第12章Ⅷ:見合いの真実
☆補足説明☆
[]内の言葉…ウィルス言語を表しています
――話は数日前に遡る。
ジーフェスの屋敷に来ていたアルザスとフェンリルの二人は、屋敷の奥にある小さな客間に居た。
部屋には二人以外の姿は無く、部屋の周囲には姿こそ見えないが‘闇陽’数人とギアランが目を光らせていた。
「(お前が話の解る奴で良かったよ)」
傍にあったソファーに腰掛けながらフェンリルはほっと安堵の息を出しながら呟く。
「(勘違いするな。未だお前の話を受けるとは言ってないぞ)」
ローテーブルを挟んで反対側に座ったアルザスが淡々と否定する。
「(厳しいなあ…俺とお前との仲じゃないか)」
「(黙れ、わたしはお前とそういう仲になったつもりは無い、さっさと用件を話せ)」
取り繕う隙も無いアルザスの冷淡な態度に、フェンリルは苦笑いを浮かべ、肩を竦めた。
「(やれやれ…確かお前、ウィルス言語は話せたよな?)」
「[それが何だ?]」
いきなり目的の言葉に変えた男に、フェンリルはにやりと満足げに笑みを浮かべた。
「[話が早くて助かるよ]」
「[御託は良いからさっさと理由を話せ]」
全くもって妥協を赦さぬその態度に、だが安心したようにフェンリルは口を開いて下手くそなウィルス言語で語りだした。
「[ぶっちゃけ結論から言うと、お前にシャネリアを護って欲しいんだ]」
「[護る、何故だ?]」
話の内容に訝しげな表情を浮かべ、アルザスは完璧で綺麗なウィルス言語を語る。
「[ああ、シャネリアの奴、ある男にしつこく迫られていてな、で、そいつを退ける為に権威のある他国の王族…まあお前なんだけどな、と形だけ見合いと婚約をさせたいのさ]」
「[何だそれは?そんな事なら回りくどい事などせずに、直接その男に釘を差すなり追い払うなりすれば良かろうに]」
「[普通の男ならとっくにそうしてるさ。だが相手が悪過ぎるんだ]」
「[悪過ぎる?]」
「[ああ、シャネリアに迫っている男、カルルと言うんだが…そいつは昔から我が一族に仕える側近中の側近、ベッテン一族の子息なのさ]」
「[親は親、息子は息子だろうが、お前達の内輪の事情に、こんな実に馬鹿げた事の為にわたしを利用しようとしたのか?]」
いよいよ怒りに顔を歪ませ、目の前のフェンリルを睨み付けるアルザス。
「[俺も出来ればそいつを力ずくで排除したかったさ!だが親父があいつの親一族に絶対的な信頼を持つ以上、実権を持ってる以上俺には手出し出来なかったんだよ!]」
「[……]」
「[おまけに親父の奴、酔った勢いでシャネリアとあの馬鹿息子との婚姻誓約書に署名しやがったのさ!
あとシャネリアの署名さえ有れば、あの二人は強制的に夫婦になってしまう、それだけは絶対に避けたいんだ!
幸いその婚姻誓約書は期限があって、あと十日のうちにシャネリアが承認の印を押して長に…まあこの場合俺の親父さんだが、に提出しないと無効になるのさ]」
「[それでお前は妹を連れて此処まで逃げて来たのか]」
「[そういう事だ。というわけで力を貸してくれないか?十日間だけあいつをお前の保護下に、出来たら婚約者として置いといてくれんか?
勿論ただでとは言わないさ。我が国の特産シルファミンクの取引ではどうだ?]」
「[シルファミンク…]」
「[そうさ、エーカーやシエンタ大陸では既に取引してるけど、アーリア大陸ではこの国が初めての取引となる]」
「[だが温暖なこの大陸に毛皮の需要などほとんど無いぞ]」
アルザスの尤もな意見に、フェンリルはちっちっと舌打ちをする。
「[解ってないなあお前、毛皮なんてものは防寒だけじゃなくて、金持ちが持つ象徴のようなものさ。シルファミンクは他の毛皮よりも希少価値が高くてダリアナと同等の価値があるんだぜ]」
「[ダリアナ…]」
大陸一の希少かつ高価な宝石の名を出され、アルザスの気持ちが微かに揺らいだ。
「[まああんたが嫌というなら、この取引は無効にして、そうだな…アクリウム国のメリンダ辺りにでも売り付けてみるかな]」
彼女の名前が出た途端、アルザスの表情が微かに歪んだ。
「[冗談だよ、あんな大国に売り付ける馬鹿はやらねぇよ。せいぜい良いとこ取りされて見捨てられるのがオチさ]」
「[あの女ならそのくらいは遣りかねん。だがこの取引は無効だ]」
「[は!?何でだ?]」
「[その程度の条件であのお転婆娘の護衛など割に合わん。さっさと国を出ていくか、他の条件を出すことだな]」
淡々と言い放つその態度に、これ以上の説得は無理と感じたフェンリルは深い溜め息をついた。
「[やっぱこの程度じゃああんたは動かないか…]」
そう呟くと、フェンリルは懐を探ってあるものを取り出し、ローテーブルに置いた。
「[これは…!?]」
それは白い厚手の紙…そこには小さく白い花が押し花されたものがあったが、それを目にしたアルザスの表情が驚愕に歪んだ。
「[やっぱりな、あんたならこの花の価値が解るみたいだな]」
アルザスの反応にフェンリルがにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「[何処だ、何処でこの花を見つけた!]」
常に冷静な彼が珍しく動揺し、目の前にある押し花に手を伸ばそうとしたが、一足早くフェンリルがそれを奪い取った。
「[おっと、簡単に‘氷の女王’はやらねえよ]」
にやにや笑うフェンリルに、アルザスはぎっと睨みをきかせた。
「[草花を嗜む者、特に薔薇の愛好家にとって涎垂れる品のひとつ、冷涼な地でのみで育ち数多の愛好家でさえその花の姿を見た者はごく僅かという幻の白薔薇‘氷の女王’、こいつの苗木とならどうだ?]」
「[何だと!?]」
「[数ヶ月前にたまたま見つけた我が国の愛好家が収集して繁殖させたら、これが上手くいったのさ。まあ数はさほど無いけどな。因みにこの話をしたのはお前が最初だ。で、どうする?]」
「[………]」
複雑な表情をしたまま、暫くの間アルザスは何も言えずにいた。だがフェンリルはそれが答えだと確信し、勝ち誇った表情を浮かべた。
「[解った、シルファミンクと薔薇の苗木、二つと引き換えに貴殿の妹を保護しよう]」
「[よし]」
「[但し、あの女の婚約者はわたしではなくジーフェスに務めて貰う。それが条件だ]」
「[はあ、何でだ?確かあいつ、ジーフェスには奥さんが居ただろう]」
不思議そうな表情をするフェンリルに対し、アルザスは無表情に戻り淡々と話す。
「[あの女の様子から、わたしよりはあれのほうが婚約者として都合が良かろう]」
「[いや、まあ確かにシャネリアの奴、ジーフェスを気に入ってはいるが…奥方を、アクリウム国を差し置いてはちょいとやばくないかい?]」
「[当然お前の妹は妾妻扱いにしか出来ん。何よりもあれに面倒な女のあしらい方を覚えるのに丁度良い機会だ。それに…]」
「[それに?]」
「[それしきの邪魔であの二人の関係が壊れるならそれまでだということだ]」
「[お前なあ…]」
「[話は以上だ。くれぐれもこの取引、他言無用だからな]」
「[はいはい。解ったよ。じゃあそれで話はつけとくよ]」
*
「そんな…そんな話が二人の間であったのか…」
ベッドの上でフェンリルの話を、今までの経緯を全て聞いたジーフェスはその内容に怒りに身体を震わせた。
「そんな、つまらない取引の為に、サーシャがどれほど苦しんだのか、貴様は解っているのか…っ!」
サーシャの悲しむ姿を思い出し、ジーフェスは更に怒りを積もらせフェンリルに一発ぶちかまそうとしたが、立ち上がろうとした途端に下半身に力が入らずへなへなとその場に崩れ落ちた。
「おいおい無理すんな。俺に怒るのは解るが、お前にシャネリアを宛がったのはあの色男のほうだぜ」
「…黙れ!」
“兄さんも兄さんだ!苗木欲しさに、サーシャが傷付くのを解っていながらこのような暴挙に出るなんて!”
ジーフェスはフェンリル達に支えられ再びベッドに戻りながらも悔しさに歯を食い縛り、八つ当たり気味に忌々しげに彼を睨み付けた。
「まあカルルの事だ、シャネリアは当然だがお前の奥方も手を出したり傷付けたりはしないさ。大方目的を果たす為の人質だろう」
「煩い!くそっ、身体がまともに動きさえすれば…」
「心配するな、今あいつが、ラファイルが探りを入れている。その内戻って…」
そんな会話をしている中、突然二人の目の前に黒装束の男…見た目ジーフェス達と同じ位の若い男が現れた。
「あんたは…」
「…?」
フェンリルが不審な眼差しを男に向けるのに対し、ジーフェスのほうはその姿を見るなり表情を歪めた。
“あれ、この姿は間違いなく‘闇陽’の装束だが…見たことのない顔だな”
一年近く‘闇陽’に属していた彼でさえ、目の前の男の姿に記憶が無い。
“新人の者なのかな?…だがそれにしては彼の雰囲気は異様だが…”
「御初に御目にかかりますジーフェス様にフェンリル様。わたくしは‘闇陽’の者、シャネリア様等を拐かした賊の行方が解りましたので御報告に参りました」
そんな二人の様子を無視するかのように、男は深々と紳士的な礼をすると淡々と話し出した。
「シャネリアの行方が解っただと!」
「本当か!?」
話の内容に驚く二人の前に、続いてラファイルが現れた。
「(フェンリル様、シャネリア様達の行方が解りました。やはり御二方を拐かしたのはベッテン家の手の者でした…この者は?)」
ラファイルは部屋に居た男に訝しげな視線を向けた。
「(…わたくしは‘闇陽’に属する者)」
ラファイルに睨まれた男は表情を変える事なく、いきなり流暢な辺境言語を語り出すのであった。
「(お前、辺境言語を話せるのか!?)」
「(…そなたはフェンリル様の御付きの従者か?)」
「(そ、そうだが…それが何だ?)」
ラファイルは自分をじっと見つめる目の前の男に嫌悪感を抱きながらも、男の発する異様な雰囲気に恐怖さえ感じていた。
“何だこの男…見たところフェンリル様と同じ位の若い姿をしているが…身体から発せられる雰囲気が、何というのか…”
フェンリルも同様に感じたらしく、ラファイル同様厳しい視線を男に向けていた。
「あんた何者だ?こんな雰囲気を纏うなんて、只の暗殺者じゃ有り得ない。相当な腕前と見受けるが…」
「…先程‘闇陽’が御二人の囚われていた屋敷を襲撃致しました。無事全ての賊を撃退致し、シャネリア様とサーシャ様を無事保護致しましたので、間も無くこちらの屋敷までお戻りになられるかと思います」
「「…は!?」」
だが男は畑違いの話題で質問の回答を避け、男の話の内容に三人が言葉を失った。
「襲撃って…」
「(まさか!?わたしが偵察に入った時は未だ奴等は普通にぴんぴんしていたぞ!わたしがここに戻る僅かな間に‘闇陽’は襲撃したというのか!)」
「…ではわたくしはこれで」
だが男は二人の問い掛けを無視し、相変わらず表情を変えずにぽつりとそう呟くと瞬く間に姿を消してしまった。
「……」
「おいジーフェス、あの男の言った事、信用しても良いのか?」
「あ、ああ…多分…」
“いや、あれは手練れの者の動き。だが今まで一度も見たことのない顔だが…”
「多分て何だよ多分って…ったく、てめえもだがあの色男もかなりいい加減だよな、ちゃんとした護衛をつけるとぬかしておきながら、シャネリア達をあっさり拐かされるし…」
「……」
“変装の達人べべリムさんとも、百の顔を持つファサドさんとも感じが違うし…彼は一体何者なんだ?”
ジーフェスがそんな事を考えていると、突然玄関先が騒がしくなり、ばたばたと派手な足音が聞こえたかと思うといきなり扉が開きエレーヌが姿を現した。
「大変ですっ!サーシャ様が、サーシャ様があの女と一緒に屋敷に戻ってきました!」
「「何だと!?」」
「しかも何人の男が縛られて一緒に来ています…」
エレーヌの言葉もそこそこにフェンリル達(ジーフェスは身体が動かなかったのでその場に残っていた)が玄関先に向かうと、そこには怪我ひとつ無いサーシャとシャネリアの姿、そしてベッテン家の次男カルルとその従者とおぼしき男数人が縄で縛られ‘闇陽’の者数人に取り抑えられている姿があった。
「(シャネリア!)」
「(兄様っ!)」
兄妹はお互いの姿を確認すると人目をはばからずにひしと抱き合った。
「(大丈夫か、何処も怪我はないか?)」
「(大丈夫ですわ兄様)」
「(そうか…そうだ!お前婚姻誓約書はどうした?)」
フェンリルの問いかけに一瞬シャネリアはびくっとなって、懐から一枚の紙切れを取り出すとフェンリルの前で広げた。
「(ああ、間違いなくお前とカルルの婚姻誓約書だな)」
「(ええ…)」
何故か浮かない顔をするシャネリアに対し、それに気付かないフェンリルは喜びを露にそれを受け取ると、縛られたままの男のひとり、一番若い、だがある意味一番体格の良い男の傍まで近寄ると、目の前でそれをびりびりに引き裂いた。
「(カルル、てめえも男ならこんなセコい手を使うんじゃねえよ!)」
「(……)」
カルルという男は不貞腐れた様子でフェンリルから目を反らして俯き、黙ったままである。
そんな彼の様子を見ていたシャネリアは何故か複雑な表情をしている。
「(てめえ達はこの場でボコボコにしてやりたい処だが我慢してやる。だが国に戻り次第親父、もとい領主殿に報告し、厳しい処罰を受けて貰うぞ!)」
「(待って兄様)」
フェンリルがカルル等に向かってそう言うと、何故か突然シャネリアが口を出してきた。
「(どうしたシャネリア?)」
「(兄様…お願いです。どうかカルルとその従者等に御慈悲を)」
シャネリアの、意外なその一言にフェンリルは一瞬訳が解らずに黙りこんでしまった。
「(…は?!何でだ、シャネリア、お前奴らにどんな目に遭わされたか解っているよな!?こいつらはお前の意思を無視して、拐かしてまで無理矢理お前を娶ろうとしたんだぞ!)」
人目も憚らず大声で叫ぶフェンリル。
シャネリアはそんな兄の姿に少し怯えながらもこくりと頷く。
「(解っております。ですが…これも全て私の我が儘から来た、いわば身から出た錆のようなものです。もし彼らを罰するのであれば、私にも同等の罰を与えて下さい)」
「(お前…)」
“な、何なんだシャネリアのこの態度は!?拐かされる前の、あの傲慢で勝ち気、かつ我が儘な女王様態度は一体何処に行ったんだっ!!”
フェンリルは目の前の妹の姿を、信じられないといった目付きで見ている。
「(お、お前、正真正銘シャネリアだよな?まさかベッテン家の従者が化けた偽物じゃないよな…)」
その一言に、シャネリアははっとなり、次の瞬間には恐ろしいまでの怒りを浮かべ、兄を睨み付けた。
「(何を言うのですか兄上!失礼な!私はれっきとした本物のシャネリア=ウルファリエス(※ウルファリン国領主の血族の意)ですわ!何でしたらここで裸になって黒子の位置を確認されますか!)」
「(わ、解った解った!その態度にその口調、間違いなく俺の妹のシャネリアだ)」
慌てて否定するフェンリルは、何時ものシャネリア節が聞けたのに心の中で安堵するのだった。
「(解った、お前がそう言うのなら慈悲はかけよう。
だがそれでも従者である身でありながら領主の血筋に手を出すのは本来なら死罪、それなりの咎を受けねば体裁がつかんぞ、良いな)」
「(…はい)」
フェンリルの言葉に何か言いたげなシャネリアであったが、渋々頷いた。
「(おいカルル、てめえシャネリアに感謝しろよ、俺だったら間違いなくてめえとそこに居るてめえの従者全員の首を取るところだったからな!)」
フェンリルの脅しの言葉に、縛られていた彼等はびくっ、と肩を震わせ縮みこんでしまった。
“(もうやだ、無事放免されたらベッテン家の従者なんて辞めてやる!!)”
“(あんな酷い目に遭う位なら国を追放されたい位だっ!!)”
捕縛されている従者がめいめいそんな事を考えている中で、首領とおぼしき壮年の男がふと身体を震わせた。
“(本当にあれは不思議な出来事だった。
ウルファリン国随一と言うべきの我が隠密団が、たった独りの男に一瞬でやられてしまったのだからな…)”
そして己等を捕縛する‘闇陽’の男達に視線を向けた。
“(この中には居ないようだが…あれほどの凄腕の者、本当に人間だったのだろうか?)”
首領の男はその時の事を思い出すと、再び身体を震わせるのであった。