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第12章Ⅳ:見合いと策略

――夜明け直後の、未だ暑さもさほど無い爽やかな空気に包まれた時分、


ここジーフェスの屋敷のダイニングではそんな爽やかな朝には全く不釣り合いの、不穏で緊迫した空気が漂っていた。


ダイニングにはジーフェスとサーシャ、アルザスの三人が並んで座り、テーブルを挟んで反対側には‘闇陽’の見張りの下、フェンリルとシャネリアが椅子に座り、傍には従者二人が立ち、アルザスとフェンリルは睨み付けるようにして互いを見ていた。


「何故お前がこの地に居るのか、説明して貰おうか?」


長い沈黙を破ったのは、アルザスの冷たい一言だった。


「その前に、何でてめぇがそんなに早く動けたのか知りたいんだが…ジーフェス殿や奥方についてた隠密といい、てめぇと一体どういう関係だ?」


「質問しているのはこちらだ。お前の返答次第ではその身柄、軍に引き渡すぞ」


「!?」


だがアルザスの強気な押しに、流石のフェンリルもそれ以上言葉が無く、暫し黙り込んだ。


「あの…一体彼は、フェンリルは何者なんだい?」


端から見ていたジーフェスが思い切ってこそっと尋ねると、アルザスはちらりと横目で彼の顔を見た。


「フェンリルは、あれは北の辺境国ウルファリンの現領主の第三子息だ」


「ウルファリン、領主の子息…」


“領主の子息ということは、この国で云うところの王子にあたるのか!”


「しかもあれはウルファリン国の政治の実権を握る中心的人物のひとりだ。特に外交関係に力を入れている。何度か会合で顔合わせした事があるが、交渉力はあの女狐に勝るとも劣らぬ腕前だぞ」


「「は!?」」


フェンリルの意外な正体にジーフェスもサーシャもびっくり。


「じゃあ、もしかしなくてもフェンリル殿って…」


「わたしとほぼ同じ立場の人間という訳だ」


「……」


目の前のフェンリルの正体を知り、余りの身分の高さにジーフェスはただ呆然とするだけである。


「その、フェンリル殿がウルファリン国の領主の子息という事は、シャネリア殿は当然…」


「領主子女に決まってるだろ!くそっ!俺達のことだけ知って不公平だろうが…いい加減お前らの事も話しやがれ」


昨夜までの人の良い感じから一転、怒りに満ちた瞳でアルザスを睨み付けたままフェンリルが唸った。


「最近アクリウム国の王女が『神託』に依ってフェルティ国の王子のもとに嫁いだという話は聞いた事があるか?」


「は、何だいきなり。あれだろ、何でも今までその存在が明らかにされてなくて、王家の隠し子とも噂された第四王女がフェルティ国の王子に嫁いだって…やつ…だよな……」


そこまで呟き、フェンリルは何か思い当たったのか、ジーフェスとサーシャの顔を交互に見比べる。


「おい…まさか、まさかそのフェルティ国王子とアクリウム国王女って…」


「そういう事だ」


アルザスの言葉に全てを理解すると、フェンリルは低く呻いたかと思うとテーブルに突っ伏してしまった。


「どっかで聞いた事があるかと思ったら、『あの』ジーフェスかよ、てめえの異母弟だったのかよ!マナメスアーハ、グアテラッ《俺様の阿呆っ、畜生っ》!」


終わりのほうはつい辺境言語で悪態をつくフェンリルに、ジーフェスは半ば同情を感じてしまった。


“うわ…あの兄さんにここまで張り合うなんて、フェンリル殿もなかなかなものだな…”


「こちらの話はここまでだ、お前の目的を聞かせて貰おうか」


最終通告と言わんばかりに低く告げる声に、フェンリルは暫し黙ったままだったが、


「てめえとこいつ、シャネリアとを見合いして婚約させる為だよ」



…………………。



フェンリルの発言に、周りの皆が、いや正確にはフェンリルとシャネリア、そして二人の従者以外、が暫し言葉を無くした。


「シャネリアさんとアルザス義兄様が見合い…ですか?」


「に、に、兄さんと、婚約…!?」


ジーフェスが恐る恐るアルザスのほうに視線を向けると、彼は無表情のまま、だが緋色の瞳はこれ以上無い位怒りの光で満ちており、握り締めた両手は微かに震えていた。


“お、怒ってる!やばいっ!兄さんかなり激怒しているっっ!!”


確かに(そこそこ)年若く宰相という地位にあるアルザスには、今まで幾つかの見合いや結婚話が浮上してきた。

だが本人が結婚する意志が全く無い(というより結婚を嫌がっている)事、宦官の為結婚する意味がほとんど無い事、そしてかつて噂された『曰く付き女性関係』から、やがてそのような事は無くなっていった。


なのにここに来て突然の見合い話。


ジーフェスはこれから起こる嵐を予感して、恐怖に身を震わせた。


「このような場で、なかなかに面白い冗談を言うではないか、ん?」


アルザスの聞くだけで凍りつきそうな程低く冷たい声に、周りの空気が一気に下がった…気がした。


「ま、待て!話を最後まで聞けよ!」


フェンリルも流石にアルザスの怒りを感じたのか、慌てて言葉を挟む。


「(まさか兄様、この白くて細い、なよっとした軟弱男がわたしの見合い相手のアルザスという男なのですか!)」


だが場の様子から何か察したシャネリアが余計な口を挟んできた。


「(ここで口出しするなシャネリア!だから言ってるだろう、お前がこいつと見合いするのは…)」


「(ふざけないで下さい!このような鉈ひとつ扱えぬような軟弱男、豪傑無敗を誇る我がウルファリン領主の一族に迎えるなど一生の恥!汚点ですわ!ジーフェス様のほうが余程わたしの夫に相応しいですわ!)」


「(シャネリアっ!)」


「(こちらもお前のような頭の中空っぽで礼儀作法も何もなっておらぬ、名前だけのお飾り子女など端からお断りだ)」


突然のアルザスの一言に、フェンリルとシャネリアは言葉を止めた。


「(あんた…辺境言語が解るの!?)」


あちゃーと言わんばかりに頭に手を当てるフェンリルに、驚きの表情を浮かべるシャネリア。


「(わたしはお前のような頭空洞の愚か者ではない、四大陸言語に三辺境言語全て話せる。

お前はわたしが辺境言語を理解出来ぬと思い罵言雑言並べたてたのだろうが、全てお見通しだ)」


「(う……)」


「(貴様!我が主人の妹君に向かって、何と無礼な発言だ!貴様の行為は万死に値する!)」


ギアランとラファイルが怒りの余りに鉈を取り出しアルザスに襲いかかろうとする。


「(待て、お前ら落ち着け。こいつはこの国の重鎮のひとりだ。フェルティ国を敵に回したくなければここは辛抱しろ、良いな!)」


「(む…むむ…!)」


だが主人たるフェンリルの命令に、無精無精鉈を握る手を放した。


「(しかもジーフェスが自らの夫に相応しいだと。笑止。

貴様は帝国アクリウム王家が『神託』により王家の婿と選んだ者を横取りする気か、このうつけ者)」


「(何ですって!三大帝国のアクリウム王家の婿ですって!)」


アルザスの言葉にシャネリアと二人の従者は驚いてジーフェスとサーシャを見比べる。


「(じゃあ、ジーフェス様の奥方と名乗るあの小娘は…アクリウム王家の者だというの!)」


「(口のきき方に気を付けろ、帝国の王女と辺境の地の領主の子女では格が違うわ。お前如きが帝国の王女を小娘呼ばわりするな!)」


「(!?)」


脅しを込めて呟いたその言葉にシャネリアは底知れぬ恐怖を感じ、それ以上何も言えなかった。


「(そこまで言うなよ色男、その、お前とシャネリアとを見合いさせるのはちょっと訳があって…)」


助け船を出したフェンリルに、今度はアルザスの怒りの矛先が向けられてしまった。


「(どういう事かきっちり説明して貰うぞ。あとこんな馬鹿女と見合いや婚約など、わたしは真っ平御免だからな)」


「(ちょ、馬鹿女って…あれでも俺の妹なんだがなぁ…解った、解ったよ。ただ…)」


「(ただ?)」


フェンリルは辺りを見回してひょいと肩を竦めた。

その態度だけでアルザスは何か察したらしく、


「ジーフェス」


「は、はいっ!」


突然アーリア言語で話し掛けられ、ジーフェスは間抜けな返事をしてしまう。


「奥の部屋を借りるぞ。こいつと二人きりで話をしたい」


「は、はあ…別に構わないけど…」


「お前達は部屋の外で護衛していろ、良いな」


「御意」


‘闇陽’のシロフが不安げに主人を見つめながらも命令に従う。


「悪いな、手間取らせて…(今から俺はこいつと二人きりで話をするからシャネリアはここで待ってろ。ギアランとラファイルはシャネリアの護衛をしろ)」


「(しかし、それではフェンリル様が…)」


「(心配するな、あいつは、アルザスは信用出来る奴だ。俺が見込んだ奴だからな)」


「(…解りました。ただわたくしギアランはフェンリル様の護衛に就かせて頂きます。宜しいかなアルザス殿?)」


「(構わん、ただ‘闇陽’と同じく部屋の外で見張る事になるがな)」


「(充分で御座います)」


早口でそう告げると、アルザス達は席を立ち、‘闇陽’等を連れて屋敷の奥の客間へと向かっていった。


「………」


後にはジーフェスとサーシャ、そしてシャネリアにラファイルが残され、四人は暫し無言でお互いを見合っていた。


「(あんた、本当に帝国アクリウムの王女様なの?)」


「…?」


シャネリアがサーシャに向かってそう尋ねたが、辺境言語を知らないサーシャは首を傾げるだけである。


「あの……」


「じょせい、あなた…アクリウム、ひめ、なのか?」


突然隣にいたラファイルが片言ながらアーリア言語を話し出したのだ。


「え?貴方、アーリア言語を話せるのですか?」


驚くサーシャにラファイルは黙って頷く。


「すこし、だけ…です。シャネリア、きく、あなた、に…」


たどたどしいアーリア言語に、サーシャは何とかシャネリアがサーシャにアクリウム王家の者なのか聞いていると理解するのだった。


「わ、私はこんな成りですけど…れっきとしたアクリウム王家の第四王女です。今は亡き先代の大巫女と先代神官長との間に産まれた、れっきとした王女です」


するとラファイルが何やらシャネリアに呟き、それを聞いた彼女はサーシャに視線を向けるとふんと鼻先で笑った。


「……」


シャネリアがラファイルに何やら早口でまくしたてると、何故か彼はぎょっとなって慌てた様子で宥めていく。


「(シ、シャネリア様!それは酷すぎで御座います!)」


「(何よ!さっさとあの女に通訳しなさいよ!)」


「あの…シャネリアさん、何と?」


サーシャの問い掛けに、ラファイルは散々迷いながらも、遂にはたどたどしく通訳しはじめた。


「その…あなた、おうぞく、でも、ははおや…」


「…え!?」


その時、ぱたぱたと複数の足音がしたかと思うと二人の人物、アルザスとフェンリルがダイニングに戻ってきた。


「アルザス兄さん!」


「(兄様!)」


先程の話を忘れ、皆が注目する中、二人は先と同じ席に座った。


「(あー、こいつと話が纏まった。これからシャネリアはジーフェス殿の傍にいることになった)」


「(え…兄様、それって…!?)」


フェンリルの話を良いほうに捉え、思わず顔を綻ばせるシャネリア、


「(取り敢えず見合いだけだ。婚約という形にはなってもお前の立場はあくまでも妾妻だ)」


「(妾、ですって!?)」


「(何ですと!シャネリア様が妾ですと!)」


これには流石にギアランとラファイルも抗議の声をあげた。


「(我等が主人の妹君であられるシャネリア様が妾ですと!有り得ませぬ!)」


「(仕方ないだろう!未だ我ら辺境の民は帝国には敵わぬのだからな。帝国を差し置いて我等がしゃしゃり出れば、アクリウム国も黙ってはおるまい)」


「(む……)」


フェンリル達が何やら言い合うのを、ジーフェスは不安げに眺めていたが、堪えきれずについ聞いてしまう。


「アルザス兄さん、一体何があったんだい?」


するとアルザスはちらりと横目でジーフェスを見ると、


「お前にあの馬鹿女と、シャネリアを見合いしてもらう」


「……は!?」


「言った通りだ。わたしではなくお前があれと見合いしろ」


思い切り爆弾発言をするのだった。


「ち、ち、ちょっと待てよ!シャネリア殿と見合いしろだと!!俺には既にサーシャが居るんだぞ!」


「見合いなら構わないだろう。それに婚約まで漕ぎ着けたとしても妾妻とすれば良い。それなら我が国の法にも触れないしな」


「ちょ…!」


因みにフェルティ国では一部の高位貴族と王族以外は重婚は認められてはいないが、籍に入らない事、家督や財産相続に一切関与しないという条件で妾を持つ事は認められている。


「妾…とは…」


傍で話を聞いてしまい呆然とするサーシャに、ジーフェスは血の気が引く思いであった。


「いや、だから妾妻も見合いも駄目だってっ!俺はサーシャ一筋なのっ!」


「黙れ、これは王家の勅命だ。良いかジーフェス、シャネリア殿と見合いする事。あとシャネリア殿やフェンリル殿等の、ジーフェスの屋敷の滞在を許可する」


「てか、勅命って何だよ!それって国王陛下かカドゥース殿下の特権だろ!宰相であるアルザス兄さんには関係ないだろうっ!!」


怒りに思わずそう叫んだジーフェスだが、逆に思い切り睨み付けられた。


「ジーフェス、わたしの命はカドゥース殿下の命と同様のものである。わたしの命に逆らう事は殿下の命に逆らう事になるぞ」


「ん、な…!?」


“いや、殿下がアルザス兄さんにそういう権限を与えているのは解ってるけど…これは明らかに職権乱用だろうっ!”


そう反論したかったのだが、無表情で淡々と言い放つアルザスには全く敵う筈も無く、大いに、おーいに不満はありながらも黙って従うしか無かった。


「ジーフェス様…」


“ジーフェス様に見合い、妾妻って…私の存在を知っていながら何故アルザス義兄様はそんな事を命じられるの?!何故?”


突然の勅命にサーシャは信じられないといった表情を浮かべるだけである。


“(やったわ!これでジーフェス様の傍に居られるわ!)”


一方のシャネリアのほうは兄の言葉にひとりほくそ笑んでいた。


“(妾妻という立場は納得出来ないけど…正妻があの小娘なら私にも充分に機会があるわよね)”


シャネリアは戸惑うサーシャを横目でちらりと見て顔を不気味な笑みに歪めた。


“(絶対、あの小娘を押さえて私がジーフェス様の寵愛を受けてみせるわ!)”


「!?」


シャネリアからの、敵意剥き出しの視線を感じ、サーシャはこれから起こるであろう出来事に不安を感じるのであった。

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