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第7章Ⅷ:それが意味するもの

「姉様お帰りなさい!」


予想以上に時間がかかってしまって待ちきれなかったのか、サーシャは屋敷の外で姉メリンダの帰りを待っていた。


「ただいまサーシャ。」


メリンダは馬車から降りると直ぐに愛しい妹のところまで駆け寄り、優しく抱きしめた。


「余りに遅かったから心配していたのですよ。…姉様これは?」


ふとサーシャはメリンダが持ってきた荷物に気付いた。


「ああ、これね。アルザス殿から預かったものよ。」


自分専用のお茶葉と、香水は懐に別に隠してある。


彼女は持っていた箱等をサーシャに渡しながら言った。


「頼まれていた紅茶葉と、サーシャにってお菓子のお礼が入ってるらしいわ。」


「良かった。丁度お茶葉が無くなりかけていたから助かったわ。」


メリンダの言葉を聞いてサーシャはにっこり笑って答えた。


「先程ジーフェス様もお帰りになったし、そろそろ夕食の準備も出来る頃だわ。姉様、屋敷に戻りましょう。」


「ええ。」


無邪気な微笑みを浮かべて、サーシャはメリンダを屋敷内に誘った。



      *



メリンダとサーシャ、そしてジーフェスの三人は夕食をとりながら、お互いに他愛の無い話をしていた。


「…で、その時に…。」


「そうなんですか…。」


「……。」


ジーフェスとサーシャの会話にちょっとついてゆけないメリンダは、黙ったままフォークとナイフを動かして、メインの肉を食していた。


「そういえば姉様、アルザス義兄様のお屋敷の庭園、とても素晴らしかったでしょう?」


いきなりサーシャから話をふられたメリンダは、思わず食べかけの肉を喉に詰まらせそうになった。


「な、なによいきなり…。」


メリンダは慌てて傍にあった水を飲みながら答えた。


「姉様も気に入ったでしょう?私もあの場所がお気に入りでよくお庭だけ見に行ってるのよ。」


「ええ、確かに立派な庭園だったわね。」


メリンダはそう呟くと、ふとテーブルの上に置かれた小さな花のブーケに目をやった。

それはアルザスがサーシャへとお菓子のお礼にと送った、ラティアの花のブーケであった。


“あの彼がこんなものまで作るとは、ね…。”


ラティアの小さくて純白で可愛らしいその花の姿は、正に今のサーシャそのものを表しているようだった。


メリンダはちらりとジーフェスと楽しそうに話をしているサーシャの横顔を眺め、幸せに満ちた微笑みを浮かべた。


“何よりも純粋で、穢れの無いその瞳、誰に対しても優しさと慈愛に満ちた態度で接してくれる、私の愛しい妹…。”


そしてふっとその表情を曇らせた。


“…私とは、全く違っていて…、”



      *



夕食を終えたメリンダは暫くサーシャと話をした後、湯あみの為に独り浴室へとやって来た。

そして花の良い匂いのする湯船にその裸体を浸し、湯を楽しんだ。

ひとしきり湯を堪能すると、やがて湯からあがり、その立派な裸体を鏡に写した。


…豊かな肉付き、豊満な胸の膨らみとくびれた腰つき、形の良い尻に、白く滑らかな肌。


愛と性の女神エロウナを思わせるような、世の女性の誰もが羨むような自分自身の身体が、メリンダは大嫌いであった。

自分自身を公平に見てくれない、この身体を何度恨んで嫌ったことか。

だけど、そう思いながらも女として、天より与えられたこの豊かな身体を利用し、自慢したいという、相反した複雑な思いも彼女の中にはあったのだった。


「……。」


メリンダは無言のままで豊かな濡れた銀の髪と身体を布で拭きとると、就寝用の薄手の絹のドレスを身に纏った。


そして部屋に戻ると、鏡台の前に座り、櫛を使って髪を整え化粧水で肌の手入れをはじめた。


「……。」


鏡台に写る自らの姿を見ながら、メリンダは昼間の事を思い出していた。


…あの人は私を、初めて本当の私を見てくれた。見てくれて、私を評価してくれた…。


ふとメリンダはあの、例の香水の瓶に手を伸ばし、手にしたのだった。


“どうして、どうしてなの?アルザス殿、何故貴方はこれを私に渡したの…?”


嬉しいようなくすぐったいような、だが悔しいように忌々しいような、何とも言えない気持ちのまま、メリンダは香水の瓶の蓋を開けたのだった…。



      *



「もうお帰りなんて寂しいわ…。」


翌日の朝、早々に朝食を済ませたメリンダは、屋敷の玄関先でサーシャとジーフェスに見送られていた。


「ごめんなさいねサーシャ。アクリウム国で大事な会議があるから、もう帰らないと。

あらあら、サーシャったら泣かないのよ。また時間が取れたらここに来るから。」


「絶対よ、姉様…。」


今にも泣きそうな瞳をして寂しそうな表情を浮かべるサーシャを、メリンダはそっと抱きしめた。


「…あら姉様、香水変えたのかしら?」


ふと、メリンダの腕の中にいたサーシャが何かに気付いたように呟いた。


彼女の一言にメリンダはどきっ、となって慌てて抱き締めていた腕をほどいて、サーシャの顔を見つめた。


「え、ええ…。解るのサーシャ。もしかして、私には似合わない、とか?」


「ううん、凄く良い香り。」


サーシャは首を横に振り、メリンダに向けてにっこりと微笑みながら続けた。


「今までの香水は姉様の、芯の強いところだけを強調した、ともすれば傲慢っぽい感じのだったけど、

今の香水は、姉様の強さだけでなくて優しさも表れているような、本当に、姉様の為にあつらえた香水みたいで、とっても似合ってるわ。」


「そうですね。今までのものとは違って、奥に秘めた優しさを感じさせる香りですね。」


と彼女の傍にいたジーフェスも同調する様な発言をしたのだった。


「……。」


二人の言葉に、メリンダはただただ驚き、言葉が無かった。


「昨日帰りが遅かったのは、この香水を選んでいたからなのかしら?」


「あ、え、ええ、そうよ…。」


メリンダはそう言って言葉を濁した。


“まさかこの香水をアルザス殿から貰ったとはちょっと言えないわね…。”


「これは少しだけど、お土産。持っていって。」


サーシャはジーフェスが持っていた幾つかの箱を受け取ると、メリンダに手渡した。


「ありがとう。遠慮なく頂くわ。」


話題が変わったことに少しほっとして、メリンダは箱を受け取った。


「ああ、もう行かないといけないわね…。」


メリンダは名残惜しげに呟くと、傍に控えていた馬車に乗り込んでいった。


「姉様。」


サーシャとジーフェスの二人は彼女の乗った馬車の近くまで寄ってきた。


「サーシャ…、ジーフェス殿、貴方のほうも時間があればサーシャを連れて是非一度、アクリウム国に来て下さいね。皆で歓迎するわ。」


「お誘いありがとうございます。是非とも検討してみます。」


ジーフェスはにっこり笑ってそう答えた。


「サーシャ、ジーフェス殿から何か酷い事されたら遠慮無く言いなさいね。きちんと私が対処してあげるから。」


「……ええ。」


メリンダの釘を刺すようなその言葉に、サーシャとジーフェスは二人して顔を見合わせ苦笑いをしてしまった。


「メリンダ様、出発いたします。」


ふと、馬車の前に居た馭者の声がした。


「姉様、お元気で!」


「サーシャも元気でね。」


鞭と馬の嘶きの声がして、メリンダを乗せた馬車はゆっくりと屋敷を後にした。


「姉様!元気での姉様!」


「サーシャ、サーシャもねー!」


暫くの間、メリンダとサーシャはお互い離れていく様子を見つめ手を振っていたが、やがて馬車は角を曲がってその姿を消してしまった。


「…姉様、行ってしまいましたね。」


「そうだね。」


しん…、と静かになった屋敷の玄関先でしょんぼりと落ち込んでいるサーシャに、傍にいたジーフェスはぽんぽん、と慰めるように優しく彼女の肩を叩いた。


「ねえ、ジーフェス様。」


ふとサーシャが呟いた。


「ん?」


「私も、…香水(バルファム)をつけてみようかしら。そしたら、姉様みたいに少しは大人っぽく、…なるかしら。」


サーシャの一言に、ジーフェスは暫くちょっと唖然としていたが、やがてくすっと笑って答えた。


「サーシャは香水というより、まだまだポプリのほうが似合いそうだけどね。」


その一言に、サーシャは完全に子供扱いされてしまった事に気付いて思いきり自尊心を傷付けられ、ぷぅ、と膨れっ面になってしまった。


「もう!またジーフェス様ったら子供扱いしてっ!」


ぷんぷん怒るサーシャの姿を見て、あははとジーフェスは笑いながらもサーシャの身体をそっと抱きしめた。


「似合う時が来たら、いつか俺がサーシャにとびきりの香水をプレゼントしてあげるよ。」


そして、ふとぽつりと話しだした。


「知ってるかいサーシャ、ここフェルティ国には、香水(バルファム)に関する古い言い伝えが有るんだよ。」


「え、それって何ですか?」


意味深な言葉に、サーシャは興味深げに尋ね返した。


「それはね、女性が男性に贈る香水というのは、『私の全ては貴方のものです、私を貴方だけのものにして下さい。』という意味を持っていて、

男性が女性に贈る香水は、『お前の全ては自分のものだ、他の男に奪われるなど決して許さないぞ。』という思いを表すものなんだよ。」


そう言って、ジーフェスはサーシャを見つめた。


彼の言わん事を理解したサーシャは、それこそ真っ赤になって、恥ずかしくて彼から視線を反らした。


「…まあ、これは余りに古い言い伝えだから、今はそこまで考えないで、お互い異性の間でも気軽にプレゼントしあってはいるけど、ね。」


そう言って、ジーフェスはサーシャを抱き締めていた腕を緩めた。


「さてと、俺も仕事に行ってくるかな。」


うーん、と背伸びをしながらジーフェスは目を細めて、輝く朝日を見つめた。



      *



…アクリウム国に向かう帰りの馬車の中、そんな香水(バルファム)の言われを全く知らないメリンダは、朝日に照らされ、きらきらと輝くその小瓶を手に、満足げに嬉しそうに微笑んでいたのだった…。

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