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第11章Ⅴ:生命の重さ

医療行為が出てきますが作者は専門知識に皆無です。

さらりと読み流して下さい。

――時は惨劇より少し前に遡る。


その時ジーフェスはかなり焦っていた。


“サーシャ!”


少し離れた場所からでも、彼女の怯え俯いた様子から周りの人々からどのような扱いを受けているのか、ジーフェスにはありありと解っていた。


“助けなければ、俺が助けないと!”


「…ですこと?…あら、蛮族の御方には私の話は聞けないのかしら?それとも余りに難しくて理解出来ないのかしら?」


だがそれも全て目の前の少女、マルガレータと彼女を慕う者達に邪魔されて叶わなかった。


「く…!」


“ここで事を荒立てては俺だけでなくフェルティ国やサーシャの名誉まで傷付けてしまう!くそ、どうしたら良いんだ!”


何も出来ず歯軋りするジーフェスの様子を、さも楽しげに見つめるマルガレータ。


「まあ怖い。でも仕方無い事ですわ、所詮蛮族は私達純粋たるアクリウム国の民には叶わない…」


「アクリウム国王族たるこの私と我が夫ジーフェスを侮辱する下賤の者よ、貴様らの罪は重い。出でよ我が(しもべ)!この者達に粛清を!」


その時、マルガレータの言葉を遮るように凛とした言葉が辺りに響き渡った。


“この声は…サーシャ!”


ジーフェスがその方向を振り向くと、先程まで怯え震え俯いていた彼女が、うって変わったように背筋をしゃんと伸ばした姿で立ち、その顔は不気味なまでに自信に満ちた笑みを浮かべていた。


と同時に獣の遠吠えが聞こえたかと思うと、森の中から銀色の姿をした獣が数頭現れ、こちらに向かってきた。


「きゃあああっ!」


「銀狼、銀狼の群れだあっ!」


人々が驚き、恐怖に逃げ惑う中、囲んでいた人の輪が崩れ、ここぞとばかりジーフェスはサーシャのもとへ駆け寄ろうとした。

だが直ぐ目の前、彼に向かって銀狼の群れが襲いかかってきた。


“やられる!”


咄嗟に目を伏せ、両手で防御の姿勢をとったが、


「きゃあああああっっ!!」


直後、自身の直ぐ隣で絹を引き裂くような悲鳴があがった。

驚きジーフェスが顔をあげると、隣にいた筈のマルガレータが銀狼の群れに押し倒され、白い喉元や胸にその牙を向けられ、青いドレスは真っ赤に染まり、首筋からは血飛沫が飛び散っていた。


「!!」


余りの惨状に、ジーフェスは言葉が無く、ただただ呆然とその様子を見つめるしか出来なかった。


そんな彼を嘲笑うかのように、銀狼の群れは遠吠えをひとつ残し、瞬く間に森へと帰っていった。


【ワガアルジノハンリョタルモノ、アルジヲシュゴシタマエ】


一頭の、一際大柄な銀狼がジーフェスを横切った時、彼の頭の中に聞こえてきた言葉。


「!?」


だがその時には既に銀狼の姿は無かった。


“今のは一体…”


去っていく銀狼を追ったジーフェスの視線の先には、サーシャの姿が…背筋を伸ばし、この惨劇を満足げに見ている姿、があった。


「サーシャ…」


ジーフェスの呟きに、サーシャは彼のほうを振り向き、にっと誇らしげに微笑んだ。


「……」


「え?!」


そして一言何か呟いたかと思うと、ふっと瞳を閉じ、崩れるようにその場に倒れた。


「サーシャ!」


慌てて彼女の傍に駆け寄り、間一髪で身体を抱き止めたジーフェス。


「……ん」


程なくして目を覚まし、ジーフェスの瞳を見つめ返すサーシャ。


「私…一体…」


そこに居たのは先程の凛とした、だが不気味なまでの雰囲気を纏ったサーシャではなく、いつもの穏やかで少し気弱な感じの彼女であった。


「サーシャ、気付いたのかい」


いつもの彼女の姿に、ジーフェスはほっと安堵の息をつき、そっと指先で彼女の頬を撫でた。


「ええ、大丈夫…」


そこまで告げたサーシャは突然言葉を止めたかと思うと、みるみるうちに表情を歪めていった。

ジーフェスが視線の先を追っていくと、そこには血塗れで倒れている若い男の姿があった。


「ひ…っ!?」


叫ぼうとしたサーシャを、惨劇から隠そうとジーフェスは強く抱き締めた。


「見るな!見るんじゃない!」


温かく広い胸の中に、少しきつい位強く抱き締められたサーシャは、だが一瞬見てしまった惨状に身体を震わせた。


「ジーフェス、様…」


“何故、何故こんな事に!”


恐怖に震える中でサーシャは少しずつだが、今までの事を思い出していた。


“あの時、ジーフェス様と離れ離れになって、周りの人々から非難を浴びて…特にあの方、ヤルド様とその秘書という若い男性がジーフェス様を非難して…”


「私、私…」


“余りにもジーフェス様に失礼な事を言うから、私は怒りで胸が一杯になって、そしたら、急に胸の中で何かが沸き起こって…”


『目覚めなさい、本当のわたし』


“あれは、誰?

あの声が聞こえてきた途端、急に身体が軽くなって、だけど『誰か』が私の中に現れてそこで意識が途切れて…そして、どうなったの!?”


私、私が…呼んだから、彼等を呼んだから!?


「私のせいで、私のせいでこんな事に…!」


私、私が…『忌まわしき』予言を受けた私の力がこの惨劇を引き起こしたの!


「違う!サーシャの所為(せい)じゃ無い!サーシャは関係無い」


だがサーシャを抱き締めていたジーフェスは真剣な眼差しを彼女に向けてそう呟くと、更に痛い位に強く抱き締めてきた。


「違う、サーシャの所為ではない。お願いだから自分を責めないでくれ、頼む、頼む!」


「ジーフェス、様…」


自分を抱き締める腕の強さに、自分を見つめる真剣な眼差しに、サーシャは彼の思いに気付くのであった。


“ジーフェス様は、ジーフェス様は私を信じてくれている、何があっても私の味方でいてくれる!”


「ありがとう、ジーフェス様…」


温かな胸の中で、サーシャは暫しその身を委ね、恐怖から立ち直ろうとしていた。


「ここだ!おい!」


そんな中、白の衣装を纏った集団が現れ、ジーフェス達の横を通り過ぎ、血塗れの中に倒れている二人に近寄っていった。


「うわ、これはまた酷いな…」


白衣の集団はそれぞれ分かれて動かない二人の身体を見たり身体に触れたりとしていたが、


「駄目だ、男のほうは既に事切れている。そっちはどうだ?」


「こっちは僅かに息があります!」


ジーフェス達から少し離れた場所…マルガレータが倒れている場所には、やはり白衣の集団と、気が狂ったかのように叫ぶヤルドの姿があった。


「マルガレータ!マルガレータ!誰か、誰か娘を助けてくれ!」


だが彼の言葉に、白衣の男のひとりが告げる。


「無理で御座います。まだ息はありますが、これ程の怪我に出血では時間の問題…」


「頼む!頼む!娘を助けてくれ!助けてくれるのならば儂は何でもするぞ!金でも地位でも、何でも望むものを差し出すぞ!」


泣きながら狂ったように叫ぶヤルドに、周りの者は言葉が無い。


「御気持ちは解りますが…我が国一の医師団でさえ、この状況をお救いするのは…」


「この役立たずがあっ!誰か、誰か居ないのかあっ!誰か娘を、娘を助けてくれえええっっ!!」


悲痛な叫びに誰一人答える者はなく、遂にはがくりと膝を崩して、愛娘の血だまりの中に倒れていった。


「マルガレータ、マルガレータ…」


涙を流し、血塗れになりながらも娘に寄り添うヤルドの姿に、皆は沈痛な面持ちで見つめるだけしか出来なかった。


「何という事…」


「おかわいそうに…あの若さで…」


人々がお悔やみの言葉を囁く中、サーシャは顔をあげて呆然とした様子で彼等を見つめた。


“どうにか、どうにかならないの?アクリウム国の医師団でも助けてあげられないの?

誰か他に優れた医師はいらっしゃらないの?他に優れた…!?”


サーシャは何か思い出したようにはっとなってジーフェスの顔を見た。

ジーフェスもまた、サーシャと同じ場面を見つめ、凍りついたような表情をしていた。

何時の間にかサーシャを抱き締めていた腕は緩み、小刻みに身体を震わせていた。


「ジーフェス、様…」




      *



「誰か、誰か娘を助けてくれ!」


ヤルドの叫びに、ジーフェスは顔を上げ彼と、血塗れの中に倒れたマルガレータの姿を目にした。


「無理です。我が国一の医師団でもこの状況ではとても…」


「誰か!誰か娘を助けてくれ!誰か!」


その光景は、ジーフェスに昔の出来事を思い出させていた。


『誰か!誰か彼を助けて!』


“ライザ…エント、兄さん”


「頼む、誰か、誰か娘を、助けてくれ…!」


血溜りに倒れ、血塗れになりながらも虚ろな表情で娘の傍に寄り添い、動かない身体を抱き締め涙を流すヤルド。


「マルガレータ、マルガレータ…」


『エント、エント…っ!』


ジーフェスの目の前で、ヤルドとマルガレータの姿にライザとエントの姿が重なる。


“!?”


だが直ぐに二人の幻は消え、ヤルドとマルガレータの姿に戻った。


“違う、これはエント兄さんじゃない!彼等は散々俺や俺の国を、サーシャを、卑下し侮辱してきた。そんな奴等を、助ける価値など無い!”


ジーフェスは憎しみにも似た思いで彼等から視線を反らそうとした。


『良いかジーフェス、医師というもの、公平で無くてはならぬ』


「!?」


ジーフェスの耳元に突然聞こえてきた声。

それは彼にとっては懐かしく尊敬し、だが罪の呪縛を引き起こし、苦しみそのものである人物の声。


“…師匠(せんせい)!”


『王族だろうが奴隷だろうが、老いと病と死は身分に関係無く平等に訪れる。それに対して儂ら医師は平等に接しなくてはならぬ。決して私情や金や名誉の為に動いてはならぬ。

救える生命は全て救う、それが儂ら医師の務めじゃ』


「…師匠」


『お前は儂の技術を全て受け継いだ。その技術、是非とも人々の為に役立ててくれ。決して、道を過るなかれ』


“でも俺は、道を過った。この技術を人殺しの為に使ってしまった。俺の手は、すっかり穢れてしまった…もう、俺は人を助ける資格など、医師となる資格など…!”


『ジーフェス!過去を振り返るな!前を見るのだ!』


“でも、でも…!”


「ジーフェス様」


突然の声にジーフェスははっとなり、声のほうへと振り返った。

そこには先程まで恐怖に怯え、自分が抱き締め護ってきた弱々しいサーシャが、今はしゃんと背を伸ばして立ち、強い意思を込めた碧い瞳で見つめていた。


「サーシャ…」


「ジーフェス様、迷わないで」


彼女の言葉に、ジーフェスはやっと気付くのであった。


“信じてくれている。彼女は俺を信じてくれている!俺の過去を受け入れてくれた彼女が…!

俺は、俺がすべき事は…!”


じっと自分を見つめるその姿、全て理解して信じてくれるその姿に、ジーフェスの中で何かがふっきれた。


「ありがとう、サーシャ」


優しい笑みを浮かべてそう告げると、ジーフェスはサーシャから手を離し、立ち上がって二人のほうに向かっていった。

そして泣き崩れるヤルドの横から、血塗れのマルガレータの身体のあちこちに触れだした。


「首頸部大脈の裂傷が酷い。胸部の損傷も激しいが腹部は…内臓は出ているが損傷は思ってたより軽いな」


「何を、しているんだ!」


驚く医師団とヤルドを無視し、診察を終えたジーフェスは顔を上げた。


「出血が多く非常に危険な状態ですが…上手くいけば助かるかもしれません」


ジーフェスの言葉を聞いた者は皆、驚愕の表情を浮かべた。


「た、助かるだと!ほ、本当かあっ!」


特にヤルドは藁にも縋るような面持ちでジーフェスの胸ぐらを掴んだ。


「絶対、ではなく五分五分、といったところですが…」


「ふざけるな若僧!ここまでの裂傷、頸部大脈が完全に切断されているんだぞ!その修復だけでも不可能…」


「俺なら出来ます、いや、やってみせます!」


医師団のひとりの言葉に、ジーフェスは真っ向から反論していく。


「お前のような若僧が何が出来る?我が国の医師団が出来ぬ手術を、貴様がやるというのか?」


「ええ、やります。お願いです、事は一刻を争います。直ぐに手術の手配を始めて下さい」


「……」


ジーフェスの言葉に医師団はまだ不信不満げであったが、


「誰でも良い!娘が助かるなら何でもしてくれ!必要なら金なら幾らでも使って構わぬ!頼む!」


ヤルドの叫びに似た言葉に、医師団も渋々頷いた。


「判った、貴殿にお任せしようではないか」


「ありがとうございます。宜しければ助手等手助けをお願いしたいのですが…」


申し出に男は少し考えていたが、


「我が医師団から何名か派遣しよう。但し、術の失敗に関しては我々は責任を取らぬぞ」


「はい」


それからの仕事は早かった。

先ずは負傷したマルガレータの身体が軍の手で王宮横に隣接する国一番の医療機関の手術室へと運ばれた。


「緊急手術だ!直ぐに薬と道具一式、そしてマルガレータ様と適合する血の準備を!」


「「はい!」」


医師団の長とおぼしき男性の一言に、医師や看護師等がてきぱきと動いて、瞬く間に手術の手筈が整っていった。


そんな中でジーフェスは案内された準備室で渡された白衣を纏った。

助手として参加した若い医師から消毒を受ける中で、彼は次第に表情を曇らせていった。


“あの場では大見得をきったものの、ライザの時以来の手術、しかもあれほどの大手術が俺に出来るだろうか…”


いつの間にか足から震えが起こり、やがて全身が小刻みに震えだした。


「ジーフェス殿、如何されましたか?」


男が心配そうに声をかけるが、ジーフェスには全く耳に届かない。


“もし失敗したら!彼女を助けられなければ、俺は、俺は…!”


「ジーフェス様」


その時、彼の耳に優しく懐かしい声が聞こえてきた。

はっとなり顔を上げた先には、いつの間に来たのか、心配そうな顔をしたサーシャが扉の影から見つめていた。


「サーシャ…」


「ジーフェス様…あの…」


「サーシャ様、ここは関係者以外立入禁止になっています。申し訳ありませんが退出願い…」


「すまない、少し時間をくれないか?」


だが男の言葉を遮り、ジーフェスはそう懇願した。


「…少しだけですよ」


暫く黙っていた男だったが、少し渋い顔でそれだけ告げると部屋を後にした。


狭い準備室で二人きりになったジーフェスとサーシャは暫し無言のままお互い見つめあっていた。


「…サーシャ」


「ジーフェス様、大丈夫です。私は信じています。ジーフェス様がマルガレータ様を救ってくれると」


精一杯の笑顔を浮かべ、サーシャはジーフェスの両手を握り締めて微笑みかけると、はっきりとした言葉でそう告げた。


「サーシャ…ありがとう。俺を信じてくれて。必ず、必ず成功させるから」


彼女の思いに、ジーフェスも精一杯の笑顔で答えるのであった。


そしてどちらが先にともなくお互い瞳を閉じ、ゆっくりと唇を重ねた。


「サーシャ…」


「ジーフェス様…」


重なるだけの唇が離れると、お互い腕を伸ばしてひしと抱き合い、互いに温もりを分かちあった。


「そろそろ時間です、宜しいですか?」


扉を叩く音と男の声が同時に聞こえ、二人は抱き合っていた手を緩めた。


「ああ、すまなかった」


その言葉に扉が開き、再び男が姿を現した。


「ではサーシャ様、お引き取りを」


男の言葉にサーシャは無言で頷き、ゆっくりと部屋から出ていった。

直後、ぱたんと扉が閉まり、音に驚き振り返ったサーシャの前には無機質な扉があるのみだった。


「ジーフェス様…」


“神よ、我等がアクリウム国の神アクリメア様にライアス様、どうかジーフェス様に貴女様の御加護を!”


サーシャは扉の向こうにいる愛しい男性(ひと)を想い、手を合わせ祈るのであった。

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