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「最初の犠牲者は、単純に顔を焼かれて肉をついばまれていただけだ。最もそれまでもネズミっていうのは鳥小屋に入り込んで生のチキンをつまみ食いしたり、食肉工場に入り込んでさかさまに吊るしてある解体中のビーフを丸ごと食っちまうなんていたずらをする生き物だったから、このときはイタズラをする相手を間違えたか、そのおっさんがついうっかりネズミを怒らせるようなことをしたんだろうってことで話は終わったわけだ。ここまではわかるかい?」
「ああ、良く分かったよ。つまり、突発的かつ偶発的な事故として処理されたんだな」
「そのとおり、何しろネズミってやつは性質そのものが大人しくて、壁の穴だのドブの中に隠れて暮らすような生き物だったからね。ところが、つい二週間前のことだ、このメスレの集落がネズミの大群に襲われて全滅したのを皮切りに、奴らはこの星のあちこちの町を食い荒らしては滅ぼしていったのさ」
「宇宙港にいた、あのネズミたちも……」
「ああ、その時の襲撃で巣食ったものだ。だから俺たちは救援を呼びに船を出そうにも、あれだけのネズミの巣をどうすることもできずに、手をこまぬいていたってわけさ」
「その間にも無人になっているとは知らない航船が宇宙港にたどり着き、新たな被害者になっていったんだな」
「そのとおり。まあ、航船までたどり着く手立てもないわけじゃないんだが、問題はそのあとだ。ネズミってやつは細い換気口や細かいパーツの隙間なんかに潜り込むのが得意だろ。もしも船内に入り込まれていたら、宇宙航路の途中でネズミたちの弁当にされて終わりになるだろうさ」
この時、ガストゥは自分がこの男と交渉する『材料』を持っていることに気づいた。
「俺の船は完全閉鎖モードのままで留めてある」
レクスンの目がギラリと光ってガストゥを見据えた。
「本当かい?」
「ああ、本当だ。この星に降りるときに、嫌な予感があった、異常の予兆もあった。だから俺は完全閉鎖を解除せずに入港したんだ。あれならば、すべての換気口はふさがれてネズミの入り込む隙などないはずだ」
「すばらしい、グレートだよ、一目見たときからただものではないと思っていたんだ!」
レクスンは嘘くさいほどのにこやかさで両腕を大きく広げ、ガストゥに称賛の言葉を浴びせた。
「すぐに、その船を飛ばすための作戦をたてよう! こんな非常時だ、もちろん、その航船の提供をお願いしてもいいだろう?」
「ああ、ただし、俺を無事にこの星から出してくれること、これが条件だ」
「もちろんだとも、航船を動かすには飛び切り優秀なパイロットが必要だ。君をそのパイロットに抜擢するってことでどうだい?」
「もともと俺の船だから、抜擢などされる筋合いはないはずだが」
「少なくとも、乗りっぱぐれる心配のない最高のポジションだと思うがね」
「しかたない、それで手を打とう」
しぶしぶ頷いたガストゥの体に大きく両手を回して、レクスンは最高の親愛を演出しようとでもするかのように気安い抱擁をくらわせた。
「ありがとう、君はこの星の救世主だよ!」
そのまま、ジェシーには聞かれないようにガストゥの耳朶に小声を吹き込む。
「そうそう、そんな救世主くんに警告だ、そこにいる猫女を、決して信用してはいけない」
「それは、どういう意味だ」
「あの女の父親の死体を見たんだろう、だったらわかるはずだ。ここがいくら乾燥地帯だといっても、一週間やそこらであれほど枯れた骨になると思うのかい?」
「それは……」
反駁の言葉もないガストゥの体を手放して、レクスンは飛び切り愛想のいい声をあげた。
「まあ、ひとつよろしく頼むよ、パイロットくん。作戦会議の準備が整い次第、ここに迎えを寄越そう、それまではゆっくりとしているがいいさ!」
彼が高笑いの尻尾だけを残して出てゆくと、リビングは急に静かになった。二階から、少し甘えたように鳴く猫の甘い声だけが眠たく響く。
ジェシーは相変わらず表情のない顔を天井に向けて、まるで何事もなかったかのようにつぶやいた。
「そうだ、猫たちのミルクを切らしていた。買ってこなくては」
猫を従えていない時の彼女には勇敢さの気配すらない。小柄な体はガストゥの胸のあたりまでしか背丈がなくて、むしろ儚い印象さえ受ける。
レクスンの警告などそうそうに無視して、ガストゥは彼女に声をかけた。
「買い物に行くならば、ついていくぞ」
「なぜだ」
「俺は一応男だからさ。荷物持ちの役にくらいはたつと思うぞ」
「そうか、助かる」
その言葉が了承であったのだから、ガストゥは彼女について家を出た。二つの太陽は高く昇って、天頂から見下ろすように強く照りつけていた。
振り向けばジェシーの家は土を突き固めた四角い箱のような家で、壁が太陽に焼かれて白っぽくなっていることからも、この辺りは驚くほど雨が少ないのだとわかる。家の前には太い通りが横たわっているが、これは未舗装で白く乾いた土ぼこりにくすみ、ただまっすぐに地平線に向かって伸びていた。
通りは踏み固められたむき出しの土で、これもやはり太陽に焼かれて白んでおり、土ぼこりをあげている。
壮大にして牧歌的な風景――ガストゥはそう感じた。
何しろ道の向こうは遠くにかすんで見える山の裾まで続くのではないかというほどの、見渡すばかりの麦畑である。身を寄せ合ってびっしりと立つ青い麦は太陽に向かって精一杯に背伸びして、吹きゆく風にわずかに揺れる。
アスファルトで固めた大地と並び立つビルの谷間で育ったガストゥにとっては、目新しい風景であった。
「これ全部、君の家の麦かい?」
ガストゥの大げさな言葉に、女はかすかにほほ笑んだ……ように見えた。
もちろん、ジェシーに表情などないのだから、これはガストゥの主観だ。しかし彼には、彼女が麦のように伸びやかな笑顔を浮かべたように見えたのだ。
「うちの畑はそんなに広くない」
こたえる声も、どこか柔らかく感じる。
「ここから、あそこに見える柵のあたりまでがうちの畑だ。その向こうは隣のエストル家のもので……ほら、麦畑の向こうに大きな家が見えるだろう、あれがエストル家だ」
指をさされても、広大な畑の向こうは麦色にかすんで家など見定めることさえできない。それでもガストゥは、この女を傷つけまいと曖昧な返事を返した。
「これだけあれば、ビアがずいぶんと作れるだろう」
「そうだな、特にここで育てている麦はビアのために改良されたもので、クレスタの名産はホップの利いたビアだ」
「そりゃあいい、買い物のついでにどこかで一杯、引っかけて来ようじゃないか」
しかし、それに返された彼女の表情はいつも通りの無表情で。
「すまないが、酒場は閉まっている。店主がネズミに食われたんでね」
あまりに明るい光景に忘れていたが、ここはすでにネズミが人を喰らう魔境と化した星なのだ。先ほどの地下室で見た光景がガストゥの脳裏によみがえる。
「やっぱり、吊るされて……」
「ああ、私が酒場についたときにはもう、彼は吊るされて、腹に潜り込んだネズミのせいでパンパンに膨れ上がっていた。私はネズミの拡散を防ぐために酒場に火を放ち、建物ごと全てを焼き払った」
彼女は感情がないと言った。ガストゥはその言葉を確かに聞いた。
ならばなぜ、彼女の拳は親指を中に隠して硬く握られているのだろう。小さな肩は、なぜ震えているのだろう……
「私が酒場の主人を焼いた」
言葉尻は乱暴に、まるで吐き捨てるような口調であった。
ガストゥはそんなジェシーが哀れになって、小さな肩を強く叩いてやる。
「とりあえず、買い物に行くんだろ。ビアはそこでパック入りのを買えばいいさ、気にするな」
「そうだな、良く冷えたやつを、私がおごってやろう」
聞きたいことはいろいろとある。そもそもがネズミの生態があまりに謎すぎるではないか。
地球のネズミならばこれだけ広大な麦畑があれば落穂を狙って畑の中にも隠れ住むだろうに、ジェシーはここではネズミに対する警戒など一切していない。麦穂もどこひとつ啄まれた痕なく、まるで作り物のように青々と茂っている。
――ここのネズミは麦を食べない?
件のネズミが完全肉食性だとすれば不思議はないが、ならばなぜ、わざわざ狩りをしなくてはならない生き物を餌に選んだのかという謎が残る。
ガストゥはデニスとは違い、生物に関しては全くのど素人なのだから、ネズミの情報を知るには生物学を学んでいたというジェシーだけが頼りだ。