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霜降

「ここ、やばい奴がいる」



朝の快晴っぷりはどこへやら、いつの間にか厚く垂れこめていた雲から、大粒のしずくが落ちてきた。ぽと、とそれは結城くんの手に垂れ、彼が掴む私の腕も濡らした。



「やばいやつ?」

「あぁ、そしてここはすでにやつの領域だ」




―――チャコ!


心の中で叫ぶと、一瞬ののち毛まみれの相棒がポンと音を立てて登場した。

最近知ったのだが、チャコとは遠くにいても、簡単な事なら意思疎通ができるらしい

。狛犬のチャコは、部長がいる彼の世と我の世を自由に行き来できて、彼の世を媒介に我の世の好きな場所に一瞬で移動ができるそうなのだ。


「おいおいなんだいきなり。やばいところに呼び出しやがって」


口の周りについた米粒をなめて取りながら、チャコがもごもご言った。何してたの、と聞くとママさんと休憩所で、学生におにぎりとバナナとスポーツドリンクを配る手伝いをしてたんだ。とチャコは胸を張った。うーん、これ多分チャコはおにぎりを消費するお手伝いしかしてないだろうな。


「やっぱり、お前にもやばいってわかるか?」

「お、結城もいるのか。ならまだ安心だな…こいつはちかこ一人じゃ手に負えんぞ。多分ここの元・土地神かなにかだろう」


いつのまにかチャコが炎をまとった獅子に姿を変えている。


「これ、もっとけ」


チャコが口で咥えた短刀を私に渡してきた。

受け取った短刀は冷たくて、なぜかいつもより、ずっしりと重かった。





雨は激しさを増して、景色を灰色に塗りつぶした。

私たち三人はもはや道のない森の中を草木をかき分けながら進んだ。屍神の気配を追って、結城くんが先導してくれている。少し前を行く結城くんの後ろ、私とチャコは横に並んで、無言で歩いた。秋の雨は容赦なく体温を奪う。燃えているように見えるチャコの体毛は雨にぬれても全くしょげる様子はなかったが、近づいても別に炎のようにあったかいということはなかった。


「チャコ。結城くんが言うやばい奴って、屍神のこと?」

「おう」

「土地神が“死んで”、屍神になってるってこと?」

「…おう」


二回目の応は、一回目より少し歯切れが悪かった。


――『古河は神殺しの罪を』


だめだ。お面の少年の声が頭に鳴り響いて消えない。こんな気持ちで屍神に相対して、葬れる気がしない。

私は立ち止まって、チャコに向かって重い口を開いた。


「屍神って本当に死んでいるの?私がやっていることって、本当に“死んでなお我の世から離れられないでいる神を葬ること”なの?」


チャコも、立ち止まった。ゆっくり、牙が目立つその口を開く。


「…屍神はそもそも、人の世で作られた神だ。人々の願いや敬う心、時には妬みや畏れが神を生み出す。人ありきで存在し、それがなくなれば神としての存在意義を失う。だが、いったん存在してしまった超自然的な存在は、意義がなくなっても勝手には消えられない。もう存在する理由もないのに澱のようにこの世に滞留して他にどうしようもなくなるんだ。…そして、自身の存在を、その意味を示そうと、もう人には迷惑でしかない怪異を起こす。だから俺たちは屍神を葬送しなきゃならないんだ」


チャコの言っていることは答えになっていない。


「要するに屍神は、信仰の無くなった神ってことだよね。死んでいる、というのは違うんじゃない」

「それは、捉え方の問題だ。俺は、神は信仰をなくした時点で死んだと解釈している」

「……そんなの詭弁だよ。だって、事実として屍神は古河が葬るまで消滅しないでしょう?…それって、私が殺すまで、生きてるってことじゃないの!!??」


どうして言われるまで考えもしなかったのだろう。短刀で刺すという行為はまんま“殺し”――その行為そのものじゃないか。


チャコは黙っていた。


私の大声に、何事かと先を行っていた結城くんが立ち止まってこちらを見た。



…結城くんが向かう場所には屍神がいる。そこにたどり着いたら、私はそれを、殺さなくてはならない。私たちがこの閉じられた領域から脱出来るためにも、屍神の怪異から他の人を守るためにも、そして多分、屍神そのもののためにも。


―――本当?屍神は本当に消してくれ、殺してくれなんて思ってる?


死にたくないから、また力を得たいから、古河の神力を狙って私を襲うんじゃなかった?そうだ、それを言ったのはチャコだった。




雨がざあざあ降って、寒い。

色々と耐え切れなくなって、私はその場から逃げ出すように駆けだした。



「古河!?」


何があったのか、ぱっと踵を返して、古河が森の奥に走り去ってしまった。さすが陸上部短距離走のエース、あっという間に森の奥に見えなくなってしまった。


「何があったんだ」


草をかき分けて、狛犬のところに戻る。狛犬は古河を追いかけようともせず、古河が消えたほうを見たまま険しい顔をしていた。

と、おもったら、突然前触れもなく狛犬はぽんっと音を立てて、もとの茶色い小型犬の姿に戻ってしまった。


「え?なんで戻るんだ?」


まだ屍神を処理してない。危機はまだ去っていないはずだ。


「戻りたくて戻ったわけじゃねぇ。ちかこが傍にいないと、俺はあの姿ではいれないんだ。ちかこの神力を受けて変化してるからな」


なるほど、結城と同じ仕組みなのか。

結城も狛犬も、そう考えるとひどく不完全な存在だ。


「…神も、最初に葬者の役目を古河に、守護職の任を結城に与えた時、もっとバランスよく神力を与えてくれればよかったんだ。俺に少しでも自前の神力があれば、古河に危険が及ぶ前に全部俺だけで葬ってやれるのに」

「咎を負う者は極力少ない方がいいと考えたんだろう」


咎?何のことだ?

俺が何か言う前に、狛犬は言葉を継いだ。


「結城が古河とは別に武力に秀でたものとして存在しているのは、古河が屍神に近づくことで、その垂れ流している神力を吸収した屍神が強大化するからだ。俺や結城は、古河の神力を吸って強大化した屍神の、本来のものではない神力を削り取って、古河が止めを刺せるように道を開くのが本来の役目だ。だから、俺たちに余計な神力は必要ない。必要なのは、むしろどんなものよりも強く古河の神力を吸い寄せるその性質だ」


そういうことだったのか。なんとなく感じていた違和感が、ようやく腑に落ちた。でもそれを聞いて前からの疑問はさらに強まった。


「古河が神力を垂れ流すのは、彼女の安全保障上かなり危険だよな。それに吸い寄せられて屍神が襲ってくるのだし。というか、これではまるで、彼女自身が屍神をしとめるための餌のようじゃないか」

「…よくできてるよな」


狛犬は諦めたような静かな声で、そういった。



その時、屍神の気配が一瞬消えたのを感じた。代わりに、今まで屍神がいると感じていた方角の反対方向、古河の去っていった方向に、強い気配が出現している。


「まずい!移動したぞ」


狛犬と悠長に話している場合じゃない。俺はわき目も降らず、気配を追ってちかこの元へと急いだ。


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