おまけ7:再教育
「そなた、首領としての自覚はあるのか?」
「……」
シロフは淡々と語る目の前の男から微かに視線を反らし、無言で俯いていた。
*
――‘闇陽’
それはフェルティ国王家直属の暗殺部隊。
その能力は最強と謳われしアクリウム帝国直属暗殺組織‘黒水’、アーシェン国暗殺組織‘死地’に次いで実力が在ると言われている。
その‘闇陽’にはあるひとつのいわくつきの噂――闇陽三人衆についての、があった。
現在の三人衆は首領であるシロフ、百の顔を持つファサド、そして賢者の名を持つヤヤードであった。
だがシロフとファサドは組織の皆がその存在を見知ってはいるが、何故かヤヤードに関しては誰一人、その姿を見たことが無いと言われ、仲間内では『姿なしのヤヤード』『亡霊のヤヤード』とも噂されている人物であった。
*
――さて‘闇陽’の現首領であるシロフが今、主人たるアルザスではなく同じ暗殺者の格好をした小柄な男の前で項垂れている。
「再度問う、そなたは‘闇陽’の首領たる自覚はあるのか?」
頭の先から爪先まで黒の衣で覆われた小柄の男は、唯一露になっている黒、いや深蒼の瞳でシロフを睨み付けた。
「…わたくしの力の及ぶ限り尽力を行ってきた…」
「尽力だと、笑わせる。ならば先の二度に渡る失態はどう説明するのだ?」
「……」
痛いところを突かれ、シロフは流石に返す言葉も無く口を閉ざしてしまった。
「我が知る‘闇陽’は任務を怠る事など有り得なかった。なのにここ最近の‘闇陽’はどうだ。組織の失態で我が主人や護衛すべき者を危険に曝してきたではないか。
これも首領たるそなたの力不足故に起きし事。そなたは首領たるに値せぬわ」
男の静かだが厳しい言葉にシロフは恐怖を感じ、身体じゅうから冷や汗を流した。
“配下の者からヤースティという謎の人物の名前を聞いた時はまさかと思っていたが…”
久々に恐怖に囚われているシロフは男と視線を合わせられず、ただただ黙って俯くことしか出来ない。
“確かに二度失態は起こしたが、結局事は旨くいったから、彼の御方が来るとは思いもしなかった…”
――三人衆のみが知るもうひとつの‘闇陽’の姿。
賢者ヤヤード、またの名を裁き手ヤースティとも言われ、組織の秩序が乱れし時にその姿を現し、制裁を加える役目を持ち、また‘闇陽’が創られし時より在籍するという、正に組織の『守護神』的存在。
今まさにその賢者ヤヤード、裁き手ヤースティがシロフに裁きを与えようとしていた。
“わたしはどうなるのだ?ヤヤード様に睨まれて生き延びた者は居ないと言われているが…”
真しやかか否か、言い伝えられてきたその逸話にシロフは囚われてしまい、己の運命を呪った。
“何を躊躇う。所詮わたしの生命などこの組織で尽きる運命。他の暗殺者に殺されようが彼の御方に殺されようが、どちらも変わらぬ…。
だが、願わくば…”
「シロフよ」
「は、はい!」
半ば諦めの気持ちでいた時、突然己の名を呼ばれ、シロフは少し間抜けな返事をして顔を上げた。
そこには先程のような厳しく硬い表情ではなく、何処か憂いを秘めた表情をしたヤースティの姿があった。
「……そなた、我等が主人をどう思う?」
「は?」
「今の我等が主人を、そなたはどう思っているのだ?」
「どう…って…」
“何を今更そのような事を尋ねるのだ?我等が‘闇陽’は主人たる者に絶対の服従を誓い、その命に従うのみ…”
「わ、我等が組織は主人に絶対なる忠誠を誓う…」
「違う、それはそなたの本当の意思ではない」
「違います。わたくしは本当に…」
「だがそなたは先代の主人には不信感を抱いていた。違うか?」
「!?」
――先代の主人、それは現国王であるルードベル国王。
だが三年前に突然病に倒れ、辛うじて生命は保たれたが意識を喪い、王としての任務を果たせなくなった先の主人。
若き頃は誠実たる善き政治を行ってきたが、徐々に狂気たる性質を現し、病に倒れる直前は忠実なる配下にまで暗殺の牙を向ける狂王と成り果てた。
“病に倒れる直前のルードベル陛下は、そして当時の首領デルトム様は狂っていた。
陛下は少しでも御自身に歯向かう者には制裁を与え、更には陛下の御子息であられるジーフェス様を躊躇い無く組織へと引き入れられた。
首領デルトム様は陛下の命に盲目的に従い…いや、自ら悦び従って殺戮を繰り返していった。そして組織の一員となったジーフェス様に人質をつけて縛り付けた。
そんな組織のやり方に、わたしだけでなく一部の組織の者も不信感を抱いていた。
だが、その時はヤースティ様は…”
「何故その時に儂が現れなかったのか?そう言いたいのか?」
己の考えを読まれたかのような偶然の質問に、シロフはびくりと肩を震わせた。
「そなたの言いたい事は解る。先の主人は道に背き、我等が組織を悪しき方向へと使っていった。
だがあれは、デルトムは組織の盟約に忠実に従い、狂王となった陛下に尽くしただけ。あれは組織の鑑と云ってもおかしく無い」
――我等が組織の主人たる者に忠実なれ。我等が組織の首領たる者に忠実なれ。
‘闇陽’の盟約の第一番目に掲げられているその一文は、組織の者は上たる者に絶対なる忠誠を誓うものであった。
「ですがデルトム様の行いは…」
「己の主人の悪行に対してそれは決して赦されぬと言うのか?ならば正義の為に主人を粛清すべきだったというのか?笑止、我等が組織の存在自体が正義に反しておるわ!」
「!?」
「ならばそなたに問うが、今の主人が道を外したならば、そなたは正義の名の下で主人を粛清するというのか?」
「それは無い、我等が主人が道を外すなど決して有り得ぬ!
あの御方は…アルザス様は確かに冷徹非情であられるが強い理性の持ち主で、我等組織の利用を最小限に留められておられる…」
「甘いな。人というものは力を、権力を手に入れればその力を制御出来ずに自滅するものだ。先の主人であられたルードベル国王も、そして先々代の主人たるライスハルト国王も…」
「それでもわたくしはアルザス様を信じております。あの御方は決して力に溺れぬと。それが、わたくしの主人に対する忠誠の証そのもの」
「……」
きっぱりとそう言い切ったシロフに、ヤースティは冷たい視線を向ける。
“駄目か。やはりわたくしは組織の首領たる資格は無いのか?
このままわたくしは…”
ヤースティによる審判が下されるのを、シロフはじっと待ち続ける。
「…ならば、そなたの主人に対するその忠誠、暫し見せて貰おうとするか」
「!?」
審判は下され、その結末に驚き顔をあげたシロフが見たのは、喜びでも怒りでも無い、無表情のヤースティの姿だった。
「此処より去り持ち場に戻れ。次に儂と逢った時は、そなたの最期と覚悟せよ」
「…御意」
審判を終えたシロフはほっと安堵の息を漏らし、一言そう告げると音も無くその場を離れた。
「…いい加減出てきたらどうだ?」
シロフが去り、ヤースティが独り部屋に残ると、彼は闇の中に向かってぽつりと呟いた。
「やっぱばれていたのか…」
突然そんな声がしたかと思うと、闇の中からひとりの男が姿を現した。
男はヤヤードとくらべるとかなり大柄で若い風だが、彼と同じ黒装束を纏い、同じ生業の者だと判る。
「いつからそこに居たファサド?」
「首領があんたに呼ばれてからさ」
ファサドは飄々とした様子でそう答えると、傍にあった椅子に腰掛けた。
「で、何で首領を呼びつけたんだ?あれくらいの失態、普段のあんたなら無視する程度のものじゃないか」
ファサドの問い掛けに一瞬驚きの表情を浮かべたヤヤードだったが、直ぐに冷静さを取り戻した。
「貴様、まだ気付かぬのか?」
「は、何がだ?」
とぼけた風でもなく真面目にそう答えるファサドに、ヤヤードははあと深い溜め息をついて口を開いた。
「闇だ」
「は?」
「今の主人から闇の力を感じるのだ」
ヤヤードの言葉にファサドの表情が微かに歪んだ。
「ちょっと待った、俺は何も感じてないぞ。本当に我等が主人から闇の力を感じるのか?」
「そうだ。我等が主人の傍から闇の力を感じるのだ。しかも半端無く強い闇の力をな」
その言葉にファサドは眉をひそめた。
「まじかよ…確かに我等が主人は…あれは過去に凄惨な目に遭って、自分を貶めた王族に強い恨みを抱いているらしいが、首領の言う通り今は強い意志で己を律してるじゃないか」
「今はな…だが今のあれは先代の主人、ルードベル国王と同じ気配を感じる。そう遠くないうちにあれは、間違いなく狂王となるだろう」
「…それって、あんたのお得意の『勘』てやつか?」
「『勘』ではない。『確かな』ものだ」
「……」
普通の者ならばヤヤードの言葉に一笑するであろうが、何故かファサドは真剣な面持ちで彼を見返している。
「で、どうする気だ?そこまで解っているなら、あんたの裁き手としての力であれを粛清しないのか?」
「無理だ。まだあれは事を起こしてはおらぬ。儂が裁き手としての力を出せるのは事を起こしての後だ」
「それまで指を啣えて待てというのか?」
「だから事が最悪の事態に広がらぬ為に、あの者を…シロフを使わねばならぬ」
「首領を?」
「そうだ。もし万が一我等が主人が我等を悪しき方へ使うのならば、シロフを使い、主人を粛清せねばならぬ」
ヤヤードの言葉にファサドは益々表情を歪める。
「何だよそれは、さっきあんたは我等が組織は主人に従順たれと説いてたじゃねえか?それと今の言葉と全然違うじゃねえか?」
「それは表向きだ。あくまでも我等が組織は闇の組織。最も闇に近い存在だからこそ闇を知り、その存在の恐ろしさを良く知っている。だからこそ闇の力に溺れてはならぬのだ」
「…闇の力に囚われ溺れし者を抹殺するのが我等が役目、と言いたいんだろ?」
「そうだ。古の時代からの我等の役目だ」
「……」
凛として誇らしげに語るヤヤードの姿に、ファサドの心中は複雑だった。
“古からの役目、ね…”
そしてふと部屋の片隅にあった姿見に映る己の姿を見た。
“古からの…古の民、我等が民。
我等が一族は俺とヤヤードを除いて全て滅んだ…”
「なあヤヤード」
「何だ」
「何故俺達は存在するんだろうな。あの百年戦争で他の民が全て滅びた後でも、俺達だけが生き延びたのは何でだろうな」
「……」
暫しその場に沈黙が続いたが、
「己の役目を果たすまでは死ねぬというだけだ」
ぽつりと一言、そう答えるのみであった。
「己の役割、ね…」
“ならば俺の役割は何なのだろう?”
「儂もこの年齢になっても未だ死なぬのだから、己の役割はまだ果たしておらぬのだろう。
だから儂はただ、死ぬまで己の役割を果たすだけだ」
「死ぬまで…か」
“ならば俺もまだまだ死ねないか”
ふっと諦めたような苦い笑みを浮かべ、天を仰いだ。
「なあ、あと何年、いや、何百年生きれば俺達は死ねるのだろうか?」
「…それこそ『神のみぞ知る』というやつだ」
ヤヤードの言葉に、半ば諦めにも似たその言葉にファサドは苦笑いを浮かべる。
「『神』であるあんたが神頼みかよ。神が聞いて呆れるよ」
「ふん、儂が『神』になれるのならとっくになっとる。
儂はお前のつまらん話になど付き合う暇など無いわ!」
そう呟くとヤヤードは一瞬のうちにその場から去っていった。
独り暗闇の部屋に残されたファサドは再び姿見に映る己の顔を見た。
“俺の姿、真実の俺の姿か…”
百の顔を持つ彼は己の顔を姿を自由に変えられる事から、‘闇陽’の歴代の主人の替え玉として使役されていた。
“先代のルードベル国王も似ていたが、今の主人たるアルザス宰相は俺とうりふたつだもんな”
唯一異なる瞳の色彩以外は、全くといって良いほど同じ顔立ちに髪質。並べば双子と言われてもおかしくない位であった。
“俺と同じ顔をした主人が、やがて狂王になるのか…”
裁き手ヤヤードの『勘』は一度も外れた事はない。
“主人が…あれが狂王となれば、フェルティ国はどうなるのか?下手すれば国自身が滅びるのかもな。
そもそも何故カドゥース殿下は自身ではなくあれに我等が組織を託したのだ?
国王を、王家を憎むあれに…”
代々フェルティ国王家の懐刀として受け継がれた‘闇陽’。
庶子とはいえ王家の血筋を引く彼にも確かに王家なのだが…、
“まるでカドゥース殿下自体が国を闇に包もうとしている風に見えるのは俺の気のせいか?
闇陽を、俺達の未来を支配するのは闇か、それとも…”
「この国はどうなっていくんだろうな…」
ぽつりと呟くファサドに答えるものは、誰一人居なかった。
第12章まで無事に終わりました。
先日にも発表がありましたが、小説家になろうモバイル版が平成31年1月29日で終了致します。
作者はモバイル(ガラケー)のみしか所持しておりませんので、上の期日を以て小説家になろう様から撤退いたします。
それに伴い話は続くのですが、丁度区切りが良いので申し訳ありませんが、此処までで「水と陽のファンタジア」の連載を終了させていただきます。
読者様には話が中途半端に話が終了してしまうという不快を与えてしまい、本当に申し訳ありません。
話の続きは「FC小説」にて掲載を続けますので、もし興味がありましたらこちらのほうを御覧いただけたら幸いです。
長い間、皆様からの閲覧や応援、本当にありがとうございました。
また御会いする日まで。
平成31年1月15日
こもちこもりねこ
こもちこもりねこのFC小説
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