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結局、通信機を一通り確認したが不調は何も見つからなかった。近くを飛んでいた他社の運送船と試験的に連絡を取り、通常のメール・システムから非常用の救援信号まですべての通信システムを試してみたのだが、結果はすべて良し。
この時、通信試験に協力してくれた船も地球との交信が途絶えていると伝えてきたことから、デニスは大きな規模での通信障害が地球近辺で起きているのだろうと判断した。
「宇宙には隕石群だけじゃない、前世期の宇宙開発の時に放り出されたコロニー群だの、強力な磁場を持つ惑星だの、あとは……彗星の尻尾にちょっとかすっちゃうとか、ともかく、通信機自体ではなくて、そういう外的要因による通信障害っていうのは良くあることさ」
デニスの説明は実に筋の通ったものではあったが、ガストゥはこれに納得などしなかった。
「俺だってあんたよりは少ないが、すでに百回以上の航行をこなしている。だけど、通信システムの不調なんて、一度もなかった」
「そうかい? 僕は二回ほど経験したよ。そのうち一回は、地磁気の影響の計算式に誤差があったから、だったかな」
「そんな誤差ぐらいで、地球全体規模の通信障害が起きるもんか。何しろ星一つ丸ごと通信阻害を起こす隕石群の中に入ってしまったってことになるぞ」
「そういうこともあるんじゃないかな。何しろ宇宙ではすべてが天文学的、誤差の範囲も僕らの思い及ばぬくらいに大きなものなんだろう?」
「またそれを持ち出す!」
「いやいや、実際に宇宙で起きる予測不能の事態を説明するには、言いえて妙だなと思ってさ」
「その理屈でいうなら……」
ここまでガストゥは、とある『もう一つの可能性』に心深く囚われながらも、それをあえて口には出さずにいた。
「天文学的な誤差というなら……」
なるほど、確かに宇宙に出ればすべてが『天文学的』な数字の組み合わせによって成り立つものだ。ならば人類がちっぽけな地球規模で計算した太陽の残り寿命というのも、誤差の内であってしかるべきだ。
つまり、地球からの通信が途絶えたということは、すでに通信を受け取るべき地球そのものが太陽の終焉に巻き込まれて消滅したのだと、そういう可能性もあってしかりなのだ。
ところがデニスは、ガストゥの不安を避けようとするみたいに話をはぐらかす。だから彼はみのうちにある不安を消すことも、その不安からくる焦燥をデニスにぶつけることもできずにいる。
デニスはそれさえも見越したかのように空々しく明るい声を出した。
「さあ、そろそろネスニアの重力圏に入る。目的地からの通信は?」
「ない。もっとも、あそこの宇宙港の管制塔は自動制御だから、こちらからの呼びかけがなければ答えもしない。当たり前だがな」
「オーケー、入港用の制御誘導電波は?」
「すべて良し、何の問題もない」
「よし、だったら今は余計なことなど考えず、入港作業に集中しろ。視認式モニター。スクリーン、オン」
モニターに映し出されたのは、デクスト号の前方にあるカメラ・アイが映し出す進行方向の映像だった。
目指す星は青と緑と、そして濃い茶色のまだら模様を描いて美しい。地球よりもわずかに色がくすんで見えるのは、この星の大気を構成するガスの配合が地球よりもわずかに濃度が高いせいなのだが、大きさもほぼ地球と同等である。その丸く陵を描く星の輪郭の端からは、二つの太陽が小さな光点となってガスに包まれた大気を白く縁取っていた。
そう、ネスニアには太陽が二つある。一つはネスニアに近く、やや小さな第一太陽、もう一つはネスニアからやや離れて大きな第二太陽。ネスニアの軌道の中心にあるのは第一太陽だが、これは星一つを地球と同じ温度まで温めるには少しだけ小さすぎる。絶妙な重力のバランスをとって近くにある銀河から照らす第二太陽があるからこそ、ネスニアは人類にとっての生息可能な温度環境を保てるのである。
二つの太陽が寄り添うように並んで一つの星を照らす、まるで我が子を守る父母を思わせる光景を眼前にして、デニスは椅子から立ち上がった。
「美しい……」
胸元を押さえて最敬礼のポーズをとったのは、陽光のペンダントを握りしめて信奉する太陽への祈りを捧げるしぐさだろうか。
「ガストゥ、美しいとは思わないか?」
「ああ、確かにきれいだ」
「太陽というのは慈愛の象徴だ。その太陽が二つもあるなんて……きっとあそこは、愛に満ちた美しい星に違いない」
ガストゥは何も答えない。デニスがどんな『愛』を思い描いているかは知らないが、これから降り立とうとしている星がいかに『愛』から遠い光景であるかを知っているからだ。
ネスニア星の開拓がはじまったのはわずかに二十年ほど前であり、大地の大部分はいまだに未開なる土地である。星としても若く、気候は雨が少なく、事前資料に添えられていた写真にあった光景は地球の砂漠地帯を思わせるものだった。
環境が過酷であるゆえに動物は発生せず、植物ばかりが進化の栄華をきわめている。砂漠地帯のほかには人の背丈を追い抜くほどに大きな植物が生い茂った原生林であり、これがすべて少ない雨を効率よく利用するための多肉植物なのだから、地球ではちょっとお目にかかれないようなすさまじい光景があちこちに広がっているのである。
人類はここに畜産のための動物を連れ、食用となる植物のタネを持ち込んで開拓を始めた。それも巨大な多肉植物の密林に阻まれて、開拓は遅々としたものであると。
もしも太陽に意志があるのなら、この星の太陽は明らかに植物を贔屓している。あとから星に紛れ込んだ人間に与える恩恵など持ち合わせていないに違いない。
しかし、それを『太陽は全ての生物に平等に降り注ぐ』を教義とする太陽教信者に言うことは憚られた。だからガストゥは無言で反重力ブレーキのスイッチをオンにする。
それでも大気圏に突入する瞬間の気圧の段差だけは大きくて、船体のあちこちで金属のきしむ音がするほどに大きな揺れが一つだけ起きた。その揺れにつられて椅子に腰を下ろしたデニスは、うれしそうな声で叫ぶ。
「さあ、いよいよ太陽に愛された地、ネスニアに到着だ!」
制御誘導源波の状態は良好、機体はネスニアの大気の中を滑るようにして星の表面へと近づいてゆく。
ガストゥは着陸許可の確認をとろうと、管制塔へと通信を打った。返信は自動制御されたコンピューター音声で、これがスピーカーを通してデクスト号の館内へと響き渡る。
『入斜角度、良好。反重力強度、適正、目的座標、適正、すべて良し』
続けて入港の許可が下りる。
『アスニア・カンパニー所属、デクスト号、航船登録照合、良し。入港を許可す……』
突然、ボツッと大きな音とともに通信が切れた。
ガストゥはこの異常に神経質なほど素早く反応した。
「デニス、おかしいぞ、入港を止めよう!」
そうはいっても、すでにネスニア宇宙空港は視認できるほど近く、着陸態勢に入った機体をこの高度から引き上げるのは難事業である。
だからデニスは首をすくめた。
「無理だよ。それに、着陸許可は間違いなく出たじゃないか」
「いや、あの通信の遮断はおかしいだろう。まるで急に電気のコードが引き抜かれたような、そんなノイズだった」
「じゃあ、こうしよう、着陸は一度する。その上で何か異常があれば、すぐにでも離脱するってことでさ」
「それじゃだめだ。あの星に降りてはいけない」
「その根拠は?」
「根拠……」
「それは勘ってやつだろ、地球からの通信は途絶えている、その上で『たまたま』ネスニアの通信も不調だった。そういうとき、人はこの二つをつなげて、何か悪いことの起こる予兆なのだと思いたがる、まさに今の君がそういう状態なんじゃないのかい?」
ガストゥは反駁の言葉を失った。確かに自分は少しばかり不安に煽られているのではないかと。
「オーケー、着陸を続行する。その代わり、少しでもおかしなことがあればハッチすら開けずに、すぐに離陸する。これでいいか?」
「上出来だよ、ガストゥ」
「念のために艦は完全閉鎖モードで航行する。外気圧との調整は少し狂うが、感染性生物の可能性なども考慮してのことだ。これはアスニア・カンパニーの非常時マニュアルにも書かれている正式な安全対策である、オーケー?」
「もちろん、オーケーさ。僕だって別に、会社に逆らいたいわけじゃない。ただ、この高度からの強制離陸を回避できれば、それでいいだけだからね」
「わかった。デクスト号、完全閉鎖」
ガストゥがコマンドを告げると、機体のあちこちで深いため息でもつくような排気の音が聞こえた。これにより細い通気口すべてに至るまでの外装の穴という穴は閉じられ、宇宙を航行するときのような機密状態が艦内に作り出されるのだ。