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進化の終焉を猫は嗤う  作者: アザとー
プロローグ
1/48

ネスニア星へ

 地球を照らす太陽にも寿命がある。寿命を迎えた太陽は多くの恒星の最後がそうであるように急激な重力の崩壊を起こし、ブラックホールとなって地球を飲み込んでしまうだろうと――これはかなり昔から言われ続けていたことではあるし、宇宙の真理でもある。

 人類はこの滅亡の因果から逃れようと宇宙の開拓に乗り出した、それがおよそ三百年前のこと。しかし宇宙とは那由他に広がるものであり、銀河をまたいでの航行には光の速さをもってしても数千年の年月を要する、その問題だけが宇宙開発の最大の課題でもあった。

 この課題に解を与えたのは地球の最高学府であるベーヘン大学工学部の一学生であったメルアス=レスだ。彼は概念的な存在であると信じられていた『時間』の重量を計測することに成功した。すなわち不可逆で不可侵であった時空という領域さえも踏み犯して、人類は物質的なコントロールを時間に付加する技術を手に入れたのである。それによって宇宙航行技術には革新が起こり、時間と同じ速さでの航行を可能にするメレアス式エンジンが開発された。これによって人類はいままで到達不可能であった別銀河の惑星にまで移住することを可能としたのである。

 今では人類は生息に適した惑星を別銀河でいくつも見つけ、移住のための支度金の整ったものから順次、別惑星へと移ってゆく。だから地球に残っているのは宇宙に引っ越す金もない貧乏人か、もしくは宗教上の信念をもって地球上にとどまった《太陽教》の信者であるかのどちらかだ。

 星間運送会社アスニア・カンパニー所属の末等航行士、ガストゥ=メリアドは前者であった。両親は貧困にあえぐスラムの住人で、本人も努力の末に地球有数の大企業に就職を果たしたが所詮は末端社員であり、裕福な暮らしをしているわけではない。それでも彼は少ない稼ぎの大部分を貯金に回し、いずれは地球から銀河ひとつ隔てたユクシエル星で農業でもしながらのんびり暮らしたいと、そんな老後の夢を描いていた。

 そんな彼だから今回の仕事に志願した理由も、単に報酬が破格だったからである。

 それはアスニア・カンパニーに依頼された仕事のうちでも、最も簡単な仕事であった。地球からは空の船で航行、現地についたら《ブリーダー》と呼ばれる人物に接触して『猫』を引き取る、それを載せて地球まで帰ってくるというだけの単純な移送。これで報酬は二万ゲリスだというのだから、これを引き受けぬわけがない。

 普段はどんなに節制していても、ガストゥだってほしいものの一つくらいある。二万ゲリスといえば通勤の途中に通りかかる楽器屋のショウ・ウィンドウに飾られている真っ赤なエレキギター、あれを一括払いで買っても今月の貯金に潤いをもたらすほどのおつりがくる金額だ。ガストゥは二つ返事でこの航行を引き受けた。

 ただし、この航行には二万ゲリスに見合うだけのデメリットもある。

 その一つが期間的な問題。目的地であるネスニア星は近年になって開発が始まった新規惑星であり、地球からは時間の速さで飛んでも一か月はかかるという、長期フライトなのだ。幸いにもガストゥは独り身であり、一か月程度家を空けたからといって寂しがってくれる相手がいるわけでもない。何よりもフライト中の食事は会社規定によって支給されるのだし、光熱費の一切もかからないというのであれば、これはむしろガストゥにとっては好条件であった。

 もう一つの理由、こちらの方がガストゥにとっては厄介だ。今回は積み荷が生体であるという特殊条件から、メイン航行士の男は生物の扱いに長けたデニス=レックストンがあらかじめ選ばれていた。このにぎやかしい男と、宇宙の静寂さえ入り込まぬように密閉された宇宙船の中で一か月を過ごす、これは静かな時間を好むガストゥにとっては苦行であった。

 別にデニスという男に特別な害意を抱いているとか、ガストゥが極めて内向的な性格だということではない。例えば航行明けの休日、場末のにぎやかなバーで一杯を楽しもうというのなら、デニス以上の相棒はいないだろう。何しろ彼は朗らかな性格で、いつも笑顔でいるようなおおらかな男であるのだから、酒席を盛り上げること間違いない。ただ、例えば眠りの前の静かな読書の時間などにこの男が傍にいるのは苦痛であると、それだけのことである。

 全ては二万ゲリスという報酬の前ではとるに足らない些事である。ガストゥはこの仕事を二つ返事で引き受け、この《デクスト号》に乗り込んだ。目的であるネスニア星までは残り二日ほどもあればたどり着く。デニスの無駄に冗長なおしゃべりに付き合うコツも心得てきたと、そんな頃合いの頃だった。

「ん?」

 ガストゥはデータ・モニターを覗き込んで首をかしげる。

 この二日ほど、地球からの連絡が途絶えているのだ。社内のメールボックスにあてて書いたメールも未開封のマークがついたままである。

「故障か?」

 アスニア・カンパニー所属の船に限って、それはあまりないことではあるが。

 何しろ地球有数の大企業であるアスニア・カンパニーは、航船の整備に金を惜しまない。デクスト号も型は古いがボロなわけではなく、外装はつい最近塗り替えられたばかりであり、宇宙波を防ぐための銀色の塗料が目を焼くほどピカピカと光っている。エンジンも、光子ブレーキも、ギアも、すべてがきちんと整備されていて不調なところはどこにもない。それは通信機器に関してもしかり。

 ガストゥはデニスにも意見を聞こうと立ち上がった。この時間ならば彼は娯楽室にいるはずである。

 さすがの整備も船内の内装にまでは至らず、デクスト号の廊下はむき出しの鉄材が少しくすんだホコリ色をまとって鈍く光っている。歩いているうちに自分までホコリ色に染まるような気がして、ガストゥは軽く肩をすくめた。

「まったく、ボロ船が」

 一度だけ――研修時代に一度だけ最新式のメルカトリス号に乗ったことがあるが、あの船は廊下までもがピカピカに光っていた。船内の設備もデクスト号よりも充実して、快適だったが……。

 ため息をつきながら、ガストゥは娯楽室の扉を開いた。ここも古い航船にはありがちな、実にそっけない機関である。

 乗員たちが気楽に集まれるようにとスナック菓子の自動生成器とジュースサーバー――こうした船内の飲食は栄養分を粉末にしたものを練り上げて生成した合成食だ。特に古いデクスト号のスナック生成器はろくにアップロードもされておらず、数種類のチップスとホットドッグしか作れない。これが部屋の隅に小さく置かれている。入り口正面の壁一面はヴィデオ・プロジェクター用のスクリーンになっており、ちょうどアニメ映画が映し出されているところだった。

 前世期から何度もリメイクされ続けてきた猫とネズミが追いかけっこをするコメディ・アニメだ。毎回のようにネズミが絞り出す機転と、これに馬鹿みたいに引っかかる猫のおかしさを楽しむ簡単な娯楽作品だが、ストーリーというものがほとんどなく、大人であるガストゥには、これが面白いとは思えなかった。

 それでも航行の相方であるデニスはこれが好きで、ヒマさえあればここに来て画面をぼんやり眺めて一日を過ごす。その手の中にはなにがしかのスナックと、コーラを満たしたカップがいつも握られているのだから、ガストゥは彼の体調を少しばかり心配もしていた。

 だから、少し厳しい口調でスクリーンの前に置かれた大きなソファの中に声をかける。

「おい、デニス、いい加減にしろ」

 ソファのスプリングをきしませて身を起こした小太りの男は、何を怒られたのかわからないといった様子で唇を尖らせた。

「いいじゃないか、今の僕は勤務時間外、自由時間だ。だからこうして自由を満喫する権利がある、違うかい?」

「そうか、スナックを食って太る自由を満喫しているってわけだな」

 この嫌味に、デニスは申し訳なさそうに少しだけ首をすくめる。

「見た目は確かにスナックだけど、これは完全食だ、そんなには太らないさ」

「そうは思わないな。みろよ、その腹を、地球を出たときよりも明らかに膨れて、妊婦みたいじゃないか。少しは運動した方がいい」

「そんなこと言ったって、ここの運動器具といえばルームランナーくらいじゃないか。やだよ、あんな何の楽しみもない、ただ運動するための運動なんて」

 確かにデクスト号に備えられたトレーニングルームは、旧式の運動機器ばかりで面白みに欠ける。だからデニスがこれに不満を持つのも当たり前なのだ。

「知ってるか、こないだクリセル航路に配備されたフピルス号、あそこのトレーニングルームには地球とリアルタイムでつなげたバーチャルスクリーンがあって、歩く速度に連動して風景を映し出してくれるんだってさ。つまり、宇宙船の中にいながら地球の好きな場所を散歩できる、そういうのだったら、いくらでも運動するさ」

「それでも、航行中の心身の健康を守るための最低限の運動は、社則にもある義務だ。地球に戻るまでにその膨れた体をどうにかしないと、社則違反で厳重注意だろうな」

「わかったよ、明日から頑張るよ」

「それは一生始めない奴の常套句だな」

「そんなことない、太陽に誓って!」

 デニスが胸元に手を当てた。その服の下には、太陽教の信者であることを示す《陽光のペンダント》がかけられているはずだ。そう、デニスは太陽教の信者であり、地球を離れるなどということは考えもしない、重力に縛られた愚かな人間なのだ。

「太陽に誓って、ねえ……ここから何万光年も離れたお天道さんが、その誓いの言葉を聞くっていうのか?」

「太陽は万能だからね、きっと聞いてくれているさ」

「万能か、そいつはすごいな」

 もともとが太陽教というのは、前世期の古臭い科学理論を基礎にして作られた宗教である。いわく太陽は地球のすべての生物にとって絶対不可欠なものであり、太古から生命の進化と滅亡をつかさどってきた万能の存在なのだと。

「その万能の太陽に、腹をへこませてくれって願った方が早いんじゃないのか?」

「だめだよ、太陽の万能というのはそういう便利屋みたいなもんじゃないんだから」

「じゃあ、せいぜい運動することだな」

 ガストゥはヴィデオ・プロジェクターのリモコンを拾い上げた。

「しかし、この漫画、本当に好きだよな」

 ふと手を止めれば、ちょうどネズミの策にはめられた猫が大きなトレーラーに引きつぶされて、紙みたいにぺらぺらになった体を風にさらわれてゆくところだった。

「まったく、毎回同じような追いかけっこばかりで、良く飽きないよな」

「毎回同じような追いかけっこだから、安心してみていられるんじゃないか」

「そうか?」

「そうだよ。それは太陽のめぐりと同じ、毎朝同じように東の空に登って、毎日同じように西の空に沈む、それの繰り返しを気の遠くなるほど昔から、変わることなく続けている、これ以上の安心があると思うのかい?」

「なるほどな。ところがあと三百年もしたら、その太陽は東から上ることなく真っ黒い宇宙の穴となって地球を吸い込んじまう」

「三百年なんて、僕らが死んだずっとあとじゃないか」

「さてね、三百年ももつかどうか。何しろ宇宙の数字っていうのは『天文学的』という形容があるほど馬鹿でかいんだ、三百年なんてほんの一瞬の誤差のうちだろ。もしかしたら明日にもその太陽が消えちまう、そういうこともあるかもしれない」

「それならそれで、大人しくその運命を受け入れるさ。太陽教の教義の一説にこういうのがあってね、『どんなにあがこうが、太陽のもとで育った生命は最後には太陽のもとを目指すであろう。これは人間とて例外ではなく本能であり、真理である』、つまりね、もしも太陽が消えたなら、その庇護のもとに進化してきた僕らも一緒に消えるのは道理なんだよ」

「ち、その言葉は聞き飽きたよ」

 太陽教はこの教義ゆえに航船乗りの信者が多い。つまり何万光年離れても最後には地球に帰ってくるのだと、宇宙という無頼の海に漕ぎだす航船乗りの帰還を守ると信じられているのだ。それゆえにアスニア・カンパニーの休憩室でこうした太陽教の話を聞かされる機会も多く、ガストゥとて一通りの教義は聞き及んでいる。

 それでも彼は、この太陽教を信じる気にはなれなかった。

 ――これから滅びようとしている星を信じて、地球にしがみつくなんてばかばかしい。

 星は単なる巨大な岩の塊でしかなく、何かを守ったりはしない。ましてや生命の進化を『見守る』なんて慈悲深い心を持ち合わせているわけがないのである。

 もちろん、星の滅亡を見越して宇宙に漕ぎだした人類を引き留めようとしたり、恨んだりする心だって持ち合わせているわけがない。人類の他星への移住は単なる住環境の選択であり、太陽ごときに左右されるようなものではないのだ。

 いまだ地球にとどまる太陽教信者たちが自らの信じた星の終焉に巻き込まれて死のうが、それは彼ら自身の選択であり、ガストゥには関係などないこと。単に彼自身の信条として、たかが星ごときに自らの存亡をゆだねて静かに滅びを待つというライフスタイルが気に食わないというだけの話だ。

 だからガストゥは、短く鼻を鳴らしてこの話を打ち切った。

「太陽の滅亡なんて壮大な話はもうけっこう。それより、さしあたって目の前で起きている小さなトラブルの方が大事なんでね」

「トラブル? 隕石群にでも突っ込んだかい?」

「いいや、航路は安全そのもの、この三日以内、予測進路にすら隕石群なんてありはしない。ちょっとした通信機器のトラブルだ」

 デニスがのっそりとソファから立ち上がった。

「どれ、じゃあ僕が見てみよう」

 デニスはガストゥよりも数年先輩であり、航行回数でいえばガストゥの倍は経験を積んだベテランだ。通信機器の扱いにも一通りの知識があり、メイン航行士でもあるのだから、このトラブルに関しては彼に全てを一任するのがよかろうとガストゥは考えた。

「オーケー、デニス、経緯を報告する」

 ガストゥはヴィデオ・プロジェクターを消す。娯楽室には緊張を含んだ静寂が広がった。

 その静寂を破るかのように、ガストゥがはっきりとした声を出す。

「最初の不調は二日前、地球からの定期通信が途絶えた」

 これは航行の状況を把握するための日時業務で、例えば「ハロー」の一文のみでもいいから、地球から航行中の船すべてに向けて送信されるものである。航行士はこのメールへの返信として航海日誌を送信することになっているが、完全に運転制御された航船の中でそうそうに書き留めるようなことなど起きるはずもなく、たいがいは「異常なし」と短く返すのみにとどまる。

 それでも寄る辺すらない広い宇宙の中でお互いにここに存在しているのだと、それを知らせあう大切な業務でもあるのだから、これが途絶えたというのは尋常ではないことなのだ。

「知っての通り、時間式エンジンによる航行の誤差というものがある、おりしも地球ではバカンスシーズンだ、そうしたことも考慮に入れて、俺はこちらから航海日誌を送るという例外的行動に出た。この航海日誌の開封は、今日になっても確認されていない」

「確認されていない? 未開封って事かい?」

「そうだ。開封(オープン)マークがつかない状態だ」

「ふうん、まあ、流星群による通信磁気の乱れとか、そういうもんだと思うけどね」

「そうだといいんだがな」

「心配しすぎだよ、ガストゥは。まあ、繊細だともいえるがね」

 デニスは朗らかな声をあげて、のそのそと歩き出した。

「まあ、一通り見てはみるけどね、なあに、明後日になればネスニアにつくんだし、本格的な修理が必要ならばそれからにすればいいさ」

「しかし、四日も音信不通というわけにはいかない」

「そんなの、誤差の範囲だよ、宇宙では天文学的だから、四日ぐらいの誤差もありなんだろ?」

「いや、さっきのはたとえ話であって……」

「心配するなって、ガストゥ、地球じゃ今頃、まさにバカンスシーズン真っ盛りだ。きっと休暇申請が多くて手が足りていないんだろうさ」

 デニスはあくまでも笑顔を崩さず、ガストゥの肩を叩いた。

「君こそ、地球に帰りつく前にその眉間のしわを何とかした方がいいな。それでなくても女っ気がないのに、ますます縁遠くなるぞ」

「そんなにしわ寄ってるか?」

「ジョークだよ、さっきのお返しさ」

 こういうときだけは……デニスの冗長も心地よい。さっきまで部屋に張り詰めていた緊張が幾分ほどけたような気がする。

「まあ、任せておけって」

 スナックの油にまみれた手を、デニスはズボンの尻で拭った。そんな間抜けな姿すら、ガストゥの緊張を和らげるための策なのだろう。

 太った後姿が揺れながら娯楽室から出ていくのを、ガストゥはひどく頼もしい気持ちで見送ったのだった。


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