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男の方はそれっきりジェシーになど興味を失くしたようで、ガストゥにキラキラした好奇の目を向けてきた。
「あんた、所属は?」
「地球の、アスニア・カンパニーの星間輸送部に籍を置いている。ガストゥ=メリアドだ」
ガストゥは最高の礼儀をもって右手を差し出したのだが、男の方は握手さえ返さずに不服そうに鼻を鳴らして頭を掻きむしった。
「よりによって配達夫かよ! せめて星間パトロールなら、まだ希望があったってのによ!」
そのあとで男は顔を上げ、ジェシーに言葉を投げた。
「無駄骨だったな、ごくろうさんだぜ」
ガストゥはこれに憤慨する。
「彼女とどれだけ親しいか知らないが、レディに向かってそのくちききはないだろう」
「レディなんて上等なもんかよ、感情がないんだから、ただの生き人形じゃねえか」
「おい!」
掴みかかろうとするガストゥに、男は両掌を軽くかざして降参のポーズをとった。その態度も少し不真面目な気はしたが、ここで争っても意味のないことだと考えたガストゥはこぶしをおさめ、もう一度だけ右手を差し出す。
「俺はガストゥ=メリアド。あんたは?」
に度目の自己紹介は、どうやら茶化されずに済んだ。男も右手を差し出し、ガストゥと軽く握手を交わす。
「レクスン=シーラーだ。今、このクレスタ集落で一番偉いのは俺だからな、名前ではなく『サー』と呼んでくれて構わない」
嫌な自己紹介だ。
ガストゥは不快感を露わにしないように気を使いながら、慎重に握手をほどこうとする。ところが男の方は逃げようとするガストゥの手をぐっと強く握り、顔を大きく前に突き出して笑う。
「そういえばあんたから礼を言われてないな」
「何の礼だ?」
「昨日、宇宙港にジェシーが迎えに行っただろう、あれは、俺が命じたからだ」
彼はやっとガストゥの手を放し、大げさに両手を広げて見せた。
「つまり、君の命の恩人は俺ってわけさぁ!」
ガストゥはジェシーにそっと耳打ちする。
「なるほど、確かにネズミの方が幾分マシだ」
それでもジェシーは眉根を少し下げたままだった。ガストゥの勘違いでなければそれは、『心配している顔』というやつだろう。
「お礼は言っておいた方がいい。ここで一番偉いのはレクスン、それは事実だ」
男は嬉しそうに声を立てて笑う。
「そうそう、よくわかってるじゃないか、ジェシー! 父親が死んで、ずいぶんといい子になったもんだ」
ジェシーがガストゥから顔をそむけたのは、もしかして表情を読ませまいとしたのだろうか。無表情である彼女にとって、それは無意味な行動だとも思えるのだが。
ガストゥはジェシーの真意を測り損ねて、ただ無意味に突っ立っていた。
男の方はソファの上に土足のままでよじ登り、そこが舞台であるかのように芝居がかったしぐさと声音でガストゥに語り掛ける。
「さあ、言いたまえ、この私への感謝の言葉を!」
ガストゥは恭しく膝をついて胸に手を当てる。
「感謝しております、『サー』」
たっぷりと皮肉を込めたつもりだったが、この厚顔無恥な男には通じなかった。
「そう、いいねえ、君は実に礼儀を心得てる」
「そりゃどうも」
「君をこのクレスタ集落の一員として迎えるよ。ようこそ、ガストゥ=メリアド」
いちいちの言動が癇に障る男だが、今は貴重な情報源でもある。ガストゥは彼が期限など損ねないようにと、作り笑いを浮かべて顔をあげた。
「サー、集落といったが、人は何人くらいいるんだい?」
「今は五十人ってところかな、何しろネズミに食われちまったやつが多くって、元の三分の一になっちまったけれどな」
「ネズミに食われた……」
「ああ、心配しなくていい。ジェシーの猫たちが、あらかたのネズミを食っちまったんで、この集落でのネズミの襲撃は小康状態だ」
「ネズミの襲撃? つまりはネズミが群れを成してここへ押し寄せたということか。一体、あのネズミというのは、どんな生物なんだ」
「それはな……」
彼は何かを説明しようとしたようだが上手い言葉が思いつかないらしい。偉そうに胸を張ってジェシーを指さした。
「そういう生物関係の解説は、その女に聞くといい。その女の父親はこの星の生物学の権威で、その女も生物学の道を志す学生だった」
「だった? 今は?」
「休学中だろ。何しろネスニア星立大学はここよりも北、ターレスの町にある。あそこはすでにネズミのせいで全滅しちまって、人っ子一人いないんだから、大学だって休校しているのさ」
不安な予感にガストゥは慄いた。
「つまり、この星は……」
「ああ、ほぼ全滅ってやつだ。優秀な猫のいた集落や街には、それでも生き残りがいるけどな、そら、あんたが宇宙港で見たような、人がみんなネズミにつかまっちまった光景、あんなのばっかりさ」
そのあとでレクスンは、慌てたように付け加えた。
「いや、ここはネスニアでも数少ないネズミの駆除に成功したポイントだ、巣にされて死んだ人間はきちんと引き下ろして、供養してやったけどな。すべて俺の命令で」
「じゃあなぜ、ここの地下室には彼女の父親の死体がぶら下がっている?」
「みたのか、あれを!」
「見た。彼女一人であれを下ろして弔うのは、確かに重労働だろう。なぜ、誰も手伝ってやらない?」
「いや、手伝ってやらないってわけじゃないんだ……」
これも答えにくい質問であったらしく、レクスンは長い間無言であった。いくら待っても答えはもらえそうにないと踏んで、ガストゥは質問を変える。
「宇宙港に俺を助けに来たのはジェシーだけだったが、あれは君の命令だといったな」
この質問は簡単だったようで、答えはすぐに返された。
「そうだ」
「女である彼女を、しかも一人で寄越したのはなぜだ? ここには戦える男はいないのか?」
「腕っぷしが強いだけの男なら、何人もいるさ。だがな、ネズミと戦うのに必要なのは腕っぷしなんかじゃない。それはあんたも見ただろう」
「ああ、確かに……」
宇宙港でネズミを喰らうために駆け付けた黒猫の姿が目に浮かぶ。確かに人間ではあれほど早く、しかも精緻な動きで小さなネズミ一匹を捕らえることは無理だろう。そもそもが体の表面から人肉を溶かす体液を垂らす相手など、人の手では触れることすらできないではないか。
階上から、退屈そうな猫の一声が「にゃーお」と聞こえた。
「この星の猫は、みんなああなのかい、地球の猫よりもずいぶんと大きくて、おまけに、ネズミを食うときなんかは、その……」
「ああ、顔が触手になるあれか、それについては……おい、ジェシー、説明してやれよ」
レクスンの声に応えて、ジェシーが一歩進み出た。
「この星の猫は、父が地球から連れてきたつがいをもとに作出された品種だ。愛玩用ではなく、ネズミ駆逐の能力に特化して選別された優秀な猟猫だ」
「それにしたって、あまりにも地球の猫と違いすぎないか」
「環境と、それに太陽線の影響だ。この星の太陽は地球の年老いた太陽と違って若い。特殊な太陽線が含まれていて、それが遺伝子に微細な変化をもたらし、進化を促進する」
「つまり、あれは猫から進化した生き物ということか」
「そうだ。そもそもこの星ではネズミ自体が進化を繰り返し、現在の形へと至った。それを狩る獣である猫もいまだ進化の途中であり、この星は現在、猫とネズミが進化による生存競争を繰り広げている最中だということだ」
「待ってくれ、人間は? 人間はその進化の競争に参加していないのか?」
「生殖のスパンを考えてもみろ、われわれ人間は次の世代の子をなすまでに二十年という歳月を要する。ところが猫は一年のうちに子を二回産み、その子供も次の生殖シーズンには交配に使うことができる。つまりは人間の交配ワンサイクルと同じ期間で40サイクルの交配が可能だということだ。おまけに猫は一度に多数の子を産み、遺伝子進化の多様性を一度の出産で出現させることが可能だ。これが猫よりも妊娠期間も、成熟も早く、仔数も多いネズミであれば、さらに進化速度は速い」
「ほかの生き物は? この星には猫とネズミしかいないというわけじゃないだろう、そいつらは進化しなかったのか?」
「この星にもともとの生物というものはいなかった。植物しかない星だったのだから、ここに持ち込まれた生き物は人間が自分の生活のために持ち込んだ畜獣か、もしくは輸送中の荷物に紛れ込んだ少しばかりの害獣だ。このうちのニワトリなどは早い段階からネズミたちの良いタンパク質源として食われる側であったのだし、ネズミがこれほど強くなってしまった今となっては、牛や馬さえもネズミに捕食される第二次消費生物でしかない。この星の高次消費生物……つまり食物連鎖の頂点は猫とネズミしかいないのだ」
「なるほど、良く分かったよ。で、いつからなんだ、ネズミが人を食うようになったのは」
「最初の犠牲者が出たのは一年前、3028年4月5日、メスレという小さな集落の畜産業を営む老人だった。最もこの時はまだ、ネズミに営巣するという性質は見られず……」
「おっと、あとは俺が説明しよう」
レクスンがジェシーの言葉を押しとどめてソファから飛び降りる。それから実に気障ったらしく腕を組んで、彼は部屋の中をうろうろと歩き始めた。