第9章Ⅷ:太陽祭(後)
「小娘、何故私が本物と解った?」
頬から血を流し、露になった顔は、その表情を微かに歪ませ、だが凛とした立ち姿のまま緋色の瞳を目の前にいる少女ネメシスに向け、『白の道化師』ことアルザスは低い声で問い掛けてきた。
それは先程の『白の道化師』としての飄々とした態度や口調とは全く異なり、正に『宰相』アルザスとしての姿に言葉、口調そのものであった。
「え、だってシロフがここに居るからよ。それで本物の宰相様がここに居るとわかったのよ」
だがネメシスはそんな脅しに近い厳しい口調にも、相変わらずの浮かれた態度を崩さない。
「成る程、私もうかつだったな」
「一体どういう事だ?」
ネメシスの一言だけで全て納得し、苦笑いを浮かべるアルザスに対し、訳が解らずに首を傾げてしまうシロフ。
そんな二人を見て更にネメシスは続ける。
「だって、メリンダ様が仰有っていたもん」
*
…それは少し前の時間、馬車内でのメリンダとネメシスとの会話。
『貴女私の指示通り、先に‘彼女’をかの屋敷へと向かわせたわよね?』
『はい、御命令でしたから』
『ならば彼女からの報告を聞けばアルザス殿が何処にいるのかが直ぐに解るわ』
『??』
訳が解らなくなり、ネメシスはいよいよ項垂れてしまうと、その様子を見ていたメリンダはさも愉しげにい笑っていた。
やがて馬車は街外れにある小さな屋敷へと到着した。
『メリンダ様』
屋敷の中ではひとりの黒ずくめの女…先程会話に出てきた隠密の‘彼女’、が二人の到着を待ち構えていた。
『御苦労様。で、様子はどうだったかしら?』
『はい、屋敷のほうでは『闇陽』がアルザス様の護衛についております。あとアルザス様は地下の隠し部屋に隠れているようです』
『あとは?』
『街では長身で銀髪白肌の男『白の道化師』が現れております。その男にもやはり『闇陽』と、こちらは軍や自衛団も護衛にあたっております』
『『白の道化師』…神話に出てくる大悪魔に扮するとはなかなか面白いこと。
で、シロフ殿はどちらのほうに居たかしら?』
『シロフがどうかしたのですか?』
メリンダの言葉にネメシスが思わず声をあげる。
『は、シロフ殿は『白の道化師』のほうの護衛にあたっております。ですがこちらは軍や自衛団が中心に護衛しておりまして、『闇陽』はシロフ殿の他はほんの数名しか居ませんでした』
『そう…もう一度聞くわ。シロフ殿はその『白の道化師』の護衛をしていたのね?屋敷のほうには居なかったのよね?』
『はい、間違いありません。シロフ殿の容姿は我等『黒水』は全員把握しております』
隠密の報告にメリンダはにやりと勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ネメシスのほうを振り向いた。
『ネメシス、本物のアルザス殿は『白の道化師』に扮しているほうだわ』
『ええ!?まさかそんな…というか、何故そうだと解るのですか?』
素っ頓狂な声をあげながらも尤もな質問をするネメシスに、メリンダはにっこりと笑って答えた。
『あら簡単な事よ。ネメシス、貴方の役割は何?』
『え、私の役割ですか?』
いきなり筋違いの質問をされてネメシスは戸惑いながらも考え答える。
『それは主人たるメリンダ様の指示の下、依頼人の暗殺と主人の守護…あ、ああー!?』
突然ネメシスは何かを察したように叫びだした。
『そっか、そうかあー!だからメリンダ様はシロフの動向を気にしていたのですね!』
『そういう事。いくらアルザス殿が何人もの偽者を作っても、『闇陽』の首領たるシロフ殿が守護するのは唯一の主人のみ。まあ、シロフ殿まで偽者を作っていたら解らなかったけどね』
そう言ってメリンダは悪戯っぽく微笑む。
『流石メリンダ様、では早速私と主力部隊は街のほうに行って来ます』
『宜しくね。私はここの上から貴女達の様子を見ておくわ』
*
「まさかそれだけで本物の主人を見破るとは…そら恐ろしい御方だ」
自慢気に話すネメシスのその内容に、シロフはぞくりと背筋を震わせた。
「違う、私の初歩的なミスだ。何もあの女がとりわけ凄いと言うことでは無い」
だがシロフの言葉をアルザスは静かに否定する。
「どっちにしろ、本物はこっちに居るとわかったし、ねーそこでぼーっと突っ立っているおにーさん達、殺るの殺らないの?」
すると脇で話の一部始終を聞いていた男達がはっと我に帰り、剣を抜いてアルザスに向け構えた。
「あ、アルザス殿、申し訳ありませぬがそのお命、頂戴致します!」
「貴様達の勝手にはさせぬ!」
男達の行動に、シロフをはじめとする『闇陽』の面々も短剣や各々の武器を取り出し主人を護ろうと対抗する。
「あら、私達の存在を忘れないでね」
その瞬間、『闇陽』達に向かって『黒水』の女達が一斉に攻撃を仕掛けてきた。
「何をする貴様!よもや『黒水』が我が国の宰相たるアルザス様に刃を向ける気か!」
間一髪、ネメシスの短剣を自らのそれで受け止めたシロフが憎々しげに彼女を睨み付けながら唸る。
「まさかー!フェルティ国の重鎮たるアルザス様を私達が暗殺したら、アクリウム国家的にヤバいでしょ」
ネメシスは軽い口調でそう答えると、ひょいと剣を外して軽く後ろに飛んで下がり、再び短剣を構えにやりとシロフを見つめた。
「だから、私達『黒水』はアルザス様には一切手出しはしない。代わりに…」
「代わりに?」
「この人達の護衛をする事になったの」
そう言って後ろで剣を構える男達を指した。
「この人達の『仕事』の邪魔をする者達を排除する、それが今回の『黒水』の任務なのよ」
「ふざけるな!奴らの護衛をすると言うことは、則ち貴様達もアルザス様暗殺の片棒を担ぐ事になるではないか!」
「ならないわよ。だって私達はこの人達を護衛するだけだもん♪
シロフはこの人達の邪魔をしようとしてるから、私達はただ任務を全うしようとしているだけ」
「貴様…!」
ネメシスの軽い言い様に反論出来ず、シロフはぎりぎりと歯軋りをたてて睨み返すしか出来ない。
その間にも男達はじりじりとアルザスとの間合いを縮めていく。
「……」
“小娘の話だと直ぐ近くにあの女が居るらしいな。恐らく何処かで私達の様子を見ている筈。何処だ?”
アルザスは剣を構え近付く男達を警戒しつつ辺りを見回すと、闇の中にとある屋敷の二階辺りとおぼしき場所に、ひとつの灯りを見つけた。
“あそこか…全くもって悪趣味な女だ”
暫し忌々しくその灯りを睨みつけ、ふうと溜め息をついて視線を俯かせたかと思うと、腰に掛けていた細身の剣を抜いた。
「わー、アルザス様剣を扱えるんだー」
様子を見ていたネメシスが少し驚いた口調で語りだしたが、本人は敢えて聞こえぬふりをしている。
「でもそんな形で剣なんて振れるのですかぁ?私達は手を出さないけど、ここのおにーさん達はそこそこ剣を扱えますよ」
「貴様っ!」
主人の危機に男達から庇おうとシロフが駆け寄ろうとするが、その前にネメシスに妨害されてしまった。
「駄目よシロフ、邪魔はさせないわよ…」
「く…!」
にやりと獣のような鋭い瞳を向けてネメシスはシロフを威嚇する。見れば他の『闇陽』の一員も皆『黒水』の女達に抑え込まれていた。
“ちっ、敵を目の前にして手出し出来ぬとは…!”
「いくら私達『黒水』が手出ししないとはいっても、アルザス様独りだけではあのおにーさん達には太刀打ち出来ないわよねー。
ふふ…流石のアルザス様もいよいよおしまいかしら♪」
「く…っ!」
二人が睨みあう中、アルザスの周りには剣を構えた男達がじりじり近付き、攻撃の頃合いを見計らっている。
“刺客は5、6人か。普段ならシロフ独りで難無く殺れる人数だが…どうすべきか”
細剣をぎこちなく構えながら男達をちらちらと見、表情を歪めていると、いきなり首領とおぼしき男のが突進してきた。
「!?」
「覚悟っ!」
男に続いて他の男達も一斉にアルザス目掛けて攻撃を仕掛けた。
「アルザス様っ!」
*
ガチャーン!
「!?」
自衛団の庁舎内、休憩室で水を飲んでいたジーフェスの手のグラスがいきなり割れて、水と破片が床に散らばった。
「団長、大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
傍にいた団員のひとりが慌てて布を持ってきて散らばった破片の処理をしていく。
「すまん。いきなり飲んでいたグラスが割れて…」
“どういう事だ。こんな事が起こるなんて、それに何だ、胸の中に何やら嫌な予感がする…”
団員の様子を横目で見ながらも、ジーフェスの胸中は嫌な予感で渦巻いていき、落ち着かないのであった。
「団長!」
そんな二人の前に突然見廻りに行っていた団員がかなり慌てた様子で現れた。
「どうした!?」
「大変です!街の外れの広場で例の『白の道化師』が暴漢とおぼしき男達に絡まれています。しかも見張りについていた団員や、軍の者達が刺客とおぼしき女性の集団にやられました!」
「「何だと!」」
「しかも『白の道化師』の正体は変異種の成人男性でした」
「な…!?」
“変異種の男だと!まさかアルザス兄さんなのか!でも街には兄さんではなくファサドさんが行ってる筈じゃ無かったのか!”
「団長…」
団員の報告にジーフェスは最悪の事態を想像し動揺してしまう。
“しかも女性の集団の刺客だと!そんな集団で思い付くのはただひとつ…アクリウム国直属の暗殺部隊『黒水』。
だが何故そんな場所に彼女達が居るのだ?よもやこの暗殺計画にアクリウム国もが絡んでいるのか!
もしその集団が彼女達ならば…いくら『闇陽』が兄さんを護っていてもかなりまずいぞ!”
「おい!奴等は何処の広場にいたのだ!」
「あ…西のラーナー広場で…」
「おいお前達!直ぐ様ラーナー広場に向かうぞ!剣の携帯を忘れるな!」
「は…はいっ!」
ジーフェスの勢いに周りにいた団員達はそう答えるや否や、彼等は直ぐ様行動に移していった。
“間に合うか…!”
*
「………」
静寂が辺りを包み、周りにいた『闇陽』と『黒水』の集団は目にした光景にただただ言葉を失っていた。
彼等の目の前に映る光景、それは数人の男達に囲まれたひとりの白の男…アルザスの姿。
だが彼は膝をつき俯きがちに顔を臥せ、苦悶の表情を浮かべながら荒い息遣いをして肩を震わせていた。
「まさか、そんな馬鹿、な…!」
そんな彼を囲っていた男達のひとり、リーダー格とおぼしき男がぽつりとそう呟くと、赤い鮮血で滲む胸元を押さえながらどたりと地に倒れた。
周りにいる男達もまた、ある者は腕から、またある者は脚から血を流し、苦悶の声をあげながらその場に踞っている。
男達は皆立てない位の傷を負ってはいるが、どれも致命傷には至っていないらしい。
「…く…っ」
短く呻いて、だがその白の衣装を汚すことは無く、アルザスは血塗れの細剣を杖替わりによろよろと立ち上がった。
「アルザス様っ!」
ネメシスの妨害を振り払い、シロフは慌てて主人のもとに駆け寄る。
と同時にアルザスはその身体をよろめかせ、シロフのほうへ倒れこんだ。
「大丈夫ですかアルザス様っ!」
「…何とか、な…」
とは言ったものの、膝はがくがくと震え、シロフに支えられてやっとのこと立てている状態である。
「うわー!凄ーい!アルザス様の剣技初めて見たー!アルザス様ってば、ちゃんと剣を使えたんだね!」
二人の様子をみていたネメシスが驚きを隠すこと無く大声で話し出した。
「剣の腕は大したこと無いけど、何よその素早さ!おにーさん達の攻撃を躱して反撃する様子なんか、暗殺者ばりの敏捷さじゃないの!てっきり見かけ通りの典型的文官人間で剣なんて扱えないと思ってたから、あの動きは意外ー」
「貴様!」
ネメシスの余りに無礼な口のきき様に、シロフが短剣を構え睨み付けるが主人の身体を支えている状態では思うように動けない。
「しっかし、体力の無さはどーなのよ、たったあれだけしか動いてないのに直ぐに膝が震えてへばってしまうなんて、どんだけへっぽこー」
「黙れ!誰がこのような状態に…!?」
「!?」
睨み合いを続けていた二人の間に突然ぴん、と張りつめた空気が流れたかと思うと、
「うわっ!」
「ぐはっ!」
周りにいた男達の呻き声に剣が肉を切り裂く音、飛沫の音が聞こえ、辺りに血の匂いが漂い始めた。
「誰だ!」
主人を庇うように短剣を構え、シロフは音のしたほう…男達が居た方向に視線を向けた。
先程まで主人を襲い、逆に返り討ちに遭って怪我に呻いていた男達は苦悶の表情を浮かべたまま血の池にその身体を横たえ、既に息絶えている。
「…流石あの馬鹿の使いだな。とことん役にたたんな」
突然男の声がしたかと思うと、遺体の後ろから黒装束に身をつつんだ数人の男がシロフ達の前に現れた。
明らかに自分達と同業とおぼしき彼等の姿にシロフとネメシスは緊張した面持ちで彼等を見ていたが、先頭にいた初老の男…だがその身体つきは若い者と変わらない、を見たシロフの顔が驚きに歪んだ。
「デルトム、師匠…」
「久しぶりだなシロフ、そしてアルザス宰相殿」
「……」
同じく男の姿を確認したアルザスも言葉こそ無かったが微かに驚きの表情を浮かべた。
「え、何々?この人シロフの知り合い?それにアルザス様も顔見知り?」
重い雰囲気に包まれる中、いまいち状況を理解していないネメシスは頭を傾げ呑気に尋ねてきた。
「何故貴方様がここにいるのですか?今は何を…」
「我らが組織に仇なす者に粛清を!」
だがシロフの問い掛けを無視し、男…デルトムがそう叫ぶのと同時に男達が一斉に二人に、いやアルザス目掛けて襲いかかった。
「!?」
「させるかっ!」
間一髪、シロフや『闇陽』の他の一員が男達の攻撃を防ぎ、アルザスにまで暗殺の刃が届くことは無かった。
「何をするのです!」
主人を庇いながらも信じられないと言いたげな瞳で目の前にいる男、デルトムを見つめるシロフ。
「問答無用!」
だが男はそれだけ答え、キィン!とシロフの短剣を往なし後ろに飛び退くと、再び攻撃を仕掛けてくる。
「く…!」
何とか彼の剣を受け止めたものの、シロフはちらりと周りを見て歯軋りをする。
他の『闇陽』の一員はやはり謎の集団の攻撃に応戦しており、今、主人たるアルザスの周りには護衛が誰も居ない状態である。
そんな隙を突いて男のひとりがアルザス目掛けて襲いかかってきた。
「覚悟っ!」
「!?」
「アルザス様!」
…間に合わない!万事休すかっ…!
だがシロフの絶望的な思いとは裏腹に、男の剣は突然現れた人物によって跳ね返され、更にその人物は手にしていた短剣の柄底で男の喉を突いた。
「ぐはあっ!」
痛みにのたうちながら男はどたりとその場に倒れこむ。
驚くシロフが目にした人物は何と、不機嫌そうな表情を浮かべたネメシスだった。
「ネメシス、お前…」
「機会に便乗してアルザス様の生命を狙うなんて、なーんか面白くないわねー。あんたたち一体何者?見たところどっかの組織の暗殺部隊みたいだけど…」
そしてちらりとデルトムに視線を向けた。
「おじさんが部隊の首領みたいだけど、なんかシロフと知り合いみたいねー。見たところ何かシロフやアルザス様に恨みでもあるのー?」
「『黒水』の首領か…若いくせになかなかの腕をしておる」
ネメシスの視線に気付き、デルトムはにやりと唇だけで笑みを浮かべ彼女を睨み返す。
「まーね、これくらいじゃないと『黒水』の首領の名が廃るからね♪」
相変わらず軽い口調と態度のネメシス。対象的に真摯な顔付きに変えたデルトムとはお互い探りあうように睨み合いを続けていた。が、やがてデルトムがふっと唇の端を歪めた。
「我等の敵を殺る折角の機会だったがな…流石に『黒水』まで敵に回すつもりは無い。お前達行くぞ!」
「「はっ!」」
「待てっ!」
シロフの叫びも虚しく、デルトムと男達は颯爽と風の如くその姿を闇の中へと消した。
「……」
男達が去ってから暫くの間、アルザスやシロフ、そしてネメシス達は皆、その場に黙って立ち尽くしたままであった。
「あーあ、やっぱ暗殺失敗しちゃった、おまけに変な人達も現れたし、本当につまんなーい」
伸びをしながらいきなり呑気に話し出したネメシスに、周りにいた皆が注目する。と、ネメシスとシロフがぴくりと表情を歪めた。
「それに軍の応援も来たみたいだしね。私達はここで失礼するわ。行くわよ!」
「おい…!」
「「は…!」」
女達は一斉にそう答えるや否や、ネメシスと共に闇の中に消えていった。
「……」
全ての敵が居なくなった広間で、何とか任務を全うしたシロフはほっと安堵の息をつき、己の主人の傍まで駆け寄った。
主人たるアルザスは相変わらず自力では立てない状態だが、怪我はしていない風である。
「アルザス様…」
「まさかここで奴に出逢うとはな…」
「……」
忌々しく呟く主人の姿に、シロフは何も言えない。
“デルトム…奴がこの私に刃を向けるとはな。あの時奴を粛清せず追放だけにしてしまったのは大きなミスだったな”
「軍が来てるみたいだな、見付かれば厄介だ。私達も退くぞ」
「は、はい」
アルザスの命令にシロフは慌てて返事をすると、もうひとりの仲間と共に主人を抱えあげ、闇の中に消えていった。
「……」
広場を立ち去る前に、アルザスはふと後ろを振り向きある場所を…小さな屋敷の唯一灯る明かりを忌々しい様相で見つめた。
*
「あら、もう御仕舞いなのね。つまらないこと…」
…まあ、こういう結果になるとは思っていたけどね。
ふふ、と愉しそうに唇を歪めてメリンダは手にしていたアイガラス(=オペラグラス)をローテーブルの上に置き、替わりにアルコールの入ったグラスを手にして口につけた。
“それにしてもあのアルザス殿の脚のくだけた様は愉快だったわ。護衛に抱えられて歩く姿を彼の方に憧れている淑女達に見せたらどんな反応をしたかしらね”
普段の凛とした姿とは異なる、無様な彼の姿を見た淑女達が呆れ果て、幻滅し失望した表情を浮かべて悪評を囁きあう姿を想像し、メリンダは思わずくすりと独り笑ってしまった。
「メリンダ様、只今戻りました…メリンダ様?」
「!?」
空想の世界に浸る彼女に突然話し掛けてくる声があった。
「お帰りネメシス、御苦労様」
メリンダは凛と姿勢を正し、己の目の前に現れたネメシスに視線を向けた。
「申し訳ありませんメリンダ様、暗殺は失敗に終わりました…」
頭垂れてしゅんとした様子でネメシスは主人に報告する。
「仕方無いわ、お前のせいではなくてよ」
「しかし…」
「それに、なかなか面白いものも見れたしね」
「あ、もしかしてアルザス様の戦闘の様子を見たんですか?」
「ええ、なかなかの見物だったわ」
「そうそう、途中から変な集団も来たし…そういえば奴等の首領らしき男とシロフが知り合いみたいだったけど」
「シロフ殿と?」
「ええ、おまけにアルザス様に何やら恨みを持っている風でしたよ」
「そう。まあ彼の方を恨む人間は大勢存在するから、それだけでは人物の特定は出来ないわ」
「そっかあ…」
主人の口振りから、その集団にさほど興味を示していないと察したネメシスはそれ以上何も言わなかった。
するとメリンダは何処からか両手に持てるくらいの大きさの箱を取ってきて、部屋の扉に向かっていった。
「私はちょっと出掛けてくるわ。ネメシス、貴女も護衛についてきなさい」
「え?こんな時間にですか!一体何処に行くのですか?」
ネメシスの問いにメリンダはふふ、とただ笑うだけである。
「あら、それは何?」
メリンダはネメシスの腰にふと目をやった。
「あ、これですか?アルザス様から取ったものですよ。一応戦利品になるのかなあ…」
ネメシスは腰から銀の仮面を出し、主人の前でおどけたようにひらひら動かす。
*
ジーフェス率いる自衛団がラーナー広場に到着した時には、そこには既に国軍の一団が到着していた。
見れば広場にはアルザスや『闇陽』、そして『黒水』の姿は何処にもなく、数人の軍が囲う中に数人の男の遺体があるだけだった。
「これはこれは、自衛団長ジーフェス殿がわざわざお越しとは…」
集団の中にいた軍のひとり、小柄で小肥りの初老の男がぎろりとジーフェスを睨み付けながら呟いた。
「ミルド副団長」
己の上司にあたる男にジーフェスは敬意を込め頭を下げる。
ミルドはそんな彼の様子をふんと鼻で笑い、侮蔑の籠った視線で見下す。
「『白の道化師』の護衛はそなたの、自衛団が中心で行っていたのでは無かったのか?それがこのような様になるとは何事か?」
ミルドは男達の遺体と、その周りで介抱されている自衛団員と国軍を顎でしゃくった。
高位貴族で代々国軍を務める家系のミルドと王族でありながら庶民の考えに同意するジーフェスとは気が合わず、何かにつけてミルドはジーフェスを目の敵とするのであった。
「申し訳ありませぬ。我が団の失態です。それで状況は…」
「は、護衛についてた者の話によると、突然この男達が現れ剣を向けてきたと。そして自分達は女の隠密の集団にやられたと…彼女達は一瞬で現れたかと思うと抵抗する間も無くやられたと申しております」
傍にいた軍のひとりとおぼしき若い男が報告していく。
「それで、この男達を殺したのはその女達なのか?」
「それは解りませぬ。只遺体の状況から心臓や頸部の急所を一撃されており、その筋の者の仕業かと…」
「そうか…で、他には誰も居なかったのかな?」
「はい、私達がここに到着した時は男達の遺体以外は誰も居ませんでした」
「解った。報告ありがとう」
「いえ」
ぺこりと一礼すると、若い軍人はその場を離れていった。
話を聞いたジーフェスはほっと安堵の息をつき肩をおろした。
“彼等を殺ったのは『闇陽』達なのか?話とこの場を見る限りアルザス兄さんには被害が及んでいないようだが…”
そして何故か少し不安げな表情を浮かべた。
“しかし兄さんもこのような危険は場にわざわざ来るとは…余程奴等を、『狂信者』を己の手で捕まえたかったのだな”
そしてふと視線をフェルティス聖堂のほうへと向けた。
“祭りが終われば軍や自衛団が一斉に聖堂に攻め入ることになっている。その時こそ、奴等の最後だ!”
ぐっと拳を握り締め、ジーフェスは暫くの間、怒りの籠った視線で聖堂の方向を見つめていたのだった。