第7章Ⅶ:香水(バルファム)
「くだらないって…、」
アルザスの嘲りにも取れるその呟きに、メリンダは自分の発言を卑下されたと感じ、少し苛立ちの籠った声で反論してきた。
「くだらない事だからくだらないと言っている。」
メリンダの反論にも、あくまで冷ややかで落ち着いた様子で話しをしていく。
「貴女は私の行動に反した外見を羨望している様だが、その者の外見だけでその者自体を判断する行動がくだらないと私は言っているのだ。」
「…な!?」
そこまで言って、アルザスはお茶を一口飲むと更に続けた。
「たとえ年齢が上であろうが下であろうが、男であろうが女であろうが、太っていようが見た目醜悪であろうが、内に実力のある者はあるものなのだ。
それを外見や地位、年齢や性別で覆い隠し、見向きもしない事など、愚の骨頂に過ぎない。」
「……、」
「それは、宰相という地位の貴女が、未だ年若く、しかも女性である貴女自身が、その身で嫌という程解っている事ではありませんか?」
「!?」
アルザスにずばり指摘され、メリンダは黙りこんでしまった。
“…そう、そうよ、彼の言う通りだわ。
周りの皆は、他国の宰相や大臣はおろか、自国の大臣でさえ、私の宰相としての実力を認めてくれない…。”
『まだ二十歳にもならないメリンダ様が宰相とは…、まあ、王家の血筋ということで他国に対して強く出る事は出来るがな。』
『全くだ、アクリウムの王族という事以外に交渉の手立てなど無さそうだしな。』
『何人かの助平な親父大臣や宰相なんかは、あの若くて魅惑的な身体を使えば簡単に堕とせるかもな。』
『身体でか、それは良い。というか、端からそれを目的に女王陛下はかの御方を宰相に任命されたのかもな。』
“…誰もかれもが解ってくれない。私がどれだけ血の滲むような努力をして勉学に励み、前宰相の補佐について学んでいったのか…。
陛下、ジェスタ女王陛下でさえ『神託』故に私を宰相に任命されたと仰り、サーシャも素晴らしいと褒め称えてくれるけど、私のこの仕事の内容などは全く知ってはいない。
そうよ、そう…、誰もかれもが私の実力を見ていないし解ってもいない…!”
メリンダは悔しさの余りアルザスへの反論の言葉も無く、ただただ唇を噛み締めぎゅっと拳を握る事しか出来なかった。
「……。」
そんな彼女の様子を黙って見ていたアルザスは、手にしていたカップをテーブルに置いた。
「…貴女はその年齢にしては相当な努力をし、その努力に見合った、いやそれ以上の実力を持っておられる。少なくとも、そこいらに転がっている親の七光りのぼんくら官僚や私欲剥き出しの強欲大臣よりは遥かに優れていると私は思うがな。」
「…!」
彼のその一言に、メリンダは驚愕を隠せなかった。
“何故、何故そんな言葉を言うの!よりによって、何故貴方がそんな言葉を言うのよ…!?”
メリンダは自分の実力を認めてくれるその言葉を、何よりも自身が一番欲しかったその言葉を、よりによって宿敵とも呼ぶべき目の前の男が、いともさらりと言ってのけた事に酷く動揺してしまっていた。
「…あ、ありがとう。い、一応、誉め言葉として受け取っておきますわ…。」
…どきんどきん…、
胸の鼓動が抑えられずに、動揺を隠すかのようにアルザスから視線を反らしながら、メリンダは目の前のカップに口をつけ、紅茶を飲むのであった。
「……。」
アルザスのほうもこれ以上何も話す事なく、暫くの間二人の間に沈黙が続いたのであった。
*
「お茶ありがとう。とても美味しかったわ。そろそろ失礼するわね。」
「そうか…、また貴女はジーフェスの屋敷へと行かれるのか?」
「ええ、それが何か?」
その言葉に、ソファーから立ち上がろうとしたメリンダは動きを止めた。
「ならば、あれに持っていって欲しい物があるが、頼まれてくれるか?」
「良いわよ。何かしら?」
「今から準備してくる。少し待っていてくれ。」
それだけ告げると、アルザスは彼女の返事も待たずにソファーから立ち上がり、部屋を出ていってしまった。
「……。」
独り部屋に残されたメリンダは暫く呆然としていたが、やがてふう、と一息ついて辺りを見回した。
“本当に今日はいろいろあったわね…、”
窓から見える見事な庭園を眺めてふとそう思うのだった。
“彼の意外な趣味?といい行動といい、本当に驚くべき事だらけだったわ…。”
「……。」
『…貴女はその年齢にしては相当な努力をし、その努力に見合った、いやそれ以上の実力を持っておられる。』
…アルザス殿…、何で…、
“あ、あれは当然の事よ。彼が私の本当の実力を解っているというだけよ!
ただ、それだけの事よ…。”
メリンダははっとなって、邪念を払うように、独り慌てて頭を振った。
「何よ、私ったら何を考えているのよ!」
独りで空想した事に、自身でかなり動揺してしまい思わず声をあげた彼女を、いつの間に戻ってきたのか、アルザスが無表情で見つめていた。
「…!?」
「…何をしているのだ?」
嘲りにもとれるアルザスの一言に、だが自身の醜態を見られ反論出来ないメリンダは真っ赤になりながらも彼から視線を反らした。
「べ、別に…、」
「……。」
彼女の反応に、彼もそれ以上は何も言わずにソファーに座ると、持ってきた荷物をテーブルの上に置いた。
「この箱はサーシャ殿に、菓子の礼の品が入っている。こちらの缶はジーフェスから頼まれた紅茶が入っている。
そしてこちらはそなたに、先程の紅茶が入っている。」
そこまで言って、アルザスはひとつの箱と小さな缶、そして更に小さめで綺麗な花柄の入った缶をメリンダに渡した。
「くれぐれもこのお茶は味の解らんジーフェス達に飲ませるなよ。…あれには低級品で充分だ。」
以前その紅茶を飲ませた時に、ろくに称賛されなかった事を根に持っているのか、少し表情を歪めながらそう忠告をしてきた。
「解ったわ。貴重なお茶をありがとう。」
そんな彼の様子が可笑しくて、少し笑みを浮かべながらメリンダは差し出された品々を受け取った。
「……。」
暫く黙ったままメリンダを見ていたアルザスだったが、やがて懐から何かを取り出してテーブルの上に置いた。
「……。」
それは小さな硝子、いや、様々な色のクリスタルの欠片を組み合わせ、真鍮の骨組みで固め、要所にはとても細やかで綺麗な細工の施された、小さな小瓶であった。
「…これは、もしかして…、」
その大きさと見た目から、その品が何かを推測出来たメリンダだったが、敢えて尋ねてみた。
「香水だ。」
彼の返事に、ああ、と納得した彼女であったが、
「香水、一体誰の…、」
メリンダが不思議そうに尋ねると、平然とアルザスは答えるのであった。
「そなたのだ。」
「…え?!」
「今の、そなたの使っている香水は非常に気に入らない。特にリュスカスの花の、傲慢なところだけが際立ったところがな。全くといっていいほどそなたに似合ってないぞ。」
彼からそこまでけちょんけちょんに言われてしまって、流石のメリンダもかちんときてしまった。
「失礼ね!わたしが使っている香水はアクリウム国でも随一の職人が作った、わたしもお気に入りの品なのよ。それを貴方ね…!」
彼女の抗議を無視するかのように、アルザスは尚も話を続ける。
「別に私は香水自体が悪いとは言ってない。ただそなたにはその香水は似合っていない、と言っているだけだ。」
そして、瓶に視線を向けた。
「これは、私がリュスカスを基本にして、そなたの持つ雰囲気に合うように調合して貰ったものだ。少なくとも今の香水よりはましだと思うがな…。」
「ふざけないで頂きたいわ。貴方に私の何が解ると言うのよ、そこまで私を馬鹿にしないで。」
メリンダが怒りの余り叫びたいのを何とか抑え、だが恐ろしく冷たい感情で言葉を放つと、アルザスは暫く黙ったまま彼女を見ていたが、やがてゆっくりソファーから立ち上がった。
「!?」
いきなりのその態度に、一瞬びくっ、となったメリンダであったが、尚も怯まず彼を睨みつけた。
「無理に持っていけとは言わぬ。要らないならそこに置いて帰れ。」
そう言って、アルザスは傍にあった呼び鈴を鳴らした。
すると程なく老メイドのカリメが部屋にやってきて一礼した。
「御呼びでしょうか、旦那様。」
「客人のお帰りだ。玄関まで案内してくれ。片付けも頼むぞ。」
「畏まりました。」
それだけ告げると、彼は先に部屋を出ていき、無言のまま屋敷の奥へ向かっていった。
「ちょっと…!?」
何か言おうとしたメリンダを完全に無視して、アルザスは屋敷の奥の部屋に入っていき、それきり出てこなかったのだった。
*
「……。」
メリンダがアルザスの屋敷を出た時は、空に微かに橙色の帯が現れ、夕方が近い時間になっていた。
「すっかり陽も陰ってきましたね。」
馭者のタフタははそう独り言を言い、馬車を走らせ屋敷へと帰りを急いでいた。
「……。」
メリンダは馭者の話を聞こえないふりをして、考え事をしていた。
“一体、あの人は何を考えているのかしら…。”
彼女はそう思いながら、アルザスから渡された荷物を見つめていた。
サーシャへのお礼の箱と紅茶、自分用の特製お茶葉の入った缶、
そして、…例の香水の小瓶。
…結局、メリンダは香水を持ってきていた。
“別に、使う訳ではないわよ。ただ容器がアンティーク調で綺麗だし、部屋に飾るのに似合いそうだし、
…そうよ、ただ、それだけの事よ。”
そしてちらっ、と手にしていた小瓶を見た。
『そなたの雰囲気に合うように調合してみた。』
『貴女は実力がある。』
昼間の彼の一言が、彼女の脳裏に浮かびあがる…。
“彼から見た、わたしの雰囲気って、何なのよ?”
ふとメリンダは気になってしまい、香水の小瓶の蓋を開けてみてしまった。
その途端、馬車内にふわり、と香水の香りが漂った。
基本は確かにリュスカスの、ややきつい感じの香りであったが、それとは別に、微かだが優しい感じの香りがあり、それがリュスカス特有のきつい香りを和らげ、優しさをも感じさせる何とも不思議な香りでもあった。
「この、香り…、まさかラティアの香り!?」
ラティア、
それは小さく可愛らしく、とても繊細で優しい香りがする白い花である。
その姿と香りから「白き乙女」や「純粋」「純潔」の別名を持つ花であり、昔から結婚式の新婦の象徴とされる花であった。
「この、わたしがラティアの雰囲気ですってっ!?ば、馬鹿げてるわっ!」
メリンダは慌てて、香水に蓋をしてしまいその小瓶を放り投げようとした。
「…。」
だが、寸前で止めてしまった。
“全く、本当にあの人は何を考えているのかしら…。”
何ともいえない複雑な気持ちを抱きながら、メリンダを乗せた馬車はジーフェスの屋敷へと向かっていったのだった。