大暑
まさ兄の運転で、私たちは家路についた。
「飲み会はいいの?」
「いいのいいの、行ってもどうせ酒のめねーし」
当然のように助手席に乗り込んだチャコのせいで、私は後部座席に結城くんと二人、並んで座っていた。
地方都市の夜道は空いていて、窓の外を夜景がびゅんびゅん過ぎ去っていく。
「結城家はこっちだったよな」
まさ兄が前を見たまま結城くんに話しかけた。
「はい。…でも何で知ってるんですか?」
「俺も小さいころ道場通ってってさ。お前のじいちゃんマジ怖かったんだけど、今もご健在?」
「あ、そうなんですか。祖父は今も元気に師範を務めてますよ。この一年は祖母と一緒に世界一周旅行に出かけていますけど」
たわいのない会話が車内で繰り返された。ほぼ初対面の結城くんと気軽に会話ができるのは、さすがまさ兄だ。
そんなまさ兄が、いきなり「あっ」と言った。
「今日、流星群が見れる日じゃん!…結城弟、お前がこれ以上遅くなったらご家族は心配するか?」
「え?いや、連絡入れれば大丈夫だと思いますけど…夕飯も食べましたし」
私と結城くんは、自習室で待機している間にそれぞれがコンビニで買ってきた菓子パンでお腹を膨らませていた。
「じゃぁ、ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いい?」
まさ兄が車を止めたのは、近所を流れる河のちょっと上流、よくバーベキューなどに使われる広い河川敷だった。
そこまで街から離れたわけじゃないのに、街灯がぐっと減って、星がよく見えた。遠くにかかる橋の照明だろうか、ぽつんぽつんと等間隔に光るものが地面近くに浮いているのが唯一の人工的な光だった。
「すごーい、暗いねー!」
「地上が明るいと、星って見えにくくなっちゃうんだよな。ま、この県は東京に比べれば街でもよく見えるけど」
まさ兄の言う通り、街灯がない分夜空にはいつもよりずっと多くの星が輝いていた。天の川がよくわかる。
「あ、あれ夏の大三角形!知ってる!」
私が河原の石に足を取られながらよたよたはしゃいでいると、まさ兄が遠くのほうからおーい、と呼んだ。
「こっちのほうが見やすいぞ」
土手で寝そべって、まさ兄が言った。確かに土手なら、河原と違って土だし、草に覆われているし、座る場所としてはずっといい。そろそろ上を見上げすぎて首が痛くなっていた私はぴょんぴょん跳ねてまさ兄の隣へスライディングした。
しばらくするとチャコと結城くんもやってきて、チャコは私のすぐ隣、結城くんはちょっと離れた場所に座った。
まさ兄が途中で寄ったコンビニの袋をがさごそやって、中からアイスを三本、取り出した。
「はい、お二人とも、今日はお疲れさん」
「あ、やった!まさ兄のおごり?」
「すいません、ありがとうございます…」
蒸し暑い夏の夜に、冷たい氷菓はぴったしだ。私は夢中でそのソーダ味のアイスにかぶりついた。
「俺のは!?」
「チャコにはこれな」
まさ兄は袋からビーフジャーキーを取り出すと、包装を破ってあげてからチャコに渡した。
「分かってるじゃねぇか~」
まんざらでもない様子でチャコがビーフジャーキーに噛みついた。くちゃくちゃ食べるその姿は愛玩犬からはほど遠い。近づいたら加齢臭がしてきそうだ。
「あとこれも。アイス食べるとのど乾くだろ?」
「さすがまさ兄、気が利くねぇ~」
まさ兄が差し出したペットボトルのお茶を二本受けとって、一つを結城くんへ手渡した。結城くんがちょっとまさ兄に会釈してそれを受け取った。
「あれ?なんかついてる」
暗くて気づかなかったが、私の手元に残ったペットボトルにだけ、何かおまけがついてるようだった。キャップにくっついた袋を開けて、中身を取り出すと、それは奇妙な顔した猫のキャラクターのキーホルダーだった。
「あ、それ、にゃんぞうさぶろう」
結城くんが、思わず、いった様子で言葉を発した。
ニャンゾウサブロウ?これまた奇っ怪な名前のキャラクターだなぁ。
「知ってるの?もしかして好きだったりする?じゃ、あげるよ!」
おまけは私のペットボトルにしかついていないようだった。私は全然知らないキャラクターだし、ニャンゾウサブロウもほしい人の手元にあるほうが嬉しいだろう。
「………別に好きじゃないけど…お前がいらないなら、もったいないし貰っとく」
結城くんがぶっきらぼうに言った。欲しいなら素直にそういえばいいのに。むふ、なんかいいことした気分。
「それにしても、真相はあっけなかったね。てっきり屍神が絡んでると思ったのに、まさか神様のせいだっとはねぇ」
「神はいい意味でも悪い意味でも純粋だからな。ちかこの“正直に言えばいいのに”っていう言葉を拡大解釈して願いと受け取ったのも、その願いの対象を関係ない第三者に適用したのも、悪気は全くないんだよなぁ」
チャコがしみじみと言った。
「私のその“正直に言えばいいのに”って言葉のせいで、塾の生徒が奇行に走ってたんだよね」
「あぁおそらくはあの神社にお参りした生徒がその願いの餌食になったんだろうよ」
それまで黙って聞いていた結城くんが、少しためらいがちに口を開いた。
「…なぁ、俺、お前に変な事言ったりしなかったよな」
「……え?」
―――――言った、言ってたよ!バスの中での結城くんはとっても変でした!!しかも覚えてないとか言ってたし、あのころとっても変でしたよ結城さん!
と、そこまで脳内で盛大に叫んだところで、ある可能性に思い至った。もしかして、結城くんもあの神様にお参りしたとか?“正直”になっちゃったから、“奇行”に走った、とか?
「べべべ別に、何も言ってなかったよ」
自分の思いつきに動揺して、とっさに嘘をついてしまった。
―――でも、本当にそうだとしたら、結城くんの本心があの言動に表れてるってこと?やっぱり、理解不能だ…。
「ならいい」
結城くんは少しだけほっとしたように言うと、「それより…」とつづけた。
「お前はもっと自分の言動に注意を払ったほうがいい。今回のことで自分の神力がどれほど周りに影響を与えるのか分かったろ?」
「今回のは不可抗力じゃん。それに結城くんじゃないんだし、神様が宿ってるかどうかなんてわかんないんだもん」
「だからこそだ。屍神がいてもお前にはわからないんだろう?なら、常に気を付けるべきだ。お前の神力は屍神にとっちゃごちそうなんだ、もっとそいう自覚を持て。じゃないと俺の負担が増えて迷惑だ」
結城くんがつっけんどんに言い放つ。なにさ、そこまで言わなくてもいいじゃん。なんとなく、私たちの間に険悪な雰囲気が漂い始めた。
「まぁまぁ、ちかこも結城弟も、いいじゃないか終わったことは。ほら上見ろよ。そろそろ時間だ」
まさ兄に促されて、私たちは食べ終わったアイスのごみをコンビニの袋へ戻すと、ごろん、とあおむけに寝転がった。大の字に手足を広げてぐーと伸びすると、夏草のみずみずしい香りが胸いっぱいに広がった。
満点の星空が私たちを包み込む。自分がずいぶんちっぽけになったような気がしてさっきまで感じてた結城くんに対するもやもやも、どうでもよくなってしまった。
「お」「あ!」「おお!」「あ」
三人と一匹が同時につぶやいた。
「見た?」「見た」
流星群と言うには寂しいが確かに一つ、流れ星が夜空を横切った。
結局、あの夜はその一つだけしか流れ星を見ることができなかった。でもその分、唯一見れた流れ星は特別なものになった。
夏期講習は終わったが、夏休みはまだ続く。バイトがなくなったまさ兄の夏休みも、自堕落に続くと思われたが――
『スペイン拠点の中国系マフィアに捕らえられ、現在上海に向けて渡航中。これで予定通りアジア旅を始められる。友よ、上海で会おう!』
「これ、ほんとう?」
「あいつ、運がいいんだか悪いんだか、とにかくヒキが強いんだよ」
困ったように眉を寄せていたが、そう言うまさ兄の目は笑っていた。
そして、その次の日には中国へ向けて出発してしまった。
ちょっと寂しかったけど、なんてったって夏休みだ。まさ兄がいなくても楽しいイベントはたくさんある。すぐにその寂しさは薄れた。
さぁ、時間は進む。立ち止まってる暇はない、なんてったって中学最後の夏休みだもん!
私は日焼け止めをべっとりと塗ると、玄関の扉を開けた。まだまだ元気な夏の太陽が私を出迎える。
「行ってきまーす!」
「大暑」おわり