第13章Ⅱ:初めての友達
――翌日の朝。
サーシャは夜明け前から起きて早番であるジーフェスを見送った後、独り朝食をしていた。
「……」
独りテーブルについて食事をするサーシャの脳裏に浮かぶのは、昨夜逢った自分そっくりの彼女の姿。
“エリカさん…とても私に似ていて、アクリウム国の話を本当に楽しそうに聞いてくれた”
*
『ええ!サーシャさんってアクリウム王家の血筋をお持ちなの!』
ついその場の流れで自ら王族と名乗ったサーシャ。
それを聞いたエリカは目を輝かせて喜んでいた。
『凄いわ!ジーフェス様はフェルティ国の王族で、サーシャさんもアクリウム国の王族…私、王族の御方と話をするの初めてだわ!
あ…もしかしたら私のような立場の人間が気軽に話をするなんていけない事かしら?』
『そんな事は無いわ。私は私、アクリウム国王族出身とはいってもジーフェス様のもとに嫁いだ以上、最早祖国の立場は関係無いわ』
“それに私はその祖国からは永久に追放された身分だし”
自分の祖国での扱われ方を、流石のサーシャも口には出せなかった。
『良かった。身分違いでお別れするなんて嫌だったから…。
その…出来たら、私とお友達になって、くれる?』
『お友達?』
『だって、私達好みも似ていて凄く気が合うし、話していて凄く楽しいし…お友達になったら駄目、かしら?』
サーシャの戸惑う態度に不安げに彼女を見つめるエリカ。
“お友達って…確かにナルナルとは仲は良かったけど、彼女とは主人と従者の立場だったし、エレーヌさんもやっぱりナルナルと同じだし、ライザさんは友達というよりは頼れるお姉さんという感じで…
私に友達!友達が出来るの!”
『友達…その、私、今まで友達と呼べる人が居なくて、今エリカさんにそう言われて嬉しいけど、ちょっと戸惑っているの。私なんかが貴女のような素敵な人と、友達になってよいの?』
『勿論よ。私もこんな性格だからなかなか友達に恵まれなくて…嬉しい!良いの?』
『ええ、エリカさんと私、友達ね』
『わあ!なんて素敵なの!』
凄く嬉しそうにはしゃぐエリカの姿に、サーシャも自然と笑みが零れるのであった。
*
“友達…私に初めて友達が出来た!”
昨夜の事を思い出し、つい頬が緩んでしまうサーシャ。
「あれサーシャ様、にやにやして何か良いことでもあったのですかぁ?もしかして、昨日旦那様といちゃいちゃしたとか…!!」
そんなサーシャの様子に目敏く気付くエレーヌ。だが変な方向に勘違いしていてちょっと下品な笑みを浮かべている。
「違うわ。昨夜のパーティーで素敵な人と出逢ったの」
「素敵な人ぅ?!もしかして旦那様よりもイケメンな男とか!」
「違うわよ、私と同じ位の年齢の女性よ。私と趣味や好みがとても似ていて、すぐに気が合って沢山お喋りしたの」
「なあーんだあ、女の子かあ…」
サーシャの答えに何故かエレーヌは少し残念がっている。
そんなエレーヌの態度にサーシャは少し苦笑いしたのだった。
「あら、残念がること無いわ。エレーヌさんの事を話したら一度逢ってみたいと言ってたわよ」
「えー、でもその御方って身分が高い方なんでしょう?そんな御方があたしのような下々なんかは御相手にしないでしょう〜?」
「そんな事無いわよ。エリカさんにも以前居た年齢の近い侍女と仲良しで、よく色々なお話をしていたと仰有ってたわ」
「へえー、そっか、サーシャ様と仲良くなれる御方だから、やっぱサーシャ様のように優しい御方なんだー」
「ええ、きっとエレーヌさんも気に入る筈よ」
「じゃあ一度ここに招待されたらどうですかぁ?」
エレーヌの提案に、だがサーシャは微かに表情を曇らせるのだった。
「私ももう一度御会いしてお話をしたいのだけど…あの日はちょっとした事があって次に逢う約束が出来なかったの」
「ならば、こちらから手紙を出すとかぁ」
「それが…エリカさんから連絡先も御住まいも聞いてないの。判っているのはリンブドル商会の御嬢さんという事だけで…」
「リンブドル商会ねえ、聞いたことないなあ…年の功でポーさんなら知ってるかもしれないけど今日はお休みだし…ねえねえハックさん、リンブドル商会って知ってるぅ?」
エレーヌはわざわざ台所に出向いてハックにそう尋ねてみた。
「リンブドル商会か、そんなの聞いたことないなあ」
だがハックの返事は二人の期待外れであった。
「ならタフタさんなら知ってるかなぁ?」
「さあな、だけど商会なんて一般人なんかは超有名処のアルケマ商会くらいしか知らんだろう」
「そうだよねぇ…あたしもアルケマ商会なら知ってるけど…じゃあいっそのことマーゴットさんに聞いてみるとか」
「でも、私事の為に多忙なマーゴットさんの手を煩わせるのも気が引けますわ」
「そっかあ…」
手詰まりの状態にサーシャもエレーヌも力なく項垂れてしまう。
「旦那様なら何か知ってるかもな。何せ自衛団は仕事上、街のあちこち見廻っているから目的の屋敷も把握しているかもしれませんよ」
ハックの助け船に、エレーヌもサーシャはぱあっと表情を明るくした。
「流石ハックさんっ!頭良い〜!」
「まあな、万年食べ物の事ばかり考えているお前さんとは違うからな」
「もう〜!ハックさん一言多過ぎ〜!」
ハックの余計な突っ込みにぷうと怒りだすエレーヌ。だがサーシャは嬉しくて堪らなかった。
“そうよね、街を巡回されているジーフェス様ならエリカさんの御住まいを知っておられるかもしれない!”
「ありがとうハックさん、ジーフェス様が戻ってきたら早速聞いてみますわ」
サーシャの満面の笑顔に、ちょっと喧嘩気味の二人は笑顔を浮かべてしまった。
「判ると良いですね」
「ええ」
“嬉しい、またエリカさんに逢えるかもしれない。
ああ、早くジーフェス様が戻って来られないかしら!”
だがふと、サーシャは昨夜のエリカの両親、特に父親の無愛想な態度を思い出し、不安と嫌悪感を感じた。
“いくら大切な娘さんが見知らぬ私と話をしていたとしても、こちらの話を聞かずに一方的に席を外すなんて…そんな御方ならもし御住まいが判っても、訪問などの許可が得られるかしら…”
サーシャはジーフェスの帰りを待ちわびる中で、微かな不安をも感じるのであった。
*
――一方、エリカのほうもいつものように自分の屋敷の自身の部屋で、何時もの時間に目を覚ました。
部屋の窓からは眩しい朝日が差し込み、部屋を明るく照らしている。
「……」
ベッドから起き上がり軽く伸びをする中、彼女はふと昨夜の事を思い出していた。
“サーシャさん、私と見た目よく似ていらして、しかも趣味や嗜好まで同じだった。
しかも話も凄く優しくて温かくて、今まで出逢ってきた誰よりも接してきて気を遣わなくても良くて、本当に愉しかった…”
「また、逢ってお話出来たら良いのに…」
ぽつりとそう呟きながら、エリカはベッドから降りて平服に着替えるのであった。
「おはよう御座います御母様」
身なりを整え、エリカがダイニングに向かうとそこには母親の姿と老メイドの二人のみの姿があるだけだった。
「おはようエリカ、よく眠れたかしら?」
「ええ」
「本当に大丈夫?貴女、いつもパーティーとか人が集まる催しの後は決まって熱を出してたでしょう」
母親の不安そうな表情にエリカはくすりと笑ってしまった。
「やだ、それって何時の話?確かに小さい頃はそうだったけど、いつまでも子供じゃないのよ。そうそう身体を悪くしたりしないわ」
「それなら良かったわ」
娘の明るい様子に母親もやっと笑顔を浮かべた。
「そういえば御父様がいらっしゃらないようですけど」
すると母親の表情から笑みがすっと消えた。
「御父様は何か御仕事があって、朝からお出掛けになられたわ」
「御仕事、ですか…」
エリカは母親のその態度から何かを察したらしく、そのまま沈黙が続いた。
以前は家族で一緒に朝夕と食事が出来る程余裕もあって、父親も穏やかに笑顔を浮かべて明るく会話を楽しみながら食事をしていたのだが、最近は多忙なのか、こうやって食事はおろか屋敷にも帰って来ない日も増えてきていた。
「仕方ないわ。忙しいのでしょうよ。さあ、食事にしましょう」
「ええ」
エリカは母親に合わせて少しだけ笑顔を取り戻し、用意された朝食に手をつけるのだった。
「そういえば貴女、昨夜のパーティーで若いお連れ様と一緒に居たわね、女性の方はびっくりするくらい貴女にそっくりだったけど…あの御方は一体どなた?」
食事の途中、パーティーの話からそんな話題が飛び出して、エリカはぱっと表情を明るくした。
「あの御方はサーシャ様といって、自衛団の団長を務められていらっしゃるジーフェス様の奥様なの」
「まあ、自衛団のジーフェス様の奥様なの。じゃあ傍に居られた男性はジーフェス様だったのね」
初めて知る二人の正体に、母親は驚きを隠せない。
「そうなの。しかもサーシャ様はアクリウム国の王女様なんですって!何でも王家の‘神託’でジーフェス様のもとに嫁いで来られたんですって」
「まあ…アクリウム王家の御方なの!ジーフェス様もルードベル陛下の末子ですし…そんないと貴き御方とお話し出来て畏れ多い事だわ、貴女失礼は無かったかしら?」
「いいえ、全く。逆にサーシャ様はそんな事は全く気にされずに、私に気さくに話をしてくれたわ。本当に気が合って、とても楽しかったわ!」
「エリカ…」
普段は引っ込み思案で人の集まりに出ることはおろか、外出でさえ躊躇う娘の、今の明るく楽しそうに話す姿に、母親は驚きと共に娘がそのサーシャのことを気に入ったのだと察するのであった。
「良かったわねエリカ、善い友達と出逢えて」
「ええ!ああ、またサーシャ様に御会いしたいわ。今度は昼間のお茶の時間にお茶と菓子を準備して、庭で花を見ながら沢山お喋りしたいわ」
「まあまあ…」
久しぶりに見る娘の楽しそうな顔に、母親もついつい笑顔が浮かぶ。
「ならそのサーシャ様に早速お誘いを…」
母親が話をしていたその矢先、突然扉が閉まる大きな音がしてばたばたとした足音が聞こえてきたかと思うとダイニングにひとりの小肥りな初老の男が現れた。
「あなた…」
「御父様」
突然の屋敷の主人である男、エリカの父親の登場にエリカも母親も驚きを隠せない。
だが父親はそんな二人を無視して、仏頂面をしたまま食卓のテーブルについた。
「おい、食事は!」
「た、只今お持ち致します!」
機嫌の悪い主人の声に、老メイドはびくりと身体を震わせ慌てて台所に掛けていった。
「おはよう御座います御父様」
機嫌の悪い父親に、それでもエリカは笑顔を浮かべて明るく挨拶をするのであった。
「……おはよう」
だが父親はそんな娘の気など無視して、仏頂面のまま視線すら合わせずぼそりとそう呟くだけである。
「あなた、御仕事のほうは終わられたのですか?」
妻のその質問に、男はぎろりと怒りの隠った瞳で睨み返し、
「お前は仕事の事に口出しするな!」
そう怒鳴り付けるのであった。
「「……」」
男の恫喝に、二人はすっかり怯えてしまい、それきり沈黙してしまった。
程無くして男の分の食事も届き、恐ろしい静寂の中、三人は一言も喋る事なく食事をするのであった。
「あの…御父様」
「ん、何だ?」
食事も終わりに近付いた頃、ふとエリカが思い切って父親に対し話し掛けてきた。
「あの…今度…この屋敷に御客様を招待しても宜しいかしら?」
「客人?誰なんだそれは」
「それは…」
ぎろりと父親に睨まれ、言葉を無くすエリカ。
そんな娘の様子に母親が助け船をだすのであった。
「あなた、ほら昨夜のパーティーでエリカと一緒にいた女性ですよ。何でも話が合って楽しく過ごしたとか…」
「駄目だ駄目だ!何処の馬の骨とも知れぬ者をこの屋敷に連れて来ることはならん!」
だが男は妻の言葉を遮り、怒りに叫びだした。
「ひ、酷いわ御父様、サーシャ様はとても優しい御方で、御父様が思われているような馬の骨なんかではありませんわ」
「な…!?」
今まで見たことのない娘の反抗に一瞬驚きを見せた父親だったが、直ぐに我に帰り怒声をあげた。
「何だと…エリカ、お前父親である儂に逆らうのか!」
「!?」
「エリカの言う通りですわ。あの御方、サーシャ様は自衛団の団長を勤めておられるジーフェス様の奥方で、ちゃんと身分のしっかりした御方ですわ」
父親に怯え答えに困っている娘に替わって、母親が諭していく。
「ジーフェス殿の、奥方だと?!」
「そ、そうですわ。しかもサーシャ様はアクリウム国の王女様なんですって」
「馬鹿な、そう簡単に帝国アクリウムの王族が我が国に現れると思っているのか?お前達は騙されているんだ」
やはり父親のほうは二人の話を全く信用せず、怒鳴り散らすのみである。
「そんな…」
「この話はここまでだ!不愉快な、儂は部屋に戻る!」
そう言い残して男は何か言いたげな妻と娘を置いてさっさと部屋に戻るのであった。
「…酷いわ御父様、サーシャ様を馬鹿にするなんて…」
父親に認められないどころか、友達を詐欺師扱いされてエリカは悔しくて悲しくて涙を浮かべた。
「エリカ…御父様は機嫌が悪いだけよ。一度御逢いしたらきっと解ってくれるわ」
母親はそんな娘を優しく慰めることしか出来なかった。
*
――部屋に戻った男は椅子にどかりと座ると目の前にあった書類の束に目を通し始めた。
「これも駄目、これもか…ええいっ忌々しいっ!」
男は、書類の内容が気に入らなかったらしく、怒りに叫ぶと書類の束全てを部屋にぶちまけてしまった。
「どいつもこいつも儂を馬鹿にしおって…!」
力なくそう呟くと男はがっくしと肩を落とした。
“畜生、どいつも金を出し惜しみやがって…!親父さんが商売していた時はこっちが断る位に金を出してた奴等が…”
『初代の親父さんは素晴らしかったけどなあ…』
『今のは全く駄目だな。商売の常識すら解っていない馬鹿だ。二番煎じのほうがまだましだったよな』
『それは言えるな!』
「煩い煩い煩ーーいっ!!」
自分にまつわる嫌な噂を思い出し、男は怒りの余り拳机に拳を叩きつけた。
「エリカめ、何が屋敷に招待したいだ!パーティーで知り合った何処ぞとも知れぬ者をすっかり信用しおって…
あれまで娘の言う事を信用しおって、どいつもこいつも馬鹿者揃いめ!」
しまいには先程の妻と娘の話でさえ怒りの対象となり、男は腫れ上がる程何度も拳を机に叩き付けた。
ひとしきり暴れた男ははあはあと肩で息をしながらも、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「……」
“自衛団団長のジーフェス、か。奴は陛下に追放された身分だが、れっきとした王族の一員。最近アクリウム国から奥方を娶ったとは聞いていたが…”
ふと男は昨夜見たジーフェスとサーシャの姿を思い浮かべていた。
“それがあの娘なのか…サーシャとか言ったか、我が娘エリカによく似ていたが、肌や髪の色彩は確かにアクリウム国の民特有のもの。
もしエリカの言う事が本当ならば…あの二人はフェルティ国とアクリウム国の王家の血を引く皇族一家と言う事か!”
男の頭の中には何やら良からぬ考えが浮かんできていた。
“そのような高貴な者とエリカを通じて知り合いになれれば、儂も王家の知人と言う事で箔が付くだろうし、何より王族の一員、巧くいけば双方の王家からの援助も受けれるかもしれん!”
「そうなれば…儂を馬鹿にしていた奴等を見返してやれるぞ!
そうと決まれば…おいエリカ、エリカ!」
傲慢で浅はかな考えに辿り着いた男は不気味な笑みを浮かべると立ち上がって部屋を飛び出し、そう叫びながら一目散にエリカのもとへと向かうのだった。




