第9章Ⅰ:妖艶なる世界と栄華なる世界
第9章ではフェルテイ国で行われる二大祭のひとつ、太陽祭で繰り広げられる様々な人々のお話を書いていきます。
※(名前だけも含めて)今まで登場してきたキャラクターがほぼ全員登場します。よって視点の変化がかなり激しいです。
その点をご理解の上でお読み下さい。
※策略や陰謀事の話が出てきます。殺人や流血等の直接的な表現が出てきますので不快な方はご注意下さい。
(上文章は2017年4月17日内容変更致しました。大変申し訳ありません)
※娼婦の仕事や話等、性的な表現が出てきます。無理矢理な描写や露骨な表現こそありませんが不快に感じる方は注意して下さい。
…甘ったるい香や白粉の匂い、そして独特の紫煙の香りが広い室内を漂う。
ゆらゆらと妖しく煌めく蝋燭の光に照らされるのは、けばけばしい色彩に彩られた室内…そこには派手に装飾された柱や壁、そして男と女の淫らな絵画や彫刻等で飾られ、部屋の奥には一段高く造られた場所があり、そこに置かれた一脚の豪華で派手な椅子にひとりの女が座っていた。
女…歳の頃は50代くらいか、白い肌に黒の瞳、顔立ちは美しいが目尻や口元に年相当の皺があり、やや痩せぎみではあるが豊かな胸のあるその身体には深い緋色のドレスを纏い少し白髪の混じった長い髪を纏め上げた、かつては相当な美人であったと想像出来る様相の女だった。
女は椅子に座ったまま、ゆったりとした仕草で手にしていた長煙草を口に啣え、ゆるゆると紫煙を吐き出していた。
「失礼致しますマダム」
そんな女…マダムの前にひとりの屈強な男が現れた。
「何だい?」
「御報告を。先程ローヴィス殿下が高級娼婦街を訪問されたとの事」
男の言葉にマダムは微かに驚きの表情を浮かべる。
「ローヴィス殿下がかい?こりゃ珍しい名前を聞いたねぇ。だけど確か殿下は専用の離娼婦宿を持っていたんじゃ無いのかい?」
けらけらと愉快そうに笑いながらもマダムは問い掛ける。
「は…離娼婦宿の者に確認をとりましたところ、ローヴィス殿下所有の宿は別の者が使用しているとの事。それがジーフェス様と細君であられるサーシャ様との報告も御座います」
「おやまあジーフェス殿下とサーシャ妃殿下かい!これまた珍しい名前を聞くもんだ。で、ローヴィス殿下は未だ街にいるのかい?」
「それが…高級娼婦数名を御相手にされて軽く食事をされた後早々に去って行かれました」
「じゃあもう街を出たと?」
「……はい」
男の報告に、マダムはすうっと表情を歪め手にしていた煙草の火を乱雑に灰皿に押し付けた。
「お前…そういう事は直ぐにあたしに報告しなさいと命じているだろう、ん?」
マダムの静かな、だが粘着質な怒りの声に屈強な男はびくっと身体を震わせた。
「御許しを…マダム…」
目の前の女ひとり一捻りで生命を奪える程の屈強な男なのに、畏れおののき赦しを乞う様にマダムに向かって頭を垂れている。
そんな男の様子に、マダムはふう、と深く溜め息をついたかと思うと、
「仕様が無いねぇ。今回は見逃してやるよ。だけど…次にやらかしたら、解っているだろうね…」
にやりと残虐な笑みを浮かべるマダムの顔を見た男は益々恐怖に身体を震わせ、それこそ地に這いつくばるように土下座したのだった。
「も、勿論ですマダム。マダムの御慈悲に感謝致します」
男の様子にマダムはふん、と鼻で笑い、
「用が済んだならさっさと出てお行き、この役立たず!」
そう命じた。
「ぎ、御意」
男は慌てふためきながら逃げるように部屋を出ていった。
そんな男の様子に女は呆れきった重い溜め息をついて再び煙草を啣えた。
“全く、近頃の守人の躾はなって無いわねぇ…教育役にもっと厳しく言い聞かせないといけないねぇ”
「御母様、あれは最近ここ高級娼婦街専用に成り立ての守人ですわ。あれにそこまでの気配りを期待するのは酷というものですわ」
突然聞こえてきた女の声に、マダムはやや表情を歪めた。
「お前…いつの間にここに来てたのかい?」
「あら、私を呼んだのでは御母様ではありませんか?だからここに来たのですわ」
くすくす含み笑いをしながら女はすっとマダムの前に姿を現した。
女…年の頃は20歳少しか、浅黒の肌に長いストレートの髪をなびかせ、顔立ちはとても美しく、背はすらりとしていて形の良い豊満な胸と括れた腰付き、肉付きの良い尻をした素晴らしい体型を生かすように深蒼のドレスで纏った、正に美人と呼ぶに相応しい若い女だった。
黒の切れ長の瞳は誘惑と妖艶に満ちたもので、普通の男なら一目見ただけで虜にされるであろう。
だがその表情は傲慢で冷たく、一度虜にした男の骨までもを喰らいつくす、凶悪な雌の獣の様相をも醸し出していた。
「ああ、そうだった。まあ先程の守人の話と比べたらつまんない事だかね」
「聞きましたわ、ローヴィス殿下が高級娼婦街に御越しになられたと。ああ、もう少し早くに知っていたら私が直々に御相手いたしましたのに…」
若い女は意味深な笑みを浮かべて残念そうな口調で語る。
「無駄さ。お前が姿を見せた途端、殿下は直ぐにでも逃げ出しただろうよ」
「まあ、失礼ですわ御母様!」
くっくっと喉で笑うマダムを見て若い女はぷうと頬を膨らませぷいとそっぽを向いた。
「拗ねるんじゃ無いよ。殿下はあたしとお前さんの本質を見極めているから決して近寄ろうとはしないのさ。
このあたし‘マダム=ローゼス’とその後継者たるお前さんの本当の恐ろしさを知ってるから、ね…」
「でも、まだまだ御母様には敵いませんわ」
若い女の言葉にマダムはけらけらと笑いをあげる。
「当然さ!まだひよっこのお前にあたしのこの名前を譲れるものかい!
今からお前もあたしの様に、いやそれ以上の‘マダム=ローゼス’に成れるまで、あたしがみっちりとお前を鍛えてやるさ」
「まあ怖い。御手柔らかにお願いしますわ、御母様…」
くく…と不気味な笑いを洩らし、だがその瞳は敵意を剥き出しに、マダムの漆黒の瞳を睨み付けていた。
「ふん、生意気な顔をする様になったじゃないか。
さてと、本題に入ろうじゃあないか…お前さんを呼んだのは、お前にやって貰いたい事があるのさ」
「やって貰いたい事?」
「そう、依頼があってね、今お前さんに宛がっている例の男をちょいと調べて欲しいのさ」
マダムの言葉に女はみるみるうちに嫌悪感剥き出しの表情を浮かべた。
「あの男を!?陰湿でねちっこく遅漏な正に屑なあの男の事を?」
「そう、‘奴’からの依頼なのさ。あの男の事でちょいと知りたい事があるってさ。で、此処に頼み込んできたのさ」
「…もしかして、依頼人って、彼の事!?」
女は微かに震える声で尋ねてきた。
「そうさ。お前さん御気に入りの‘奴’のね…奴の依頼ならお前さんも断れんだろう」
「!?」
くっくっと意味深な笑いをあげるマダムに女は頬を熱くしながらも苦々しく睨み付けてるしか出来なかった。
「彼、ここに来たの。だったら何故その時に私に通して下さらなかったの?」
女はかあっと怒りに更に頬を熱くし、わなわなと身体を震わせた。
「丁度あの時はお前さんは留守していたのさ、今まで黙ってすまなかったね」
対照的に女を見て愉快そうに笑うマダム。
それが益々女の怒りに油を注ぐことになったのだが。
「もう御母様ったら、本当に意地悪なんですから!
解りました、引き受けますわ。でも…この依頼、高くつくと彼に言っておいて!」
「はいはい」
怒りに任せて部屋を出ていく女の後ろ姿を見送りながら、マダムは笑みをすっと失せ、ふうと深いため息をつくのであった。
“やれやれ、あの娘もひとりの男にうつつを抜かすなんて、まだまだだね…”
*
…一方、フェルテイ王宮。
ひとりの女性…立派な絹で仕立てられた、上品な色合いのドレスを着た気品ある壮年の女性、が慌てて追いかける侍女達を振り切り早足でとある場所へと向かっていた。
「これは王妃様」
部屋の扉の前に控えていた護衛兵は女…王妃ルーリルアの姿を捉えると直ぐ様敬礼し恭しく頭を垂れた。
「あの子は、カドゥースはここに居るかしら?」
「は…ですが只今宰相様と会談中で御座います。今暫くお待ち下さいませ」
厳しい表情を浮かべる彼女に、あくまでも淡々と兵は答える。
だがそれが彼女の癪に触ったのか、きっと兵達を睨み付け怒りの混じった声をあげるのであった。
「王妃たるこのわたくしが命じます。直ぐにこの扉を開けなさい」
「しかし…」
「もう良い、おどきなさい!」
彼女の命令にも戸惑う兵に、いよいよ彼等を押し退け強引に扉を開くと、部屋の中…執務室には椅子に座る男と、その男と机を挟み向かい合うように立って話を聞いていた男の、二人の姿があった。
「!?」
「何事だ!」
二人の男は突然の訪問者に厳しい顔付きで開かれた扉から現れた人物を睨み付けたが、それが王妃であると解ると、椅子に座っていた男は表情を緩ませた。
「誰かと思えば、母上ではありませんか」
「……」
椅子に座っていた男…カドゥースが穏やかにそう答えるのに対し、立っていた男…アルザスは最初の厳しい表情のまま王妃の姿を睨み付けるように見つめていた。
「カドゥースと二人きりで話があります。アルザス、貴方は今直ぐにここから出てゆきなさい」
アルザスの冷たい視線に彼女も負けじと同様に睨み返すと、無表情のまま淡々とした返事が返ってきた。
「ですが王妃様…」
「お黙りなさい。お前は王妃たるこのわたくしの命令が聞けぬと申すのか?」
「……」
彼女の強気の一声にそれ以上反論は出来ず、判断を仰ぐかの様に黙ったままちらりと視線をカドゥースに向けた。
視線に気付いたカドゥースははあ、と半ば諦めの溜め息をつくと苦笑いを浮かべた。
「やれやれ…母上は急ぎの用の様だ。アルザス、すまぬが後程今の話の続きをしよう。一時の後に再びここに来るが良い」
「御意」
主たる者の言葉に彼は短く返事をし深々と一礼すると、王妃には一瞥せずに颯爽と部屋から出ていったのであった。
「……」
「お前達も下がれ」
「は…」
一連の出来事に呆けていた兵達も主の言葉に我に帰り、慌てて一礼すると部屋から出ていった。
ぱたん…と扉が閉まり、執務室にカドゥースと王妃の二人きりになると、カドゥースは露骨に表情を歪め母親を睨み付けたのだった。
「一体何用なのですか母上?アルザスと仕事の話をしている最中にまで邪魔をしてくるとは…話次第では母上と言えど赦しませんぞ」
呆れたような溜め息をついて苦々しい表情でカドゥースは母親たる王妃に微かに怒りの隠った声で言い放つ。
「お前、何故直ぐに私に知らせなかったのですか!」
「…?」
そんな様子など全く気にしないで、いきなり怒鳴りだした彼女の話についていけず、軽く混乱する彼に更に話をしていく。
「ローヴィスがこの国に来たというではありませんか!カドゥース、何故直ぐに私に知らせないのですか!?」
「ああ、その事ですか…」
興奮気味に話す母親とは対照的に、冷静に、半ば飄々とした態度をとるカドゥース。
「『その事』ではありませんよ!呑気なことを…あの子は今何処にいるのです?直ぐにここに連れてきて…」
「残念ですが母上、ローヴィスはつい先程この国を出たと報告がありましたよ」
その言葉に彼女は愕然とした表情をした。
「な…!?あの子は、何故ここに来ないで…」
「母上、あれは絶対に自身から王宮に来ることはありませんよ。ああ、この国に来てジーフェスの屋敷で寝泊まりしていたとは聞きましたが…」
「な…!?ジーフェス、何故あの子は私にそれを知らせない…」
「知らせた所で無駄と解っていたからでしょう。あれは王宮の追っ手が来たら直ぐに逃げ出してたでしょうから」
「…あの子ったら、母親である私に顔を見せないばかりか、病床にある陛下の見舞いにも来ないなんて…何て薄情な!」
母親の態度にはあ、と再び重い溜め息を洩らし、更に話をしていく。
「まあ、アルザスからの報告では特に何事も無く元気にしていたとの事です」
「アルザスが!?」
「ええ、何でも国を出る時に金の無心をされたとか」
「何故あの子はアルザスなどに…!?」
彼の名前が出た途端、彼女は怒りに身体をわなわなと震わせた。
「単に頼り易かっただけではありませんか?
ジーフェスは自衛団という役職上無心する程金は持ってないでしょうし、身近で手軽に逢えて金の無心のし易いアルザスに頼っただけ…」
「あれの何処が身近なの!王宮に来れば母親たる私が居るのですよ!あの子の望むだけのものを全て与えられるのに!」
「それと引き換えに、母上はローヴィスを王宮に永久に縛り付けるのでしょう?」
「!?」
冷たいカドゥースの一言に、王妃は一瞬言葉を失った。
「母上、何故ローヴィスが王位継承権を放棄してまで王宮を出ていったのかお忘れですか?
あれは父上と母上、貴方達御二人に失望したからですよ。貴方達がアルザスにした仕打ちに…」
「お黙りなさい!何がいけないというのです。
アルザスは…あれは王家の血を引きながら母親であるあの女と共にこの王家に反逆を企てた逆賊。汚点であり恥ずべき存在。本来ならば生きて王族の名を語る事すら赦されぬ存在なのですよ…!」
「あれがかの教団の下に居たのはほんの子供の時分。当時のあれがこの王家に弓引く事を策略していたという考えこそ無茶というものではありませぬか?」
「それは…あの女からの入れ知恵で…」
「ならば尚の事あれに罪は無いのではありませぬか?
なのに母上は、父上と共にあれに全ての罪を着せ、処罰した…違いますか?」
「!?」
彼の、正に的を得た言葉に、彼女は反論する事も何一つ出来なかった。
「何よりも今こうやってあれが生きて、しかも王家に残るのを認めているのは何故ですか?」
「それは…」
「それ程まであれを反逆者扱いするのであれば、強引にでも理由でもつけて即座に処刑すれば良いものを…それを行わず、王位継承権を剥奪はしてもあれを王家に留めたという事は…父上はあれが、アルザスに罪が無いことを解っておられたからこそではありませんか?
そして母上も、それを解っておられる…」
「!?」
カドゥースの最後の言葉を聞く前に、王妃は彼の前で身を翻して逃げ出すように執務室から出ていったのだった。
ばたん!…と派手に鳴り響く扉を見て、独り残ったカドゥースは愉快そうに喉を鳴らして低い笑い声を洩らした。
「全く…母上のローヴィスへの溺愛ぶりとアルザスへの毛嫌いぶりは相も変わらずだな…」
暫くの間さも面白そうに笑っていたカドゥースであったが、ふと真顔になって更に一言、ぽつりと呟くのであった。
「…そこまであれを忌み嫌うのならば、いっそのことあの時さっさと殺してしまえば良かったものを…」
…彼のその表情は非常に硬く、深黒翠の瞳には怒りとも憎しみにも見える光を帯びていたのだった。
*
執務室から出てきた王妃は怒りに満ちた足取りで王宮内を歩いていた。
…皆でしてこのわたくしを馬鹿にして…!
“アルザス…何故ジーフェスだけでなくローヴィスやカドゥースまでもがあの子の味方をするの?!何故…!?”
ばさばさっ…!
そんな事を考えていた彼女の目の前に、突然何枚もの白い紙が辺り一面舞い散っていった。
「!?」
「何者っ!」
王妃の護衛を勤める二人の近衛兵が異変に素早く対応し、王妃を庇いながらも剣を抜く。
「も、申し訳御座いません!殿下に提出する書類が散らばってしまって…」
三人の前にひとりの官僚風の男が転んだのか前のめりに倒れた姿で現れ、おどおどしながら頭を下げてきた。
「全く…何をしているんだ、王妃様が通れぬぞ、早く片付けるんだ」
「は、はい!」
男は慌てた様子で起き上がり散らばった書類を拾い集めていき、彼女や近衛兵達は無表情のまま黙ってその様子を見てた。
「し、失礼致しました…」
やがて書類を拾い集めた男は廊下の端に移動し、跪いて深々と頭を垂れ、王妃達に道を譲った。
「……」
王妃はゆっくりと近衛兵達に護られながら、跪いたままの男の横を通り過ぎていった。
だがその時、王妃の傍らに居た近衛兵は全く気付かなかった。
男が、頭を垂れていながらも狡賢い笑みを王妃に向けた事を。
そして王妃も、男に意味深な視線を向けた事を…。