第1章Ⅵ:ふたりの初対面
そして、ついに花の月の末日。
予定では今日、ジーフェスのもとにアクリウム国から花嫁がやってくる日である。
が、
「…………。」
当の本人であるジーフェスは、朝日が既に昇りきった時間だというのに未だに夢の中にいた。
「坊っちゃま、坊っちゃまっ!!」
普段の休みならそのまま放置しているのだが、流石に今日の大事な日に、ポーも慌てて起こしに来たくらいだ。
「んー、何だよ、もう少し寝かしてくれよ…。」
「何言っているんですか坊っちゃまっ!そんな事言ってる間に花嫁さんが来てしまいますよっ!」
花嫁という言葉を聞いて、ジーフェスはがばっと起き上がった。
「そうだったっ!で、来たのかっ!」
慌てふためくジーフェスに対して、ポーはため息をつきながらも答える。
「まだ来てませんよ。それよりも坊っちゃま、ご自身も準備して下さいね。」
「準備、って?」
「先ずは朝食をとって下さいっ!」
ポーの怒りの一言に、ジーフェスは慌ててベッドから飛び降りて居間へと向かっていった。
*
「だいだいですねぇー、花嫁さんが来るという大事な日に呑気に寝ていられる旦那様って、一体どんな神経しているんですかぁ〜?」
呆れたように呟きながら、メイドのエレーヌがジーフェスに朝食を運んできた。
それにしても、御主人でもあるジーフェスにため口をきくあたりはある意味凄い。
「全くです。坊っちゃまにはもう少し緊張感を持って頂きたいものです。」
普段ならエレーヌの一言にけちをつけるポーだが、今回ばかりは同感していた。
「昨夜はちょっと考え事していて寝れなかったんだよ。」
二人に責められて、ちょっと不機嫌に返事をしながら、ジーフェスは朝食にかぶりついた。
「考え事って何ですか?あー、もしかしてえっちなことを考えてたとかー!きゃー♪」
「エレーヌ!朝からはしたないっ!。」
やっぱりいつものポーの一言が戻ってきた。
「いや、そうじゃなくて、結婚式を挙げられないから、せめて御披露目の儀式はやりたいな、って思ってさ。」
「そういえば以前アルザス様と仰っていましたね。」
とポー。
「御披露目会?」
とエレーヌ。
「そう。王家の許可も得たことだし、明日か明後日あたりにやりたいなー、って。駄目かな?」
そう言って、ジーフェスはちらりとポーとエレーヌを見た。
御披露目の儀式、もとい御披露目会は、街の皆にご馳走を振る舞うということから、当然ながら食事等の準備がかなり大変なことになる。
「勿論、二人だけでは大変だから、必要なら臨時のメイドとかも雇うから、やってくれない、かな?」
最後のほうは、かなり遠慮がちにお願いするジーフェス。ポーとエレーヌの二人は暫く黙ったままだったが、
「良いですよ。」
「やりましょう♪」
と、ノリノリの返事。
「だけど準備とかもあるので、明日明後日にはちょっと無理です。せめて一週間後くらいにして頂けると嬉しいですけど。」
とポー。
「うんうん。声掛けたら、多分街のみんなもお手伝いに来てくれるから、臨時で雇う必要無いですよー。」
とエレーヌ。二人とも楽しそうである。
「何か聞こえましたよー。御披露目会するとか何とかー。」
と、いつの間にか台所からハックもやってきていた。
「ああ、ハックも手伝ってくれるか?」
「勿論。腕によりをかけて上手い御馳走作りますよ。」
にかっと笑ってハックが答える。
元来、お祭り事の好きなジーフェスと屋敷の人々。皆嬉しそうにしている。
「さあさあ、取り敢えずは花嫁さんを迎える準備からですよっ!エレーヌは玄関と庭の掃除、ハックは今夜の御馳走の準備が先ですっ!」
ポーがそう叫び、そして、ぎろっ、とジーフェスを睨み付けた。
「坊っちゃまは朝食が済んだら身支度を整えて下さいっ!そんなみっともない格好だと花嫁さんが即、帰ってしまいますよ!」
髪はぼさぼさ、寝間着のままの格好のジーフェスは、確かにみっともない。
「は、はい…。」
全く、誰がこの屋敷の主か解らない状態であった。
*
その頃、アクリウム国からフェルティ国に向かっていたサーシャを乗せた馬車は、フェルティ国の国境付近まで近付いていた。
「サーシャ様、ご機嫌はいかがでしょうか?」
サーシャと一緒に馬車に乗り込んでいた中年の女性が声を掛けた。
「私は大丈夫です。貴女や馭者の方々のほうこそ、一晩中休みなく働いておられたみたいでしたが。」
サーシャは目の前にいる侍女に優しく問いかけた。
「私達は大丈夫です。馭者は二人交替で馬車を動かしてましたから、きちんと休めてますよ。サーシャ様こそ急ぎとはいえ、馬車で一晩を過ごさせてしまい、本当に申し訳ありません。」
中年の女性、侍女が頭を下げて詫びた。
「謝らないで下さい。私はゆっくり眠れたので大丈夫です。
あとどのくらいで到着するのかしら?」
「先程フェルティ国の国境を越えましたので、さほど時間はかからないと思いますよ。」
「そう。」
ふと、サーシャは外の景色を見てみた。
国境を超えたとはいえ、窓から見える景色は未だ木々の茂る林の様子であった。
「……。」
目的地に近付くにつれ、サーシャの心に不安が広がっていく。
“初めての外の世界、私はうまくやっていけるのでしょうか。”
ふとサーシャは、昨日の見送りの人々の事を思い出していた。
“姉様。”
特にメリンダはサーシャを心配していたっけ。
そして、何故かあの時に見た、“交わりの儀式”の様子も思い出していた。
”『神託』とはいえ、あのような、破廉恥に近い事までもしなくてはいけないのね。”
「フェルティの街が見えてきましたよ。」
突然聞こえてきた馭者の声に、サーシャははっと我に帰り、窓から外を見てみた。
林を抜けたそこは、小高い丘の上になっており、眼下には海に面した土地に、朱の屋根で白肌の壁の建物が数多く建ち並ぶ街並みが見え、街の直ぐ側には青い海が拡がり、その海に面するように拡がる大きな港には沢山の海洋貿易の船が横付けになっていた。
そして、街並みから少し離れた小さな森の中に、白を基調とした王宮らしき城が見えた。
「これが、フェルティ国。」
初めて見る、他の国の光景に、サーシャは驚きで目を輝かせた。
「ねえ、あれは何という湖かしら?。あんなに広くて対岸が見えない湖なんて初めて見たわ。」
「サーシャ様、あれは湖ではありません。海というものでございます。」
側にいた侍女が答える。
「海!あれが海なの。」
幾つか読んだ本の中にあった海を目の当たりにして、サーシャは驚きを隠せない。
「凄いわ!アクリウム国とは全然世界が違うのね。」
馬車が街に近付くにつれ、先程までの不安は消え、サーシャは胸がわくわくしてきた。
そして、街の入口の検問所に到着すると、馬車は一旦立ち止まった。
「どちらからの使いか?」
検問所の兵士が馭者に尋ねてきた。
「私達はアクリウム国からの使いです。今回はこちらのお嬢様をお連れした次第です。」
そう言って、馭者はサーシャ達を指した。
その言葉に、兵士達はちらりとサーシャ達を見て、そしてすぐに頷いた。
「解った、通ってよし。」
厳重な検査も無く、ほとんど素通りに近い感じで街に入れたのには、流石にサーシャも驚いた。
「こんなに簡単に街に入れるなんて…。」
「フェルティ国は貿易の国、人と物資の交流が盛んなのでこういう点には余り頓着されないのでしょう。」
街の中に入ると、いよいよその様子が明らかになっていく。
建ち並ぶ数々の商店や家々、挨拶を交わしたり、交渉したりする人々、街の熱気と、潮風の香り…。
「ここの人達は、浅黒の肌に黒髪の方が多いのね。」
そんな街の様子を見ていたサーシャが呟いた。
「そうですね。」
侍女がそう答える。
「あと少しで到着いたしますよ、サーシャ様。」
*
「ち、ちょっと、これはいくら何でもやりすぎじゃないか。」
と答えるのはジーフェス。
「いーのです!普段坊っちゃまは余りにも身だしなみに無頓着過ぎるくらいだから、これくらいが良いのです!」
「そーですよ。もうっ!じっとして下さいっ!」
ジーフェスは今、ポーとエレーヌの二人にいじくられ、もとい、身だしなみを整えられている。
強制的に湯あみをさせられた後に、髪に薄く香油を塗られ端を切り揃えられ、香水をつけられ、そして真新しい服に正装させられていた。
「服はわかるけど、香水は勘弁して欲しかったな。香水臭くて気分悪くなりそうだよ。」
本当に気分悪そうに呟く。
「何言ってるんですか!これくらいの香水は最低限の身だしなみですっ!つけてないと汗臭くて、それこそ嫌われますよっ!」
「それならそれで構わないけど。」
ぼそっと、それこそ独り言のように呟いた。
「またー!駄目ですよ旦那様。そんな事だから、今の今まで彼女のひとりやふたりも出来なかったんですから〜。」
“いや、別に彼女欲しかったわけじゃないし。”
「まあ、取り敢えずこんなものですかね。」
と呟くポー。
「そーですね〜、もうちょっと派手にしても良かったですけど〜。」
エレーヌが大きな姿見を持ってきてジーフェスに向けた。
「!!」
姿見の自分を見たジーフェスは、その余りの変身ぶりに思わず固まってしまった。
「こ、こ、こんなの俺じゃないっっ!!」
鏡の中のジーフェスは、普段の野生児さながらの様子とは全く違っていて、新調した服を纏い、それはそれは立派で綺麗にしていて黙って立っていれば、聡明で知的に見える程であった。
くどいようだが、黙って立っていれば、だけど。
「おー、見事に化けましたねー。」
と、ハックまでが見に来て呟いた。
「ちょっとやばいだろこれは。余りに見た目が立派過ぎて、ぼろが出たらどうするんだよっ!」
自画自賛してどうするんだこの男は。
「だったら、この機会に是非とも中身も磨いて下さいませ。」
とポー。
「えー、真面目くさった旦那様なんて面白くないー。」
「「確かに。」」
エレーヌの呟きに、使用人の皆が頷く。
「どういう意味だそれは…。」
こんな風に、ジーフェスと使用人達がなんだかんだと言い合いしていた時、外のほうでふと馬の嘶く声が聞こえてきた。
「!?」
「きたーっ!」
いち早く反応したエレーヌが一目散に窓際まで駆け寄った。
「あっ!抜け駆けするんじゃないぞっ!」
とハックまでもが窓際に駆け寄る。
「野次馬根性ははしたないですわよ!」
と言いながらも、ポーまでが窓際に、一応歩いていく。
「…………。」
独り残されたジーフェスは言葉も無く、ただ黙ったまま最後に皆の後に続いて窓際に向かった。
窓の外には、
予想通り一台の立派な馬車が来ており、馭者と見られるひとりの男が馬車の傍で、何かを探すようにきょろきょろしていた。
「あの男の方、白い肌に金の髪ですね。」
「うん、どうみてもこの辺りの人ではありませんねー。」
よく見ると、馬車の扉には波打ち際に立つ錫杖を持った乙女の姿のレリーフがあった。
「あの扉の紋様、間違いなくアクリウム国の紋様ですね。」
ポーがそう呟いて、皆のほうを振り向いた。
「さあさ皆さん!御客様を迎える準備をしましょう。玄関に行きますよ!」
だが、皆は馬車が、というより馬車の中にいるだろうジーフェスの花嫁のほうが気になって、その場を動こうとしない。
「花嫁さん出てこないですねー。」
「何してるんだろうなー。」
「……。」
挙げ句の果ては、ジーフェス本人までもが見入っている状態である。
と、そんな彼らの目の前の窓に、無情にもカーテンが閉められた。
「ちょ…!?」
不満そうに呟いて皆が見てみると、そこには怒り心頭のポーの姿があった。
「さっさと行きますよっっ!!」
こうなっては、誰も、ジーフェスでさえ彼女には逆らえない。
「「はいいっっ!!」」
蜘蛛の子を散らすように、彼らは一斉に玄関に向かっていった。
*
「ここで間違いないとは思うが、誰かいないものかな。」
馬車から降りていた馭者が、誰かいないものかときょろきょろしていると、ふと奥から馬の手入れを終えたタフタがやってきた。
「?!あれは、もしかして。」
タフタは庭先に停めてあった馬車に気付き、ふと近寄ってみた。
彼の姿に気付いた来客のほうの馭者がほっとした表情でタフタのほうにに近付いてきた。
「失礼。私はアクリウム国からの使いですが、こちらはフェルティ国のジーフェス王子の屋敷で間違いないだろうか?」
「アクリウム、国から!じ、じゃあ!?
うわああ!えらいこっちゃぁ〜。」
タフタが慌てるのも無理は無い。
先程まで馬の世話をしていて、服は汚れて干し草まみれだし、馬舎を掃除もしたから、馬臭いし。
到着までまだ時間がかかるだろうと思っていたから、この余りの不意打ち、に焦りまくってしまった。
「あ、あのー。」
そんな様子に、アクリウム国の馭者はちょっと唖然。
「あ、あわわ、た、大変だ、旦那様に知らせなくては…。」
既に皆が知ってる事も知らずにタフタは慌てて客を完全に無視して玄関に走っていった。
「………。」
残された馭者は呆然としながらも、タフタが走っていった後を視線で追っていった。
視線の先、…屋敷の玄関先には、既に皆が待ち構えており、慌ててやってきたタフタが大声で叫んだ。
「お、おい!アクリウム国の使いが来たぞ来たぞ!」
慌てる彼に対して、ジーフェスを始め他の皆は至って冷静だった。
「タフタ、そんなに慌てなくても、もう皆知ってるよ。」
「そーだぞ。お前さん一体何していたんだ?服はぼろぼろのまんまだし。」
「やだあ〜、おまけに馬臭いしぃ〜。まーた馬舎で仕事してたんですね〜。」
いや、それは馭者として当たり前。
「取り敢えず着替えてきて下さいな。そんな身なりでは客人に失礼ですよ。」
「……。」
予想外の皆の反応に、タフタは言葉か無かった。
そして、彼を追うように、アクリウム国からの馭者が現れて皆の前で一礼した。
「失礼いたします。私はアクリウム国からの使いで御座います。」
それから、ちらりとジーフェスのほうを見て尚も続ける。
「貴方様は、フェルティ国第五王子のジーフェス様で御座いますね?」
「え、ああ、確かに俺が…!?」
そう言いかけたジーフェスの肘をポーが思い切り小突く。
「あ、た、確かに私が、ジーフェス、ですが。」
めちゃくちゃ緊張して答えるジーフェス。
周りはそんな彼の様子に笑いを堪えるのに必死だった。
「それは良かった。改めて、私はアクリウム国第四王女サーシャ様の御使いです。今こちらに王女をお連れした次第です。」
「は、はい。」
そこまで言うと、アクリウム国からの馭者は乗ってきた馬車に戻り、扉を開けた。
「……。」
ごくり…。
ジーフェスや他の使用人達が見守る中、開かれた扉から、先ずは侍女である中年の女性が降りた。
「まさかあの方?!」
タフタがぽつりととんでもない事を言うと、周りからぎっと恐ろしい目付きで睨まれた。
「んな馬鹿なことは無いでしょうっ!!」
ポーがひそひそと、だけどしっかり抗議した。
そして、侍女に手を引かれるようにして、ひとりの若い女性が馬車から姿を現した。
「……え!?」
純白のドレスを纏った彼女を見た途端、ジーフェスは言葉を失った。
“え、え、えええっっ…!!”
そして、言葉にならない悲鳴をあげるのだった…。