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第11章Ⅶ:追放

――コンコン。


マルガレータの眠る部屋の扉が叩かれ、声が聞こえてきた。


「交代の時間です」


その声に部屋の中に居た医師と看護師は扉に駆け寄り、同士を迎え入れた。


「マルガレータ様の御様子は?」


「変化は無い。脈も息も安定はしているが若干弱めだ」


「傷の様子は?」


「先程消毒を終えたが、炎症や拒絶反応は特に見当たらない。縫合も綺麗だし、正に完璧だな」


「ああ、俺も長いこと医師をしてきたが、あれほどの手術は初めて見たよ。

傷は大丈夫のようだが…あとは意識が回復するだけなのだが…」


声を潜め話をしていた医師と看護師達はちらりとベッドのほうに視線を向けた。

そこにあるベッドには未だ意識が戻らず眠ったままのマルガレータと、椅子に座り彼女に寄り添うようにしているヤルドの姿があった。


「マルガレータ…」


涙に濡れた虚ろな瞳でじっと娘を見つめ、動かない手を握り譫言のように呟く彼の姿に、皆が沈痛の思いになるのであった。


「今夜が勝負だな、それで目覚めなければ…」


それ以上の言葉を、誰もが口にする事が出来なかった。



      *



「サーシャ様、食事をお持ち致しました」


こちらはジーフェスとサーシャが休んでいる部屋。

看護師のひとりが食事のワゴンを押して部屋の扉を叩いたが、返事が無い。


「…サーシャ様?」


痺れをきらして看護師がそっと扉を開けると、そこにはベッドの上で熟睡するジーフェスと、椅子に座り彼に寄り添うように眠るサーシャの姿があった。


サーシャの小さい手がジーフェスの大きな手をぎゅっと握りしめるその姿に、看護師はくすりと温かな笑みを溢し、そっとワゴンを部屋の中に置くと静かに部屋を後にした。



      *



――ジーフェスが目覚めた時は、辺りはすっかり夜の闇に覆われ、窓から月明かりが射し込み辺りを優しい光が照らしている時分だった。


「……」


“ここは一体…”


先日まで居た部屋の様相とは全く異なる場所に、一瞬ジーフェスは何事かと頭を悩ませてしまった。


“ああ、そうか。確か夜会の席でマルガレータ殿が大怪我をして、その手術を俺が行った…”


だが物思いに耽る間も無く、ジーフェスの身体から酷い脱力感と空腹感とを感じた。


「…力が…」


“そうか、術後に砂糖水を飲んだきりでろくに食事をしてなかったからな。それで力が出ないのか”


何か食べ物が無いか辺りを見回し、そこで初めて自分の傍で寄り添うように眠るサーシャに気付いた。


“サーシャ、ずっとここに居たのか?ずっと俺の傍に居てくれたのか…”


自分を守るようにして眠るサーシャの姿が愛しくて、ジーフェスはそっと指先を頬に伸ばした。


「……ん」


軽く頬を撫でただけでぴくりと反応し、身体を動かしてサーシャは目を覚ました。


「ジーフェス、様…」


「ごめん、起こしてしまったね」


まさかこれ程の些細な事で起きるとは思わず、ついジーフェスは焦って上擦る声で謝罪した。


「いえ、大丈夫…」


そう言いかけたサーシャから、響くようなお腹の音が聞こえ、続いてジーフェスのほうも同様の音が響き、二人の間に暫し沈黙が続いた。


「やだ、私…」


薄暗い中でも解る位、耳まで真っ赤にしたサーシャが恥ずかしそうに俯く。


「お腹空いたよね、サーシャも食事はしてなかったのかい?」


ジーフェスの言葉にサーシャは無言で頷く。


「丁度良い、一緒に食事しようか」


「ええ」


サーシャが灯りを点す間にジーフェスは近くにあった食事のワゴンを引き寄せ、パンや冷めたスープを分けあいながら一緒に食事をするのだった。


「ふう、生き返った」


瞬く間に全てを空にしたジーフェスがふと外をみて表情を陰らせた。


“夜、か…未だ呼びに来ないという事は、彼女の意識は戻ってないみたいだな”


やがてジーフェスの表情はみるみるうちに苦悶が露になっていった。


“もし、もしこのまま…”


「朝まで意識が戻らなければ、恐らく彼女は助からない」


「ジーフェス様」


「そしたら、俺のした事は全て無駄にな…」


「マルガレータ様は元気になります」


サーシャはジーフェスの言葉を遮り、はっきりとそう告げて彼の手を握った。


「だが、手術に予想以上の時間をかけてしまった。彼女が若かったから、体力が有ったから今まで何とか生き延びたが、やはり限界だったのかもしれない」


「ジーフェス様…」


沈む彼の様子に、サーシャは胸を痛めた。

そして生半可な励ましでは彼を慰められないと。


「でも…でもジーフェス様は一生懸命手術をしたのです。あのままジーフェス様が手出ししなければ、マルガレータ様は既に亡くなられていたのです」


「サーシャ…」


「他の方が出来なかった事をジーフェス様はやってのけたのです。たとえそれが…失、いえ、上手くいかな…そ、それはジーフェス様のせいではないのです」


サーシャの言葉にきょとん、とするジーフェス。

サーシャのほうはジーフェスを慰めたくても、なかなか良い言葉が見つからずに焦るばかりである。


「あの…その…」


訳が解らなくなって混乱する彼女に、ジーフェスは優しく笑いかけた。


「サーシャの言いたい事は解るよ。俺を、慰めてくれてありがとう」


「ジーフェス様…」


「俺はやれるだけの事をやった。だから後悔はしていない。たとえ、結果がどうなろうとも…」


そう呟きながらも、握り締める手が微かに震えていたのをサーシャは見逃さなかった。


“ジーフェス様は表面では冷静を装ってらっしゃるけど、内ではとても苦しんでいらっしゃる!でも…”


慰めたい、励ましたいのに…言葉では上手く言えなくて…、


気付けばサーシャはジーフェスの上半身を自らの胸に抱き締めていた。


「サーシャ!?」


思いもよらない行動に驚き固まるジーフェス。

サーシャは一言も話さず、ただぎゅっと彼女の精一杯の力で彼を抱き締めているだけだった。


“サーシャ…柔らかくて温かくて、良い匂いがする”


彼女の胸から聞こえる微かな心臓の音に、温もりに匂いにジーフェスの暗い心が少しずつ癒されていくのだった。


「サーシャ…ありがとうサーシャ、もう大丈夫。俺は大丈夫」


「ジーフェス様…」


「サーシャが居るから、サーシャが俺を信じてくれているから、誰が何と言おうとも、俺の味方になって傍に居てくれるから…」


「ジーフェス様…」


――私もジーフェス様が傍に居てくれるから強くなれるのです。


そう言おうとしたサーシャの唇をジーフェスのそれが塞いだ。


「ん…!?」


いきなりの事で驚くサーシャの中に更に彼の熱が入り込み、深く抉られるように探られる。


「ん…や…」


息苦しさに逃げ出そうとも、いつの間にか片手で頭の後ろを掴まれ、もう片方の手が彼女の腰を抱き締め自分のほうに引き寄せていた。

お互いの熱が絡み合い、深い口づけを交わす中で、サーシャの身体の奥が熱くなり、特に下半身の臍の下腹部辺りがじくじく痛いくらいになっていった。


“何…この感覚?まるで浄めの血(=生理)の時の感覚に似ている…”


始めこそあった嫌悪感は直ぐに消え、身体の底から疼くような快感がサーシャの中に沸き起こる。


“このまま…このままジーフェス様と一緒に…”


余りの快感の為に、今の状況下の中では余りにも不埒な考えに浸ってしまう。


やがて名残惜しげに唇が離れると、澄んだ翠の瞳がじっと彼女の瞳を見つめる。

その奥には、微かな炎にも似た煌めきを宿して。


「サーシャ…」


“抱き締めたい、このまま何もかも忘れてサーシャを抱き締めたい。

彼女の温もりを、匂いを心臓の鼓動を、全てを感じたい!”


「ジーフェス様…私…」


サーシャもまた熱に溺れた瞳でジーフェスを見返していた。


“このまま、このままジーフェス様と二人で…”


熱い想いに耽る二人のもとに、ぱたぱたと荒い足音が聞こえたかと思うとノックも無しにいきなり扉が開いた。


「大変ですジーフェス殿!」


ひとりの看護師が酷く狼狽えた様子でジーフェスのもとに駆け寄ってきた。


「!?」


「な、何かあったのか?」


突然の来訪者にジーフェスもサーシャも頬を赤くしながら慌てて互いに離れていった。


「大変です!患者が、マルガレータ様が…!」


「!?」


マルガレータの名前が出た途端、ジーフェスの表情に緊張が走った。



      *



――真夜中に近い時間、

マルガレータの居る部屋ではひとりの医師と看護師、そして付き添いでヤルドの三人の姿があった。


手術を終えてから半日近くが過ぎてもマルガレータの容態に変化が無い。


それ故に三人共、半ば絶望的な思いで彼女の傍に居るのだった。

医師と看護師はうつらうつらと舟を漕ぎだし、ヤルドのほうは疲労からほぼ眠った状態でマルガレータの傍に踞っていた。


「マルガレータ…」


ぽつりと呟いたヤルドの一言に、ぴくりとマルガレータの指が動いた。


ほんの微かな変化、微かな動きだったが、ずっと彼女の手を握っていたヤルドは直ぐにその動きを感じた。


「…マルガレータ!?」


驚きヤルドが目を覚まして声を掛けると、今度ははっきりと指が動くのが解った。


「マルガレータ…マルガレータ!」


微かに動いた指をしかと握り締め、期待の眼差しで愛しい娘の顔を覗きこむヤルド。

するとヤルドの声に反応するかのようにこめかみに微かに皺が現れ、閉じられていた瞳がぴくりと動いた。


「マルガレータ…!」


ヤルドの目の前で、そして少し遅れてヤルドの声に行動に気付き、駆け寄ってきた医師と看護師の目の前で、マルガレータはゆっくりと瞳を開いた。


「…まさか…そんな…」


驚く三人の前で、マルガレータの綺麗な蒼い瞳が、じっとヤルド達を見つめる。


「おお…マルガレータ!儂だ、お前の父親だぞ!解るかマルガレータ!」


喜びの余り、つい顔を綻ばせ大声で問いかけるヤルドに、マルガレータはぼんやりと焦点が合わない様子で父親を見つめていたが、


「……と…さま…おと…さ…ま」


小さく掠れた声ではあったが、確かにヤルドのほうを見て父親と呼んだのであった。


「まさか…そんな…」


「信じられん…奇跡だ」


「おお…!マルガレータ、マルガレータっ!」


驚く医師と看護師に対し、ヤルドは喜びに号泣しながらマルガレータにひしっと抱きつこうとした。が、


「お、御待ちくださいヤルド様っ!いくら意識を取り戻したとはいえマルガレータ様は未だ傷が癒えていない状態、無闇に触れますと傷口が開いたり、二次感染も起こりかねませぬ!」


慌てて間に入った医師によって遮られてしまった。


「む、むむ…」


かなり不満そうではあったが、流石の大臣でも医師の言うことには逆らえない。何か言いたいのをぐっ、と堪え、渋々マルガレータの傍から離れた。


「おいお前、直ぐにジーフェス殿を呼んできてくれ!」


医師はマルガレータの傍に寄りながら、看護師にそう告げた。


「は、はいっ!」


看護師は慌てて部屋を出ていき、近くの部屋で待機しているジーフェスの居る部屋へと向かっていった。



      *



――看護師から呼ばれて慌ててマルガレータの居る病室に向かったジーフェス。

看護師から彼女の意識が回復したと聞き、今までの不安は一変し安堵の思いで満たされ、白衣に着替えてマルガレータの診察を始めるのだった。


「意識もはっきりしてますし、手足の指も動いてます。息も脈も安定してますし、微熱はありますが傷も化膿してなくて綺麗なままです」


「おお!では娘は…!」


喜びに上擦った声のヤルドに、ジーフェスは無言で頷いた。


「峠は越えました。先ずは一安心して良いでしょう」


その言葉に、ヤルドをはじめ医師も看護師も歓喜の声をあげた。


「あとは定期的に抗菌薬…ザブリンが良いでしょう、それを服用し、傷口の状態に常に注意して下さい。可能ならば早めに流動食を開始して下さい」


「了解しました。他の医師達にも徹底させます」


医師がそう告げると、ジーフェスも安心したように頷いた。


「では俺はもう少し休みますので…」


「わかりました。後は我々にお任せを」


医師達の力強い言葉に安心し、ジーフェスはサーシャの待つ部屋へと戻っていった。


「ジーフェス様」


部屋では少し不安げな表情をしたサーシャがジーフェスを出迎えてくれた。


「マルガレータ様の様子は?」


不安げな様子そのままに尋ねてきた彼女に、ジーフェスは優しく微笑みながら答えた。


「大丈夫、意識ははっきり戻っているし、傷口も綺麗だよ。まあまだ二次感染の危険性はあるけど、一先ず危機は過ぎたよ」


その答えにサーシャはぱあっと表情を明るくし、思わずジーフェスに抱き着いてしまった。


「おい…」


「良かった、本当に良かったです…」


それはマルガレータに対してかジーフェスに対しての言葉なのか、いずれにせよサーシャの心の重荷が取れたのであった。


腕の中にいる彼女の小ささに、温かさにジーフェスの心にも安らぎの温もりが伝わっていく。


「後はアクリウム医師団に任せて大丈夫だろう。昼間に引き継ぎをして、それからゆっくりと二人で過ごそうか」


「え…?」


「ほらあそこ、サーシャが住んでいた離れ、またあそこに行って、二人でのんびり過ごしたいなあって思ってるんだが…」


ジーフェスの提案に、はじめサーシャは訳がわからずきょとんとしていたが、やがて思考が繋がるとぱあっと笑顔を浮かべた。


「ええ、あそこは静かで誰も来ることはありませんし、ゆっくり二人で過ごすには最適ですわ」


穏やかに微笑みあいながら見つめあう二人、


‘コンコン’


そんな二人に突然ノックの音が聞こえたかと思うといきなり扉が開き、数人の男が無言で部屋へと入ってきた。


「何!?」


「何なんだ、いきなり部屋に入るなんて!」


驚きと怒りでジーフェスは目の前に現れた男達…先日夜会の件を話しに来た女王陛下直属の臣下達、を睨み付けたが、彼等は全く気にしない風で淡々と二人に話し掛けた。


「サーシャ王女にジーフェス様、貴方達にアクリウム国追放の命が下りました」


「な!?」


「アクリウム、追放?」


「先日の夜会での騒動を起こしたとして貴方がた御二人が謀反人と判明致しました。

依って女王陛下の勅命により貴方がたのアクリウム国追放が決定致しました」


突然の男達の言葉に、二人は驚き暫し呆然としてしまった。


「何だそれは?俺達が夜会の騒動を起こしただと!俺達が大切な夜会の場でそんな事する訳が無いだろう!」


余りの話にジーフェスがつい素を露に男達に噛みついた。


「ですがサーシャ王女が御命令の後に銀狼の群れが現れたと数人の方の証言も御座います」


「!?」


淡々とした男達の言葉にサーシャはあの時の事を思い出し身体を震わせた。


“やはり、やはり私が…!”


「は、そんな非現実的な話を信じられるというのか?その銀狼がサーシャの命令で二人に襲いかかったと?!馬鹿らしい!

じゃああんた達はサーシャにそんな力があると思っているのか?」


「……」


ジーフェスの言葉に一瞬黙りこんだ男達だったが、


「じ、事実はどうであれ、これは女王陛下の勅命で御座います。御二人には明日の昼前迄にこの国を出ていって頂きます」


あくまでも感情を出さずに淡々と告げるだけであった。


「明日迄だと、貴様…!」


いよいよジーフェスが怒りだし、男達のひとりの胸ぐらを掴んで殴りかかろうとした。


「やめて下さいジーフェス様!」


だが直後にサーシャが二人の間に入った。


「サーシャ…」


「お願いですジーフェス様、女王陛下には逆らわないで下さい。女王陛下の勅命は大巫女様の御命令でもあるのです。大巫女様に逆らう事はアクリウム国への反逆として捉えられ、最悪死罪にもなります!」


「……」


サーシャの必死の説得に、ジーフェスは渋々男から手を放した。


「ではそのつもりで準備をお願い致します」


男達は乱れた襟元を直すと無表情でそう告げ一礼してさっさと部屋から出ていってしまった。


「何なんだ一体!くそったれっ!」


「ジーフェス様…」


男達が出ていった扉に向かって悪態をつくジーフェスに、サーシャはただただ悲しげに見つめるだけである。


「…ごめん、サーシャ」


サーシャの視線に気付き、ジーフェスは慌てて怒りを抑えた。

サーシャは無言で首を横に振った。


「いいえ、私が悪いのです、私のせいであの御二人が…」


「違うサーシャ、君のせいじゃ無いさ。銀狼だって、たまたまあの場に現れただけだよ。だってサーシャにはそんな能力(ちから)なんて無いだろう?」


「え、ええ…」


そうは答えたものの、サーシャは夜会の時の事を思い出していた。


“私はアクリウム王族に代々受け継がれてきた『超力』をひとつも持たずに産まれてきたみそっかすなのよ。

その筈よ…”


『目覚めなさい、本当のわたし』


“でもあの時の言葉…

あの時の言葉が本当なら、今の私は本当の私では無い、の?

夜会の時に目覚めた姿が本当の私、なの…!?”


意識が無い中でも、微かに残るあの時の感覚。

それは普段の自分とは全く違う姿。


『アクリウム国王族たるこの私と我が夫ジーフェスを侮辱する下賤の者よ、貴様らの罪は重い。出でよ我が(しもべ)!この者達に粛清を!』


…私が、私自身がそう言った。あんな傲慢な言葉を言った!あんな残酷なことを平然と見ていた!?


本当の私は…私は…!?


「私は…『忌まわしき』予言を受けた子供…」


気付けばサーシャはぽつりとそう呟いていた。


「サーシャ?」


「私が産まれた時、当時の大巫女様…私の御母様は私のことをそう予言されたの。近付く者を、国を全てを滅ぼす滅びの子と。

大巫女様の『神託』は絶対のもの、絶対間違いなく揺るがないもの」


「……」


「忌まわしき予言を受けた私は処刑されず生かされたけれど、その存在を隠されて王宮の遥か離れで、最低限の人々とだけしか関わらずに人知れず育てられたの」


「だけどある日、私に『神託』が下ったの。フェルティ国の王子ジーフェス様のもとに嫁げと。

『神託』はアクリウム王家にとって絶対のもの。私は王家の誇りと共にジーフェス様のもとに嫁いでいった…」


そう呟くサーシャの瞳からいつの間にか涙の粒が零れ落ちていた。


「嫁いだフェルティ国では、ジーフェス様をはじめ皆優しくて温かく接してくれて、私も『神託』の事を忘れるくらいだった。

そしてジーフェス様は私をアクリウム国の王族としてでなく、ひとりの女性として接してくれて、好きになってくれた。

嬉しかった、本当に嬉しかった。

でもそれはジーフェス様が私が『忌まわしき』者と知らないから…。

もしジーフェス様が真実を知ってしまったら、きっと他の方と同じように私を嫌いになってしまう、軽蔑してしまう!そう思ったら、怖くて話せなかった…」


そこまで話をしてサーシャがふとジーフェスに視線を向けると、彼はただ硬い表情のままサーシャを見つめ、黙って話を聞いていた。


“怒って、いる…ジーフェス様は私に怒っていらっしゃる”


「御免なさい。きちんと話をしなくて。でも、でも私はジーフェス様が好き、好きだから嫌われたくなかったから、今まで話せなかった。

お願い、私を、私を嫌いにならないで…っ!」


無言で自分を見る彼の態度にサーシャは恐れ、視線を合わせられずにただひたすら俯き謝り、乞うた。


“お願い!私を、私を嫌いにならないで、見捨てないで!

ジーフェス様に嫌われたら私は、私は…”


覚悟はしていたものの、その瞬間が来るのを恐れ怯え、サーシャは頭を下げたまま身体を震わせた。


長い間、沈黙が続いたが、サーシャは怖くてその場から動けない。


“やっぱり、やっぱりジーフェス様は許してくれない、のね…”


俯いたまま、床にぽたぽたと涙を溢しながらサーシャが絶望に胸を痛めていると、突然ふわりと身体を温かな感触に包まれた。


驚き顔をあげると、直ぐそこには優しく微笑むジーフェスの姿があって、自分の身体を抱き締めていた。


「嫌いになんてならないよサーシャ、俺も、サーシャの事が好きだよ」


ジーフェスの身体の温もりがサーシャの身体に伝わっていく。


「サーシャが忌まわしき予言を受けたかどうかなんて関係ないんだよ。俺はただサーシャが、今のサーシャが好きなだけなんだよ」


微笑みながらも、少し照れくさそうに視線を反らしてそう呟く。


「でも…私が傍にいる為にこれからジーフェス様に不幸が来るかもしれない!」


「その時はその時だよ。それに何よりこれから先、俺が不幸になるのはサーシャのせいでは無いんだ、運命なんだよ」


「運命…」


「そうさ、生きている限りは幸と不幸は交互に訪れるものさ。予言とは関係なくね。

だからサーシャが気にする事なんて何一つ無いんだよ」


「ジーフェス様…」


「それに…何より今の俺の一番の不幸はサーシャを喪う事なんだ。

俺を信じて支えてくれて、俺を頼ってくれるサーシャが居なくなる事なんだ。

サーシャが居なくなったら、俺は、多分立ち直れない…」


そう呟き、ジーフェスは更に力を込めてサーシャを抱きしめた。


“サーシャが居なくなれば、俺はまたあの時のように虚無の世界に堕ちてしまう!それは、それは嫌だ!”


「ジーフェス様…」


自分を抱き締める腕が、微かに震えているのを感じたサーシャはジーフェスの想いを理解するのだった。


“私も、私もジーフェス様が居なくなるなんて考えられない!ジーフェス様も私に対して同じ想いをしていらした…”


「ジーフェス様、ジーフェス様…!好きです、大好きです!私も、私もジーフェス様と離れるのは嫌です!傍にいたい、傍にいさせて、お願い…!」


「サーシャ…」


ぎゅっと彼の広い胸にしがみつき、サーシャは今までの素直な想いをぶつけ、わんわん泣き続けるのであった。

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