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第8章Ⅱ:小さな嵐

「ふはー、生き返るー!」


熱い湯に浸かりながら男、ローヴィスは湯船の中でんー、と背伸びをした。


「あー、やっぱ故郷は良いなー。」


“まあ、故郷でもあの窮屈な王宮はまっぴら御免だけどな…、”


そんな事を思いながら、ローヴィスはふと天井を仰ぎ見た。


「……。」


“ジーフェス…、あいつに最後に会ったのはもう何年前だったかなぁ。

確かあの時はあいつ『闇陽』を()けて自衛団に入ったばかりだったかな。あの時は魂が抜けたような無気力な感じだったんだが…、”


そしてふと先程の彼との口喧嘩の事を思い出した。


“今ではすっかり元気になって自衛団の団長までやってるみたいだし、おまけに可愛い嫁さんまで貰って生意気にも旦那さんしていやがるし…。”


「なーんか、むかつくよなあ…、」


ローヴィスの胸の中には、弟が幸せである事に対する安堵の類いと、妬みや嫉妬の類いが入り交じって存在していた。


「ちょっとくらいからかったって、ばち当たらないよなあ…。」


ふふ…、と独り不気味に笑いを浮かべると、何か少し考えた後、湯船からその身体をあげたのだった。



      *



一方、サーシャのほうは少し不安な気持ちでダイニングのほうに向かっていた。


『ローヴィス兄さんは女を見ると人妻だろうと誰でも口説こうとするから注意してくれ。』


ローヴィス様、ジーフェス様の直ぐ上の御義兄様。

ジーフェス様のお話では二十歳の時に王家を出て行かれて、様々な国を旅していると仰っていたけど…、


“ジーフェス様はああ仰っていたけど、よもや御自身の弟の細君である私に手を出すなんて、そんな事はされない、ですわよね…。”


そんな事を思いながらダイニングに入ると、当の本人がバスローブ姿のままで椅子に座り、湯上がりの一杯を楽しもうとしていた。


「あ…、」


微かに驚きの声をあげたサーシャにローヴィスが顔をあげ、彼女の姿を見つけるなりにこやかに微笑みかけた。


「やあサーシャちゃん。」


濡れて艶やかに光るウェーブの黒髪、濃緑の瞳ににっこり笑う口元にはえくぼが見えていて、湯上がりの彼の姿は優しげで、だけど何処と無く男の色気を醸し出していて人を惹き付ける魅力があった。


「湯加減は如何でしたか?」


「うん、久しぶりの風呂気持ちよかったよ。あ、サーシャちゃんも一杯どう?」


すっと手にしていたアルコールの瓶を差し出すと、サーシャは少し苦笑いを浮かべ答えるのだった。


「すみません、折角の御誘いですが私アルコールは苦手で…、」


「ああ、そうだったんだ。まだまだサーシャちゃん若いしね、お酒はまだ早いかあ。」


「……。」


彼からしてみれば全く悪意は無いのだろうが、先程から自分が幼く見られている事にサーシャは少し悲しくなってしまった。


“仕方ないかもしれないけど、やっぱり子供っぽく見られるのはいい気分じゃないわね。”


「あ、もしかしてサーシャちゃん、オレが君の事を子供っぽく扱うのが嫌だったかな?」


「あ、いえ…、」


「ごめんごめん、でも別に悪気があった訳じゃ無いんだよ。」


それからローヴィスはすいと椅子から立ち上がり、サーシャの傍まで近寄ってきた。


「サーシャちゃんって…、あ、『ちゃん』付けも子供っぽいよね。ごめんごめん、そうだねー…サーシャ、って呼び捨てでも良いかな?」


「あ…え、ええ、構いませんよ。」


突然の提案に少し戸惑いつつも、だがついそう答えてしまった。


「あー良かった。サーシャって呼び捨てすると怒られるかなって思ってさ。」


「いえ、そんなことは…、」


そうは言ったもの、ライザやメリンダといった親しい同性や姉から言われるのならまだしも、夫でも無い若い異性から呼び捨てにされるのは初めての事で、かなり戸惑いもあった。


「じゃあさサーシャ、今からちょっとオレにつきあってくれる?」


「え…つきあう、って…、」


「オレ風呂上がりの一杯してるけど、独りだと寂しいのよ。サーシャが隣にいてオレの話し相手になってくれる?」


にこっ、と邪気の無い笑みを浮かべてそうお願いするのだった。


「あ…、そういう事でしたら私で良ければ…、」


別の意味を考えていたサーシャは、ローヴィスが単に話し相手が欲しかっただけと知り、ちょっと安心したように吐息をついた。


「じゃあここ座って。サーシャも何か飲む?」


「いえ私は結構です。」


「そう、じゃあオレだけ頂くね。」


そう告げて男はくーっ、と一気にグラスのアルコールを飲み干したのだった。


「ふはー!旨いっ!流石風呂上がりの一杯は違うっ!」


そう言う姿は、時折同じ事をするジーフェスとよく似ていて、やはり兄弟なのだなあと親しみが湧き、少しほっとして笑みが浮かぶのだった。


「あれ、サーシャ笑ってる。何かオレ可笑しかった?」


気が付くとローヴィスの顔が彼女の直ぐ目の前まで来ていて、それに気付いた彼女は思わず真っ赤になって男から顔を反らしてしまった。


「い、いえ、ローヴィス様のアルコールを飲まれてる姿がジーフェス様と同じだったからつい…、」


どきどきどき…、


ジーフェス以外の若い男性から、そんな間近に顔を近付けられた事の無かったサーシャは恥ずかしくて胸の鼓動が止まらない。


“や、やだ…、私ったら何意識してるの。”


「へ?オレがジーフェスに似てる?うはーそんな事初めて言われたー。だってオレこんなお調子者だからさ、本当に真面目なあいつと似てる?」


けらけらと陽気に笑ってそう話す男に、彼女は少し落ち着きを取り戻して答えた。


「いえ、ですからローヴィス様のアルコールを飲まれてる姿が…、」


「あーそっかそっか、姿が似てるのかあー、オレ達兄弟は皆母親似だからね、誰が見ても直ぐに兄弟と解る位そっくりなんだよ。あ、アル()ぃは別ね、あれはオレ達と母親が違うから。」


「アル()ぃ?」


「アルザス()ぃの事だよ。逢った事あるよね?」


「ええ。」


すると今度はちょっと前屈みになってひそひそ内緒話をするような格好をし、小声で話し出した。


「アル兄ぃ、すっげーおっかないよね。オレアル兄ぃからいっっつも、何かある度に色々(やかま)しく文句言われるからさあ、今回は兄ぃが居ない隙を狙ってここにやって来たのさ。」


「は、あ…。」


少し唖然としながら話をきいていたサーシャ。


…話を聞く限り、二人は仲が悪いというよりは、世話焼きな兄を鬱陶しく感じて逃げるずぼらな弟といった関係なのだろう、

そう解釈したのだった。


「そういえばローヴィス様は世界のあちこちを旅していらっしゃると聞きましたけど…、」


「ローヴィスで良いよ。何か『様』てつけられると、偉い人物になったようで気持ち悪いよ。」


そう言うと少し表情を歪めてローヴィスは肩をすくめた。


その姿は実際フェルティ国の第四王子でありながら、全くそのような素振りは感じないし、本人がそのように扱われるのを心底嫌がっている様である。


「あー、旅ねぇ…そうそう、丁度ひと月前は君の祖国アクリウム国に行ったよ。あの時は何か祭りみたいなのがあって、あちこちでいろんな作物が植えられていたけど…、」


「それは『若芽の儀式』ですわ。主要な作物の植え付けが始まる日で、アクリウム王宮では聖樹セコイアが植林されるのです。」


「へー、オレも何か穀物のような種を植えさせられたよ。」


「その日に植えた作物は良く稔り、植えた者にその植物の恵みが与えられると言われているのですよ。」


「そっかあー、じゃあオレ食いっぱぐれる事無くなるなあ!

あと銀の国シルヴェスでは銀泥棒と間違えられて牢屋に入れられたこともあったんだよー。」


「まあ…、」


「あん時はどうしようかと思ってたけど、丁度事件のあった時間に一緒にいた彼女が証言してくれたから、晴れて無罪放免になったんだ。やっぱ持つべきは律儀な女だよね。」


「はあ、それはとんだ災難でございましたね…、」


…それからも北の辺境の地ウルファリンでは幻の銀狼の群れに出逢ったとか、機械の国マシーナリィでは最新鋭の機械で動く乗り物に乗ったとか、果ては中立国のヴァーミルでは第一息子の正妻と親しくなり過ぎて危うく夫から打ち首になりそうになったとか、様々な地での出来事を話ししたのだった。


「何か、聞けば聞くほど凄い体験をなさっていらっしゃるのですね…、」


話の中にはかなり際疾い内容もあって、サーシャは驚いたり呆れたりしつつも、興味深く耳を傾けて聞いていた。


「まあねー、色々旅をしてると楽しい事だけじゃなくて嫌な事やヤバい事にも出逢うからね。

そういえばサーシャは旅をしたこと無いの?」


「え、ええ…。」


何気無いローヴィスの問いかけに、サーシャは微かに表情を曇らせた。


「ふーん、そういえばサーシャってあんまし有名人じゃあないよね。アクリウムの王家は大巫女やジェスタ女王、メリンダ王女なんかは知ってたけど、サーシャは名前すら聞いた事無かったなあ。」


「……。」


“私はアクリウム国でもみそっかすな存在だったから、国から出て旅をするのはおろか、王宮から出しても貰えなかった…。”


喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで耐えていると、


「もしかして、君ってアクリウム国の秘蔵っ子とか!?それとも実はアクリウム国の女隠密でジーフェスとの結婚を隠れ蓑にこの国の偵察に来てるとか!

まさか実は『黒水』の一員でジーフェスの生命を狙ってるとか!?」


いきなりのローヴィスの余りにもぶっ飛んだ発言に、流石のサーシャもびっくりするやら呆れるやら。


「いえそんな…、私、そんな凄い人間ではありませんよ。」


「あははは、そうだよねー、今のはちょっとした冗談だけどさ、サーシャは凄く大人しくてしおらしいよね。いつもそんな風なの?」


いきなり真面目な顔をしてそんな質問をしてきた。


「え、いえ、そんな事はありませんよ。そんな風に見えますか?」


「見える見える。何かさ、誇り高い王女様というよりは、控え目で誰かの影になって献身的に支える(ひと)って感じ。」


「……。」


確かにアクリウム国に居た時は周りの人達の心無い言葉に王族の一員である事を恥と感じ、ひたすら目立たなく大人しくしていたが…、


「でもさ、サーシャってばとても優しいよね。だってさ、オレが突然この屋敷に入ってきた時、まだオレがジーフェスの兄で王族と知らないで、見た目まんま怪しい浮浪者のオレがごっつい男に殴られた時、すっごく優しく介抱してくれたじゃない。」


「あれは当然の事ですわ、あの時貴方様は殴られて気を失ってましたし。」


「オレのような男の姿を初めて見た時、普通なら君くらいの女性なら誰もが悲鳴あげたり怖がったりして逃げ出したりするもんだよ。」


「それは…人を見ただけで良し悪しを判断するなと教えられてきたからですわ。

現にローヴィス様はこうやって話を聞いているととても陽気で楽しくて、凄く人の良い御方じゃないですか。」


全く迷いなく、にっこり笑って微笑むサーシャの姿に、ローヴィスは一瞬言葉を失ってしまい、それから高々と笑いだした。


「うははは、オレが良い人!凄いね君は、そんな事言われたの初めてだよ!君って本当に素直で純粋なんだね。」


「そんな…、」


“うは、本当にまじかよ!こんな()初めてだよ。

王族特有の偉ぶったところが無くて素直で純粋だし、…ある意味純粋過ぎて、思い切り男に騙されて都合良く振り回されて貢がされそうな性質の()だけどな…、”


そんな事を考えながらローヴィスはぽりぽりと頭を掻いた。


“こんな()からかうのはちょっと酷かなあ…まあ、ちょっとだけなら良いよな。”


そんな(よこしま)な事を考えながら、ローヴィスはふとサーシャに少し身体を近付けて、微かに囁くように告げるのだった。


「あー勿体無いなあ、君が独り身だったらオレ、容赦無く口説き堕としていたけどなあ…、」


「…え!?」


意味深な男の一言にサーシャは訳がわからず、きょとんと首を傾げた。


「君がジーフェスの奥さんで無かったら、オレが口説き堕として君をオレの恋人にしたかったなあ、って事。」


「え…!?で、でもそれはその…、」


艶めいた声で囁き、流し目で自分を悩ましげに見つめる男の姿に、やっと彼女は言葉の意味を理解し、驚き顔を真っ赤にしながらしどろもどろになってしまっていた。


「私はジーフェス様の妻で、そ、その、御気持ちは嬉しいのですが、やはりそのような事は言葉や態度に出すべきでは無いかと…、」


突然のローヴィスの告白?に全く免疫の無いサーシャはただただ驚くばかり。


“い、いきなりど、どういう事なの!?何故ローヴィス様が私の事を!?”


そんな彼女の動揺した様子を見て、男は思い通りになった嬉しさに顔をにやにやさせて尚も艶っぽく囁き続けるのだった。


「あいつ、ジーフェスってさあ、優しいけど少し真面目過ぎる所もあるだろう?もしかしたらサーシャ、ちょっと退屈しているんじゃあ無い?」


「…え?た、退屈、って…、」


未だに動揺がおさまらないまま、更に艶めいた声を聞いてサーシャの頭の中はかなり混乱をきたしていた。


「昼間は仕事ばっかでろくに相手してないみたいだし、

夜の夫婦生活とかさあ、あいつ真面目だから一方的でサーシャ、飽きてきてるんじゃない?もしかしたら仕事で疲れて夜もろくに相手して貰えないとか…、」


にやにやと少し厭らしい笑みを浮かべて、ローヴィスは更に調子に乗って、然り気無く下世話を持ちかけてきた。


「お相手、ですか…、」


するとサーシャは先程までの混乱ぶりが嘘のようにすっと表情を真面目なものに変え、少し考え込むような仕草をした。


“あれ?急に真面目になっちゃったよ!?

もしかしていきなり下世話に話を突っ込んだから気分悪くしたか!?やば…、”


変な心配をするローヴィスをよそに、サーシャは至極真面目な表情のままで答えた。


「確かにジーフェス様はいつも自衛団の御仕事が忙しくて余りお話する事は出来ませんけど、出来るだけ一緒に食事をして、夜も寝る前には短い時間ですが何かしら会話をするようにしていますわ。」


「そ…そうなんだ。」


サーシャの落ち着いた様子で話すそれに、予想してたのとちょっと違う答えに男は表情を歪めてしまった。


“は?何言ってるんだろう彼女?オレの下世話に怒ってる風では無いけど…、絶対何か別の方に考えてるよな…、”


「ね、寝る前に話をして、それから何もないのかい?夜だよ?夫婦二人きりになってする事だよ!?」


「何か、って?」


きょとん、と全く訳が解らずに首を傾げる彼女の姿に、まさかという表情をうかべる男。


「え…、あれだよアレ、夫婦が二人きりでベッドでいちゃいちゃする事だよ?」


「…?」


普通なら絶対解るだろう表現にも、彼女は解らないという感じで首を傾げるだけ。


「ま、まじ!?

サーシャ、これ真面目な話だけどさ、サーシャってジーフェスと夫婦生活したこと無いの?」


「…夫婦生活なら今ちゃんとしてますけど。」


サーシャはローヴィスの問いに相変わらず不思議そうな訳が解らないといった様に答えるだけである。


「いや、そうじゃ無くて、その…、ジーフェスとセックスした事無いの?」


「…セックス?それ何ですか?」


「…は、君セックス知らないの?ほら、男と女が裸になって抱き合って身体を弄くり合って、で、男のを女の中に入れちゃうってやつ。獣で言ったら交尾、言い方変えたら子作りの事だけど…、

ここまで言っても解らない…、なんて事無いよね…。」


男がまさかと言わんばかりに恐る恐るそう告げてサーシャの反応を見ると…、

彼女はローヴィスの言わんとしてる事をやっと理解したらしく、みるみるうちに顔を真っ赤にして驚きと恥ずかしさで両手で顔を覆ってしまった。


「その、せ、セックス…というのは、交わりの儀式の事なのですね…。

そんな、私とジーフェス様とはそんな事した事ありません!」


「…へ!?やったこと無いのセックス。

確かサーシャとジーフェス、結婚してふた月以上は経ってるよね。それでまだな、の?」


そこまで言われて、サーシャははっと我に帰り、いくら身内とはいえ逢ったばかりの若い男性にそんな事を話してしまった事に恥ずかしさでますます真っ赤になってしまい、男と目も合わせることも出来なかった。


「わ、わ、私ったら、何てはしたない事を…っ!

し、失礼致しますっ!!」


そして余りの恥ずかしさの為、サーシャは逃げるようにその場を離れたのであった。


「……………。」


独り残されたローヴィスは暫く唖然としたままだったが、やがて少しずつ落ち着いてきて、サーシャの様子にくすりと笑いさえ浮かべた。


「…うは、まさかのまさか…!?」


“嘘だろう!?無茶苦茶純粋で穢れの無い()とは思ってたけど、本当に純粋な処女だったんだ!

ジーフェスの奴、まだ彼女に手を出して無かったんだ!”


サーシャの意外な正体にローヴィスは嬉しそうに、そして何やら企みを思い付いた黒い笑みを浮かべた。


「それならこれからもっと楽しめそうだな…、いやいや、やっぱフェルティ(ここ)に戻ってきて正解だったなー。暫く退屈しないぞ…。」


にやにやとこれからの事を考えると笑いが止まらず、ローヴィスは嬉しそうに皿にあったつまみを口に放りこむのであった。



      *



一方、こちらは恥ずかしくて自室に閉じ籠ってしまったサーシャ。


…まさか、まさかローヴィス様があんな破廉恥な事を仰有るなんて…。


『確かサーシャとジーフェス、結婚してふた月以上は経ってるよね。それでまだセックスした事ないの?』


“そんな、そんな事、まだふた月しか経っていないんですもの。私達の間では早過ぎるわ!”


そうよ、ジーフェス様だって以前仰有っていたし…、


『…俺とサーシャ殿は、お互いにお互いの事をほとんど知らない状態でしょう。そんな中でいきなり好きだの夫婦関係をしろだの、そんなのは無理があります。』


『今からゆっくりと時間をかけてお互いにつきあって、お互いの事を知り合って、お互いに気持ちを確かめていきませんか?』


…そうよ、お互いの気持ちを確かめて、それからでも遅くは無いわよ。

遅くは、無い、…けど…、


…とくん…、


“でも、でも私はジーフェス様のことを…、”


『私はジーフェス様、貴方様が好きです。

たとえどんな過去であろうとも、どんな事があろうとも私は、貴方様が好きです。』


…そしてジーフェス様も、


『好きです。俺はサーシャ、貴女のことが好きです。』


“あの時、ジーフェス様も私もお互いにお互いの気持ちを確かめあった。”


サーシャはあの時の、ジーフェスの過去を知った時の一連の出来事を思い出していた。

そしてふと唇に指を押し当てた。


…とくん…、


“あの時、初めてジーフェス様と口付けを交わした…。”


…とくんとくん…、


“あれから挨拶に頬に口付ける事はあっても、それ以上の事は何も無かった。

でも、それでも良かった。私は…、”


…とくんとくん…、


…そう、それ以上の事、なんて…。

でもどうして、どうして今はそれが寂しいの。それが、虚しいの…。


サーシャの小さな胸の中は今までにない寂しさと、そして微かな痛みと苦しみと『ある欲望』が渦巻く、小さな嵐のようにざわついていたのだった。

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