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進化の終焉を猫は嗤う  作者: アザとー
クレスタ集落
16/48

 車は店先の大樹の根元まで入り込んだが、そこに少年の姿はなかった。ただ、座る者のないデッキチェアの上に肉厚の葉が濃い影を落としている。

 ガストゥはエンジンを切り、あたりの音を拾おうと耳を澄ました。

 あまりに静かだ。車内にいる猫と、人の呼吸音しか聞こえない程度には。

「ちっ!」

 短い舌打ちとともにガストゥはドアを開けた。流れ込んできたのは麦臭い風と細い葉擦れの音、そして小さな犬の鳴き声。

「犬だ、犬が鳴いてる!」

 その声に、ジェシーが動いた。

「犬が無事だということは、ジェンスも無事である確率が高い。プロキオン!」

 彼女がドアを開ければ、その膝の上をすり抜けるようにして猫が表へ飛び出す。

「│探索サーチ。ネズミとの距離を測れ」

 地面に耳を近づけて、猫は何かの物音を探っている様子だった。とがった耳は右に左にと忙しく揺れて、ひげがひくひくと動く。

「うな~う」

「そうか」

 それだけのやり取りだったはずなのに、ジェシーは大きくドアを開いて車から降りた。

「麦畑の中にネズミの群れあり。先頭はここから五百メートル離れて西へと移動中。つまり、ネズミがここへ到達するまでに十五分ほどの余裕がある」

 ガストゥも車からはい出した。

「猫の言葉がわかるのか?」

「ああ、第二世代だからな」

「いったい、第二世代とは……」

「この星の太陽線が作り出した、人間の進化形だ」

「進化形?」

 ガストゥが真っ先に思い出したのは、ネズミと呼ばれる生き物が無数に生やした桃色の触手であった。それから、顔の皮のめくれた猫の、触手だらけの顔……しかし、目の前に立つ女には触手など一本も生えている様子はない。外見はありきたりな、少しグラマーなだけの当たり前の人間の姿をしているのだ。

 ガストゥは少しおびえながら聞いた。

「君も、顔がめくれて触手だらけになったりするのかい?」

「そんなことはあり得ない。人類の遺伝子は宇宙で一番完成された形であり、生物の進化の最終形であるのだ。だから形態上の変化はいくら世代を重ねようとも変わらないと言われている」

「でも、君は進化した人類なんだろ」

「内部的な脳機能に進化があっただけだ。私の脳には第一世代には存在しない『アタケクリオ脳室』と呼ばれる部分があって、これが高次の理解力をつかさどっている。つまり、猫の思考パターンを鳴き声から理解することができる、これが猫の言葉がわかるカラクリだ」

「すごいな、猫以外の動物の言葉もわかるのかい?」

「鳴き声のパターンからある程度の理解は可能だが、猫以外の動物は言語に値するような高度な思考を持ち合わせてはいない。言っただろう、この星で一番賢いのは猫なのだと」

 この時、ガストゥは『この星で一番賢い』という言葉の意味を正しく理解した。

「つまり、それは……人間より?」

「ああ、もちろん、人間よりもずっと賢い。おまけにいまだ進化の途であり、形態的にも、脳機能的にも進化する可能性を秘めている。対して我々人類は、すでに進化を終えて安定してしまった種族だ。つまり、この星での人類は、進化という生存戦略において敗者なのだよ」

「そんな! 例えばだ、君たち第二世代が子供を産んで第三世代が生まれたら、それは今よりも進化した、新しい人類になるんじゃないのか?」

「残念だが、ガストゥ」

 ジェシーは静かに首を振った。

「この星に人類が移住して二十四年、その間に遺伝子モデルを使ったシミュレーションが何度も行われたが、私たちにはこれ以上の進化など起こらなかった。そもそもが人類というのは特殊な単一性の高い種族で、交雑などされずに数万年という年月を遺伝子的に安定した状態で過ごしてしまった、そのツケをいま、払わされているのだよ」

「じゃあ、ここでの人類はネズミにも劣る弱者だと」

「そうだ。すでに進化の終焉を迎えた、哀れでちっぽけな生き物だ」

 傍らの猫が、あざ笑うかのように「にゃあ」と鳴いた。

 その進化をもたらしたのが『太陽』だということが、ガストゥの癇に障る。嫌味と自嘲をたっぷりと込めて言葉を吐く。

「なるほど、太陽教の教えのとおりだったってか」

 たかが一つの恒星に過ぎない太陽が信仰の対象となっているのは、それが生物をいまの形に進化させた万能の存在であると信じられているからだ。

 遥かに昔、とある学者が生物の進化とは自然選択――つまりは淘汰の繰り返しによってなされたものであると提唱した。ならば淘汰が行われるほどの形態の変化がなぜ起こったのか、太陽教はこれをうやむやのうちに『太陽のおかげ』であると人々に吹聴し、これを信じさせたのである。

 考えてみれば地球にも生物に関する学者はいくらでもいる。それが、かつて若かった頃の太陽が生物の進化に影響を与えていたことを解明していたとしても不思議はない。そうした人物たちがこの教義を作ったのだとしたら、ひどく納得のいく話ではある。

「そうか、だからデニスは生物学をおさめていたのか」

 悲しそうにつぶやくガストゥの顔を、ジェシーが下から覗き込んだ。

「また、友人のことを思い出していたのか」

「ああ、すまんな、今はそんなことをしている場合ではないのに」

「謝ることはない。私には理解できないが、それが人情というものだと聞いたことがある」

「それでも今は、死んだものより生きている者が優先だ。行くぞ」

 ガストゥは店の中へと入りこんだ。ジェシーと、猫がそのあとに続いた。

 改めて見れば、この店内にはあまりにも隙が多い。商品の入っていない棚の奥は暗く、覗き込まなくては完全にからであるということを確認することができないのだ。ここに売れ残った濃い茶色の包み紙にくるまれたチョコバーや、いつから置いてあるのかわからない埃をかぶった電球の派手なパッケージの代わりに、無数の触手を蠢かせる小さな桃色の生き物が紛れ込んでいても違和感などないだろう。

 迷路のように並べられた棚は明り取りから入り込む太陽を遮り、足元に暗くて隠れ家におあつらえ向きの影を抱え込んでいる。その中にも桃色の、あの厄介で凶暴な生き物が潜んでいるような気がして仕方ない。

 そんな妄想におびえながらも、ガストゥは棚の間を這うようにして進んだ。店の一番奥の、小さなカウンターの中に、その少年は突っ立っていた。

 少年は手のひらの中に犬を乗せて、それを捧げるようにしてただ突っ立っている。犬は小さくて甲高い声で喚き散らしているが、少年の表情にはおよそ感情というものなど全くなくて、完全な無表情であった。

 ガストゥは少年に声をかける。

「よう、どうした?」

 少年は犬を乗せた手をガストゥに差し出した。

「犬を助けようと思っていた」

「助けるって、何から」

「わからない。だけど、こんなに興奮している」

 犬は間断なく吠え散らかしては少年の手の上を動き回る。思えば、これほどに小さな生き物であれば捕食対象となることも多く、それゆえに危険を察知する能力もきっと高いことであろう。

「なにかが、来る」

 少年の言葉に強く頷いて、ガストゥは答えた。

「ネズミだ。あいつら、麦畑の中にいる」

 少年はやはり驚いた表情一つ見せることなく、静かに頷き返しただけであった。

「そうなんだ」

「だから、ジェシーは君を助けようと、ここに戻ってきた」

「助ける? 僕を?」

 ガストゥの肩越しに、ジェシーが叫ぶ。

「そうだ、助けに来た」

「どうして? 君は僕の身内ではないし、助けてもらった代償を払うだけのお金も持っていない。ネズミが来ているというのなら、ここにいることは著しく生存確率を下げる行為だ。だというのに、なぜ?」

 ジェシーはこの言葉にひどくうろたえ、後ろへと身を引いた。

「わからない……確かに自分の生存を最優先にするならば私はここへ来るべきではない。君の身内でもないのだから保護義務もないし、君から対価を受け取るつもりもない。ならば、なぜ……私はここに来た?」

 ガストゥは振り向いて、そんな彼女の手首をつかんでやった。それは心ひけそうになっている彼女をここにつなぎとめようとする気持ちが起こした、無意識の行動だった。

「ジェシー、落ち着け」

「わかっている、私は冷静であるべきだ。だが、冷静に考えるならば、私はなぜここへ来た?」

「ジェシー、君はなにがしたくてここへ来た?」

「ジェンスをネズミの脅威から遠ざけるため……だが、理由を考えれば、私にはここへ来る義務など……」

「義務とか考えなくていい。君は何がしたい?」

「ジェンスを助けたい」

「オーケー、それが『理由』だ」

「しかし、それは論理的な理解の範疇を越えている」

「ジェシー、それが『人情』というものだ」

 ジェシーは納得がいったようで、いままで逃げるように引いていた手の力をすっと抜いた。

「なるほど、人情か。ならば私に理解できないのも当然だ」

 ガストゥは、今度は少年の方に向き直る。

「聞いた通りだ。俺たちは理屈や義務ではなく、人情というものに突き動かされてここへ来た」

「人情、わかった、僕はそれを理解できない」

「そう、だから理解されなかろうが、納得できなかろうが、俺は君をここから引きずり出して車に乗せ、ネズミのこない安全なところへ連れて行く」

「それは、決定事項?」

「そうだ、決定事項だ。もちろん君には連れて行かれることを拒む権利がある。泣いて暴れて、ここから離れたくないとわめいても構わない。それでも俺たちは君を助けるためにここから連れ出す、これが全てだ」

「なるほど、それが人情……矛盾だらけだ」

「それはそうだろう、人間ってのは頭と心が別々の考え事をするようにできている。少なくとも俺は、心の考えを抑え込めるほど頭の方が上等なわけじゃないんでね、心が考えたことを優先する、そういうことだ」

「頭と心が別々の……僕の中にも一つだけ、矛盾した考えがある。頭は今の状況をよく理解していて、全く血のつながらない、ましてや今日、会ったばかりの人間にこんなお願いをするのはおかしいと考えている。でも……」

「でも、なんだ?」

「お願いだ、僕を助けて。死ぬのは怖い」

「そうだ、それでいい」

 ガストゥは立ち上がり、少年の肩を叩いた。

「よし、行こう。そのワンコロはしっかり抱いておけ。そいつのことも死なせたくはないんだろう」

 少年は頷いて、犬を胸ポケットに押し込んだ。その時だ、プロキオンが不穏な声で長く鳴いて、棚の上に飛び乗ったのは。

 それを通訳するように叫んだジェシーの声は、さすがに隠しきれない緊迫感で震えていた。

「ネズミが来るそうだ」

「そんな、予想よりもずいぶんと早いじゃないか!」

「麦の中に身を潜めるなんてやり方を知っている時点で、あれはすでに従来のネズミではなくさらなる進化を遂げた次世代だと警戒するべきだった。そこを見誤ったのは私のミスだ」

「つまり、宇宙港にいたやつらよりも……」

「ああ、進化している。移動速度が従来のネズミよりもずいぶんと早いのはそのせいだろう」

「それでも俺たちは、何とかして車まで戻らなきゃならない。いま、この瞬間に問われるべきは『死にたいか死にたくないか』、その意志だけだ」

「私は……死にたくはない」

 少年も胸ポケットを押さえて頷いた。

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