表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
color  作者: 倉本新菜
14/14

14

駅から歩く間も雪は降りやむことなく、僕の肩を濡らした。落ちては溶ける雪が、アスファルトの匂いを漂わせた。昔、これが雨の匂いだと思っていたことがあった。いつだろう。雨や雪には匂いがないと気付いたのは。そんな話も、あおいとした。

 帰りたくないと思っても、他に行く場所はない。仕方なく家に帰り、玄関を開けた途端、いつもの日常が意識に割り込んできた。テレビの音、母親が弟に話しかける声、父親が新聞をめくる音。

 リビングのドアが開いて、その隙間から弟の大進が顔を出した。

「櫂ちゃん、おかえり。」

「うん。ただいま。」

 弟は、いつまでも僕のことを『櫂ちゃん』と呼ぶ。母親が、幼いころから僕をそう呼んでいたからだ。一度も『お兄ちゃん』と呼ばれた記憶がない。

 それ以上何も言わず、階段をのぼる足を止めることもなく、僕は自分の部屋に入った。ヒーターのスイッチを入れ、脱いだダウンジャケットをハンガーに掛けると、ベッドにダイブした。

考えることが多すぎて、脳みそが疲れた。僕は、重い足をひきずって、机の上にあったノートを一枚破り、『起こすな』と殴り書きしてドアの外に貼り付けた。誰にも邪魔されないで、目が覚めるまで眠ろうと思った。いや、もう目覚めなくてもいいと思った。でもそんなことはないだろうから、せめてこの後ろ向きの気持ちが、何とか改善されていることを願って、僕は目を閉じた。


 目が覚めたのは翌日の夕方だった。自分でも驚いた。十六時間も眠っていたことになる。ベッドから降りると、体がバキバキ音を立てそうだった。

「あ、櫂ちゃん。やっと起きた。父さんと母さん、温泉に行ったよ。」

 飲み物を取りにキッチンに降りると、弟が料理をしていた。僕と違って、何でも器用にこなす弟は、普段からそういうことをしている。お好み焼き、食べる?と聞かれた途端、空腹に気付き無言でうなずいた。

「温泉って、泊まり?」

 冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぎながら聞くと、そう、気持ち悪いよなと返ってきた。

「そういうこと、思うんだ。おまえ。」

「思うよ。なんで?」

「いや、だって大進はちゃんとあいつらの相手してんじゃん。偉いよ。」

「櫂ちゃんがしないから、してるだけ。マヨネーズかける?」

出来上がったお好み焼きに、ぐるぐるとマヨネーズをかけ、はい、と僕の前に皿を置いた。

 書道教室が忙しかった母親は、僕らが小学生のころ、土曜日の昼食によくお好み焼きを用意してくれていた。関西出身の母は、お好み焼きとは焼きたてを食べるものと言い、テーブルの上にはホットプレートが用意されていた。自分が食べたい大きさのお好み焼きを自分で焼くのだ。それは年齢とともに大きくなり、兄弟で競い合った。ふたりで食べたお好み焼きは、子ども時代の懐かしい味だった。

「うん。うまい。」

「まだ残ってるよ。焼く?」

「焼く。」

久しぶりに、弟と食事をした。いつの間にか、身長は僕と同じくらいになり、髪型に気を遣うようになっていた。勉強ばかりしていると思っていたが、この間、留守に辞書を借りようと部屋に入ると、鞄の中に『そういう』DVDが数本入っているのが見えた。意外だったけれど、兄としては普通に育っているのがうれしかった。

残りのお好み焼きをホットプレートに落とし、丸く形を整えながら弟は、櫂ちゃん彼女できたの?と聞いた。答えを濁していると、最近何か考え事してるっぽいから、と言った。

「色々あるんだよ。」

「うわ、なんか上から!」

「上だからな。」

それでも弟は笑いながら、お好み焼きをひっくり返して、満足そうだった。

「食べたらさ、ゲームしようぜ。敦史のゲーム、またレベル上げしなきゃなんない。」

「やるやる!」

お好み焼きを頬張る弟は、子どもの頃から何も変わっていなかった。勉強も、スポーツも、何でも僕の真似をしたがって、いつの間にか僕よりうまくこなしていった。だけど、背中を押してくれる誰かの存在がなければ、弟はいつもそこから動けずにいた。それはいつも、僕の役目だった。単純に、かわいかった。守るべき存在は、ずっと弟だけだった。

…あおいに、出会うまでは。

あおいに出会って、僕は恋をした。あっという間に、溺れた。ただ向かいあって話すだけで、小さな冷たい手を握るだけで、僕はあおいのことしか考えられなくなっていった。ずっと頭のどこかにあおいのことがあって、ふとした瞬間にあおいの匂いが鼻腔によみがえる。好きという気持ちよりも、感覚で、嗅覚で、あおいにのめり込んでいった。

守ってあげたい。

でも、この気持ちが半分も伝わっていなかったことを知るのは、もっとずっと後のことだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ