第10章Ⅳ:仕事は秘密の香り(後)
――時は少し遡る。
夫であるジーフェスの忘れ物を届ける為、サーシャはタフタの操る馬車に乗り、自衛団の庁舎へと向かっていた。
“ジーフェス様…”
最近は仕事が忙しくて挨拶程度にしか相手に出来ないので、少しでも逢える機会が出来てサーシャの顔も次第にほころんでいく。
「着きましたよサーシャ様」
タフタの声にサーシャははっとなり、急いで馬車から降りた。
「じゃあ裏手で待っておきます」
タフタはそう告げて馬車を庁舎の裏へとひいて行った。
独りになったサーシャは微かに高鳴る胸を抑えながら庁舎の門をくぐった。
「こんにちはー。あれ、サーシャ様。どうかしたのですか?」
ひとりの団員がサーシャに気付き、声をかけてきた。
「こんにちは。ええ、ジーフェス様に荷物を届けにきたのですが…」
「団長に、ですか。じゃあ僕が案内しますよ。どうぞ」
「ありがとうございます」
若い団員はにこやかな表情を浮かべたまま、サーシャを連れて庁舎の奥へと向かっていった。
「お疲れ様です」
「おいお前、見廻りに行った筈じゃないのか?」
庁舎の中に居た他の団員が現れた若い団員を訝しく睨み付けてそう言うと、
「あ、いえ…サーシャ様が来たからここに連れて来ました」
「サーシャ様が?」
「ええ」
団員が若者の後ろを見ると、隠れるようにしていたサーシャが現れた。
「こんにちは。突然すみません」
「「サーシャ様!?」」
思いもよらぬ人物の登場に、庁舎の中の団員達はびっくり。中には表情を歪める者もいた。
「な、何で奥様がここに!?」
「ちょ…!お前何故奥様をここに連れてきたんだっ!」
団員のひとりが怒った口調で若者を問い詰める。
「え、だって奥様、団長に用事があるって…」
「馬鹿かお前!今団長が誰と居ると思っているんだ!奥様にバレたらやばいだろうがっ!」
「あの…何か?」
団員達の動揺ぶりに不思議に思って、ついサーシャは尋ねてしまう。
「い、いえ何も…奥様は何故こちらに?」
動揺する団員のひとりが辛うじて答える。
「あの、今夜のお泊まりの着替えを持ってきましたが、ジーフェス様はどちらに?」
周りの団員の様子に不思議に思いながらも、庁舎の中をきょろきょろ見回すサーシャだが、団長専用の机にも彼の姿はない。
「あ…その…団長なら奥の部屋で書類をまとめていますよ。呼んできましょうか?」
「あ、はい。お願いします…」
その時、
‘ガターン!’
何かが落ちる物音に、
「ぐはあっ!」
男性の呻くような苦し気な声が奥のほうから聞こえてきた。
“あの声は、ジーフェス様!奥の部屋で何があっているの?”
「あの馬鹿!?まさか団長を…!」
「あいつ…まさか団長に襲いかかっているのかっ!」
周りの団員の声に、サーシャは表情を歪ませた。
「襲うって…一体どういう事なのですか?」
その問いかけに、問題の言葉を発した団員はやば…と言いたげな表情を浮かべる。
「この馬鹿!何言ってるんだっ!」
「ごめんっ!つい…」
「な、中は書類の山で一杯だから、それが崩れて団長が下敷きになってるだけですよ。多分…」
「と、取り敢えず団長呼んで来ますねっ!」
団員のひとりがそう言って、逃げるように奥の部屋に向かっていく。
「あ、私も…」
「「いやいやサーシャ様はここでお待ち下さいっ!」」
数人の団員が彼女を押さえようとするのだが、その間をするりとすり抜け奥の部屋の扉の前に向かった。
「団長、何がありましたか?」
奥の部屋…団長室という名前の資料室、には沢山の書類が並び、奥の小さなスペースに小さめな机と椅子、そしてローテーブルとソファーが置いてあるその場所で、ソファーの上にはジーフェスが仰向けに倒れ、胸を半分はだけた状態の上に、長い髪で細身の綺麗な顔立ちをした女がにやりと笑いながら覆い被さっている姿があった。
「大丈夫よう、ちょっとおふざけをしているだけ…!?」
騒ぎに女は顔をあげ、だけど飄々とした様子で呟いたが、団員達の奥のサーシャの姿に気付くと表情を歪め言葉を止めた。
ジーフェスも同じ方向に視線を向け、団員の先に居たサーシャの姿を捉え、愕然とした。
「さ、サーシャ!?」
「ジーフェス様…」
サーシャは視線の先にある光景から暫し目が離せなかった。
夫であるジーフェスと美女のその様子は正に‘交わりの儀式’そのもの。
以前ジーフェスがライザに‘診察’していたものとは違い、女のほうが誘惑していて、それをジーフェスが拒めない状態。
“何…何なのこれは?何故ジーフェス様が女性とこんな事を?”
混乱する彼女の鼻に、微かに女のものとおぼしき香水の香りが漂ってきた。
それは昨夜、ジーフェスの身体から香ってきたものと同じ香り。
“この香りは!じゃあ昨日もジーフェス様はこの女性と一緒に居たの!
仕事で遅くなっていたのではなく、この女性と一緒に居る為に…!”
「…っ!?」
全ての意味を察したサーシャはこれ以上見るのに耐えられず、踵を返してその場から駆け出した。
「サーシャ様っ!」
「サーシャっ!」
ジーフェスが慌ててソファーから起き上がり彼女を追い掛けようとした途端、
「待ってっ!」
いきなり女が立ち上がって、その拍子にまだ仰向けだったジーフェスの胸元を思い切り踏みつけた。
「うげえっ!!」
胸を押さえて痛みに悶える彼を置いて、扉付近に群がる団員達を押し退け、女は下着が見える程大股でサーシャの後を追い掛けていった。
「ちょっと待って!待って頂戴っ!」
庁舎の廊下を逃げるように走るサーシャとそれを追う女の姿に、その異様な光景に周りの団員達は呆然と見ているだけである。
「ちょっとあんた達っ!ぼうっとしてないで彼女を捕まえてよっ!」
女にしてはかなり低めの怒鳴り声に、周りの団員の一部がはっとなり、慌ててサーシャの前に立ち塞がる。
「ま、待って下さい奥様…」
屈強な団員数名の壁に、小柄なサーシャはあっさりと捕まってしまった。が、
「は、離してくださいっ!」
悲鳴にも似たその叫びに、団員達は思わず捕まえていた手を離してしまい、その隙に再びサーシャは逃げ出した。
「もう!役立たずなんだからっ!」
女は一言そう怒鳴ると立ち尽くすひとりの団員の背中に乗り上がった。
「うわっ!」
「いでっ!!」
ヒールが肩に食い込み痛みに顔を歪める団員を蹴りあげ、他の団員が呆気にとられる中、女は高々とジャンプしたかと思うてくるりと身体を回転させて、逃げるサーシャの目の前に着地した。
「!?」
突然目の前に現れた女の姿に、サーシャはびっくりして立ち止まり、思わず後退ってしまった。
「貴女、団長さんの奥様ね…」
少し髪を乱し息を上がらせてはいるが、綺麗に化粧した女の赤い唇から低めの優しい声が零れた。
「あ…」
「突然ご免なさいね、さっきの様子を見て私達の事を誤解しているようだけど…」
そこまで言われて、サーシャははっと我に帰り、女から視線を反らし再び逃げだそうとした。
「待って!あれは誤解なのよ!」
だが素早く女の手が彼女の手を掴んだ。
「は、離して下さいっ!」
「駄目よ!話を最後まで聞くまで離さないわ!」
じたばた暴れるサーシャを、女はぎゅっと抱き締めて落ち着かせようとする。
負けじとサーシャも逃げだそうとするが、かなり上背もあり、細身なのに力もある女の腕は彼女の力ではびくともしない。
「嫌!離して!」
「サーシャ!」
突然奥のほうからジーフェスの声がして、二人の傍まで駆け寄ってきた。
そして二人の姿を見るなり、表情を怒りのそれに歪めた。
「おま…!?何サーシャに抱き付いているんだっ!」
二人に駆け寄ったジーフェスは怒りのまま強引に二人を引き剥がし、女を床に突き飛ばしてサーシャを自分の腕に抱き締めた。
「いったーい!何するのよジーフェス!」
「それはこっちの言葉だ!貴様俺だけじゃ飽きたらずサーシャにまで手を出しやがって…!」
そう言うなりサーシャを離して未だ倒れたままの女に馬乗りになって一発殴りかかろうとした。
「ま、待って!」
「ま、待って下さいジーフェス様!」
思わずサーシャは殴りかかろうとしたジーフェスの腕にしがみついた。
「駄目ですジーフェス様!女性を殴るなんて!」
その声に一瞬驚き、腕を止めたジーフェス。そして怒りを鎮めるようにふうと一息ついて心を落ち着かせると、いきなり爆弾発言をするのだった。
「サーシャ…こいつは女じゃないんだよ」
「………え?」
暫しの間、サーシャはジーフェスの言葉の意味が解らず、彼と女とを交互に見つめた。
「え…?女じゃないって…でも彼女…」
「ちょっとジーフェス、余計な事を言わないでよっ!」
確かに女性にしては少し背が高めで胸も余り無いが、ジーフェスに押さえつけられている女は何処からどう見てもスレンダーな美女にしか見えない。
「こいつ、見た目完璧に女に化けきっているけどな、れっきとした男なんだよ」
「う、そ…」
「百聞は一見に如かず。まあ見てみろ」
「ちょ!止めなさいよジーフェスっ!離してっ!」
女のヒステリックな叫びを無視して、ジーフェスは女の胸元の服を掴むと一気に引き裂いた。
「きゃああっ!」
「!?」
思わず目を反らしつつ、だが恐る恐る女のほうを見たサーシャが目にしたもの…それは露になった上半身、そこには女性に有るべき胸の膨らみは全く無くて、代わりに平たい胸…男性特有のまっ平らな胸、があった。
「う、嘘…」
余りの衝撃的な事実にサーシャはそれ以上言葉が出ない。
「酷い…ジーフェス、貴方よくもやってくれたわねっ!」
一方の女…いや、女装した男は激昂の余り、隙をついてジーフェスの腕を振りほどくと顔に思い切り裏拳を食らわせた。
「ぐはっ!」
「酷いじゃないのっ!無理矢理女の服を破くなんてっ!」
「誰が女だっ!お前こそ何サーシャに手を出しやがってっ!」
「私は彼女に手なんか出してなんかないわよ!」
「なら何でお前がサーシャと抱き合っていたんだっ!」
やんややんやと二人が言い争う様子を、他の団員サーシャはただただ呆然と見ているだけだった。
“ジーフェス様が、ジーフェス様が女性でなく男性と…そんな事をしていたなんて…!”
「そんな、ジーフェス様…」
ぽつりと呟いたサーシャの声に、二人はぱたりと言い争いを止めた。
「ジーフェス様…ジーフェス様って、男の方とも交わりの儀式を行うのですか!?」
「「………………は!?」」
「いや、穢らわしいっ!そんな、そんな反道徳的な事をしておられたなんて!
このままではいけませんジーフェス様っ!今すぐに司祭様にお願いして懺悔して頂かなくてはっ!」
サーシャにとって、二人がそんな関係と思い込んでしまい、完全に落ち着きを無くしていた。
「誤解だサーシャ!俺は奴とは何もやってないぞっ!」
「ちょ、待って奥様、私とジーフェスはそんな関係では…」
「ああ、秩序の神アナーキー様、どうかジーフェス様の罪を御許し下さいませ!」
二人の言葉が全く聞こえていない彼女は、同性愛を禁忌とするアクリウム国民のサーシャにとって、赦しがたい二人の関係に、ただただ涙を流しながら己の信じる神に一身に祈るのであった。
*
「性別不一致障害?」
「そう、こいつの病気の名前」
…あれから周りの団員の、特に副団長の根気強い説得によって二人の関係が誤解だと理解したサーシャ。
今はすっかり落ち着いてジーフェスや女?、そして団員達と一緒にお茶をしていた。
「ちょっと、私にはニーナというれっきとした名前があるのよ、こいつ呼ばわりしないでよっ!」
「うるさい、何がニーナだ、お前はニックだろうが」
「本名言わないでよっ!女心の解らない人よねっ!」
そういう女…ニーナ、いやニックと言うべきか…は破れた服の代わりに自衛団の制服を着てお茶を飲んでいた。
もとより顔立ちも体型も良い彼(彼女)、男の格好もなかなかのものである。
「黙れ、まあ病気といっても心…精神的なものですね」
「心の、病気?」
サーシャの隣でお茶をしていたジーフェスが説明していく。
「心や精神は女なのに肉体は男、もしくはその逆の症状なのです。要は心の性別と身体の性別が異なる為に、精神的に苦しむ病です」
「心と、身体の性別が違う?ですがそれは神に背く考えでは…」
「確かにアクリウム国をはじめ、多くの国ではそう捉えられています。ですが最近の調査で、この症状は一種の精神病と考えられるようになりました。
最近注目された病だけに、専門的な医師がほとんど居ない為に未だ多くの患者が見過ごされ、罪人扱いされている状況なのです」
「はあ…」
その後の話から彼、ニックも幼い頃から身体と心の違いに悩んでいて、一時自衛団で勤めていたが、男として仕事するのに耐えられず精神を病んでしまい、ライザの診察を受けて病気が判ってからは自衛団を辞め、女として活動するようになり、もともと得意分野だった経理の仕事で頭角をあらわし、今では国でも優秀な経理士となったのである。
「ライザ先生は私の命の恩人よ。あの人が居なかったら今の私は無かったから。所詮頭の硬いジーフェスには私の治療は無理だったのよ」
お茶のカップを置いてニーナはにこやかに微笑む。
「悪かったな。俺は心理学や精神医療は苦手なんだよ」
「そうよねー、女心の解らない貴方には不向きよね」
「てめぇ…」
「あら、私にそんな態度を取っても良いの?
私が居なければ自衛団の経理報告書が完成しないわよ〜そしたら宰相様から来期の予算止められるわよ〜それでも良いの?」
「む…」
ふふんと鼻を鳴らす女?に、ジーフェスは歯軋りしながらもそれ以上は何も反論出来なかった。
「それにしても、奥様の事は噂で聞いてはいたけど、こーんなに可愛いとは思わなかったわ♪」
ニーナはにこにこしながらサーシャの傍まで近寄った。
「あ、あの…」
「ライザ先生が言ってた通り、小さくて可愛らしくて真っ白で、本当にお人形さんみたい。貴女のようなお嬢さんがジーフェスのような武骨者の奥さんだなんて、本当釣り合わないわよねー」
「何だと!」
戸惑うサーシャの頬を両手で包み込み、自分の顔を近付けた。
「あ、あの…」
「でもジーフェスが溺愛するのも解るわぁ。女の私でさえ、すっごく可愛くて守ってあげたいって思うもの」
「え?」
「ニック!何を…!?」
慌てるジーフェスを無視して更に続ける。
「彼ったらね、仕事の合間にも貴女の事を気にしていてね、そりゃあもう凄いのよ。
もうすぐ貴女の国に訪問する予定だから、女王陛下や大巫女様に御挨拶しなきゃならないけどどう挨拶したら良いんだろう、ちゃんと貴女の夫として認められるだろうかってずっと悩んでいるのよ」
ニーナから、初めて聞く内容にサーシャは愕然とした。
「え?それって一体何ですか?」
“国に訪問って、女王陛下や大巫女様に挨拶に行くってどういう事?そんなの、私何も聞いてない…”
サーシャとニーナがジーフェスに視線を向けると、彼はわなわなと顔を震わせていた。
「おま…一体何を!?」
「彼ったら、独りでいる時にぶつぶつと話していたのよ。もう笑えるわー!誰も聞いてないと思ってるけどすっかりバレバレよ」
ニーナの言葉に周りの団員全員縦に頷いた。
「嘘だろ、お前ら…」
独り悩んでいたのが皆にすっかりバレていると気付いて、ジーフェスは恥ずかしくて頭を抱えてしまった。
「ああっ、もうっ!この仕事が終わったらゆっくり説明しようと思ってたのに、お前のせいで全てぶちこわしだっ!」
最後のほうはやぶれかぶれに叫んで、ジーフェスはニーナの頭を思い切り小突いた。
「いたーい!何よ八つ当たりしないでよー!」
「大体なんでお前がここでそれを言うか!それこそ空気読め!」
「えー!だってもう彼女に説明してると思ってたからよー。まさか未だ話してないなんて思っても無かったのよ」
ジーフェスの文句にニーナは不貞腐れた顔で言い返す。
「大体お前は一言も二言も多いんだよっ!」
「ふん、どうせいずれ知られる事だから良いじゃない」
そう言ってニーナはふんと鼻を鳴らして立ち上がり、んー、とひとつ背伸びをした。
「さて…やっとジーフェスが書類を全て揃えてくれたから、今から私の本領発揮ね。
今からフル稼働で取り掛かって、何とか明日の夕方迄には完成する予定、じゃあね」
「さっさと仕事してこいっ!」
ジーフェスの八つ当たりの噛み付く声にも、飄々と手をひらひらさせて奥の部屋に行こうとした女?だったが、ふと何か思い出して振り返ると、ジーフェスに向けて何か投げつけた。
「いでっ!」
それは綺麗に包装された細長い箱状のものだった。
「それ、ライザ先生からの預かり物よ。じゃあね奥様、今度はライザ先生と一緒に女子会しましょうね♪」
女はふふ、と妖艶に微笑みながらサーシャに向けてウインクをしてきた。
「お前っ!?」
「ああジーフェス、今日はもう帰っても良いわよ。
明日書類の見直しをしたいから朝一で庁舎に来てね。書類が出来たら直ぐに渡したいしね。
邪魔者はさっさと消えるから貴方は奥様といちゃいちゃ楽しんでね♪」
「…て、おいっ!」
それだけ言うと、ニーナは逃げるように部屋から出ていってしまった。
「あの馬鹿…」
恥ずかしくて赤くなるサーシャに、怒りにきりきりと歯軋りするジーフェスだが、二人とも何処と無く嬉しそうである。
「さて、儂らも仕事に行くかな。ほらお前達も見廻りに行くぞ!」
副団長も席を立って周りの団員に渇を入れる。
「ふわーい」
「はーい」
団員も何か感じたのか、皆席を立ってめいめい部屋から出ていってしまい、部屋にはジーフェスとサーシャの二人が残された。
「……」
「……」
二人きりの中、暫くの間沈黙が続いていたが、
「「あの…」」
思い切ったように、二人同時に声が出た。
「あ…な、何でしょうか?」
「いや…サーシャのほうからどうぞ」
「いえ、先ずはジーフェス様のほうから…」
そこまで言って、お互い顔を見合せたかと思うと、二人して同時に吹き出した。
「やだ…私達ったら…」
「可笑しいよな」
ひとしきり陽気に笑った後、サーシャのほうが呟いた。
「あの、アクリウム国に訪問って一体…」
「ああ、食事会の時に殿下から言われてたし、折角の機会と思って…」
そこまで聞いて、サーシャはふと以前話していた言葉を思い出した。
『フェルティ国王代理として命ずる、近日中に二人でアクリウム国を訪問するように』
「今まで黙っていてごめん、この仕事があったから、訪問が何時になるかも解らなかったし、あっちの国の都合もあったから…で、あちらも快く承諾して頂いたから話を進めていたんだよ」
するとサーシャは首を横に降った。
「良いのです。怒ってませんし…むしろ嬉しかったです。ジーフェス様がそこまで私を気にしていてくれて」
「サーシャ…その、これ…」
ジーフェスは手にしていた箱をサーシャに渡した。
「これは?」
「里帰りの時にでも使ってくれたらと思って…俺はその、そっちの感性はからきしだから、ライザに頼んだけど…」
少し照れたように話す彼を見て、サーシャは包みを開けた。
箱の中には綺麗な碧のサフィールと、周りを銀でできた花の彫刻で飾られた、何とも可愛らしいネックレスが入っていた。
「素敵…この花の彫刻が可愛い。あの、つけてみても良いかしら?」
一目見て、サーシャはこのネックレスが気に入ってしまった。
「気に入ってくれて良かった。どうぞ」
サーシャの喜びようにすっかり安心したジーフェスはにこやかに答える。
早速箱から取り出して首にかけると、銀の花とサフィールの碧とが彼女の胸元の白い肌に良く映えていた。
「とても良く似合っているよ」
「ありがとうございます。嬉しい」
にこにこ笑顔を浮かべながらネックレスを見つめるサーシャの姿に、ジーフェスも自然に笑みが浮かんでくる。
「あの…それでアクリウム国への訪問は何時になるのですか?」
「ああ、ひと月後かな。丁度炎(=夏)の始まり頃だよ」
「そんなに後ですか…」
思っていたより遅い日にちにサーシャはやや不満の声をつい洩らした。
「いや、この仕事が予定ではあと10日位かかると思ってたのさ。それにアクリウム国の王家のほうとも話し合って都合をつけたらこうなったんだよ。
あとサーシャにとって、多分ここの炎の暑さはかなり堪えるだろうから避暑も兼ねて、ね…」
「ジーフェス様」
然り気無い彼の気配りに、サーシャは胸が熱くなり、思わず彼の胸に抱きついてしまった。
「サーシャ!?」
「ありがとう、ございますジーフェス様。そこまで私のことを思ってくれて…」
自分の胸の中にいる、小さな身体の彼女が愛おしくて、ジーフェスはそっと背中に手を伸ばした。
「いえいえ…あと、殿下の子息のラスファ殿がついて来るけどね」
「…え!?」
思わぬ一言に、つい抱きついていた胸から離れ、顔を見上げた。
「あ…その、殿下からの命令で、他国文化に触れて王族として色々と勉強も兼ねて連れて行けと…」
「……」
「お、怒ってる?」
だがサーシャは首を横に降った。
「いいえ、怒ってませんわ。確かラスファ様って、食事会の時に私の隣に座っていましたわよね。彼、とても素直で可愛くて…まるで私の弟みたいで楽しかったわ」
その時の事を思い出すように話すサーシャは、とても楽しそうである。
「あ…弟だなんて、殿下の嫡男様に対して失礼でしたね。大丈夫です、寧ろ楽しみが増えて嬉しいわ」
“でも本当はジーフェス様と二人きりで行きたかった”
だが敢えて本音を隠してサーシャは明るく振る舞うのだった。
「そう」
見た目本当に楽しそうに語るサーシャの様子にジーフェスは安堵の息をついた。
「ああ、楽しみだわ!早くひと月過ぎてくれないかしら!」
嬉しそうにそう言いながら踊るかのようにくるくる身体を回す彼女。
ジーフェスが今まで見たことの無いその姿は本当に嬉しそうにである。
「ひと月なんて、あっという間にやってきますよ」
初めて見せる、子供のようにはしゃぐ姿を見れただけでも、彼にとっては本当に至福の時間であった。
“やっぱり可愛いなサーシャは…”
無邪気に喜ぶ彼女の姿に、ジーフェスはまた胸をときめかせるのであった。