第12章Ⅴ:身代わりの代償
「ジーフェスに見合いさせたとはどういう事か、説明して貰おうか?」
「……」
――ジーフェスの屋敷から直後王宮へと赴いたアルザス。
だが執務室で彼を待ち受けていたのは、戸惑う表情をした秘書のラルゴと近衛兵隊の一団であった。
「アルザス宰相様、殿下の御命令により貴方様をお連れ致します」
命令に逆らえず、近衛兵隊に囚われるようにアルザスはカドゥースの執務室へと連れていかれたのだった。
“例の件がいずれ殿下の耳に入るとは思っていたが、やけに早過ぎるな。誰か密告でもしたか?”
返答に迷い、沈黙を通すアルザスに、カドゥースは眉を潜めた。
「アルザス、我は確かにお前の命に我が命と同等の権利を与えた。だがそれはお前が我の意思に絶対的な忠誠を誓った上での事だ。
今回のジーフェスの件はそれに反する事だと解っての事か?」
「殿下の仰有る事は理解致しております」
「ならば即刻ジーフェスとあの者との見合いを抹消しろ。お前のやってる事はサーシャ殿を、引いてはアクリウム国を侮辱する事なのだぞ」
「解っております。だからこそ…」
「何故そのような事をせねばならぬのだ。そこまであの女に、ウルファリン国に拘るのは何故だ?」
「……」
カドゥースの問い掛けにアルザスは黙りを通す。だがそれが全ての答えだった。
「成る程な、何を出された。慎重かつ冷淡なお前がここまで大それた事を仕出かす程の報酬は何だ?」
「ウルファリン国原産のシルファミンクの毛皮の交渉権で御座います」
「シルファミンク…」
「はい、かの獣の毛皮はシエンタ大陸、特に帝国ウインディアではその毛並みの美しさと暖かさから絶大な人気を誇っております。
シルファミンク最大の成育地であるウルファリン国の産業を我が国が抑えれば、わが国益に繋がります」
だがアルザスの説明にも、カドゥースは表情ひとつ変えない。
「それだけか」
「はい?」
「お前を動かしたのはそれだけでは無いだろう。その程度のものならお前は端から無視してる。我はお前の性格を充分に把握している、我を嘗めるな!」
「!?」
カドゥースの予想外の厳しい言葉にアルザスは言葉を詰まらせた。
「お前をそこまで動かしたのは何だ、答えろアルザス」
「……」
“流石殿下、私の事はお見通し、か…”
最早言い逃れは出来ぬと判断したアルザスは深い溜め息をついたかと思うと、その重い口を開くのであった。
*
――こちらはジーフェスの屋敷。
「じ、じゃあ…行ってくるよ…」
凄く気まずい雰囲気の中、遅めの朝食を終えたジーフェスはサーシャとシャネリアが見守る中、自衛団の庁舎に向かっていった。
「行ってらっしゃいませ」
「(行ってらっしゃい、あなた)」
同時に見送りの言葉を発し、二人はお互いの顔を見合わせた。
「あの…」
シャネリアはふんとサーシャから視線を反らすと彼女の見ている前で思い切りジーフェスに抱きついたのだった。
「!?」
「ち、ちょっと…」
「(ジーフェス様が居なくてシャネリアはとても寂しいです。早くお戻り下さいませ)」
そう言ってジーフェスの頬にキスをするのだった。
「ま、待った!その…」
慌ててシャネリアを引き剥がそうとしてサーシャに視線を向けると、呆気にとられた表情で自分達の様子を見ている。
「サーシャ、これはその…」
「(まあ、このくらいの振る舞いにいちいち腹を立てるようでは正妻としてはやっていけませんわよ)」
サーシャの反応を見たシャネリアは満足げに笑うと、小馬鹿にした口調でそう告げるのだった。
「え!?」
「ちょっとあんた、何してるのよ!サーシャ様の前で旦那様にくっつくなんてっ!図々しいにも程があるわっ!」
脇で一部始終を見ていたエレーヌがガチで怒って二人の傍まで駆け寄り、シャネリアを強引にジーフェスから引き剥がした。
「(ちょっと!何するのよあんたっ!)」
「煩いわねこの泥棒猫!アルザス様はあんたを旦那様と見合いするよう仰有ってたけど、私は絶っ対!認めないからねっ!」
「(何よ!従者の分際で私に逆らうなんてっ!)」
「サーシャ様もサーシャ様です。指を加えて見てないで、こんな図々しい女、一発ぶちかまして良いんですよっ!」
かなり怒りで興奮してるのか、彼女特有のだらけた鼻声が完全に無くなっている。
「ぶちかますって…」
「ジーフェス殿は御在宅かな?」
玄関先で騒動の最中、突然軍の制服を纏った男二人が現れた。
彼等を見たジーフェスの表情が強張る。
「こ、これは国軍の…!」
国軍と呼ばれた男達はジーフェス達の様子を見て顔を歪めた。
「ジーフェス殿、未だ屋敷におられたのか!よもや本日が国軍の定例会議ということをお忘れか?」
「わ、忘れていませんっ!ちょっと来客中で…」
「言い訳は良い!皆が待っておる、早く参られよ!」
「は、はいっ!」
ジーフェスは男二人に半ば強引に連れられ、二人が乗ってきた馬車に押し込められ、三人を乗せたかと思うと颯爽と屋敷を後にした。
「逃げたわね、旦那様…」
シャネリアと取っ組み合いに近い喧嘩をしていたエレーヌが横目に去っていく馬車を見てぼそっと呟いた。
「(ラファイル!この女どうにかしなさいよっ!)」
「(しかし…)」
シャネリアの怒鳴り声に、ラファイルは困ったような表情を浮かべおろおろするばかり。
「あんたもこの馬鹿お嬢様何とかしてよっ!全く、この女の兄は何してるのよっ!」
「あ…その…」
しまいにはエレーヌからも責められ、すっかり混乱してしまうラファイル。
フェンリルとギアランは何故か朝一で屋敷から姿を消していた。
「エレーヌさんもシャネリアさんも喧嘩しないで下さい。ラファイルさんが困っていますわ…」
戸惑い何も出来ないラファイルに、何故か皆を窘めてしまうサーシャ。
「だからサーシャ様がそんなのんびりしてどうするのですかっ!」
…こんな感じの騒動がずっと続き、ジーフェスの屋敷は昼前迄非常に賑やかであったのだった。
*
――一方、夜明けと共に屋敷を後にしたフェンリルは、フェルティ港の裏手、人気のない場所で独り佇んでいた。
「(フェンリル様)」
そんな彼の前にひとりの人物、ギアランが姿を現した。
「(どうだ、何か解ったか?)」
小声で、地方色の強い辺境言語を使って話し掛けると、ギアランは微かに表情を歪めた。
「(港の者の話から、今朝のウインディアからの定期便に我等と似たような格好の男が数人居たようです)」
「(やはりな、あれがいくら馬鹿とはいえシャネリアの失踪に気付かぬほど抜けてはないという事か…)」
「(如何致しますか?シャネリア様はジーフェス殿の屋敷で保護されているとはいえ…)」
「(それは心配無い、アルザスが奴のお抱え隠密数人をシャネリアにつけてくれた。あの馬鹿の従者くらいなら追い払えるだろう)」
「(あと十日もたせれば良い。十日経てばあの馬鹿もシャネリアに手出し出来なくなるからな)」
「(は。しかしジーフェス殿の件は如何したら…)」
「(ああ、ジーフェス殿の件は誤算だったな。まさかシャネリアが奴に惚れるとはな。まあそれを含めてあの色男が上手いことやってくれたお陰で‘目的’も果たせそうだしな。
ジーフェス殿にはとばっちりを受けた形になってしまったが…その分あの色男に倍返しはしたからな)」
「(ですがシャネリア様は確か…)」
「(あれの事か?だが最早あれは手の出せぬ存在となった。あとはシャネリア自身の気持ちの問題だ)」
「(はあ…)」
「(それよりも奴等の動きが気になる。あの馬鹿がシャネリアを狙って何を仕出かすか…ちっ!まさか遠方のこの国まで追い掛けてくるとはな!)」
苦虫を噛み潰したような表情をして、フェンリルはちっと舌打ちをする。
「(とにかくシャネリアから目を離すな。お前は一旦屋敷に戻りラファイルにもそう伝えろ)」
「(御意)」
*
――ジーフェスの屋敷では主人の居ない中、サーシャとシャネリアはそれぞれの部屋で独り過ごしていた。
そんな中サーシャは部屋の中でいつものように書物を読んでいるのだった。
「……」
だがどうも気持ちが落ち着かず、読書に集中出来ない。
“どうしたのかしら、私…”
理由は解っている。シャネリアの存在である。
本当はあの時、朝ジーフェスを見送る時に彼女に一言言いたかった。言うつもりでいた。
だが先にエレーヌがでしゃばってしまった故に、サーシャは何も言えなくなってしまった。
“本当は私も彼女にジーフェス様に触れないでと言いたかった”
ふとサーシャは今朝の事を思い出していた。
“あの時、アルザス義兄様が勅命を下した時にジーフェス様は頑なに拒否してくれた”
だが結局は勅命ということで逆らえずに渋々従う事になったのだが。
“あの行動からジーフェス様はシャネリアさんと見合いするのを嫌がっておられた。それはジーフェス様が私を好き故の行動、よね”
頬を熱くし微かに優越感に浸りながらもサーシャの心は不安だった。
“でもシャネリアさんはとても素直で積極的で、それに何よりも…”
サーシャの脳裏に浮かぶのはシャネリアの姿。
雪焼けの茶色の健康的な肌にくりくりとした大きな黒の瞳、魅惑的なぽってりとした唇、年齢とは少し不釣り合いな豊満な肉体。
“私とは正反対の容姿に健康的な身体つき。見た目美人とかではないけど人を惹き付ける魅力があって…。
まさか、まさかジーフェス様に限ってシャネリアさんに心動かされるなんて、無いわよね”
見た目から恐らく同じくらいの年齢のシャネリアに、サーシャは不安と同時に少し嫉妬も覚えるのであった。
“シャネリアさんに、生命を助ける為とはいえジーフェス様が口づけた…”
サーシャの脳裏にジーフェスとシャネリアが濃厚に口づける場面が浮かぶ。
“嫌!いくら人助けだからって、他の女性に触れないで!ジーフェスと様っ!”
イヤヨイヤ!ユルサナイ、ジーフェスサマニチカヅクモノハスベテ…!
サーシャの中に『あの時』と同じ嫉妬と怒りの負の感情が渦巻き、一瞬意識を喪いかけた。
「!?」
“私、私ったら、何を考えていたの!”
慌てて頭を振って負の感情を振り払おうとするサーシャ。
“駄目よ駄目!私、しっかりしなさい!ジーフェス様を想う余りに我を忘れては駄目よ!”
サーシャは気を取り直して自身で頬を叩き、己を戒める。
そして気を紛らわすように立ち上がって部屋から出ていった。
「あ、サーシャ様。丁度良かったですー、お昼の準備が出来ました〜」
部屋を出るなりいきなりエレーヌと鉢合わせしてしまった。
彼女の呑気な声にサーシャの荒れた心が少し落ち着いていくのを感じた。
「ありがとうエレーヌさん」
「さて…嫌だけどあの女にも声を掛けないといけないのかね〜いっそのこと無視したいんだけど〜」
「駄目よエレーヌ、彼女はジーフェス様の…」
「はいはい、解ってます〜、呼んできまーす」
ぶつぶつ文句を言いながらも客室に向かう彼女を見送り、サーシャは先にダイニングへと向かっていった。
だが、
「あの女、付き人と一緒に部屋から居なくなってた〜!」
ダイニングにはにこにこしたエレーヌだけがやって来たのだった。
「居ないって、何処に行かれたのかしら?」
「さあ〜もしかしたら国に帰ったのかなぁ〜。それなら超らっきー!」
「そんな事はないでしょう」
「だよな、あの女、サーシャ様を差し置いて旦那様に手ぇ出すくらいだからな」
だがエレーヌの楽天的思考に、ポーとハックは完全否定。
「まさか、旦那様の所に押しかけに行った!なーんて、ありえませんよねえ〜」
「「「………」」」
冗談のつもりで言ったエレーヌの一言に、皆が言葉を止めた。
「坊っちゃま、本日は王宮で国軍との定例会議なのですが…」
「まさか王宮まで乗り込む、なんて事は…」
「…………………」
暫しその場が沈黙に包まれた。
*
「(うわー、暑いっ!)」
――その頃、ラファイルと屋敷を抜け出したシャネリアは街中を歩きながらも、余りの暑さに辟易していた。
「(シャネリア様、今からでも遅くありません、屋敷へと戻り…)」
「(嫌よ!私はジーフェス様に逢いに行くのです!)」
「(しかしジーフェス様は御仕事中で…)」
するとシャネリアはぎっとラファイルを睨み付けた。
「(何よ!ジーフェス様に逢いに行くのがそんなに悪い事?)」
「(それは時と場合に依ります。仕事中は緊急の用件でない限りは面会は控えるのが…)」
「(ならば緊急の用件を作れば良いわ。例えば…)」
そんなやり取りをしている二人に近付く人物がいた。
「(シャネリア様!何故こちらに?屋敷に居られた筈では!?)」
それは先程港でフェンリルと別れたギアランであった。
「(あらギアラン、何処に行ってたの?兄様は何処に居るの?)」
心配そうに近寄るギアランに対してシャネリアは呑気にそう尋ねてきた。
「(シャネリア様…どういう事だラファイル!あれほどシャネリア様を屋敷から出すなと言ってただろうが!)」
ギアランに睨まれ、思わずたじろぐラファイル。
「(そ、それはその…!?)」
「(!?)」
突然、二人の表情が強張って辺りを見回しはじめた。
「(何よ一体?)」
シャネリアが二人の様子に首を傾げていると、
――ひゅん!
「(危ない!)」
ギアランがシャネリアを庇うようにして地面に伏せると、彼女の頭すれすれを何かが通る感覚がした。
と同時に背後で何かが割れる音がした。
「うわあっ!」
見れば店で売られていた壺のひとつが粉々に砕け、店員の男が驚き腰を抜かしていた。
下の地面には何やら矢のような棒状の長いものが落ちている。
「(これは!?ラファイル!)」
「(見えた!右のほうに賊がいる!)」
そう叫ぶや否やラファイルは脱兎の如く駆け出していった。
「(な、何よ一体…離しなさいよギアラン!)」
未だギアランに庇われるようにされているシャネリアは自分が襲われたとは露知らず、怒りを露に抗議するのであった。
暫し辺りを見回していたギアランだったが、再度攻撃してこないと解るとシャネリアから離れ地面に落ちた矢を拾い上げじっと見つめた。
“(これは我が国の伝統的の造り矢。しかも御丁寧に毒付きか…)”
「(何、一体何なのよ…!)」
「(シャネリア様、此処は一旦屋敷へと戻りましょう!)」
「(何でよ!私はジーフェス様に逢いに行くのよ!)」
「(シャネリア様!これ以上我儘が過ぎるようでしたら我が君に御報告せねばなりませぬぞ!)」
「(…わ、解ったわよ)」
だがギアランの怖いまでに真剣な表情を見たシャネリアはそれ以上は言えず、彼に連れられるがまま屋敷へと戻るのだった。
*
――ここは街外れのとある一角。
数件の空き家が並ぶこの場所は地元の者でさえ滅多に立ち寄らない無人地帯であった。
人気の無いその場所に、今は数人が集まってきていた。
「(で、首尾はどうだ?)」
そこに居た人物のひとり、体格の良いやや壮年を過ぎたくらいの男が痩せた若い男に問うてきた。
「(申し訳ありませぬ、失敗致しました)」
若い男の答えに、男はぴくりと眉を潜めた。
「(失敗しただと!くそっ、折角シャネリア様を見つけたというのに)」
「(その…如何いたしますか?)」
「(勿論見つけ次第あの御方のもとに連れていくんだ、良いな)」
「(は、あとシャネリア様はフェンリル様と共にこの国の豪族の屋敷に滞在しているとの報告がありました)」
「(豪族の屋敷だと?)」
「(はい。ただその豪族の屋敷、主人がかなりの人物なのか護衛の目が半端無いです)」
「(護衛まで居るのか!くそっ!たかが小娘ひとりにここまでするとは…)」
男達の首領たる立場とおぼしき男が忌々しく呟く。
「(全く…いくらあの御方の御命令とはいえ、お転婆で能無しのあの馬鹿女にここまでせねばならぬとは…)」
「「(その通りで)」」
ぽつりと呟いた男の何気ない言葉に皆が激しく頷いた。
「(と、とにかくあと十日のうちにシャネリア様をあの御方に差し出さねば、我等の地位も危うくなる。良いな、どんな手段を使っても彼女を捕獲するのだ!)」
「「(はっ!)」」
首領の男の声に配下の者は返事をしたかと思うと方々に散らばっていくのだった。