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第12章Ⅹ:破(わ)れ鍋に綴(と)じるべき蓋

「で、結局‘氷の女王’はお前の義妹に取られたって訳か!」


――誘拐騒動から三日後、広大な庭の一角にある木陰のテーブルには、庭の主であるアルザスとフェンリルが向かい合って茶をかわしていた。


「仕方あるまい、あそこまで言われてしまえばああするしか無かったからな」


げらげらと腹を抱えて笑う男を睨み付けながら、アルザスは至極不機嫌な表情で茶を口にした。


「でもまあ良いじゃないか。‘氷の女王’はお前の庭園で管理する事にはなったんだろ?」


「……」


もともと寒冷な気候を好む植物の為に、熱帯な気候のフェルティ国で育成するには冷却維持装置が必要不可欠であった。

高額なその設備が整い、且つ管理もしっかりしているという理由から‘氷の女王’はアルザスの屋敷にある冷温室にて育成することとなったのだ。


「まあ仕方ないよな。お前も‘氷の女王’の為に、相当悪どい事をやらかしたからな」


「悪どいとは何だ。私はただあれに馬鹿女を宛がっただけだ」


「馬鹿女って…だーかーら、それが駄目だったのさ。純粋な乙女にそういう男女関係の複雑さを理解させるのは無理な話だったんだよ!」



      *



――誘拐騒動の後、サーシャはフェンリルとアルザスから事の由を全て聞かされたのだった。


『…では、シャネリアさんがその男性にしつこく付きまとわれる故に、ジーフェス様を隠れ蓑に使ったと』


『まあ、そういう事だ。サーシャ殿には事後報告となってしまい、すまなかった』


そう謝罪して頭を下げるフェンリルに対し、アルザスはただ黙ったまま様子を見ているだけである。


『…酷い、そんな、そんな事の為に私や、ジーフェス様がどれほど傷付いたと思っているのですか!』


『すまない。短期間で済む事と下手に事情を話して策が洩れるのを防ぐ為だった。とはいえ、それ故に貴女とジーフェス殿を苦しめたのは事実だ。本当に、すまなかった』


『貴方は、私とジーフェス様の気持ちを弄んだのですよ!私達の気持ちを…』


『そなた達の想いはその程度だったのか?』


言い合う二人の間に入るように、アルザスの冷たい一声が突き刺さる。


『そんな程度って…』


『私にはそなたとジーフェスが政略婚とは違って、強い絆で結ばれていると思っていたのだがな、あのような女にも動じず靡かず、お互いの想いを貫けると思っていたのだが…』


『それは…』


『所詮、そなた等もそこいらの上辺だけの夫婦という事か』


痛烈なその一声に、サーシャは何も言えずに唇を噛み締めた。


『おいおい、そりゃ言い過ぎだぞ。どんなに仲の良い夫婦でも、いきなり妾妻を娶れと言われりゃ動揺するさ』


だがフェンリルの言葉を完全に無視し、落ち込むサーシャの様子を横目で見て、部屋を去ろうとしたアルザス。


『…お義兄様は、誰かを好きになった事は無いのですか?』


ふと呟いたサーシャの声に足を止めた。


『お義兄様にとって、人の想いより、稀少な花のほうが大切なのですか?

身内を騙してまで、手に入れるべきものなのですか?

お義兄様にとって、人の想いはその程度のものなのですか?』


『……』


だがアルザスはサーシャの問いに答える事はなく、無言のまま屋敷を後にしたのだった。


そして翌日にはサーシャのもとにアルザスから一通の御詫びの手紙と‘氷の女王’こと薔薇の苗木が届いたのであった。


御詫びの手紙こそ受け取りはしたが、自分の屋敷の設備ではこの花の管理は不可能だと告げ、後日花の苗木のみ送り返し、先の理由から保管管理はアルザスに任せたのであった。



      *



「そういえばあの女、お前の妹はどうしている?未だジーフェスの屋敷に居るのか?」


ふと話題を反らす為にアルザスが発した問いかけに、フェンリルは何故か不思議そうな表情を浮かべた。


「ああ、シャネリアね…何かあいつ、カルルに拐われてから人が変わったようになっちまったよ」


「人が変わった?」


「そうさ、あれほど執着していたジーフェス殿に全く付きまとわなくなったし、逆に嫌悪の目さえ向けて近付こうともしなくなっちまったよ」


「何だそれは、何があったのだ?」


「さあ。ただあそこの侍女…エレーヌだっけ、に聞いた話だと、何でもジーフェス殿が例の薬の副作用で下半身が使い物にならなくなってる時に、もうひとりの老女の侍女があいつの(しも)の処理をしているのを目撃して以来、避けるようになったと言ってたけどな」


「は!?」


「あいつは昔から恋愛小説に出るような白馬の王子様に憧れているのさ…あ、でもあいつの言う王子様はてめえのような細ひょろ野郎じゃなくて、ジーフェス殿のような筋肉むきむきがっちり系ね。

で、王子様はいつも正義の味方で強くて優しくて、悪を許さず絶対不浄なんてしない、って決めつけていたのさ。

要はジーフェス殿の不浄姿を見て、現実との落差についていけなかった、という事じゃないか。最近の言葉で言うなら厨なんとかってやつだな」


「…そんな頭の中お天気な女の為に、我々は振り回された訳か?」


アルザスの声が呆れと怒りで低くなっていく。


「おいおい、良いじゃないか、振り回された中でお前はシルファミンクの取引権利と‘氷の女王’を手にしたんだし…」


「薔薇のほうはサーシャ殿に権利を渡したのだぞ。折角の稀少な花だというのに…」


「怒るなよ。大体てめぇは自身の手は汚さずして欲しいものだけ手に入れようとするのが間違いなのさ。

あれはお前じゃなく、お前の所業(せい)で傷付いたサーシャ殿に渡すのが筋…」


「サーシャがどうかして?」


「「!?」」


突然の第三者の声に二人が声のほうへ振り向くと、そこには神の如き美しい美貌をした若い女性が立っており、だが今はその美貌を怒りの様相で歪め、二人を睨み付けている。


「あんたは…!?」


「またそなたか…今度は何しに来たのだ?」


女性の姿を見たフェンリルな驚きに目を見開き、アルザスは表情を忌々しいものに変えて負けじと女性を睨み返した。


「何だよお前、今の言葉。その物言いだとまるで彼女が何度もここに来ているような言い種は…!?」


フェンリルはアルザスの言葉と二人の態度に何か感じたらしく、驚きから少し下卑た笑いを浮かべた。


「へぇー、ふぅーん。成る程ねぇ…全大陸でも随一の美形を誇る御二人がねぇ…こんな場所で逢い引きとはねえ…」


「戯れ言を」


「御冗談を」


フェンリルのふざけた言葉に、アルザスと女性…メリンダは即座に否定する。


「それよりも先程の話は何かしら?サーシャが傷付いたとか何とか聞こえたけど…」


メリンダは怒りの顔をそのままに二人、特にアルザスに厳しい視線を向ける。


「そなたには関係の無い事だ」


厳しい視線にも無表情で冷たく言い放つアルザス。それが却って彼女の不信感を煽る。


「そう…サーシャは貴方の義妹である前に私の妹でもあるのよ。

貴方がサーシャを傷付けるのならば、それ相応の報復を受けて貰う事になるわよ」


メリンダが脅しと怒りを込めて発した直後、辺りの空気が一瞬ざわりと嫌な感じに動いた。


「うわ…」


不穏な気配を感じたフェンリルは恐怖に肩を竦めるのに対し、アルザスは全く動じる事なくメリンダを睨み付けたままである。


「全く動じないなんて…面白くないわね」


直後、辺りの空気が以前の穏やかな様子に戻った。


「で、サーシャに何をしたの?」


「ジーフェスに付きまとう女が居て、その為にサーシャ殿が心を痛めたというだけだ」


「ジーフェスに、女?!」


半分だけ真実を告げるアルザスに、メリンダはその内容に表情を更に歪めた。


「その女何者?サーシャの夫に、アクリウム国が‘神託’で選びし夫を横恋慕するなんて…その女万死に値するわ!」


「心配するな。その女なら既にジーフェスから手を引いた」


「手を引いたですって、本当なのそれは」


「本当さ。まあぶっちゃけ言えばその女、俺の知り合いだがな」


余計な事にフェンリルが横から口を挟んできた。


「貴方は確か…」


「俺はウルファリン国領主バッファヘルの第三息子のフェンリルと申す者、以降御見知りおきを」


そう言うとメリンダの前で恭しく紳士の礼をとるのであった。


「ウルファリン国のフェンリル…そう、貴方があのフェンリル殿なのね」


“フェンリル殿、ね…。

ウルファリン国の主に外交を中心に担っており、タイクーン国との不平等条約の解約に漕ぎ着け、辺境の国として初めてウインディア帝国とも直接交渉を始めた立役者…”


フェンリルの素性を知ったメリンダはその瞳を警戒と好奇心に光らせ、じっと値踏みするかのように見つめる。


「おやおや、アーリア大陸随一の権力を誇るアクリウム帝国の、しかも美の女神エロウナの再来と謳われし麗しき美姫の宰相様が俺を御存知とは光栄の至り」


「まあ、御上手ですこと…」


お互いにこやかな笑みを浮かべているものの、見つめる瞳は全く笑っていない。


“全く、お互い見事なまでの化け合戦だな”


アルザスはそんな二人の様子を冷ややかな目で見ている。


「先程の話、貴方の知人が私の妹の夫に横恋慕してたというけど」


「ああ、その件でしたらその知人には厳重に注意し二度と近付かないように致しましたし、サーシャ殿には御詫びの品を贈らせて頂きました」


そう言うとフェンリルは懐から一枚の紙…例の押し花された紙を取り出してメリンダに差し出した。


「これは…まさか‘氷の女王’かしら」


「博識な御方だ、その通りです。我が国で発見され、最近繁殖に成功したので御座います。こちらの苗木をサーシャ様にお渡しした次第です」


「サーシャに氷の女王(これ)を!?」


「はい、もし宜しければ御近づきの証に貴女様にも同じものを贈らせて頂きたいのだが…」


「まあ」


フェンリルの言葉にメリンダは始めは驚き、やがてにこやかな笑顔を浮かべ、そんな彼女の様子にアルザスは微かに表情を歪めた。


「そのような貴重なものを頂けるとは…何か我が国に入り用でも御有りですか?」


「滅相も無い。わたくしはただ、誉れ高き貴女様と御近づきになれた礼をしたいだけに御座います」


鋭いメリンダの視線にも、フェンリルは臆すること無く、飄々とした態度でそう述べ礼を尽くすのみ。


「まあ、御上手ですこと…では有り難く頂きますわ。その代わり、と言うわけでは御座いませんが、何かあればわたくしの力の及ぶ限りの支援を御約束致します」


「それはそれは、帝国の御支援とは大変なる名誉。ですが今回は御挨拶代わりの贈り物として御受け取り下さいませ」


「……」


二人のやり取りを見ていたアルザスの視線が益々冷めたものへと変わる。


“フェンリルめ…貴重な資源をちらつかせウインディア帝国だけでなくアクリウム帝国も味方に引き入れるつもりか?

そしてアクリウム帝国をアーリア大陸諸国との交渉の潤滑油にするつもりか”


それからにこやかに微笑む…だが相変わらず蒼い瞳は全く笑っていないメリンダを見て表情を歪めた。


“女狐め、フェンリルの意図は解っていながらそれに乗るとはな。まあウルファリン国の資源と奴の実力を見ての判断は流石というべきだか…”


だが表面上、二人の微笑ましい様子が何故か面白くないアルザスは珍しく苛立ちを感じてしまうのだった。


“つまらん、実につまらんな…”


まるで拗ねた子供のように二人に気付かれないようにふいと視線を反らすアルザスなのであった。



      *



――翌日。

ジーフェスの屋敷ではジーフェスとサーシャ達に見送られ、シャネリアとラファイルが玄関先まで来ていた。


「迷惑かけた、本当に、すまない。沢山ありがと」


片言のアーリア言語でラファイルは謝罪と謝礼を述べ、皆の前で深々と頭を下げた。


「我が主、先行ったが、皆様に感謝する、言ってた…」


フェンリルはもうひとりの従者ギアランと共にカルルやその従者を祖国に帰還させる手続きを行う為に、先に港に向かっていた。


「いや、こちらこそ…」


「大したもてなしも出来ずにすみませんでした」


謙虚なジーフェスとサーシャの会話に、横に居たエレーヌ達は大いに不満顔である。


「ちょっとー旦那様、こんな人達…まあ実質悪いのはこの女だけだけどぉ、それでもこの女達のお陰で旦那様にサーシャ様が散々な目に遭ったんですよー!そんな人達にそんな優しい言葉なんて必要ないですー!」


遂にはエレーヌがそう文句をつけてきた。

彼女の言葉に他の従者も無言で頷き、他人への礼儀に厳しいあのポーでさえも彼女を窘めようとはしない。


「(何よあんた!従者のくせして最後まで生意気ね!)」


言葉は解らなくても口調や態度からエレーヌが自分の悪口を言ったのだと察したシャネリアは、彼女を睨み付けると早口で辺境言語を捲し立てる。


「何よ!あたしに喧嘩売る気!」


「(何ですって!?)」


「喧嘩は止めろエレーヌ。最後くらい笑顔で見送れないのか」


「(お止め下さいませシャネリア様。無礼もありましたが彼等に多大なお世話を受けたのも事実、最後は気持ちよく御別れするのが上の者の務めで御座います)」


睨み合う二人を、ジーフェスとラファイルがそれぞれ窘めていった。


「……」


窘められたそれぞれは口を閉ざしてしまい、それ以上何も言わなかったが、無言のまま不満そうに互いを睨み付けた。


「シャネリアさん」


そんな中で、サーシャが突然不機嫌なシャネリアに近寄り声をかけてきた。


「(何かしら?)」


半ば八つ当たり気味に返事をする彼女に、サーシャは気にしないのかにこやかに微笑み、更に話を続ける。


「今回はこんな形でのフェルティ国の訪問になってしまったけど…次は是非遊びに訪問して下さいね」


屈託の無い笑顔を浮かべ、優しく述べるサーシャの姿にジーフェスやエレーヌ達、そしてラファイルまでが驚きの表情を浮かべた。

ただひとり、言葉を理解出来ないシャネリアは不服そうな表情のままであるが。


「サーシャ…」


「サーシャ様、こんな女に、旦那様を横恋慕しようとした女に気を使う必要はありませんよ!」


ジーフェスはただただ言葉を失い、エレーヌはぎっとシャネリアを睨み付けたままそう叫んだ。


“普通夫を横恋慕しようとした女なんて憎くて忌み嫌うものだろう!なのに何故サーシャはシャネリア殿に対してそうも落ち着いていられるのだ?

まさかサーシャ、俺の事など何とも思ってないとか!”


彼女の余りの突飛な言葉に、ジーフェスはサーシャの自分に対する気持ちさえも疑ってしまう。


「ラファイルさん、シャネリアさんにそう伝えて頂けますか?」


周りの様子など気にせずに告げるサーシャに、ラファイルは我に帰りシャネリアに通訳するのだった。


やっとサーシャの言葉を理解した彼女はみるみる表情を驚愕に変え、何故か憎々しげにサーシャを睨み付けた。


「サーシャ…カレ、サルメ?」


「え?」


ぽつりと呟いたシャネリアの言葉を理解出来ずにサーシャは首を傾げた。


「シャネリア様、サーシャ、様…貴女、どしてそう言う?」


「そうですよ!この女は旦那様を横恋慕しようとして散々サーシャ様を蔑ろにして苦しめたんですよ!」


「違うわ、シャネリアさんはジーフェス様を好きになっただけで、私には何もしてませんよ」


「何言ってるんですかサーシャ様っ!サーシャ様は他の女がジーフェス様にくっついても良いのですかっ!」


「いや、それがサーシャを傷付ける事になっているんだけど…」


サーシャの気持ちを理解出来ないエレーヌやジーフェス達はただただ戸惑うばかり。


「…サーシャ、アイメジーフェスララアイユリサス、リアユーナジーフェスアイユリサス?」


サーシャの言葉を翻訳して貰ったシャネリアは、不快な視線をサーシャに向けたまま更に呟いた。


「サーシャ、様…シャネリア様、ジーフェス様べったり、でも、ジーフェス、本当に好きなのか?」


ラファイルの翻訳に、ジーフェスはふとサーシャの言動に不安を感じていた。


“まさかサーシャ、俺の事なんて何とも思ってないのか?!他の女とくっついても良いと思っているのか?だからこんなに平気でいるのか?!”


だが怒りと不思議に首を捻るエレーヌ達に自分への想いに不安を感じるジーフェスの前で、サーシャは躊躇いなく告げるのだった。


「ええ、私はジーフェス様が好きです。ジーフェス様の全てが好きです」


「サーシャ…」


彼女の言葉に思わず驚きと嬉しさと、少し恥ずかしげな表情を浮かべたジーフェス。


「ホーサ?ユーナジーフェスダメナスナメナスアイユリサス?」


だが翻訳を聞いたシャネリアは益々嫌悪感剥き出しの表情で何故かジーフェスを睨み付けてサーシャに問い掛ける。


「サーシャ様…ジーフェス様、悪い部分、格好悪い部分ある。でも、どうして彼、好きなのか?」


その言葉にはじめはきょとんとしていたサーシャだったが、


「ええ、私はジーフェス様の良いところも悪いところも、何もかも全部好きです」


「サーシャ…」


「ジーフェス様は私の全てを受け入れてくれました。私の良いところも悪いところも、アクリウム王家の私でなく、ひとりの人間としての私を、ありのままの私を見てくれて、受け入れて好きになってくれました」


「……」


「だから私も、ジーフェス様の全てを、素敵なジーフェス様も格好悪いジーフェス様も、何もかも好きなのです」


すっきりとした表情で言い切ったサーシャの姿に、暫し誰もが言葉を無くした。


「さ、流石ですサーシャ様〜!

そうよ、旦那様もサーシャ様もお互い想い合ってるのよ!あんたなんかが立ち入る隙間なんて無いのっ!」


嬉しそうに叫ぶエレーヌに、ポー達は皆頷く。


「サーシャ、俺もサーシャが好きだよ。サーシャの全てが、良いところも悪いところも、ありのままのサーシャが好きだよ」


ジーフェスはそう囁きサーシャの肩を抱き寄せた。


「シャネリア殿、貴女の想いは嬉しかった。でも俺はサーシャ以外は駄目なんだ。俺の全てを受け入れてくれたサーシャ以外を好きにはなれない」


確固たる意思を込めて告げた言葉を、ラファイルが躊躇いつつも翻訳していく。


「(良いところも悪いところもありのままが好きですって!?)」


シャネリアは驚き、自然と二人に視線を向けた。


「(はい、お互いがお互いの全てを解りあい認めあい、お互いの長所も短所も受け入れておられるのです)」


「(お互いの全てを…)」


二人の姿に、仲睦まじく寄り添うその姿に胸の奥がちりちり傷んだ。


“(何よこれ!私は人に不浄を手伝って貰うような情けない男はこちらから御断りよっ!)”


だけど胸の痛みは消えない。


“(何よ何よ!情けない男には情けない女がお似合いよっ…!

私はね、理想が高いのっ!私だけを好きになって見てくれて…)”


『(シャネリアは馬鹿で夢見がちでぶっ飛んでいて頭のネジが一本や二本も足りないけど、行動的で素直で嘘がつけなくて真っ直ぐな心を持っていて…だから、だからずっと僕は、小さい時からシャネリアが好きだったんだよ)』


突然シャネリアは以前言っていたカルルの言葉を思い出していた。


“(は!?カルル!あいつは論外、論外に決まってるじゃない!)”


だけどカルルの言葉を思い出していく彼女の心の中に、何かくすぐったく、あったかいものが込み上げてくる。


“(小さい頃から好き…ね…)”


それからふとサーシャのほうを見つめた。


「(…ふん、馬鹿みたい!)」


「え?」


「(貴女にはその程度の男がぴったりよ!私はそんな男よりもっと良い男を見つけてみせるわ!)」


「あの…」


「(行くわよラファイル!)」


「(え…あ、は、はいっ!)」


ラファイルが翻訳する間もなく、捨て言葉(せりふ)を吐いてシャネリアはさっさと踵を返して、タフタの待つ馬車へと乗り込んだ。


「さようならシャネリアさん、ラファイルさん!」


二人が乗り込んだ馬車はサーシャの笑顔とジーフェス達の困惑した表情に見送られ、屋敷を後にするのだった。


「行ってしまいましたね…」


遥か先に馬車が見えなくなると、ぽつりとサーシャが呟いた。


「サーシャ、その…」


「え?」


「その…嬉しかったよ。サーシャが俺を、好きでいてくれて…」


かなり恥ずかしそうに俯きながら、小さく呟くようにジーフェスがそう言うと、サーシャはにっこりと微笑み返した。


「私はジーフェス様を信じていました。あの時、シャネリアさんに嫉妬して自分を見失った時にジーフェス様が仰有ってくれた言葉を」


「え?」


温かく穏やかでありながら芯のある笑顔に、ジーフェスはあの時サーシャに言った言葉を思い浮かべていた。


『俺はサーシャを信じているよ』


『たとえ兄さんの、国王代理と同等の勅命でも譲れないものは譲れないから』


「あの言葉があったから、私は自信が持てたのです。私はジーフェス様に想われていると」


「……」


余りにも大胆な言葉をさらりと言うサーシャに、周りは冷やかす事も出来ずにいた。


「それに…」


「それに?」


「シャネリアさんには別に王子様が居ますわ。シャネリアさんだけを大切にしてくれる、素敵な王子様が」


「え!?」


「何、何!いつの間にあの女にそんな男が居たのよっ!」


サーシャの言葉にジーフェスもエレーヌも皆が興味津々。


「ラファイルさんやギアランさん……でも無さそうですし」


「ま、まさか誘拐犯のなかに居るとか!」


「それこそ、シャネリアさんに付きまとっていたという粘着男とか!?」


「「ありえない!」」


周りが皆議論する中で、サーシャだけが独り穏やかな笑みを浮かべるのであった。


“シャネリアさん、幸せに”



      *



――こちらは東に広がるウェスティン大海。

フェンリルとシャネリアは大海原の中、祖国ウルファリンへの直行便である船の甲板上にいた。


「(無事に終えたなシャネリア。何事も無く…はないが、とにかく予定通り終えて良かったな)」


「(ええ…)」


「(何だ浮かない顔をして、腹でもこわしたか?)」


「(……)」


「(冗談だよ冗談。さて国に帰ったら忙しいぞ。カルル達を親父に突き出さないといけないしな)」


カルルという名前を聞いたシャネリアは微かに動揺したのだが、フェンリルはそんな妹の様子など気付きもしない。

そのカルルは従者と一緒に船下にある簡易牢に押し込まれたままである。


“(カルル、ね…)”


『(ぼ、僕の命はどうなっても良いから、シャネリアは助けてくれっ!)』


ふと彼女の脳裏に浮かんだのは、暗殺者から身を呈してでも自分を守ってくれた姿。

おデブで格好も最悪なのに、あの時の彼はシャネリアにとって本物の王子様さながらに見えた。


『(僕なんか見た目のまんまだし、君にひとつも隠し事もしないから連れ合いになるにはぴったり)』


“(連れ合い、ねえ…)”


そこまで考えて、はっと我に帰った。


「(ふざけないでよ!あんたなんかこっちから御断りよっ!!)」


「(!?)」


突然叫びだした妹に、横に居たフェンリルは驚き、危うく大海原に落っこちそうになった。


「(な、何だシャネリア、何があった?)」


兄の問い掛けにシャネリアはぎっと表情を引き締め答えるのであった。


「(絶対、絶対に私はこの世界で一番の王子様と結婚するのよっ!!)」

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