第9章Ⅳ:仮面はかく語りき
「は!?今何て言った!?」
真夜中近い時間でありながら、ジーフェスは思い切り素っ頓狂な声を張り上げてしまった。
「はあ、ですからカドゥース殿下の御命令で、アルザス様が太陽祭の時に仮装して群衆に紛れることになったのです」
彼の傍にいた黒ずくめの男は半ば溜め息をつくようにそう語った。
ここはジーフェスの私室。皆がすっかり寝静まり自分も船を漕ぎだした頃合いに突然男…『闇陽』の一員である若い男、が現れたのだった。
いきなり現れたから、はじめ自分が暗殺の対象になったのかと怯えびびったものだが、男は彼に突然の訪問を詫びて一礼すると、以上の話を語りだしたのだった。
「嘘だろう…太陽祭の日は毎年毎年カドゥース殿下が御忍びで出掛けるから密かに自衛団と軍部とで裏で協力して護衛していたのに…今年はよりによってアルザス兄さんがだって!?」
「はい…」
かつてジーフェスと一緒に仕事をした事もあるその男は彼の性格を良く知っていて、彼の疲れきった声に同情するかのように頷いた。
「おまけに某所でアルザス様の暗殺計画も浮上しておりまして、恐らくこの機会を狙ってくるのではないかと」
「まじで?!」
「はい…」
あああ〜、と呻きながら頭を抱えてソファーにへたり込むジーフェスの姿を見て、男は至極同情するかのような表情を浮かべる。
「最悪。まじで最悪」
ソファーにへたり込んだジーフェスはくらくらする頭を抱えながらもちらりと男を見て話を続ける。
「で、俺に何の相談かな?まあアルザス兄さんの事だから当然『彼』を呼び寄せるんだろう?」
「はい。幸いにも祭当日の夜は街は仮面の者で一杯になるので『彼』にも仮面をつけさせ、アルザス様の替わりに街に行って貰う様に手配致しております」
「まあ妥当なところだな。で、俺達はその『彼』を護衛しろと…」
「はい」
そこまで聞いてジーフェスははあ、と深い安堵の息をついた。
「で、兄さん自身は事が済むまで屋敷の奥で身を潜める…か。それならまあ安心だな」
「はい。あくまでも街に出ている『彼』をアルザス様と思わせるように、そちらの護衛を強化するようにとの御命令です」
「だろうな。一応屋敷にも自衛団か国軍を数名護衛に行かせようか?」
「必要ありません。我ら『闇陽』の者達だけで充分で御座います。寧ろ自衛団等が屋敷周辺で動けば却って怪しまれます」
男の言葉にジーフェスはうん、と頷いた。
「そうだな」
‘コンコン’
二人して話しをしている最中に突然のノックの音。
「!?」
「だ、誰だ!」
突然のことで驚き、上擦った声で返事をするジーフェス。『闇陽』の男は既に何処かへと姿を隠している。
「ジーフェス様」
それは隣の部屋で休んでいた筈のサーシャの声だった。
「ど、どうしたんだいサーシャ?」
「あの、先程から話し声と物音がするので気になって…何かありましたか?」
ぎくぅっ!!
「あ…いや、ち、ちょっとその…へ、変な夢を見て思わず叫んでしまった、みたい…」
慌てて即興の言い訳を呟くジーフェス。
「夢、ですか…?」
「そ、そう、そうなんだ!変な夢を見て思わず目が覚めてしまったんだよ!」
「でも…何だか他の方と喋っているように聞こえたのですけど…」
ぎくっ!
思わず近くに隠れていた『闇陽』の男が一瞬びっくりして動揺してしまった。
「き、気のせいだよ。ほら、俺が変な夢を見たから、それでひとり妄想めいた事を言っただけだよ」
「そう、ですか。でも変な夢を見るなんて、何処か御身体の調子でも悪いのではありませんか?」
「い、いや至って元気だよ!それより夜も遅いからもう休ませてくれるかな?」
「あ、し、失礼しました。ではおやすみなさいませ…」
扉の向こうからサーシャの申し訳なさそうな声が聞こえたかと思うと、直ぐにぱたぱたと軽い足音、そして隣で扉の閉まる音が聞こえてきた。
「……」
完全に彼女の気配が無くなると、ジーフェスはほーっ、と安心したように吐息をついた。
「ではジーフェス様、先程打ち合わせたようにお願い致します」
「ああ、また何かあったら連絡してくれ」
「御意」
ジーフェスの返事を聞くか聞かないかの間に男は姿を消してしまった。
「……」
“危ない危ない、只でさえややこしくなってしまったのに更にサーシャまで巻き込んだら大事になってしまう!”
やっと一人きりになったジーフェスはふらふらと身体をベッドに横たえると天井を見ながら頭を抱えた。
“しかし久しぶりに聞いたな兄さんの暗殺計画なんて”
“昔は何度もそんな目に遭ってたみたいだけど、どれも悉く失敗してたし、何より宰相になって『闇陽』を支配下に置いてからは、兄さんに刃向かおうとする者は即座に判明されて手酷い報復を受けるようになったし、おいそれと手出しする輩も居なくなっていたのにな…”
「……」
“それだけの危険を冒してまで兄さんを暗殺しようとするなんて、余程兄さんに恨みを持っていて、尚且つそれなりの力を持つ者…”
「…何か、嫌な予感がするんだけどなぁ」
胸の中に晴れぬ靄のようなものを抱きながらも、ジーフェスは次第に眠りの世界へと落ちていった。
*
翌日、ライザの働く診療所。
‘カラン…’
午後休診の札が出ている扉が開き、来客のベルの音が診療所内に響き渡る。
「すみませーん、只今休診中の為急患以外は受け付け…あら、サーシャじゃないの!?」
診療所の奥から私服姿のライザが現れ、来客の姿…サーシャの姿を見つけるなり笑顔を浮かべた。
「こんにちはライザさん、突然の訪問ですみません。お邪魔でしたか?」
「いいえ、でもどうしたの、何処か具合でも悪いの?」
だが次の瞬間、ライザは心配げな表情を浮かべてそう尋ねてきたが、それに対してサーシャは慌てて答える。
「あ、違うのです。たまたま近くに買い物に来たから、ちょっと相談も兼ねて寄らせていただいただけです」
「ああ、そうだったのね。良かった。折角だから一緒にお茶していって!美味しいケーキがあるわよ」
サーシャの一言にほっとしたような笑顔を浮かべて彼女を誘ってくれた。
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
ケーキという甘い誘惑に、サーシャはついつい笑顔が出てしまい、迷うことなく誘いを受けるのであった。
*
「美味しい!」
目の前に出された胡桃のパウンドケーキを頬張ると、サーシャはその美味しさの余りついついそう叫んでしまった。
「でしょう。近所に住んでるステラさんのお手製なんだけど、彼女の作るお菓子はどれも美味しいのよね」
「そうなんですか。こんなに美味しいものを作れるなんてステラさんて凄い方なのですね」
するとライザが微笑みながら更に続けた。
「サーシャなら同じようなのが作れるわよ。だってこの前作ってくれたマドレーヌ、凄く美味しかったもの」
「そんな、まだまだ私なんて」
そんな会話をしながらお茶をしていた二人だったが、ふとライザが思い出したように尋ねてきた。
「そういえばサーシャ、さっき私に相談があるって言ってたわよね」
ライザの問いかけにサーシャはああ、というような表情を浮かべて手にしていたお茶のカップを置いた。
「その事なんですけど、実は今度太陽祭の翌日にジーフェス様とデートする事になったのですけど…」
「まあ!」
“ふふ…ジーフェスったら、ちゃんと私が前日に忠告した事を実行したみたいね。それにしてもサーシャったら嬉しそうにしちゃって”
サーシャの少し照れたような嬉しそうな表情をして話す様子にライザは思わずにやけてしまった。
「それで、デートの時の衣装を見繕っていたのですけど」
「あら、良い服が見つからなかったの?」
「いえ、服は見付かったのですけど、仮面が見つからなくて…」
「仮面?」
サーシャがこくりと頷く。
「ジーフェス様が夜には綺麗な池のある公園に連れてくれるって仰有ったから、一日遅れだけど折角だから祭の月恋人のおまじないをしたくて、金と銀の仮面を探していたのだけど」
「……」
「でも、店に売っている祭専用の仮面はどれもこう、私が探しているものが見つからなかったのです。
ライザさんな可愛い雑貨に詳しいから、そういうのを取り扱っているお店を知らないかな、って思って」
「そうなのね…そうねぇ…」
サーシャの話を聞いて何やら考えていたライザだったが、突然椅子から立ち上がった。
「ちょっと待っててくれるかな」
「あ…はい」
そう言ったきり、ライザは奥の部屋に入ってしまった。
「……」
そして奥の部屋からは何やらごとごとと大きな荷物を運ぶような音が聞こえたかと思うと、程なくしてライザが再び戻ってきた。
手には何かを持って。
「これなんかはどうかしら?」
ライザが手にしていたもの、それは一組の金と銀の仮面だった。
「うわ…」
仮面はどちらも無駄な飾りは一切無く、だが表面には繊細な装飾が施されていてシンプルなデザインの中にも高級感が溢れ、金のほうは男性的な重厚感があり、銀のほうは女性的な優しげで可憐な感じがするものだった。
「素敵!まさに私が探していた仮面そのものだわ!」
一目でその仮面が気に入ってしまったサーシャは思わずそう叫んでしまった。
「良かったわ。これサーシャにあげる、是非使って。きっとジーフェスにも似合うと思うわ」
「嬉しい!ありがとうございます」
にこにこ満足そうに笑みを浮かべるライザに、ふとサーシャが思った。
「あ、でもこれってライザさんのものじゃあ…」
そして不思議に思うのだった。
“でも、ライザさんにはお付き合いしている御方とかはいらっしゃらない、わよね。じゃあこれは一体…?”
「私のことは気にしないで。もうこれを使うこと無いから」
「え、使うことが無い、って…?」
サーシャの問いかけに、ライザはふふ…と微笑み、視線を遠くに、サーシャの背後に向けた。
その視線の先…沢山の小物類が飾られている棚、その上には小さな絵立てがあった。
絵立ての中にはひとりの若い男性の絵が描かれていて、彼は温かく優しげな笑みを浮かべていた。
「この方は?」
答えは何となく感付いてはいるが、それでも聞いてみる。
「亡くなった私の夫のエントよ」
「……」
何処と無く寂しげな笑みを浮かべて、ライザは金と銀の仮面を見つめた。
「この仮面はね5年前の太陽祭の日にエントとデートした時につけたものだったの」
「え!?」
「あの日、二人で公園の池の月を見ていた時にエントからプロポーズされたの。
彼ったらね、普段ずっと奥手でデートもいっつも私のほうから誘うのに、いきなりプロポーズよ!もう私びっくりして言葉も出なくて…でもとても嬉しかった」
「……」
「それから結婚して直ぐに子供も出来て、次の太陽祭は三人で迎えるねと笑いながら話をしていたのに…、
…祭の直前に、あの大雨の日に、事故に…遭って…」
ライザの声が哀しみに震え、瞳が潤み、手が微かに震えだした。
「ライザさん…」
「ああ!ごめんなさいねサーシャ、湿っぽくなってしまって…」
我に帰ったライザは哀しみを吹っ切るように頭をぶんぶん振って先程までの笑顔を向けた。
「ライザさん…やはりこの仮面、御主人との大切な思い出の品を私が頂くわけにはいきません」
そう告げて仮面を返そうとしたサーシャの手をライザが止めた。
「いいえ、これはサーシャとジーフェスが使って。あの人も…エントもそうしてくれるのを望んでいるわ」
「でも…」
「あの人、エントはずっとジーフェスの事を心配していたわ。『闇陽』の一員になって生きる屍の様になってしまった彼を。死ぬ間際まで…。
でも今は自衛団の団長を務め、そして貴女という伴侶を得て、やっと…やっと幸せになったの。エントが望んだようにね」
ライザは優しい笑みを向けたままサーシャに頭を下げた。
「ありがとう、ジーフェスを信じてくれて、彼の闇を受け入れてくれて。本当にありがとう…」
「ライザさん…」
その姿は、身内を心配する家族の姿そのものだった。
“ああ、ライザさんは本当にジーフェス様のことを心配してくれてるんだわ”
「ライザさん、私のほうがジーフェス様に感謝したいくらいです。ジーフェス様はこんなみそっかすだった私をアクリウム王女でなく、ちゃんとひとりの女性として見てくれたのですから。そしてその上で私を好きになってくれたのだから…」
「サーシャ」
“そう、ジーフェス様は幸せになったのかもしれないけど、ライザさんはまだ…”
そして一組の仮面を手に、にこりと微笑んだ。
「これ、御借りしますね。でももし…もしライザさんがいつかこれを必要とした時は、その時はちゃんと御返ししますね」
「!?」
サーシャの言葉に、ライザははっとなって顔を上げた。そこには純粋な笑みを浮かべた、まるで癒しの神メリウを思わせるようなサーシャの姿があった。
「そう、そうね。いずれは、ね。それまで私はまだ…」
そう呟き、ライザは絵立ての中で微笑むエントの姿を見つめるのであった。
*
…夜もすっかり更けた時分、
「お久しぶりです我が主人。わたくしをお呼びになったという事は…」
「そうだ『影』。お前に私の替わりをして貰う」
主人と呼ばれた男、アルザスは目の前にいる『影』と呼んだ男にそう呟いた。
『影』と呼ばれた男…銀髪に白の肌、かなりの上背がありその顔立ちは非常にアルザスにそっくりな男である。
ただひとつ、蒼い瞳を除いては。
「おやまあ!久しぶりに我が主人の暗殺ですか。まだ命知らずな奴が居たものですねぇ」
『影』と呼ばれた男が愉快そうにけらけら笑いながら話をしていく。
「主人の前で失礼だぞ!口を慎め!」
男の余りの無礼さに隣にいた男、『闇陽』シロフが厳しく叱責した。
「これは失礼致しました首領。…で、わたくしは太陽祭の時に主人の替わりに仮面をつけて街を彷徨えばよろしいのですね?」
「そうだ。私はその間屋敷の奥に潜んでおく。お前には軍と自衛団が護衛につくが、くれぐれも正体を覚られるなよ」
「勿論で御座います…」
そこまで告げると、『影』はちらりと部屋の窓のほうに視線を向けた。
見ればアルザスもシロフも表情はそのままで、やはり同じ場所に視線を向けていた。
「…鼠が話を聞いていたようですけど、放っておいて大丈夫で御座いますか?」
「構わん。想定内だ」
「おやおや、今回はえらく余裕があります事。我が主人の事、首謀者の正体も検討がついておられるでしょうに、どうせならさっさとそやつを始末すれば宜しいかと…」
「貴様!」
シロフの怒りの声にアルザスが窘めるように口だしてきた。
「無論首謀者は判っている。奴を始末するのも容易い事だ」
「……」
ならば何故そうしないのか?
そのような愚問をせずとも、二人にはそれだけで主人の思惑を理解するのであった。
“首謀者を操る『黒幕』が居るのだな。それもかなりの大物の”
“我が主人が手間掛けてでも引き摺りだそうとする程の者、これは相当な人物だな”
「話は以上だ。『影』お前は当日の夕刻まで再び待機していろ。良いな」
「御意」
そう一言告げると『影』は瞬く間に姿を消してしまった。
「シロフ…例の件、交渉は上手くいったか?」
二人きりになった途端、アルザスはいきなりシロフに話を切り出してきた。
「は、その件ですが…その…あちらはランド金貨二万枚で手を打つと言っております」
シロフの答えに、アルザスは表情をみるみるうちに怒りに歪めた。
「ランド金貨二万枚だと!?あの女…こっちが下手に出てみれば付け上がって!」
「依頼の内容から妥当な金額だと。支払いが出来ないのならばその由を説明しにアルザス様御自身が直接『あの場所』へと伺うようにと…」
予想していたとはいえ、主人の怒りの様相に少し怯えてしまうシロフ。
「ふざけるな、誰があそこになど!」
怒りの余りそう叫び、ぎりぎりと唇を噛み締めていたが、やがて諦めたのか深い溜め息をつくと落ち着いたように再び口を開いた。
「…解った。明日の夕刻までにランド金貨二万枚分の小切手を準備しておく。お前は明日の夜それを持ってあの女の所に行き交渉を進めてこい」
「…アルザス様」
「但し、私の満足のいかぬものならばそれなりの報復を覚悟しておけと伝えておけ、良いな」
「…御意」
そこまで告げると、出ていけと言わんばかりに首をふいと振った。
シロフもそれを察し、一礼すると颯爽と姿を消した。
「……」
“我が力の及ばぬ事とはいえあの女の力に頼らねばならぬとは…しかもこの私からの依頼と知るやあの女、足元を見たな!”
「ええい!忌々しいっ!」
一人きりになったアルザスは先程の事を思い出してかいきなり怒りの表情を浮かべそう叫ぶと、そのままソファーから立ち上がり大股で部屋の書棚に向かい、下の引き戸棚から飴色の大きめの木箱を取り出し蓋を開けようとした。
「!?」
が、その瞬間、我に帰ったかのようにはっとした表情を浮かべると、直ぐにその箱を元の場所に納し、今度は普段の落ち着いた様子で傍らにあったベルに手を伸ばした。
‘コンコン’
「御呼びで御座いますか旦那様」
程無くして部屋の扉を叩く音がし、メイドのカリメの声が聞こえてきた。
「ああ、すまぬが茶を入れてくれ。あと何か甘いものも持ってきてくれ」
「かしこまりました」
やや間があってそう返事が返ってくると、ぱたぱたと軽い足音がして次第に部屋から遠さがっていった。
「……」
はあ、と溜め息をついてアルザスは近くのソファーに腰掛けると、珍しく背凭れに身体を委ね天を仰ぐ格好をし、右手を額の上にのせた。
“相当疲れているのか…怒りに任せて私があれに手を出そうとするなんてな…”
先程手にした箱のあった辺りにちらりと視線を向けながら、アルザスは自嘲気味に苦笑いするのであった…。
投稿が遅れて本当に申し訳ありません。
おまけに最近の話は、ほのぼの路線から外れっぱなしですし……汗