第11章Ⅵ:生と死の巡間
執筆が進んだので早めの投稿です。
続けば良いのですが………汗
※前回に引き続き医療行為が出てきますが、深く追及しないで下さい………汗
――長い裾の白衣に白帽、そして白の口面(=マスク)に白の手袋。
どれだけぶりであろう、この姿をするのは。
あれは確か、ライザが大量出血した時以来だから…、
「ジーフェス殿、始めましょう」
ひとりの若い医師の呼び掛けに、ジーフェスは現実の世界へと引き戻された。
“そうだ!今は目の前の患者を、彼女を救う事を考えろ!
集中するのだ!手術に集中しろ!サーシャの為にも、俺自身の為にも…!”
「患者の状態は?」
「脈は弱めですが安定しています。麻酔にはギレイド薬を使用致しました。現在腹部より輸血業務を行っております」
「ありがとう。…始めます」
何人かの医師や看護師である手術助手が見守る中、ジーフェスは用意された器具に手を伸ばした。
*
「マルガレータ、マルガレータ…」
直ぐ隣で肥えた男、ヤルドが憔悴しきったようにぶつぶつと呟く中、サーシャは手術室に続く扉の前で、ただ祈るしか出来なかった。
“ジーフェス様…”
「サーシャ!」
そんな中、サーシャを呼ぶ声がして彼女に近寄ってきた人物がいた。
「メリンダ姉様!どうして此方に?」
それはサーシャの姉メリンダであった。
急いで駆け付けたらしく、彼女にしては珍しく慌てた様相である。
「話を聞いて慌てて飛んできたのよ。ああサーシャ、無事だったの!怪我は無い?」
サーシャの傍まで駆け寄り、身体じゅうを触りまくっていたが、
「私は大丈夫よ。でもマルガレータ様が狼に襲われて…」
「マルガレータ殿が!?それで彼女…マルガレータ殿は…」
メリンダは近くにいたヤルドに話し掛け、その様子に全てを察して言葉を止めた。
「一命は取り留めたけど、とても危険な状態なの。今ジーフェス様が緊急手術を行っているわ」
「ジーフェスが!アクリウム国医師団じゃなくて?ていうか、あの人にそんな事が出来るの?」
驚くメリンダにサーシャは冷静に答えていく。
「大丈夫よ、訳あって今は辞めてらっしゃるけど、ジーフェス様は立派な医師よ。きっとマルガレータ様を助けてくれるわ」
「サーシャ…」
“何故ジーフェスが医師なのかは解らないけど、それほどまでにサーシャは彼を信頼しているのね。
ふふ、これも愛、なのかしら”
凛とした様子で答えるサーシャの姿に、メリンダはその場にそぐわない笑みを浮かべ、それ以上何も言わなかった。
*
――助手として派遣されたアクリウム国医師団の一員は、はじめのうちは諦めと失笑の気持ちであった。
『我が医師団に手の負えぬ手術を、蛮族のフェルティ国の若者が出来る訳がない!無駄な事だ』
だが一度手術を始めたジーフェスの姿に、誰もが目を見張り驚愕の表情を浮かべている。
「二番(鋏)」
「は、はい」
彼等の目の前で、ジーフェスの手が軽やかに、まるで踊るかのような滑らかな動きで瞬く間に傷を的確に縫い合わせていく。
“速い!何という速さなのだ!”
“速いだけではない!無駄な動きがひとつも無いし失敗も無い。最低限の動きでここまでやれるとは…!”
医師団が驚愕し感嘆の眼差しを向ける中で、医師団の長である男は驚愕しながらも複雑な思いを抱いていた。
“この手術の手法、まさかそんな…!?”
「すみません、顔の汗を拭いて頂けますか?」
見事なまでの手捌きに皆がすっかり見とれてしまい、業務を忘れる程であった。
「し、失礼しました」
傍らに居た医師が慌ててジーフェスの額の汗を拭う。
「容体は?」
「脈も息も安定しています」
「輸血の状況は?」
「順調ですが、残量が少なくなってきてます」
「どれほど?」
「残り輸血瓶五本弱(輸血瓶一本=約二五〇ミリリットル)です」
「五本弱か…」
ちらりと今の手術の状況を見て、ジーフェスは少し表情を厳しくした。
“残り少ないな…けど損傷部位は残りひとつだし、あとは腹部の縫合だけ…大丈夫か、このまま行くか”
「解りました。このまま続行します」
「「はい」」
再びジーフェスは手術を続けていくのであった。
*
――空はいつの間にか朝日が昇り、夏の暑い陽射しが辺りを照らす時分になっても、未だ手術室の扉は開かれない。
手術室の前ではヤルドとサーシャ、そして話を聞きつけた数人の野次馬の姿があった。
「マルガレータ…」
「ジーフェス様…」
ヤルドとサーシャはあれから一睡もしておらず、二人の表情には憔悴しきった様子がありありとしていた。
「旦那様、御嬢様をご心配するのは解りますが、少しはお休みになられないと、旦那様まで病気になってしまいます」
従者らしき初老の人物が心配そうにヤルドに声をかける。
「サーシャ様も少しお休み下さい。このままでは身体を壊してしまいます」
ナルナルが心配そうに声をかけてきた。
メリンダは仕事の為に早朝この場を後にしていた。
それに対する二人の答えは一緒であった。
「「手術が終わるまでは休むわけにはいかぬ(いきません)」」
「マルガレータが無事に戻ってくるまで、儂が休むなど出来ぬわ!」
「ジーフェス様が無事に手術を終えるまで、私はここで待ち続けます」
その言葉に周りの者は最早何も言えないのであった。
“しかし長過ぎる、長過ぎるぞ!もしやもうマルガレータは死んでしまっているのでは!”
“それにしても長いわ。半日近くも手術が続くなんて…もしかしてジーフェス様の手術が失敗したとか!”
だが疲労の溜まった二人の脳裏には、そんな不安な思いが浮かんできていた。
““もしも、もしもそうならば…””
「「!?」」
そして同時にはっとなった。
「そんな事は有り得ぬ!有り得ぬっ!」
「そんな事は無いわ!絶対にジーフェス様は失敗しないわ!」
二人して突然叫びだし、周りの人々を驚かせた。
「「あ…」」
ヤルドとサーシャ、お互いに顔を見合わせ、何とも言えぬ気持ちになるのであった。
*
「針と糸を」
「はい」
最後の傷の処理にあたっていたジーフェス、久しぶりの手術と傷の多さに流石の彼も表情に疲労の色が浮かんでいた。
「凄い…」
“何という精神力だ。普通の医師ならここまでの長時間の手術には耐えられぬぞ!”
“素晴らしい、何と素晴らしいのだ!我々は初めて神の手術を目の当たりにしている!”
“だが流石に疲労の色が出ている。このまま最後まで上手くいくのかどうか…”
周りの助手役の医師達は尊敬と期待半分、不安半分の気持ちで手術の様子を見守り、手助けしていた。
そんな中でもジーフェスはただひたすら目の前の手術に集中していた。
“あと少しだ、あとはこの部分を繋げたら全て終わる!”
ピンセットで接合すべき部位を掴み、慎重に針を通そうとしたその時、一瞬ジーフェスに強い目眩が走った。
「…っ!」
ほんの一瞬、だがその一瞬で針は本来とは少しずれた部位に触れてしまい、血が滲み出してきた。
「「!?」」
“しまった!”
初めての失敗に、周りの医師達も、そしてジーフェス本人も驚愕の表情を浮かべ固まってしまった。
その間にも出血は酷くなり身体の中を満たしていく。
「ジーフェス殿!」
「ガザ(=ガーゼ)の準備を、あと輸血を増やして!」
「「はい!」」
直ぐに処理を行っていく医師達。だが出血は更に増えていき、あっという間に処理したガゼを赤く染めあげる。
“まずい!この出血の量、赤脈(=動脈)を傷付けたな…”
「患者の脈と息が急速に弱まっています!」
「輸血量を増やして!あと狭心剤を補充して!」
“落ち着け!まずは損傷部位を修復して…”
焦る中でも、ジーフェスは医師達に指示し自らも手術を続行しようとする。
だが焦りのせいか手が震え、ピンセントが床へと落ちてしまった。
「!?」
澄んだ音をたてて転がるピンセント、
そして極度の緊張と疲れからか、ジーフェスの指先が更に震えだし、それは全身へと広がっていった。
「あ、ああ…」
「ジーフェス殿!」
医師団が見つめる中、やがて針をも落としてしまい、彼は血に染まって震える手を見つめた。
“出来ない…やっぱり出来ないんだ!
俺は、俺はもう誰も助けられないんだ!駄目なんだ、駄目なんだっ!”
小さな失敗から、やがて絶望に追いやられ、思わず俯きその場に挫けそうになり逃げ出そうとしたジーフェス、
『しっかりせんかジーフェス!』
そんな彼に突然聞こえてきた叱責の声。
「…師匠!」
『それくらいの失敗でめげてどうする!若いお前がここで挫折してどうする!』
「しかし…俺は…」
『早よ手術を再開せんか!お前は第二のエントを作り上げる気か?』
「!?」
“エント、兄さん…
俺が助けたくても助けられなかった…”
『お前さんなら出来る。必ず成功する!お前を信じている者達の為にやるのだ、さあ!』
“信じて、くれる者達…”
ふと顔をあげたジーフェスが見たもの、
それは期待の眼差しで見つめる医師団と、
彼等の遥か後ろのほうには――自衛団の仲間達、ポーやエレーヌ、ライザに兄達の姿があった。
『頑張って下さい団長!』
『がんばれー旦那様!』
『失敗したら容赦しないわよジーフェス!』
『お前の力を出し切れ!』
「みんな…」
そして、皆の丁度真ん中にいるひとりの人物…。
「…サーシャ」
『私は信じています。ジーフェス様は必ずマルガレータ様を救って下さると、信じています』
“そうだ!俺はサーシャと約束したんだ!絶対に手術を成功させると!彼女を助けると!”
皆の励ましに、ジーフェスは一粒涙を溢し、拳を握り締めやがて決意したように顔を上げた。
「…失礼、しました。手術を再開致します」
「ジーフェス殿」
その表情は先程までの疲れ窶れ怯えたものではなく、翠の瞳は意志の籠った強い光を帯び、力が満ちていた。
「ピンセントと針を」
「はい」
道具を受け取ると、ジーフェスはきびきびとした動作で手術を再開するのであった。
*
――太陽が空高く上がり、昼の陽射しが一番輝く時刻、
それでも未だ、サーシャとヤルドの目の前にある扉は開かない。
「マルガレータ…」
ヤルドはすっかり憔悴し、激しい睡魔の為に、涙が流れる瞳は半ば閉じられていた。
「ジーフェス様…!」
サーシャもヤルド同様激しい疲労と睡魔に襲われていたが、何とか持ちこたえ必死で祈っていた。
“お願いです、我が神アクリメア様、ライアス様!どうか、どうか二人に貴女様の御力を!”
ひたすら祈りを捧げるサーシャ、
その時、目の前の扉がぎっ、と音をたててゆっくりと開かれた。
「「?!」」
驚き顔をあげる二人の前に扉からひとりの初老の男性医師…アクリウム医師団の長、が現れた。
「マ、マルガレータは、マルガレータは助かったのかっ!!」
周りの人々が注目する中、ヤルドは医師のもとに転がるように駆け寄り縋り付くと、開口一番そう叫んだ。
「手術は無事終わりました」
医師は少し疲れたかのようにそう呟いた。
その言葉に周りの人々はどよめき、サーシャは喜び、ヤルドは表情をくしゃくしゃに喜びに歪めた。
“ジーフェス様!遂にやったのですね!”
「おお!で、ではマルガレータは…」
「…ですが、マルガレータ様は未だ意識が戻らない状態です」
だが次の冷酷な言葉に、ヤルドは愕然とした表情を浮かべた。
「な、何だと!意識が戻らないとはどういう事だ!」
「落ち着いて下さいヤルド様、かなりの負傷を負われたのです、今生きている事でさえ奇跡に近いのです。
あとはマルガレータ様御自身の生命力に賭けるしかないのです。
今日…今夜一杯が勝負というところでしょうか」
怒りの余りにヤルドから胸ぐらを掴まれながらも、医師は淡々と告げる。
「そ、んな…じ、じゃあ、このまま意識が戻らなければマルガレータは!」
「……」
ヤルドの言葉に、医師は無言のままだったが、それが全ての答えであった。
「マルガレータ様は隣の部屋に移動し、常時医師の看護を就かせます。宜しければヤルド様も御嬢様と一緒に過ごされますか?」
「も、勿論だっ!」
「では感染防止の為にこちらで所定の服に着替えて頂き、消毒処理を受けて下さい。
あと部屋内では飲食等出来ませんので、先ず何かお召し上がりになってから入室して下さい。御嬢様の前でヤルド様まで倒れられたら困りますので」
「わ、解った。おいお前、何か食べ物を持って来い!」
「は、はいっ!」
医師からそう告げられ、ヤルドは不精不精ながらも近くに居た従者に命ずるのであった。
「あの、ジーフェス様は…」
思い切ってサーシャが声を掛けると、医師はああ、という表情を浮かべ、
「これは失礼致しましたサーシャ様、ジーフェス殿は奥の部屋に居ます。どうぞお入り下さい。おいお前、サーシャ様をジーフェス殿のもとに案内してくれ」
医師は手術室に残っていた他の医師にそう告げた。
「サーシャ様、こちらです」
手術後の処理をしている中、若い医師がサーシャを連れて行った先、手術室に隣接した小さな部屋…ベッドがひとつと粗末なテーブルと椅子がある殺風景な部屋、には、ジーフェスがベッドの上で、まるで死んでいるかのように青ざめ仰向けに倒れていた。
「ジーフェス様!」
その様子に最悪の結果を予想したサーシャは慌てて彼の傍まで駆け寄り、身体を揺すった。
「ジーフェス様、ジーフェス様!」
「………ん」
すると微かにジーフェスの身体が動き、瞳が開いた。
「……サー、シャ」
そして微かに頭を動かしてサーシャと視線を合わせると、か細い声で呟いた。
「ジーフェス様、無事だったのですね…」
ぽろぽろ涙を浮かべてジーフェスの手を取るサーシャの姿に、若い医師は苦笑いして答えるのだった。
「大丈夫ですよサーシャ様、ジーフェス殿は寝食無しで半日近くぶっ続けで手術を行っていたので疲れが出て眠っていただけです」
「そう、ですか…」
単に疲れて眠っていただけなのだと解り、ほっと胸を撫で下ろすサーシャ。
「……患者の、様子は?」
ふとジーフェスが低い声で医師に訊ねてきた。
「未だ意識が戻りません、今日明日がヤマですね。
あと患者は隣室で常時医師と看護師が就き監視致します。あとヤルド大臣が傍に居るのを希望されたので入室を許可しました」
「………解った。何か、あれば、呼んでくれ」
「はい」
それきりジーフェスは瞳を閉じ、微かな寝息をたてて再び熟睡してしまった。
「ジーフェス様…」
「かなりお疲れの様子なのでゆっくり休ませて下さい。それよりサーシャ様もお疲れの御様子、宜しければ御部屋に戻られてお休みになられて下さい」
「あの…私もここに居てはいけませんか?」
だがサーシャは若い医師にそう呟くのであった。
「それは構いませんが、ここにはサーシャ様がお休みする場所が…」
「無くて構いません。お願いします、ジーフェス様の傍に居させて下さい」
サーシャの必死のお願いに、若い医師は笑って答えた。
「そこまで仰るのでしたら、組み立て式のベッドを持ってきましょう。但し寝心地は最悪ですけどね」
「ありがとうございます」
二人の様子に微笑みながら部屋を出ていく若い医師に、サーシャは礼を告げた。
二人きりになると、サーシャはふとジーフェスのほうに視線を向けた。
余程疲れているのか、先程の会話にも全く起きる事なく爆睡している。
「ジーフェス様、お疲れ様でした…」
そう呟くと、サーシャは彼の大きな右手にそっと触れ、少し髭の生えた頬にくちづけするのであった。
*
――片付けの終えた手術室に独り、アクリウム医師団の長である男は佇んでいた。
“ジーフェス、とかいったな…彼の者の手術、間違いなく『あの御方』と同じ手術の手法。
何故彼が、まだ若きフェルティ国の王族の彼が、何故遥か昔に亡くなられた『あの御方』の手術手法を習得しているのだ?”
そしてふとひとつの結論に達する。
まさか…『あの御方』が生きていた!?
“生きて、フェルティ国へと亡命していたのか?
そんな馬鹿な!確かにあの時に儂は遺体を確認したが、あれは間違いなく『あの御方』だった!”
「一度、あの者と話をせねばならぬな…」
ぽつりと呟くと、男はゆっくりと部屋から出ていくのであった。