第11章Ⅲ:忌まわしき王女
「それで、何があったの?」
「それでね、その時にフェラク様がね…」
遅い朝食を終えたサーシャとメリンダは食後のお茶を飲みながらお互いの近況報告に華を咲かせていた。
「……」
二人の傍で同じくお茶をしていたジーフェスは話の輪に入っていけず、二人の様子を見ながらただ黙々とお茶を飲んでいた。
“女性のお喋りは長いな…況してや二人は久しぶりに逢ったばかりで積もる話もあるだろうし”
半ば仕方ないとは解っていたが、このまま何もせずに時間を費やすのもどうかと思ったジーフェスは思いきって席を立った。
「ジーフェス様?」
「俺は先に部屋に戻っているよ。サーシャはメリンダ殿とゆっくりしてると良いよ」
「でも…」
「俺は大丈夫、暇な時はそこいらを散策しておくよ」
「そう、ですか…」
少し申し訳なさそうな表情をしつつも、止めないサーシャににこやかに笑いかけ、後ろ手を振ると、ジーフェスは早足で部屋へと向かっていった。
小さな中庭に面した廊下に差し掛かると、炎(=夏)を思わせる暑い陽射しがジーフェスの顔を照らし、その眩しさに思わず目を細めた。
“いくら森に囲まれたアクリウム国でも今の時期の陽射しはフェルティ国のものと変わらないな…”
陽射しの眩しさと暑さに目を細め、少し顔をしかめながら歩いていると、突然身体に衝撃がはしった。
「!?」
見れば直ぐ傍に男二人が居て、そのうちのひとりと肩がぶつかった様である。
「あ、失礼致しました」
「いえ、こちらこ…」
男…格好から軍人とおぼしき、ジーフェスと同じ年齢くらいの若い青年は、ジーフェスの姿を見るなり言葉を止め、露骨に表情を歪めた。
「…何だ、東の国の蛮族か」
「!?」
次の瞬間、男の口から出てきた言葉にジーフェスは耳を疑った。
「今、何と…」
「蛮族を蛮族といって何が悪い?我がアクリウム国に隷属すべき立場の貴様が我が国の王宮を彷徨くこと自体、虫酸が走る」
「…何だと?」
ぶつかった辺りをまるで穢れ物を払うかのような仕草をしながら、人を見下したような冷やかな視線をジーフェスに向け、男はきっぱりと言い放った。
「おいお前、この御方はサーシャ王女様の夫で、フェルティ国の王族でもあられる御方だぞ」
連れのもうひとりの男が驚いたように慌てて窘めていった。
「だから何だ?フェルティ国など所詮蛮族が集まった似非新興国に過ぎぬ。古の時代より続き、未だ無敗を誇る我が国・我が民族のみ賞賛に値する。
よりによってこのような蛮族が我ら高貴なるアクリウム国王家のひとりと婚姻するとは…我は認められぬ」
「貴様!?」
流石のジーフェスも若者の言葉に、己自身を、王族を祖国を侮辱された事に怒りを露に拳を握りしめた。
「ああ、貴様は確かサーシャ王女の夫であったな、大巫女様によって呪われし予言をされた、忌むべき王女の夫ならばまあ納得だな」
「お前!」
もうひとりの男が慌てた声を張り上げる。
「忌むべき、王女…何だそれは?」
男の言葉にジーフェスが問い掛けると、男はふふん、と鼻を鳴らし、完全に卑下した視線を向ける。
「何だお前知らなかったのか?サーシャ王女は王女の名こそ受け継いではいるが、誕生の時に大巫女様から呪われし予言を受けた忌むべき王女なのさ」
「呪われし、予言?」
“呪われし予言なんて、昨夜見た夢でサーシャが言っていた言葉そのものじゃないか!”
男の言葉に昨夜の夢の事を思い出し、ジーフェスは驚きを隠せない。
「先代の大巫女様はサーシャ王女のことをこう予言されたのさ。『この娘は忌むべき娘。近付く者全てを、国を滅びへと導く死神の娘』とな」
「!?」
「おい!その事は箝口令が敷かれているんだぞ!口外したことが解ればお前厳しい処罰を受けるぞ!」
傍らの男は怯えたようにもうひとりの男を止めようとするが、それを無視して更に話をしていく。
「忌まわしき予言を受けたサーシャ王女は、だが王族の血を受け継いだ者故に処刑は出来ず、王宮の一番外れにある離宮に、存在を隠され幽閉同様に育てられたのさ」
「そんな…予言なんて、そんな事の為に…」
“ただ、そんな予言をされただけでサーシャは離宮に追いやられ、寂しい思いをしたというのか!”
ジーフェスは男の言葉に先代の大巫女、サーシャの母親にあたる人物に微かな怒りを覚えた。
「そんな事だと…貴様何を言うか!」
男はジーフェスの言葉にぎっと睨み付け、怒りを露に叫びだした。
「我らが大巫女様の『神託』は絶対のもの!決して違うことの無い不動のもの!
歴代の大巫女様の『神託』のおかげで我が国は大いなる恵みを受け、大国としての地位を確保してきたのだぞ!それをそんな事だと軽んじるなど…貴様の発言は万死に値する!」
「何だと!」
男とジーフェスが互いに腰につけていた剣の鞘に手をかけ、一触即発の状態になったその時、
「お前達何をしている!」
その声にジーフェスが振り向くと、、廊下の奥からひとりの人物…男達と同じ軍服を纏った壮年の男性、が現れ、三人のもとに近寄った。
「た、隊長…その…」
「別に…隊長のお気にする事ではありません」
二人を傍観していた男は己の上司の出現におろおろするだけに対し、若い男は剣にかけていた手を離し、無精無精そう告げるとジーフェスから視線を反らした。
「貴殿は…その御姿から、もしやサーシャ王女の夫であられるジーフェス様ですかな?もしやわたしの部下が何か失礼でも…?」
穏やかな表情の中にも、その眼光は軍人の鋭さを持つ、隊長と呼ばれた男性はジーフェスに対して問いかけてきた。
「え…ああ、その…」
視線を向けられ、ジーフェスは慌てて腰の剣から手を離し、ばつの悪そうな表情を浮かべた。
「ところで貴方は?」
「これは失礼、わたくしはアクリウム国守護団隊長、ソレルと申します。こちらはわたしの部下の…」
そう言い部下のほうを振り向くと、そこには既に二人の姿は無く、廊下の先のほうに歩く人影があるのみだった。
「おい!お前達!」
ソレルの声に二人は振り返るものの、若い男は憮然とした表情でもうひとりの怯えたままの男を連れて立ち去っていったのだった。
「全く…あやつらめ!」
二人が去った辺りを見ながらソレルが怒りに呟く。そして再びジーフェスのほうへと振り返ると深々と頭を下げた。
「部下が大変失礼致しました。この責は隊長であるわたくしめが…」
「いえ、それは必要ありませぬ。お…わたしのほうもその…」
己も感情的になって危うく流血沙汰にしそうになったのもあり、ジーフェスは苦笑いして言葉を濁した。
「本当に申し訳ありませぬ。あれはこの国の高位貴族、代々王家に御仕えしてきた一族の末裔でして…その…」
「……」
そこで言葉を濁す辺り、守護団の内部事情をある程度察したジーフェスは納得するのだった。
「いえ、ソレル殿のせいでは御座いません。彼はこの国を思う余りに少し過ぎた行動に出ただけでしょう。責を問うまでもありませぬ」
ジーフェスの、遠回しの気遣いの言葉にソレルははっとなり顔をあげ、暫しジーフェスの顔を見ていたが、やがて深いため息をついて視線を反らした。
「誠に、申し訳ありませぬ」
「……」
やや表情を曇らせるジーフェスに、ソレルは何か感じたのか、ぽつりと話を続けていった。
「この国は未だに古よりの封鎖的な風潮が残っております。特に王家と王家に忠実な臣下、高位貴族にそれが根強く、自国の民以外を受け入れようとはしないのです」
「そのようですね」
ジーフェスは先程の若者の態度からも薄々それは感じ取っていた。
「彼等は純粋たるアクリウム国の民、特に王家…大巫女様が絶対たる支配者であり、他の国やその民はアクリウム国の隷属たる立場であると疑わぬのです」
「……」
「勿論全ての者がそういう考えというわけではありませぬ。大半の民や貴族は他国を受け入れ進んで交流を図っております。
王家の者でもメリンダ様は国や民族・性別・身分に関係無く優れた者を御自身の配下に採用され、誰に対しても公平に接してくださいます」
「メリンダ殿が?」
「はい。ですがそれ故に古からの考えの女王ジェスタ様や大巫女様との対立は凄まじく、サーシャ様同様一部の王族や高位貴族からは王族にあるまじき御方だと疎んじられておられます」
「サーシャ同様?」
ジーフェスの言葉にソレルは喋り過ぎたとばかりにはっとなり、苦笑いを浮かべた。
「…初めて御逢いした、しかも他国の御方に我が国のこのような醜悪めいた事を…失礼致しました」
「ソレル殿」
「今の話、どうか一介の中年の愚痴とお思い、受け流して下され」
それだけ告げると、ソレルは無言で一礼するとその場から立ち去っていった。
「……」
独りその場に残されたジーフェスは生温い風に吹かれながら暫し考え事に浸っていた。
“この国も、いや大国だからこそ他国に対する偏見が根強いのか。
だがそれでも正義より権力がものをいう世界なのか…”
ジーフェスは先程の話に、そしてこれまでの自分とサーシャの扱いに対してアクリウムという国にやや失望感を抱きつつあった。
“それにしてもアクリウム女王と大巫女がメリンダ殿と対立していたとは初耳だったな。まあ自分のところもアルザス兄さんの件があるし、他国の事は言えないが…”
先日逢った彼女は、自分に対して臆する事なく率直な意見を述べていたが、決して卑下せず接してくれてジーフェスも好感が持てていたのだった。
“この国でメリンダ殿の考え方が異質ならば、俺は女王や大巫女からは歓迎されてないということだな…”
それで良く帰国が認められたものだな、
ジーフェスはつくづくそう感じるのであった。
“そういえば先程の若者はサーシャの事を忌まわしき予言を受けた呪われし王女と言っていたな。近付く者を破滅に導くとか。
もしそれが本当ならば、サーシャの傍にいる俺は、そしてフェルティ国は…”
そこまで考えて、ジーフェスははっとなった。
“何を考えているのだ俺は!サーシャはサーシャなんだ。予言とか呪いなんて、そんな事は全く関係無いんだ!
何よりそんな予言なんて、有り得ないだろう!”
負の考えを払拭するようにぶんぶんと頭を振ると、ジーフェスはひとつ深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、部屋へ急ぎ足で向かうのであった。
*
「…え?!」
「だから、今夜、王家主催の夜会が催されるのよ。それにサーシャ、貴女もジーフェスと一緒に参加するのよ」
メリンダの言葉に、青天の霹靂だったサーシャは驚き、危うく食後のお茶のカップを落としそうになった。
「夜会だなんて…私、何も聞いてないわ」
サーシャの言葉に、今度はメリンダのほうが驚きの表情を見せた。
「あら、誰も話してないの?!全くあのぼんくらの臣下達ったら仕事してるのかしら!」
そこまで言いかけたメリンダ達の前に、突然白ずくめの男達が現れた。
「御食事中失礼致します。サーシャ王女様、ジェスタ女王陛下の御勅命により、ジーフェス様と共に今夜開催されます夜会への出席を命じます」
「夜会に、何故私が?」
突然現れた女王直属の臣下のぶしつけな命令にサーシャは戸惑い、メリンダは不快感を露にした。
「貴方達、報告が遅すぎよ。というか、勅命って何?仮にもサーシャは王女なのよ、家臣である貴方達のその態度は何!」
「これはメリンダ様、おはよう御座います。
サーシャ様にジーフェス様の衣装等必要なものは全てこちらで準備致しております」
だがメリンダの怒りの籠った声にも、男は完全に無視して平然と話を続けるのであった。
「つきましては本日夕刻より夜会の衣装準備を始めますので、その時分迄には部屋にお戻り願います。では失礼」
矢継ぎ早に事項だけ伝えると、男達は二人の返答も聞かずに一礼して即座にその場から立ち去っていった。
「……」
「何なの、本当に失礼な言い種ね!」
突然の事にただ呆然とするサーシャに対して、男達の余りの無礼さにメリンダは怒り心頭である。
「サーシャ…サーシャ!」
メリンダの声に我に帰ったサーシャは、先程からの疑問を口にするのだった。
「姉様、夜会って一体何の事?」
「ああ、貴女とジーフェスの御披露目の夜会よ」
「御披露目?私とジーフェス様の?」
驚くサーシャにメリンダは更に楽しそうに話を続ける。
「そうよ。貴女がジーフェスのもとに嫁いだ事で、貴女の存在も自他国共に公のものになったでしょう?だから他国に貴女が正当な王家の一員と知らしめる為に、先ずはこの国の重鎮達に貴女の事を紹介する為、女王陛下が夜会を催すことを命じたのよ」
「ジェスタ女王陛下が!?」
「そうよ、貴女が丁度帰国してきたから、今夜急遽催される事になったのよ。まあジーフェスはおまけの存在だけどね」
「おまけって…」
「ああサーシャ、今まで存在すら否定されて隠されるようにされてきた貴女も、やっと王族の一員として皆に胸を張って紹介されるのよ!誇らしい事だわ!」
「え、ええ…」
喜ぶメリンダとは対照的に、サーシャの胸中は得も知れぬ不安で満たされていくのであった。
“ジェスタ女王陛下が、私の事を…
確か女王陛下の勅命は全て大巫女様の『神託』そのもの。
呪われし予言を受けて今まで存在を隠されてきた私が、何故今になってこのような公の場に出ることとなったの?本当にこれも大巫女様の『神託』なのかしら?”
「…嫌な、予感がする…」
サーシャの不安の呟きは、すっかり喜びはしゃぐメリンダの耳に届く事は無かった。
*
「申し上げます。今夜開催の夜会にサーシャ王女が参加されるとの事で御座います」
――ここはアクリウム王宮内のとある一室。そこにはひとりの恰幅の良い中年男と、男の前に跪く、男の忠実たる家臣が居た。
「はあ!?あの忌まわしき王女が夜会に出席するというのか!確かあれは大巫女様の『神託』で他の国へ嫁いでこの国には居ないのではないのか?」
異様に突き出た腹を揺すりながら、中年男は忌々しげな顔付きで叫びだした。
「それが昨日から夫であられるジーフェス様と共に帰郷されておりまして…何でも女王陛下の勅命で夫婦で参加するとか…」
「女王陛下の勅命!?ならば大巫女様の『神託』だというのか!」
「…はい」
主人たる男の苛立ちの声に、家臣はびくびくしながら答えるのであった。
「今宵の夜会は女王陛下主催と聞いたので我が愛しい娘のデビューには相応しいと思っていたのに…あの忌まわしい王女と同席などとは、何と穢らわしいのだっ!」
中年男は怒りの余りに近くにあったテーブルに拳を叩き付けた。
「お、お怒りは御尤もで御座いますが…何分『神託』では…その…」
「解っておるわ!今更夜会にけちをつけたり、娘のデビューを中止になど出来ぬわ!」
「は、はあ…」
家臣の男は主人の荒れ様に冷や汗を拭いながらも、何とか機嫌取りが出来ぬかと必死に考えていく。
「う、噂では、サーシャ王女はメリンダ王女とは違い、容貌は人並みかそれ以下のものとか。メリンダ王女と並ぶ程の美貌を御持ちのマルガレータ御嬢様にとって良き引き立て役となるのでは…」
「引き立て役だと!?」
「は、はい…」
苦し紛れに思い付いた案に、中年男は一瞬怒りの顔をしたが、やがて暫し考え、
「成る程、確かあの王女の夫も東の僻地の蛮族の王子だったな。その手、使えるかもしれぬな…」
「では…」
「王族でありながら忌まわしき予言を受けし王女とその夫の蛮族の王子、卑下されるべき者同士の中で現れたるは、高貴なるアクリウム国の純粋たる貴族の血筋を持った美しき我が娘…
ふふふ、なかなかの演出ではないか!」
「そ、その通りで御座います」
ぐふふと不気味な笑みを浮かべ上機嫌に語る主人の様子に、男はほっと安堵の息を洩らし口調を合わせていく。
「良いぞ良いぞ!これ以上の演出は無い!おいお前、今すぐに夜会の参加者に事の由を伝え、夜会の席でサーシャ王女とその夫を徹底的に貶め、我が娘の株を上げるようにするのだ!良いな!」
「ぎ…御意」
不気味なまでに腹黒い笑みを浮かべる主人に背筋を凍らせながらも、男は忠実なる返答をし、部屋から出ていき命に従うのであった。