おまけ4:一日遅れの太陽祭
今回のおまけは…タイトルから推測の通りです。
話がかなり長くなりました。すみません。
※若干?性的な触れ合いがありますので苦手な方は御注意を…
「ねえこの格好、おかしくないかしら?」
不安そうに鏡の中の自分を見ながら、私はそう尋ねました。
「大丈夫ですよ。とても良く似合っておりますよ」
「私はもうちょっと派手でも良いんじゃないかなー?ほらこの衣装とか」
ポーさんは私の髪を結いながらにっこり笑ってそう答えてくれたのですが、エレーヌさんは納得しないように、祭用に準備していた服のひとつを私に見せてくれたのですが、
「でも、これはちょっと…」
その服は赤を基本としたもので、所々に金や銀の派手な刺繍模様が織り込まれ、おまけにかなり、かなーり胸元が開いていて、はっきりいって胸が大きなエレーヌさんには似合っても私にはとても着れそうにない代物です。
「エレーヌ、そんな派手な衣装を着たらサーシャ様が目立って仕方ありませんよ。今の薄緑の服のほうが季節とも相俟ってよく似合ってますよ」
「えー、まあそうかぁ。今の格好はサーシャ様の可愛らしさが際立ってるしね。派手な服着て目立ったら大変だもんねー」
ポーさんの助言にエレーヌさんが納得してくれて私もひと安心です。
「さて、出来ましたよ」
そう言ってポーさんが肩を軽くぽんぽんと叩きます。
鏡の中の私は肩までの髪の横の一部をみつあみにして、白い花をあしらった髪留めをつけ、ジーフェス様が留守の時にポーさんの見立てで購入した薄緑色のワンピース姿をしています。
自分はかなりお気に入りの格好なのですが、見た目ちょっと幼く見えてしまい、ジーフェス様に釣り合わないのではないかと不安になります。
「とても愛らしい御姿ですよサーシャ様」
「んー可愛いー♪やっぱサーシャ様はこうでないとね」
でもお二人が褒めてくれたので、少し自信がつきました。
「ありがとうございますエレーヌさん、ポーさん」
私は上機嫌でお二人に笑顔を向け感謝の言葉を述べます。
「おーい!そろそろ行かなくて良いのかー?」
屋敷の外で待っていた馭者のタフタさんの声が聞こえてきました。
「すみま…」
「はーい!今行きますよー!」
返事をしようとした私の代わりにエレーヌさんが返事をしてくれます。
ちょっとびっくりしましたが、直ぐに気を取り戻しポーチを手に玄関に向かいます。
「行ってらっしゃいませ」
「楽しんできてくださいねー!」
お二人に見送られながら、馬車はジーフェス様のお勤め先である自衛団の庁舎に向かっていきます。
――久しぶりのお出掛け…エレーヌさんが言うにはデートというものらしいです、に私はうきうきわくわく、心が浮かれています。
ジーフェス様と二人きりでお出掛けなんて、嬉しい。
この薄緑のワンピース姿、ジーフェス様気に入ってくれるかしら?ああやっぱりあの白色のブラウスに青色のスカートのほうが良かったかしら?それともあの象牙色の…それよりもこの髪型で良かったかしら?髪飾りも花でなくて…
「サーシャ様、サーシャ様!」
あれこれ考えていた私の耳にタフタさんの呼ぶ声がしました。
「サーシャ様、庁舎に着きましたよ」
「え…!?は、はいっ!?」
私があれこれと悩んでいる間に、いつの間にかジーフェス様のいる庁舎に辿り着いていました。
タフタさんに手を引かれて馬車から降りると、見慣れた建物が目に入ってきました。
「ではごゆっくりお楽しみ下さい」
「はい、行ってきます」
嬉しさの余り、少し上擦ってしまった声に、タフタさんがくすりと笑顔を浮かべ、そのまま馬車に戻り屋敷へと向かっていきました。
独りになった私は少しどきどきしながら庁舎の入り口に向かいます。
「あれ、誰かと思ったらサーシャ様ではないですか?こんにちは」
入り口をくぐった途端、近くにいた男性…ジーフェス様と同じ自衛団の制服を着た、ジーフェス様よりは少し若い男性、が私に声をかけてきました。
「はい、こんにちは」
「何故ここに…あ、そっか、今日は午後から団長と御出掛けでしたねー」
「え?」
その男性は何故か私とジーフェス様が今から出掛ける事を存じているようです。
何故かしら?
「あ、サーシャ様こんにちは」
「こんにちは」
今度は別の男性…やはり自衛団の制服を着た若い方、が声をかけてきました。
「今から団長とデートですか。良いなあ〜俺もこんな可愛い奥さんと一度でいいからデートしてみたいなあ…」
「は、あ…」
何故この方もお出掛けの事を存じているのでしょう?
もしかしたらジーフェス様が皆さんに話をされたとか。
…それでしたら、何だか少し恥ずかしいです。
「おやサーシャ様、ああもうそんな時間か。団長をお迎えですか?」
また現れた自衛団とおぼしき男性…今度はがっちりとした体格の良い、少しお歳を召した方、が現れました。
この方もやっぱりご存知なのですね。恥ずかしいです。早くジーフェス様にお逢いしてこの場から離れたいです。
「あの…」
「ん、何でしょうか?」
「あの、ジーフェス様は…」
私がそう言いかけたその時、
「この馬鹿者ーっっ!!」
「「!?」」
突然庁舎の奥から聞こえてきたそれ…天を引き裂く雷の如き大きな怒鳴り声に、私も私の近くに居た団員さんもびっくり、思わず固まってしまいました。
…あの声まさか、ですよね…。
「お前達は自衛団の仕事を忘れて何をしていた!酒盛りだと!女遊びだと!お前達他の仲間に申し訳ないと思わないのかっ!」
やはり、この声はジーフェス様に間違いありません。
「うは…久しぶりに聞いたよ団長の怒髪天を衝くような声」
「さっきエルビスとガンツが団長に呼ばれてたけど…もしかしてあいつら、酒場でおネエちゃん達と遊んで酔い潰れてたのか?」
「それ羨ましい。俺も遊びたかったぞー」
若い男性達は叫びを聞いて何やら察した風ですが、私には何故ジーフェス様があそこまでお怒りなのかが全く解りません。
何があったのでしょう?
「サーシャ様」
混乱する私に、先程から居たお歳を召した…といってもまだ見た目40代くらいの方ですが、が声をかけてきました。
「すみません、今日は仕事が重なってしまったので未だ片付かずに団長、少し焦っているんですよ」
「は、あ…」
「ちょっと私が話をしてきますので奥の休憩室で少しお待ち下さい。おい、お前達」
「「あ、何でしょうか副団長?」」
男性…副団長さんの呼び掛けに若い男性達が口を揃えて答えます。
「私が団長を呼んでくるからお前達はサーシャ様を休憩室に連れていってくれ」
「「了解致しました。サーシャ様、こちらへどうぞ」」
「は、い…」
お二人はびしっと副団長さんに敬礼すると、やっぱり声を揃えて答え、未だ戸惑う私を真ん中にして休憩室まで案内してくれました。
果たして、私はジーフェス様と無事にお出掛け出来るのでしょうか?ちょっと不安になってきました。
*
――今日の午後からは久しぶりにサーシャとのデートで、祭の仕事の為に数日間彼女とまともに逢うことも話もすることも出来なかったから、少しでも早く仕事を終わらせて出掛けたかったのだが…、
何でこういう時に限って仕事がわんさかとやって来るんだ!
しかも東地区を見回りしていた団員二人が未だ戻って来てなくて行方不明のままだし。
「太陽祭での事件ですが、街中での酔っぱらい同士の喧嘩が十数件、スリの被害が二十数件、店の盗難や破損が数十件、それに…」
「ああ、解った解った。確認だがどれも解決はしてるのだな?」
本当なら毎年太陽祭の後、こういう仕事の処理が多いのは解っているし、それに苛ついてはいけないとも解っている。
解っているんだけど、急いでいる時に限ってこうも多いと俺もげんなりしてしまうぞ!
「いえ、スリの一部は犯人が見つかってなくて、未だこちらで捜査中です。
あと娼婦街の裏では違法な薬の取引が行われて、露店の一部は強盗団に襲われたとも…」
「ところでそれらの事件の報告書は出来ているのか?」
俺は長くなりそうな団員の言葉を遮ってそう聞いてみた。
「はい、仕上げた分はこれです」
俺は団員から渡された書類を受け取ると、ぱらぱらと捲りながら目を通し始めた。
「今回は死者が九名か、多いな」
「はい、ただ死者といっても九人のうちの六人は例のラーナー広場での‘男達’で、残り三人は相当年配の女性が花火に驚いて心臓発作を起こしたり、泥酔した男が誤って川に落ちて溺死、残りも階段から落ちて打ち所が悪くてあっけなく…というもので、この三件は事件性は無いものと思われます」
「ん」
「ただ最後の件が、一般市民でなく貴族の方でしたので念のため調査し直すべきでしょうか?」
「貴族?」
団員の言葉に俺は再び報告書に目を通した。
そこには裏通りの階段で転落、死亡した男性の身上が書かれていて、その名前を見た俺は驚きに目を見張った。
そこには前宰相ユリシーン殿の嫡男の名前があったからだ。
確か彼はユリシーン殿の下に勤めていたが素行が悪く、最近は仕事もろくにせず娼婦街に入り浸っていてユリシーン殿が嘆いていたとも聞いている。
「……」
死亡現場は娼婦街の直ぐ裏手で、従者の証言で祭当日、本人も高級娼婦街に遊びに来ていた。
街から出た時はかなり酔っており、酔い覚ましにだろうか独りで現場近くを彷徨いている姿も目撃されている。その際に階段から足を踏み外して転落、打ち所が悪くて死亡、か…。
「…成る程、そういう事か」
「は?」
「いや何でも無い。で、エルシーン殿の遺体は?」
「安置所に置いてます。午後には関係者が引き取りに来る予定ですが、引き渡しても構いませんか?」
「ああ構わない。それとこの件の調査も必要無いだろう。どこから見ても単なる事故死だ」
…彼がそうならば、いや間違いなく例の事件に関わっているだろう、どうせ調べたところで無駄だろうしな。
「解りました。ではそのように手配致します」
やっと団員が納得したように一礼して元の席に戻ると、入れ替わるような別の団員が現れた。
「団長、昨夜東地区を見回っていた彼らを発見しましたが…」
「あいつら見つかったのか、何処にいたのだ?」
「それがその、『子鹿亭』の二階でして…」
「は!?『子鹿亭』だと!」
東地区は大衆向けの酒場が多く集まっており、『子鹿亭』もそのひとつである。此処は若い女性の従業員が多いということで若者に人気の酒場で、しかも二階は簡単な宿泊が出来る為、よくカップルがいちゃつくのに利用しているとの噂だ。
そこに居たということは、つまりは『子鹿亭』で店の女の子達と酒盛りしてそのままお泊まりしたんだな。
あいつら、こっちはサーシャに逢っていちゃいちゃしたいのを我慢して、仲間も休みたいのを我慢して必死で仕事している中で酒に女に遊びまくっていたのかっ!
「何でそんな所に奴等が居たんだ!」
「それは俺にも分かりません…」
俺に完全に八つ当たりされた団員は困ったようにおろおろするだけだ。
いかんいかん、こいつに罪は無い…冷静になれ落ち着け俺。
「で、二人はここに戻って来たのか?」
最大限落ち着いた声で再び問い掛けると、団員は少しほっとした様子で答えた。
「はあ、今廊下で待機してます」
「直ぐに呼んでくれ、今すぐにだ」
「は、はい」
俺の命令に、団員は急ぎ足で部屋を出ていった。
いつの間にか周りの団員達も俺にちらちら視線を向けながらも無駄話ひとつせずに皆黙って仕事をしている。
「失礼します。二人を連れて来ました」
程無く団員が問題の二人を連れて来て、一礼すると俺の前に二人を残し逃げるように部屋を出ていった。
それにつられて何人かの団員も部屋を出ていく姿が見えた。
「……」
俺は無言で、目の前に立っている問題の二人を睨み付けた。
二人とも自衛団の制服を着ているものの、服には皺がはいり髪はぼさぼさで目は充血し、何より身体から酒の臭いが漂っていて、もろに遊んでいたのがばればれだ。
一発殴りたいのをぐっと堪えて、俺は気持ちを落ち着けるべく深呼吸をして口を開いた。
「昨夜から東地区を見回りしていた筈のお前達が、何故今まで『子鹿亭』に居たんだ、ん?」
すっかりばればれだから素直にサボったのを認めて謝罪すれば俺もまあ許してやらん事も無いが…。
「お、俺はこいつに止めろと言ったんですよ!なのにこいつが無理矢理俺を『子鹿亭』に連れ込んで…」
「お前だってオレの誘いにほいほいついてきたじゃないか!おまけに酒はお前のほうが遥かに飲んでたぞ!」
「う、うるさいっ!大体お前はいつも勤務中に遊びに行ったりさぼったりしているじゃないか!」
「それとこれとは関係ないだろ!」
なのに俺の期待に反し、二人は開き直っていきなり言い訳をし始めたのだった。
…こいつら、素直に謝ればまあ大目に見てやろうと考えていたのに、俺が寛大な心?で、お前達の事を許そうと思って、いたのに…こいつらは…っ!
ぷちっ。
俺の中で何かがぶち切れた。
あ、やばい…!?
「この馬鹿者ーっっ!!」
「「!!」」
俺の怒髪天の声に、喧しく言い訳していた二人が驚き言葉を止めた。
「お前達は自衛団の仕事を忘れて何をしていた!酒盛りだと!女遊びだと!お前達他の仲間に申し訳ないと思わないのかっ!」
…やばい。久しぶりにキレた。
余程の事がないとこうはならないのだが、今回はずっとサーシャに逢えなかったのと連日の勤務の疲労、そして仕事が終わらない事の焦りが俺を追い詰めたのだろう。
そして奴等の言い訳が止めの一撃となった。
あれで俺は完璧キレた。
「ひえっ!…す、すみませんでした団長っ!」
「も、申し訳ありませんでしたっ!!」
俺を怒らせた二人はすっかり怯えて床に伏して平謝りしまくるし、周りは逃げそこねた?団員達も俺の罵声にすっかり怯えて縮こまっている。
…やば、つい我を忘れて感情的になってしまった。
それを見た俺は流石に冷静さを取り戻し、徐々に怒りを収めていった。
「お前達、謝るなら言い訳せず最初からちゃんと謝れ」
「「はいっ!すみませんでしたっ!!」」
土下座して謝罪する二人を見て、俺は完全に冷静さを取り戻し、二人をどうしようかと考え始めた。
始末書の提出は勿論だが、後の処罰をどうすべきか…、
「団長、奥様がおみえになりましたよ」
頭を抱え悩んでいたそんな時、副団長のはっきりと通る、だけど落ち着いた声が聞こえてきた。
「サーシャが来たのか、もうそんな時間なのか?」
「はい、休憩室で待ってもらっていますので、団長も準備してきて下さい」
「しかし、未だ仕事が…」
俺はそう呟き、じろりと問題の奴等を睨み付けた。
途端に奴等、びくっと肩を震わせ縮こまってしまう。
いや、俺はもうそれほど怒ってないぞ。お前達のせいで仕事増えたとは言わないけどな。
「そうですな…業務をサボった罰として彼等には『奉仕活動』を半年間させるという事でどうでしょう?」
「ほ、『奉仕活動』っ!」
「しかも半年間っ!」
副団長の言葉に二人は表情をひきつらせて叫びだす。
「成る程、それは良い考えですな副団長。よし、お前達には今回の始末書の提出と半年間の『奉仕活動』を命ずる」
流石ベテランの副団長。見事な処罰を考えてくれたものだ。
「そんなぁ〜団長〜」
「酷すぎるー」
目の前の二人はがっくし肩を落とすが、周りの団員はやったぜと言いたげな表情をしている。
ふん、いい気味だ。皆が真面目に働いていた時にサボって遊んだ報いだ。
因みに『奉仕活動』とはこの庁舎内外の清掃の事であり、各部屋をはじめ調理場や不浄場、更に庁舎周辺の草刈りまで行わなくてはいけないのだ。
他の庁舎では専属の清掃人を雇っているのだが、ここ自衛団の庁舎は彼等を雇うだけの資金が無い(涙)為、団員が交代でやっているのだが、今回の件でこの二人が半年間ずっとやる事に決定したのだった。
「あとは祭の時の事件の処理ですが…」
「報告書が出来ていれば後はわたしが処理致しますよ。さあさあ、早く迎えに行って下さい。女性を待たせたら失礼ですよ」
と副団長は俺をさっさと追い出そうとしている。
周りの団員もうんうんと頷いている。
「それならば、お言葉に甘えさせていただきます」
本当はきちんと仕事を終わらせて退庁したかったのだが、周りの団員達の早く行けと言わんばかりの視線と、何より俺自身が早くサーシャに逢いたかったのもあってここは思い切り甘えてしまった。
「楽しんでくださいねー」
「たっぷりいちゃいちゃして下さいね」
団員の冷やかしの声を聞きながら、俺はサーシャの待つ休憩室へと向かったのだった。
*
――私がジーフェス様と『リュート』を出た時には、空はすっかり闇色に染まり、綺麗な月が現れ始めた頃になっていました。
昼間庁舎で待ち合わせた後、私とジーフェス様は未だ祭の名残がある街中へとやって来て、様々な場所を見たり買い物を楽しんだりした後、少し早めの夕食を『リュート』で頂きました。
あ、私のこの薄緑のワンピース姿、ジーフェス様が可愛いって褒めて下さいました。嬉しい♪
「どうでしたか料理は?」
「ええ、とても美味しかったです」
本来、肉料理は苦手なのですが、『リュート』ではオーナーさんが私の好みに合わせて肉の部位を選んで調理してくださったので、とても美味しくいただけました。
「それは良かった。俺も久しぶりに美味しい肉料理を味わったよ」
ジーフェス様も御自身が大好きな肉料理を堪能して満足されている様子です。
「さて…例の、目的の場所へ行きましょうか?」
躊躇いなくそう呟きにっこり微笑むジーフェス様を見て、私は頬が熱くなるのを感じました。
「は、はい…」
月明かりだけでしたから見られませんでしたけど、恐らくこの時の私は真っ赤な顔をしていたでしょう。夜の闇に感謝です。
「あ、あの、これ…」
公園に行くというので、私は慌ててポーチから金と銀の仮面を取り出して金のほうをジーフェス様に差し出します。
一瞬訳が解らずに驚いた表情をしたジーフェス様でしたが、直ぐに納得したようなにこやかな表情を浮かべ仮面を受け取ってくれました。
「そうだね、これが無いと意味無いよね」
少し照れた様な笑顔を見せると、ジーフェス様は手にした仮面をつけてくれました。
私も銀の仮面をつけると、ジーフェス様と一緒に西の公園へと向かいました。
「「……」」
公園に着いた私達は、その光景にただただ唖然としてしまいました。
小さなその公園の中もその周りも、あちこちで金と銀の仮面をつけた男女が沢山いちゃいちゃしていました。
おまけに公園周辺では祭の出店もあって、軽食や仮面といった雑貨品から更には大人の玩具という、何とも怪しげな品物まで売られています。
「あの…祭は昨日、でしたよね?何故こんなに沢山…」
「お、恐らく彼等は俺達と一緒で、祭当日に仕事で来られなかった人達だよ。もともとここはデートスポットで沢山の恋人達が訪れる場所らしいが…それでもこれ程集まってるとは思いもしなかったな…」
「そう、なのですね…」
「とにかく先に行きましょうか?」
苦笑いしながらもジーフェス様は私に片手を差し出します。
「…はい」
私が彼の手にそっと手を差し出すと、ぎゅっと指を絡めて握り返してくれました。
…え!?
初めての指の絡む手の繋ぎかたに、彼の指の感触を直に感じてしまい、私の心臓の鼓動が激しくなります。
どきどきどき…、
落ち着かないまま、私はジーフェス様と目を合わせられず、半ば引っ張られるように公園の中へと入っていきました。
公園内では皆さん仲良く手を繋いだり腰に手を回して抱き合いながら歩いていたりと…時折見掛ける親密な様子に私は目のやり場に困ってしまいました。
ちらりとジーフェス様を見てみると、どうやら彼も私と同じようで、何処と無く落ち着かない様子で視線をさ迷わせています。
「あ、の…噴水はまだですか?」
「も、もうすぐ見えてくるはず…あ、あれかな」
気分を逸らそうと話題を変えて話をする私達の前に、目的の噴水が見えてきました。
古い噴水らしく、所々でひび割れていたり蔦が絡んでいたりしていますが、見事な彫刻の施された立派なものです。
噴水の周りには沢山の水が湛え揺らめき、夜空の星と月を映し出しています。
「綺麗ですね」
「ああ…」
私とジーフェス様は噴水の傍まで近寄って、暫し夜空の月と水面の月を見比べて楽しんでいました。
繋がれた手が少し汗ばんできて熱いです。
ふと周りを見回すと、皆さんここが目的の場所らしく、大勢の男女が集まっていました。
大半の方は手を繋いだり男性が女性の肩を抱いたりする程度のくっつきぶりですが、中には堂々と抱き合ったり、果ては口付けを交わしたり、剥き出しの女性の首や胸元に男性が顔を埋めたりしていたりする場面もあります。
そんな様子に、私は『交わりの儀式』の男女の姿を重ねてしまい、ぼっと身体じゅうが熱くなるのを感じてしまいました。
こ、こんな場所でまさか『交わりの儀式』を行おうとしているなんて…っ!
私は思わず握っていた手に力が入ったのでしょう、ジーフェス様が驚いたように私を見つめます。
「サーシャ…?」
「あ…」
何だか恥ずかしくて、私はジーフェス様の顔をまともに見ることが出来ません。
「こ、ここは人が多くて落ち着かないね。戻ろうか」
「そ、そうですね…」
ジーフェス様も周りの光景と私の態度に何かを感じたのでしょうか、少し照れた様子でそう言うと私の手を引いて早足に噴水を後にします。
…あれ?でもそっちは…。
でもジーフェス様は来た方向とは逆のほうへ私を連れていきます。何故?
「あ、あの…」
私が声を掛ける間も無く、ジーフェス様はずんずんと歩いていってしまい、公園の更に奥に入ってしまいました。
「あれ…出口は何処だ?」
やっとジーフェス様も気付かれたのか、足を止め辺りを見回しましたが、場所が悪すぎました。
そこは木々や茂みが多く月明かりがほとんど届かない場所で、何処からか男女の声が…正確に言えば苦しむような、だけど時折甲高い声が聞こえてきます。
「な、何が起こって…!?」
その時、私の視線に木々から射し込む月明かりに照らされた一組の男女の姿が見えました。
それは女性を下にして男性が覆い被さるような格好で、何よりも驚いたのは二人とも服を身に纏っていません。
これはどこをどう見ても二人が『交わりの儀式』を行っているようにしか見えません。
「!!」
衝撃的な光景に私が声も無く動けずにいると、慌てたようにジーフェス様が私の腕を引っ張ってその場から走って逃げ出してくれました。
どれ程進んでいったのか…やっと人影が見えない場所まで来るとジーフェス様はそこで足を止め私から手を離してくれました。
「ご、ごめんサーシャ…びっくりしたよね…」
苦しげにはあはあと息をしながら、申し訳なさそうに謝るジーフェス様に私は首を横に振りました。
「い、いえ、大丈夫、です…」
私も久しぶりに全速力をしたので息があがってしまっています。
「俺が道を間違えたばかりに、変な場所に連れていってごめん。気分を害してしまったよね…」
その言葉に、私は先程の男女の様子が頭に浮かんできて、思わず頬を熱くしました。
「い、いえ別に…!?」
否定の言葉を言おうとしてジーフェス様見ると、彼の背後に思わぬものが映りました。
それは月明かりに照らされて淡く輝く花。
「あれは…月の雫」
「え?」
首を傾げるジーフェス様をよそに、私は淡く輝く花の傍まで駆け寄りしゃがみこんで花を見つめます。
「どうしたんだいサーシャ?その花がどうかしたのかい?」
慌ててジーフェス様も私の傍まで近寄ってきました。
「あ、ご免なさい。私の好きな花があったからつい。綺麗…本で見た事はあったけど、本物を見るのは初めてだわ」
「この花?これなら森とかの陽の当たらない場所によく生えているものだけど…」
「これは月の雫と言って夜のみ咲く花なのです。気温がフェルテイ国より低いのでアクリウム国では自生しない花なのです」
「そうなんだ」
「私の大好きな花のひとつなのですが、まさかここで見られるなんて思いもしなかったです」
私は探していた花を見つけた喜びに、先程までの事を忘れて暫し花に見とれてしまっていました。
ジーフェス様の存在を忘れるくらいに。
「…サーシャ」
だから突然自分を呼ぶ声と肩を軽く叩かれた感覚にびっくりしてしまいました。
「ジーフェス、様…」
…どきん…。
振り向いた私は目にしたジーフェス様の姿を見て胸が高鳴りました。
長い黒髪が風に揺めき、金の仮面の切れ間から見える翠の瞳が蒼い月の光に反射して不思議な色彩を見せています。
それは魂が吸い込まれそうなくらい、美しく幻想的な光…。
私は引き寄せられるように立ち上がってジーフェス様と向かい合いました。
「サーシャ…」
ジーフェス様の手がそっと伸びてきて、指先が私の頬に触れ、優しく滑ります。
…とくんとくんとくん…。
何かが起こりそうな期待に、胸の鼓動は更に高鳴ります。
大きくて少し硬くて、でもとても温かい手…。
私は引き寄せられるように、ふらりとジーフェス様に近付き、顔を見上げます。
綺麗な翠の瞳は、その奥に秘めたる欲望を湛えて真っ直ぐに私を見ています。
「ジーフェス、様…」
彼の腕が優しく私を抱き締め、顔が近づいてきます。
私が瞳を閉じるとふっと唇に温かく湿った感触が起こり、更に身体を強く抱き締められました。
…ジーフェス様。好き、大好き…。
思わず私は腕をジーフェス様の背中に回して抱きついていました。
久しぶりに感じた彼の腕の強さ、胸の中の温もり、男の人特有の匂い。
ジーフェス様の何もかもが大好き。ずっと、このままでいたい…。
全身にジーフェス様の全てを感じ、ふわふわと夢見心地になっている私の口中に、突然何かぬるりとした感触が襲ってきました。
「!!」
突然の事にびっくりした私はあろうことか、ジーフェス様を思い切り突き飛ばしてしまったのです。
「サーシャ…!?」
突き飛ばされたジーフェス様はただただ驚いたように私を見つめています。
その姿に私ははっとなりました。
「私、私…っ!」
*
「どうでしたか料理は?」
『リュート』から出てきた俺は隣にいたサーシャにそう尋ねた。
「ええ、とても美味しかったです」
「それは良かった。俺も久しぶりに美味しい肉料理を味わったよ」
普段肉料理が苦手なサーシャの食べっぷりからも察していたが、はっきり満足したのを確認出来て俺もひと安心。
流石に行列が出来る程の店だな。ここを選んでくれたライザに感謝感謝。
「さて…例の、目的の場所へ行きましょうか?」
「は、はい…」
俺の誘いにサーシャは嬉しそうな表情を見せながらも少し恥ずかしいように俯きがちに返事をし、
「あ、あの、これ…」
と、ポーチから金と銀の仮面を取り出して金のほうを俺に差し出してきた。
最初は訳がわからず首を傾げてしまったのだが、ふと思い出した。
ああ、そっか。確か月恋人の言い伝えは男は金の仮面をつけるのだったな。
「そうだね、これが無いと意味無いよね」
俺はそう答えてサーシャから金の仮面を受け取って顔につけた。
若干大きめで何とも妙な気分であったが、何とか堪えた。
仮面をつけるなんて、小さい時に遊びで葉っぱのものをつけて以来だな。
そんな昔の事を思い出しながら、俺は同じく銀の仮面をつけたサーシャと一緒に西の公園へと向かっていった。
「「……」」
確かにここは有名なデートスポットだから、俺達のような男女が何人か居てもおかしくはないと思っていたが…、
これはあんまりじゃないか!?
俺は公園のあちこちに溢れかえる程大勢の男女の姿を見て、はあと溜め息をついた。
おまけに祭の出店まで並んでいて、軽食や仮面等の雑貨品はともかく、大人の玩具までもが堂々と売られていたのにはびっくりしてしまった。
おい、ここは娼婦街じゃあ無いんだぞ、公共の場でそんなもの売るんじゃないっ!
「あの…祭は昨日、でしたよね?何故こんなに沢山…」
サーシャも俺と同じように感じたのか、驚きの表情を浮かべている。
「お、恐らく彼等は俺達と一緒で、祭当日に仕事で来られなかった人達だよ。もともとここはデートスポットで沢山の恋人達が訪れる場所らしいが…それでもこれ程集まってるとは思いもしなかったな…」
「そう、なのですね…」
そう言うとサーシャは納得したように俯いた。
そしてちらりと視線が例の玩具の店にに向いた気がしたので、俺は焦ってしまった。
「とにかく先に行きましょうか?」
「あ、はい」
小さく恥ずかしげに返事するサーシャを見て、俺は彼女の手を掴んだ。
昼間も思ったけど、柔らかくてあったかくて、小さな手だな。
昼間も同じ様に手を繋いだのだが、周りの男女の甘い雰囲気に呑まれてしまったのか今回は彼女を意識してしまい俺はどきりとなってしまった。
…もっとサーシャを感じたい、駄目かな。
俺は胸を微かに高鳴らせ、思い切って掌に握るサーシャの指の間に俺の指を滑らせ、ぐっと力を込めた。
「!?」
突然のことで驚いたように指を震わせたサーシャの姿に、俺は恥ずかしくてつい視線を反らし、照れ隠しのようにそのまま彼女の手をひいて半ば強引に公園の奥に向かっていった。
何人かの男女とすれ違ったが、かなりいちゃいちゃくっつきあっていて、見ているこちらが照れる位であった。俺でこうだからサーシャは大丈夫かな?
程無くして目的の噴水らしき姿が見えて、俺はほっと安心して近寄っていった。
皆もここが目的地らしく沢山の男女で賑わっており、中央にある噴水はかなり古いもので所々ひび割れたりしていたが綺麗な彫刻の施された立派なものだった。
「綺麗ですね」
「ああ…」
噴水の下に広がる人工池には透き通る水で湛えられ、空の月と星が綺麗に映し出されている。
その幻想的な美しさに、俺は先程までの事をすっかり忘れ、暫し水面に見とれてしまった。
が、ふとサーシャのほうを見ると、彼女は池とは別のほうに視線を向けて、何やら驚いたような、恥ずかしげな表情を浮かべている。
何事かと思い、俺が彼女の視線のほうを見てみると、そこでは男女が抱き合って口づけを交わしたり、女の首筋に唇を這わせる男、果ては女の剥き出しの胸元に顔を埋める男の姿が見えた。
な、何やっているんだお前らっ!!こんなものサーシャが見たら何と思うか!?
思わずそう叫びそうになったのをぐっと堪えて、俺は慌ててサーシャの手を引っ張った。
「こ、ここは人が多くて落ち着かないね。戻ろうか」
「そ、そうですね…」
俺達は逃げるようにその場から離れた。
のだが、その時の俺は相当慌てていたのだろう。事もあろうか、俺は逆の方向に進んでしまい更に公園の奥へと入ってしまった。
「あれ…出口は何処だ?」
道を間違えていることにやっと気付き、立ち止まったのだが、場所が最悪も最悪だった。
そこは木々や茂みが多く月明かりがほとんど届かない場所で、何処からか男女の声が、呻き声と女のとおぼしき甲高い声…どう聞いても例の最中の声、が耳に入ってきた。
ま、まずい!?まさか本当にこんな場所でやる奴等がいたのかっ!こんなのをサーシャが聞いたりしたら!?
俺は慌てて彼女のほうを振り向くと、木々から射し込む月明かりに照らされた一組の男女の姿が見えた。
それはどこをどう見ても二人が大人の玩具を使うべき行為を行っているようにしか見えない。
しかも最悪なことに、サーシャがその光景をしっかと仰視していたのだ。
「!」
や、ヤバイヤバイっっ!
慌てて俺は彼女の腕を引っ張ってその場から走って、今度こそ出口に向かって逃げ出した。
どれ程進んでいったのか、やっと人影が見えない場所(出口を目指していたのにまた道を間違えたらしい)まで来ると俺は疲れがどっと出たのか、その場に立ち止まって彼女の手を離した。
「ご、ごめんサーシャ…びっくりしたよね…」
苦しげにはあはあと息をしながら、俺はただサーシャに謝るしかなかった。
「い、いえ、大丈夫、です…」
サーシャも俺につられて全速力したせいか、息があがる中で答えてくれた。
「俺が道を間違えたばかりに、変な場所に連れていってごめん。気分を害してしまったよね」
「い、いえ別に…!?」
俺に否定の言葉を言おうとしたサーシャは突然言葉を止め、視線を俺に…いや、俺の後ろにあるものに向けたかと思うと驚き、そして何故か嬉しそうな表情を浮かべた。
「あれは…月の雫」
そう呟くとサーシャは俺を無視して横を通り過ぎ、茂みのほうに向かっていった。
「どうしたんだいサーシャ?」
何事かと思い後を追った俺が目にしたのは、茂みの片隅に咲いていた小さな青白い花だった。
「あ、ご免なさい。私の好きな花があったからつい。綺麗…本で見た事はあったけど、本物を見るのは初めてだわ」
「この花?これなら森とかの陽の当たらない場所によく生えているものだけど」
仕事の見廻りとかでよく見かける、俺からしたら何の変哲もないその花を、サーシャは嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑みながら見つめていた。
「私の大好きな花のひとつなのですが、まさかここで見られるなんて思いもしなかったです」
そう言うサーシャの笑顔は本当に可愛くて、仮面の切れ目から見える瞳がとても印象的だった。
…どきん。
月明かりに照らされる彼女の姿。
きらりと輝く銀の髪に小柄で可愛いらしい姿は、まるで森の妖精のよう。
手を伸ばして捕まえたら逃げてしまうのだろうか?
この腕に抱き締めて、口づけたらどんな風になるのだろうか?
「サーシャ…」
…触れたい、サーシャ、君に触れたい、抱き締めて口づけしたい。
俺は無意識のうちにそう呟き、彼女の肩に触れた。
「ジーフェス、様…」
俺の呼びかけに何かを感じたのだろう、サーシャはびくりと肩を震わせ、微かに震える声で俺の名前を呟くと立ち上がって振り返り、じっと俺を見つめた。
彼女の瞳が…銀の仮面の隙間から見える碧い瞳が潤んで月の光に反射している、が俺をじっと見つめている。
その奥に何かの期待と微かな不安の光を滲ませて。
先程の光景と雰囲気に呑まれ、俺はついふらりと彼女に近付き頬に手を伸ばした。
「サーシャ…」
彼女の白い肌と小さく赤い唇が月明かりの下で妖しく光り、尚更俺の欲望を駆り立てる。
俺がサーシャの身体を抱き寄せると、彼女は抗うことなく従い、顔を見上げて瞳を閉じてきた。
俺はそんな彼女の小さく綺麗な唇にそっと自分の唇を重ねた。
彼女の唇は柔らかくて温かくて、とても甘い味がした。
抱き締める身体からは花のような爽やかな香りと、微かに汗の匂いと女としての色香が漂う。
…好きだ、サーシャ。もっとサーシャを感じたい、もっともっと、深く繋がりたい。
そんな彼女の女としての姿に俺は欲望を沸き立てられ、つい微かに開かれた彼女の唇に更に深い口づけを交わしてしまった。
「!?」
途端、サーシャはびくっと身体を震わせ、思い切り俺の身体を突き飛ばした。
「…サーシャ」
サーシャは口元を両手のひらで隠し、驚いたような、嫌悪感の混じった眼差しを俺に向けていた。
…しまった!俺は、何をしたんだっ!?
激しい後悔が胸の中を襲ってきたが、時既に遅しだった。
*
二人は離れたままその場にじっと立ち尽くし、お互い顔を見合せ瞳を見つめ合っていた。
“ジーフェス様がいきなりあんな事をしてきたから、つい突き飛ばしてしまったけど、私なんて事をしてしまったの!でも、でもどうしたら良いの?”
驚き怯える中でサーシャは後悔の念に囚われていたものの、どうして良いか解らず、ただただ彼の翠の瞳を見つめるしか出来なかった。
“俺は何てことをしたんだ!いきなりあんな事をしたらサーシャが嫌がると解っていたのに、俺は己の欲望に負けて呑まれてしまった!どうすれば良いんだ、どうしたら、サーシャは赦してくれるのだろう?”
ジーフェスのほうも雰囲気にのまれて起こしてしまった行動に後悔しつつも、どうして良いか解らずサーシャを見返すしか出来なかった。
暫くの間そのままの状態が続いていたが、遂に思い切ったようにジーフェスが声を掛けた。
「サーシャ…その…」
「!?」
突然の、だが小さな声にサーシャはびくりと身体を震わせ、一本後退りをしてしまった。
「ごめん、サーシャに嫌な思いをさせてしまって。久しぶりに二人きりになれたから…その…つい…、ごめん」
“完全に俺が悪いのだから、今の俺には謝ることしか出来ない。赦して貰えなくても、せめて以前のように拒絶しないで欲しいが…”
ジーフェスの脳裏に、以前自分の過去を知られた時の事が浮かんできて、不安が胸をよぎった。
「ジーフェス、様…」
そんな彼に対して、サーシャははっとなったように顔を上げ、名を呟いた。
“違う、違うの!確かにあの時、いきなりの感触に驚きはしたけど決して嫌では無かったの。いいえ、むしろ…”
その時の様子を、感触を思い出し、サーシャの頬が身体が熱くなる。
“むしろ…、もっともっと深く欲したの。でも突然そんな自分が怖くなった。快楽に溺れてしまいそうで、堕ちてしまいそうで…。
だからつい、突き飛ばしてしまった…”
「…あ…」
“そう言いたいのに…だけど恥ずかしい。みっともない。ジーフェス様に自分が浅ましいと思われたくない!”
『…女のほうから誘うのは恥でも思っているの?そんなの恥でも何でも無いのに』
「!?」
突然サーシャの脳裏に以前聞いたローヴィスの言葉が甦る。
“そう、そうよ!私ったら何をしているの!私は、私は…っ!”
「…その、サーシャ…」
「違うの、違うんです!」
言い訳じみた言葉を並べていたジーフェスに突然聞こえてきたサーシャの声。
驚いた彼が見たのは、顔を上げて真っ直ぐに自分を見つめるサーシャの碧い瞳だった。
「わ、私…私は、ほ、本当は…嬉し、かったの」
「!?」
驚くジーフェスを前に、更にサーシャは話しを続ける。
「ほ、本当はジーフェス様に触れられて…抱き締められて、くちづけられて…どきどきするくらい嬉しかったの。でも、口にその…ジーフェス様のを、感じた時、身体が熱くなって、身体の中からその、何というか、むずむずするというか…もっと触れたい、もっともっと深くジーフェス様を感じたい、ジーフェス様と触れ合いたいって思って…でも、でもそんな事を考えるなんていけない事、ふしだらな事だと思って、そんな事をしたらいけないと思ってつい、突き飛ばして…」
「サーシャ…」
話しながら感極まってしまったのか、いつの間にか両の瞳からぽろぽろ涙が銀の仮面の下を伝って落ちてきた。
「私、ジーフェス様にずっと逢いたかった、お話をしたかった。祭の前はずっと逢えなかったから寂しくて悲しくて、だから、今日はジーフェス様と一緒に居れて本当に嬉しかったの…だからつい、浮かれてしまって…あんな事をしてしまって…」
そして顔を俯かせて尚も続けた。
「お願い、私を嫌いにならないで。嫌な女だと思わないで…、私は、私は…っ!?」
その瞬間、サーシャの身体はジーフェスの胸の中に抱き締められていた。
「サーシャ…もう、もう何て可愛いことを言うんだ!ここが外で無かったら押し倒しているところだったよ」
「…え?」
いまいち言葉の意味が解らず戸惑うサーシャに、ジーフェスは慌てて続けた。
「ああ、違うんだ、そうじゃなくて…その…俺もそうだったから、俺もサーシャと同じでずっとサーシャと離れていて寂しかった。ずっとサーシャに逢いたかった…」
「ジーフェス様…」
「だから今日を本当に楽しみにしていたんだ。ゆっくりサーシャと話も出来て一緒に居れるから。
でもそれだけじゃ足りなくて、もっとサーシャと近付きたい、触れ合って抱き締めてサーシャを感じたい、って思うようになって…その…つい、先走ってしまったんだ。俺もサーシャと同じ気持ちなんだよ」
最後のほうは少し照れた様子で呟き、そっと涙で濡れた頬に触れた。
「だからサーシャが気にする必要は無いんだよ。いや、むしろ嬉しかったくらいだよ。サーシャも俺と同じ事を思っていたなんて。
そんなサーシャを俺が嫌いになんて、嫌になるはずないだろう」
「ジーフェス様…っ」
自分を慰める言葉に、彼の素直な気持ちが嬉しくて思わずサーシャの瞳から更に涙が零れ落ちていく。
「もう泣かないでサーシャ。ほら、ね…」
彼の手が優しく頬をなで、ゆっくり銀の仮面を外していく。
露になったサーシャの顔は涙で濡れててぐちゃぐちゃだったが、ジーフェスの手が少し不器用に、だが優しく涙を拭き取っていく。
「サーシャ…好きだよ、俺はサーシャが好きだよ」
そして自分の金の仮面を外して彼女に微笑みかける。
「好きだから…もっとサーシャに触れたい、近付きたい。抱き締めて、サーシャの全てを俺の全てで感じたいんだ…」
素顔で微笑むジーフェスは、だがその翠の瞳に熱い欲望を孕んでサーシャを見つめていた。
「ジーフェス、様…私も、私もジーフェス様が好き、ジーフェス様を感じたい…」
サーシャもまた、未だに涙で濡れた瞳を、欲望を期待する碧い瞳をジーフェスに向けた。
「サーシャ…」
自分を見つめる瞳の意味を察して、ふっと笑顔が真剣なものに変わり、ジーフェスはそっと顔を近付けた。
サーシャも抗うことなく顔を上げ、瞳を閉じた。
…とくんとくん…。
再び唇が触れ合い、だが微かな音をたてて再び離れ、そして強く抱き締められたかと思うと深い口づけがおちてきた。
「…ん…っ」
強く抱き締められたサーシャの口中をジーフェスの熱が襲ってくる。
その感覚に、余りの快楽に彼女の身体は悦びに震え、足ががくがくと震え立つのもやっとの状態になり、思わず彼の背にしがみついた。
そのうち息も出来なくなり、頭の中がぼうっとして意識が薄れだし、身体がふわふわ軽くなっていくに対して心臓はどくどくと激しく鼓動し始めた。
“好き…大好きジーフェス様。こんなに傍でジーフェス様を感じられて、嬉しい…
ああ、身体が軽くなって気持ちよくて、何も考え、られない…”
サーシャの意識がいよいよ消えようとしたその時、一筋の銀糸を残して唇が離れ、一気に空気が肺の中に入ってきたかと思うとサーシャの身体がジーフェスの胸にくたりと倒れかかった。
「サーシャ!?」
慌ててジーフェスが彼女の身体を支えると、サーシャははあはあと肩で苦しそうに息をしていた。
「…嬉しい…でも、苦しかった…」
「もしかしてサーシャ、ずっと息を止めていたのかい?」
彼女の様子からそう察したジーフェスが尋ねると、サーシャはこくりと黙って頷いた。
その様子に彼は半ば驚いたように、半ばすまなそうな表情を浮かべ彼女を抱き抱えなおした。
「ごめん、俺が気付かないないといけなかったね。その…口づけの時は、特に今のような深い口づけの時は鼻で息をするんだよ」
「そう…なのですか…」
「そうしないと、長い口づけをしたら窒息してしまうよ…今だってその、俺が夢中になってかなり、長い時間していたし……本当にごめん」
少し頬を熱くして視線を反らしながら謝罪するジーフェスの姿に、サーシャは首を横に振ってくすりと笑みを洩らした。
「ううん、嬉しかった。それだけジーフェス様が私を想ってくれて、嬉しい」
まだ荒い息遣いの中、サーシャは自分を支えてくれるジーフェスの胸に擦り寄り、甘えるように囁いた。
そんなサーシャの姿にジーフェスはどきりと胸を高鳴らせ、身体の中心を熱くさせた。
“ちょ…!?本気でマズイかも!落ち着け落ち着くんだ俺っ!”
襲いかかるサーシャへの欲望と己の理性とが激しく争っていたが、やがて何とか理性が勝って心が落ち着き、ひとつため息をついた。
“ああ、ここが野外で本当に良かった。もし屋敷の、自分の部屋の中だったら間違い無くサーシャを押し倒して抱き締めていたな…”
「全くサーシャ…君は本当に罪作りな女性だよ」
「え?何ですか?」
「いや…」
ジーフェスの思いに全く気付いていないサーシャは無邪気に尋ねるだけである。
その無邪気で純粋な姿にジーフェスはくすりと笑みを浮かべた。
「?」
「立てるかいサーシャ?」
「え、ええ…何とか」
ジーフェスに掴まりながらも何とか立ち上がったサーシャは少し恥ずかしげに彼を見上げた。
「ごめんなさい、迷惑をかけて」
「迷惑じゃないよ…そろそろ行こうか?」
「ええ」
そう返事をしたものの、サーシャの足は未だふらついてまともに歩けない。
するとジーフェスがそっと彼女の腰に手をやった。
「ゆっくりで良いから、俺にしがみついて」
「は、はい…」
自分に触れる手の温もりに、触れ合う身体の熱に、サーシャの奥底から熱いものが沸き上がってきていた。
“こんなに近くでジーフェス様を感じられて、嬉しい。けど…どきどきするし…”
鼓動が早くなるのを感じながらも、サーシャは素直にジーフェスにしがみついてゆっくりと歩きだした。
“嬉しいけど…何なのこの感じは?身体の中から熱くなって、下半身が痛いというか、むず痒い感じがするのは何故なの?”
一方のジーフェスのほうも、縋り付くサーシャの身体の温もりに心が落ち着かない。
“サーシャが俺に頼ってくれるのは嬉しいが、こんなに彼女を感じたら…やばいな。ここは我慢我慢”
お互い嬉しそうに寄り添いながらも、身体と心が不安定に揺らめく二人を見護るかのように、空に昇る月は静かに優しく辺りを照らしているだけであった…。
因みにここで登場した二人の団員のお話はムーンライトノベルズに短編作品として掲載しています。
余裕のある御方はそちらも是非御覧下さい。