彼は聴衆の中から片手を突き上げ、大きな声で叫ぶ。
「ない! むしろ賛成だ!」
おそらく、その場にいた誰もがウェスカーと同じ気持ちだったに違いない……ただ一人を除いては。
そのただ一人であるレクスンは、ガストゥの肩をつかんで振り向かせた。その表情はにこやかであり、あくまでも紳士的な装いを崩すつもりはないらしい。
「待ってくれ、その作戦はリスクがありすぎないか?」
「じゃあ、君の考える作戦とは何だ?」
レクスンはガストゥを押しのけて聴衆の前に進み出た。彼はあくまでも同胞たちの同意と称賛を後ろ盾につけるつもりらしい。
「俺の理想は、本当は救援を呼ぶための脱出などではなく、ここにいるすべてのものが事無くこの星を脱出することにある。さらに理想を言うならば、女子供や年寄りなど、弱者こそが優先されるべきだ。しかし宇宙港に巣食ったネズミの数は多く、弱者を先頭に立たせるのは腹を空かせたオオカミの群れに肉のついた骨を投げ込むようなものだ。まあ、実際にはオオカミじゃなくてネズミだがね」
彼としては気軽なジョークのつもりだったようだが、これで笑うものは一人としていなかった。
「ちっ、通夜じゃあるまいし、少しは笑えっての」
友好の仮面が少しだけはがれ、鼻の頭に忌々しげなしわが浮かぶ。