第2章Ⅱ:ジーフェスの生い立ち
先程までサーシャが誉め称えていたその翠の瞳が何故ジーフェスを王家から平民へと落としたのか?
「どういう、ことなのですか?」
サーシャはちょっと表情を歪めて尋ねた。
「この翠の瞳のせいで、俺は父王から不義の子供と疑われているんだよ。」
「?!」
驚くサーシャにたいして、ジーフェスは尚も続ける。
「フェルティ国の王家の人間、というか俺の兄上達は父王と同じような黒の入った深い翠の瞳をしているんだ。」
「だけど俺はこんなに明るい翠の瞳で産まれてきた。
母上も漆黒の瞳で、近親の者にはアクリウム国の血筋はおろか、こんな翠の瞳の人間はひとりもいないんだ。当然、父王は母上を疑った。勿論母上は否定したけど、父王の疑いは晴れずに、とうとう俺は王家から追い出されてしまったのさ。」
「そんな。」
「まあ、俺は母上の助けもあって、この屋敷を与えられて使用人も居て、それなりに教育も受けて、平民の中とはいえまともに育てられたほうだよ。」
ふっと笑みを洩らした。
「それに、今は父王が病で床に臥して、カドゥース兄さんが王の権利を受け継いでからは王族として正式に認められて、王家に出入りも許されるようになったしね。
まあ、俺はあんまり王家だの王位だのには興味無いから、そこまで別に気にしないのだけどね、
ただ、サーシャ殿が王族としての俺に嫁いだのだと思っていたら、ちょっとそれは筋違いかな、と言うしか無いから。」
はは、と少し苦笑いして、ジーフェスはサーシャを見た。
するとサーシャは、哀しそうな、寂しそうな表情をして、首を横に振った。
「アクリウム国の『神託』は絶対的なものです。私達アクリウム国の王族は皆、『神託』により全ての生き様を定められます。そうやってアクリウム国は繁栄し、平和を保ってきました。」
「……。」
「私がジーフェス様のもとに嫁いできたのも『神託』に依るものです。たとえ貴方様が何者であっても、私が『神託』に従うのはアクリウム国の王女として当然のことなのです。」
先程ののんびりした様子とはうって変わって、凛とした様子の彼女に、ジーフェスは思った。
“見た目がどうであれ、やはり彼女はれっきとしたアクリウム国の王族なのだな。それなりの覚悟はあるということなのか。”
そして同時に感じた。
“『神託』により全て支配される、か。いくら王族とはいえ、自らの人生全てを支配されるのは余りにも残酷過ぎるし、俺には理解出来ないな。”
「サーシャ殿、貴女の考えはよく解りました。あとひとつ尋ねたいことがあるのだが。」
「はい、何でしょうか?」
ふと、ジーフェスがサーシャと目をあわせた。
彼女の瞳は、深い海の底を思わせる深い碧色の瞳。
穢れを知らない、純粋無垢で、だが誇り高い意志を秘めた瞳。
「もし俺が、人としての道に外れた人間ならば、例えば、人を殺したことのある人間だったとしたらどうする?」
ふと、話を聞いていたポーが微かに表情を歪めた。
「人、を?!」
「そう。」
暫くの間、沈黙が続いていたが、
「先程も言いましたが、貴方様が何者でも、例え、極悪人でも殺人者でも、私はただ『神託』に従うまでです。それに…、」
「それに?」
「貴方様のその翠の瞳は、とても優しい光に満ちています。
確かに、その瞳のせいで辛い思いをされたことは解ります。けど、それでも私は貴方様のその瞳が好きです。」
いきなりそう言われて、ジーフェスはびっくりしてしまった。
「そんな優しい瞳をした貴方様が、極悪人とか殺人者とは、とても思えません。本当の貴方様はとてもお優しい方だと私は感じました。」
何の屈託も無く、そう告げて微笑む彼女。
「……。」
そんな彼女の様子にジーフェスも、そして使用人も皆暫し言葉が無かった。
が、突然ジーフェスがくくくと低い笑い声を洩らした。
「初めてだよ。この瞳をそんな風に言って貰えたのは。
俺のこの瞳のことを聞くと皆、腫れ物に触れるように話題にさえ避けようとするのに、貴女は何の疑いも無く、素直な思いを述べる。」
「私は…。」
「怒っている訳では無いよ。何か、貴女にそこまで言われると、自分もこの瞳が好きになれそうだよ。ありがとう。」
そう言って、ジーフェスは優しい笑みをサーシャに向けた。
「いいえ、私は何も。」
“多分、これは彼女の本質なのだろうな。
王女としての誇り高さを持ちながら、それでいて人を疑うことを知らない、純粋で無垢な乙女。
ある言った意味、かなりの強者、かもしれないな。”
「さて皆忙しいところありがとう。それぞれの持ち場に戻って仕事をしてくれ。あとポー、サーシャ殿を部屋に案内してやってくれないか。」
「「了解いたしました。」」
主の命令をきっかけに、使用人達はそれぞれ自らの持ち場に戻っていった。
「旦那様、夕食はいつもの時間でよろしいですか?」
とハック。
「ああ、構わないよ。あとエレーヌ。」
「はーい。」
ポーがサーシャを連れて行ったのを見届けてから声をかけると、目の前のお茶等を片付けていた彼女が呑気に答えた。
「それを片付けたら湯に入るから準備をしておいてくれ。」
「えー、またですかぁー。さっき入ったばかりでしょー。」
余計な仕事を追加されて、ぶーぶー文句を言う彼女。
「仕方ないだろう。こんな、香油に香水まみれなんて、べたべたして臭くて堪らないよ。これ以上このままはごめんだ。」
そう呟きながらジーフェスは服の胸元を緩めた。
「ちょっとー、旦那様ぁー。だらけ過ぎですよー。サーシャ様が見たら幻滅しますよー。」
「うるさい。これ以上気取って何になる。もしそれが嫌ならそれまでだ。」
ふん、と鼻をならして、疲れたようにソファーに寄りかかった。
ぶー、と不満そうに頬を膨らませながらも、それ以上は何も言わず、お茶道具等を片付けにエレーヌは台所に向かって行った。
「……。」
独り残ったジーフェスは、暫く黙ったままその場で考え事をしていた。
『たとえ貴方様が極悪人でも殺人者でも、私は神託に従うだけです。』
ふと、サーシャが言った言葉を思い出していた。
“極悪人でも殺人者でも、か…。”
そして、何故か自嘲するような笑みを浮かべた。
“流石に『あの事』は知られていないみたいだけど、これから一緒に暮らしていくのならば、やはりいずれは知らせないといけないのだろうか…?”
「……。」
“知らないで済めば、それでも良いのだろうが、でも…。”
きりきりと、良心の呵責に苦しみながら、ジーフェスは暫く黙ったままその場に俯いていた。