第7章Ⅳ:想定外の訪問
何か、アルザスを中心とした話と言っておきながら、メリンダのほうが主体になっています…(笑)
看板に偽り有りですね、はい…。すみません。
翌日の朝、
ぱたぱたと誰かの小走りの音でふとメリンダは目を覚ました。
寝惚け眼で辺りを見回せば、窓から見える空はまだ夜明け直前で微かに地平線辺りが白むだけの明るさしか無い。
“…一体何事?”
傍らにあったガウンを羽織り、ベッドから降りて部屋から外に出ると、下の階で黒い軍服を纏ったジーフェスの姿と傍にはサーシャの姿を目にした。
「朝から見送りすまないね、今日の仕事はどうしても外せなかったんだ。帰りは夕方近くになるから、サーシャはメリンダ殿と好きなように過ごしてくれないか。ああ、必要ならタフタに言って何処か名所でも廻ってみても良いよ。」
「解っています。心配しなくても大丈夫ですよ、姉様にもちゃんと説明してますから。今日は姉様の希望を聞いて一緒に過ごしますわ。」
「ありがとう。じゃあ行ってくるよ。」
「行ってらっしゃいませ。」
そう言ってジーフェスはサーシャの頬に軽く口つけると手を振って玄関から出ていってしまった。
「……。」
そんな二人の姿を見て、メリンダは心の中が暖かくなるのを感じて思わず笑みが溢れた。
“サーシャったら、すっかりジーフェス殿の奥様しているわね…。
アクリウム国にいた時よりずっと行動的で明るくなって、本当生き生きしていて良かった。”
そしてふっと昔のことを思い出していた。
『姉様、姉様…。』
『どうしたのサーシャ?』
『あのね姉様、…さっき侍女達が言ってたの。私ってみそっかすで王家の恥だって…。』
『サーシャ…、』
『姉様、私って、私ってここに居てはいけない存在なのかな?』
『サーシャ、そんな事は無いわよ!貴女は周りが言うような恥の存在などでは無いわ!貴女は私にとってかけがえの無い、ただひとりの大切な妹なのよ。』
『姉様…。』
『サーシャ、貴女の存在が、貴女の笑顔は私を癒してくれているのよ。私を支えているのよ。
だから、恥とか居てはいけないとか、そんな悲しい事言わないで。』
『姉様…、ありがとう姉様。』
「…様、メリンダ姉様。」
昔の苦い思い出に浸っていたメリンダに、サーシャの呼び声が聞こえてきた。
二階のメリンダの姿に気付いたのか、いつの間にかサーシャが彼女の傍まで近寄ってきていて、少し心配そうな表情を見せていた。
「あ…、お、おはようサーシャ。」
「おはよう姉様。こんな朝早くからどうして、あ、もしかしたら私とジーフェス様が煩かったから目を覚ましたとか…、」
「違うわよ。丁度喉が渇いて目が覚めただけよ。」
そう言ってふふ、と軽く微笑む。
「それにしてもサーシャ、貴女本当にジーフェス殿の奥様しているわね。朝から仲の良いところ見せて貰ったわ、御馳走様。」
悪戯っぽく笑うメリンダを見てサーシャはかあっ、と恥ずかしさの余り頬を赤くした。
「や、やだ姉様っ!見ていらしたの!?」
そんなサーシャの様子が可笑しくてくすくすと笑い出すメリンダ。
「もうっ、からかわないで下さいよ!」
そんな二人の前に、ポーが姿を現した。
「おはようございますメリンダ様。昨夜はゆっくり出来ましたでしょうか?」
「おはようポーさん。ええ、とても気持ち良く眠れましたわ。」
しゃんと背筋を伸ばして礼をするポーの姿に、メリンダはにっこり笑みで返した。
「それは良うございました。朝食の準備が出来ておりますが、如何いたしましょうか?」
「ありがとう。未だ身支度が整ってないので少ししてから参ります。」
「かしこまりました。サーシャ様のほうは…、」
「私も姉様と一緒に食事しますわ。準備お願いしますね。」
「かしこまりました。メリンダ様のほうは身支度の御手伝いは必要でしょうか?」
「簡単に着替えるだけなので独りで大丈夫ですわ。じゃあサーシャ、また後でね。」
「じゃあまた後で。」
そう言うとメリンダは再び部屋へと戻って着替えを始めたのであった。
*
程無くして着替えを終えたメリンダはサーシャと二人ダイニングで朝食をとり、食後のお茶を楽しんでいた。
「姉様、今日は特に予定とかは無いのですけど、何処か行きたい場所とかは在りませんか?」
「行きたい場所、ねえ…、私は特に無いわよ。
それに今回はサーシャと一緒に過ごしたくてここに来たのだから、今日もこの屋敷で一緒にゆっくりさせてくれるかしら。」
「ええ、私も姉様と一緒にゆっくりお話したいから、姉様さえ良ければそうして。」
メリンダの言葉にサーシャは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そうだわ、最近私ハックさんから教えて貰ってお菓子作りに凝っているの。先日姉様に食べて貰いたくて沢山作ったから、良ければデザートに食べてくれる?」
「まあ、お菓子…、」
甘いものが大好きなメリンダはちょっと目を輝かせた。
「嬉しい、サーシャが作ったお菓子なんて楽しみね。是非お願いするわ。」
「じゃあ今から準備して持ってくるわ。待っててね。」
嬉しそうにそう言ってサーシャは椅子から立ち上がって台所へと入っていった。
“ふふ…、サーシャったら本当に楽しそう。
お菓子ね、サーシャが作るのって何なのかしら?
クッキー、マドレーヌ、それともシュークリーム…。”
わくわくしながらメリンダが待っていると、台所から何やらワゴンを押しながらサーシャとハックがやってきた。
…え?!
その光景にメリンダは表情を微かに歪めた。
「お待たせ姉様。」
にっこり笑ってサーシャがワゴンから降ろしたお菓子は…、
クッキー、マドレーヌ、フロランタン、ダックワーズ、マカロンにカップケーキにパウンドケーキにシュークリームに…、
止めは巨大な生クリームのホールケーキ。
テーブルの上一杯にこれでもかっ!という位、それはそれは大量のお菓子が並べられたのだった。
「………………。」
お菓子好きのメリンダでさえ、余りの大量さに嬉しさというよりは、暫し唖然として菓子の山を見つめてしまっていた。
「…これは、一体どういう事なのかしら。」
メリンダは嬉しさというより、半ばひきつった笑顔で目の前の大量のお菓子を見て言った。
「だって、久しぶりに姉様が来てくれたから、是非とも沢山食べて貰いたくて張り切って作ったのよ。」
そんなメリンダの様子に気付いてかいないのか、ほんわかとそう話すサーシャ。
「姉様、甘いお菓子が好きだったでしょ。お土産の分もと思って沢山作ったの。」
その台詞を聞いて、はああっ、とメリンダは深々と溜め息をついた。
「サーシャ、気持ちは嬉しいけど、私こんなに食べれないわよ。」
「だったら是非お土産に…、」
だがサーシャの言葉を無視して尚もメリンダは続ける。
「それにここフェルティ国からアクリウム国までは行き来に最低二日はかかるのよ。氷(=冬)の時期ならともかく、炎(=夏)になろうとするこの時期は、クリームとかが溶けて駄目になってしまうわよ。」
メリンダに指摘されて、サーシャはうっ、と言葉に詰まってしまった。
「まあまあ、そう言わずに、取り敢えずお茶にしませんかメリンダ殿。」
突然二人のやりとりを聞いていた人物、サーシャの夫であるジーフェスが宥めるように言った。
「…ジーフェス、そう言う貴方もこのお菓子の山、当然、頂くのですよね?」
メリンダの強烈な視線と台詞に、ジーフェスは思わずびくっと怯えて、思わずたじたじになって彼女から逃げるように後退りした。
「いや、俺はちょっと…。」
「ジーフェス様は甘いお菓子が苦手なのです。だからほとんど食べてくれないのですよ。」
しょんぼりした様に呟いたサーシャの様子に、メリンダは大切な妹にこんな表情をさせたジーフェスに少し腹が立ってきてぎっと睨み付けた。
“四姉妹の末っ子で、泣き虫で甘えん坊だったサーシャ。巫女としての能力も無いし、容姿も決して良いものとはいえないけど、優しい、愛おしい私のたったひとりの可愛い妹…。それなのに…、”
尚もきつい視線で睨み付けているものだから、流石のジーフェスも固まったままになってしまっている。
“解ってはいるのよ。ジーフェス殿が本当は優しくて良い人だって事は。サーシャを好きになって大切にしてくれて、サーシャも彼に好意を抱いてきる事も。
少なくともあのアルザスよりは遥かにまともであるとは、解っているけど…、”
「あ、あの…、メリンダ殿。」
メリンダの強烈な、嫉妬の視線で睨まれてジーフェスは正に蛇に睨まれた蛙のような様子であった。
「ジーフェス殿。」
「はい…。」
「サーシャを泣かせたら、問答無用で黒水を送りつけてやるから、覚悟しなさいよ。」
メリンダのその言葉に、ジーフェスはすうっと顔を真っ青にさせてぽつりと呟いた。
「それは、どうかご勘弁を…。」
ジーフェスがここまで恐れるのも無理はない。
『黒水』とはメリンダとサーシャの祖国、水の国アクリウムに代々伝わる暗殺集団の名前だからだ。
そして現在はその指導権は目の前にいるメリンダが握っていて、彼女の護衛を中心に『闇』の仕事を行っている。
地の国アーシェンの『死地』、ここ陽の国フェルティの『闇陽』、そして、水の国アクリウムの『黒水』、
この三つが世界に名だたる三大暗殺集団と呼ばれていた。
特に『黒水』はその正確さと残虐さから、最も恐れられている暗殺集団なのだ。
“目には見えないけど、メリンダ殿の傍にも『黒水』の首領が控えているんだろうな…。
噂では「彼女」は『闇陽』の首領のシロフより遥かに凄腕の暗殺者とも言われているとか…、”
そんな事を考え、ジーフェスは思わずぶるっ、と身体を震わせた。
「まあまあ、二人とも落ち着いて、お菓子でも食べましょうよ。」
その場の雰囲気を変えようと、サーシャがにっこり笑って二人にお菓子とかをすすめてきた。
「あれ、そういえば何故ジーフェス様がここにいらっしゃるのですか?確か自衛団のお仕事に行ってたはずでは…。」
今更ながら、思いだしたようにサーシャがそう問いかけた。
「ああ、ちょっと忘れ物したからこの屋敷に取りに来ただけだよ。そしたらここに二人が居たから見に来たんだよ。」
場の雰囲気を変えようと、ちょっと必死な様子で、ジーフェスはそう答えた。
「ああそろそろ戻らないと…。じゃあメリンダ殿もサーシャも、ごゆっくりどうぞ。」
そう言って、部屋を出ようとしたジーフェスだった、が、
「声がしたからもしかしたらと思ってましたが坊っちゃま、何故こちらに?」
いきなりジーフェス達の目の前にメイドのポーが現れた。
「ポー、ちょっと忘れ物をしたから取りに来ただけだよ。」
「丁度良かったです、先程坊っちゃま宛てに速伝が来ましたので。」
「速伝?」
鸚鵡返しにジーフェスが答える。
速伝とは、まあ手紙の速達のようなものである。
大抵は重要な事、急用な事が書かれている事が多い。
「はい。」
そう返事して、ポーは手にしていた手紙をジーフェスに渡した。
ジーフェスは黙ってそれを受け取り、開いて読み出した。
「……!」
手紙の内容を読んでいるうちに、彼はその表情をひきつらせ強ばらせていった。
「やば、忘れてた…。」
強ばった表情のまま、ジーフェスはちらりとサーシャのほうを見た。
「ジーフェス様、何かあったのですか?」
彼の様子に、サーシャは不安そうに見返す。
「サーシャ、折角ゆっくりしているところすまないが今から直ぐに兄さんのところへ届け物をしてくれないか?」
「お義兄様のところへ?」
兄さんという言葉に、紅茶を飲んでいたメリンダがぴくりと反応した。
「ああ。アルザス兄さんのところに、今日の昼前までに届けないといけない荷物があったんだ。
今日は休みを取っていて屋敷のほうにいるみたいだから、そっちに届けに行ってくれるかな?」
「そうなんですか、良いですよ、行ってきますね。」
と、それまで黙って聞いていたメリンダが急に口だしをしてきた。
「ジーフェス殿、単に届け物するだけなら何もサーシャでなくても、使いの者でも良いのではなくて?」
彼女の言う事は最もな言い分である。が、
「仕事場の王宮ならそれでも構わないけど…、アルザス兄さんは屋敷に部外者が入るのを酷く嫌がるんだよね。仮にここの使用人が行っても、恐らく門前払い受けるだけなんだよ。」
苦々しく笑いながら、ジーフェスがやんわりと反論する。
「それならサーシャだって似たようなものじゃないの。ジーフェス殿の責任なのだから貴殿が仕事休んで今から行かれるのが当然でしょ。」
「そんな、俺も今の仕事はちょっと外せないし…。」
ジーフェスのその一言に、メリンダは怒りを露にして睨み付けた。
「ジーフェス、貴方可愛い妹を、あんな陰気で冷酷な男の所に連れていくなんて、そんな事したらこの私が絶対に許さないわよ。」
「………。」
先程までとは違うメリンダの静かな、だが恐ろしく冷酷な言葉にジーフェスは暫し言葉を失っていた。
弟の前で、実の兄の事をこうもけちょんけちょんに言うことの出来る人も、そうそうは居ないだろう。
まあ、事実彼女の言っていることも多少当たっているから、ジーフェスも反論出来ないのだが。
「大丈夫よ姉様、私もう何回かアルザス義兄様の屋敷に独りで行った事があるから…。」
「さ、サーシャ…!?」
サーシャの一言にジーフェスは表情を真っ青にさせてしまった。
サーシャとしては助け舟を出したつもりなのだろうが、その一言は却ってメリンダの怒りの炎に油を注ぐ結果となってしまった。
「…何ですって、サーシャ、貴女あの人の屋敷に、しかも何回も独りで行ったですって!?」
「ええ、届け物をしたり頂き物を取りに行ったりにね。」
姉の怒りの様子に全く動じてないのか何なのか、平然と話をしていく。
「サーシャ大丈夫だったの?貴女あの人から意地悪とか手出しされるとか、何もされなかった?」
「え、大抵お義兄様はお仕事で屋敷にいらっしゃらないから、只屋敷の使いの方に荷物を届けたり頂いたりして、時々屋敷でお茶とお菓子を頂いたりするだけですけど…、
どうしたの姉様、そんなに焦って?」
「……。」
サーシャの言葉にメリンダは暫し呆然とし、やがて安心したようにほっと安堵のため息を漏らした。
“そうよね、宰相ともあろう人なのだから仕事に忙しくて昼間屋敷に居る事なんて滅多に無いわよね。良かったわ。”
“ああ、良かった。メリンダ殿も少しは安心したみたいだな。”
ジーフェスのほうも彼女が落ち着いた様子になったのを見てほっとしたのだった。
が、
「あ、でも一度だけお義兄様と一緒にお茶した事があるわ。」
「!?」
「さ、サーシャっ!?」
いきなりの爆弾発言にジーフェスは再び真っ青になり、メリンダは表情を不快感に歪めた。
「一緒に、お茶した…?」
「ええ、たまたまお義兄様がお休みで屋敷にいらして、一緒にお茶をして、屋敷の中の庭園を一緒に散歩して、あの時は珍しい素敵なお花も頂いたのよ。」
「「…………。」」
余りに笑顔で嬉しそうに話すサーシャを見て、それぞれ違う意味で絶句してしまったジーフェスとメリンダ。
「…ジーフェス、貴方大事な妹に、貴方の奥方でもあるサーシャに一体何させているのよ!」
「あ、いや、その…。」
「貴方ね、あの人がどのように噂されているのか知っててあの人が居る時にサーシャを独りで屋敷に行かせたの!本当に信じられないわ!」
「いや、だからその時は俺も兄さんが居るとは知らなかった…、」
「え、姉様何なの噂って?」
メリンダの怒り責めにジーフェスはたじたじになり、サーシャは訳が解らないという風に首を傾げた。
「全く二人して危機感が無いのだから…、
解ったわ。私がその荷物を届けに行くわ。」
次の瞬間、メリンダはとんでもない事を口走っていた。
「……はい?!」
その言葉にジーフェスもサーシャもちょっと唖然。
「ジーフェス、何鳩が豆鉄砲食らったような顔してるのよ。サーシャが大丈夫なら私が届けても良いでしょう?」
「あ、いや…、その…。」
「何、私が届けに行くのに何か文句でもあるっていうの?」
メリンダに強烈に睨まれて、ジーフェスは思わず竦み上がってしまった。
「いえ、何も…。」
「じゃあ、そうと決まったらさっさと出発するわよ。
ジーフェス、急いでその届ける荷物持ってきなさい。
サーシャは馬車の準備して。」
「「は、はいっ!」」
メリンダの剣幕に、思わず二人とも思わずハモって答えてしまった。
それから程なくして出発の準備が整なうと、メリンダはタフタの牽く馬車に乗り込んだ。
「本当に良いのですか、姉様?」
サーシャが心配そうに、馬車に乗っているメリンダに話かける。
ジーフェスのほうは既に仕事に戻っていて屋敷から居なくなっていた。
『あああ…、また兄さんに怒られる〜、嫌み連発される〜。』
出発の際、すっかり落ち込んでしきりとそうぼやいていたが。
「大丈夫よサーシャ、貴女を独りであんな人のところにやるのは私が嫌だからよ、て、…これ何?」
メリンダはジーフェスが用意した荷物とは別に、馬車の中に大きな箱があるのを見つけ、そう尋ねた。
「ああ、それ?さっきのお茶菓子よ。姉様も沢山で食べきれないって仰ってたでしょ、良ければアルザス義兄様にお裾分けと思って。」
「……。」
“ジーフェスでさえ食べなかったのに、あの人が食べるとは思えないけど。”
そう思ったけど、サーシャの前で敢えて口にはしなかった。
「荷物を届けたら直ぐにまたここに戻ってくるわ。それからまた一緒に過ごしましょうね。」
「ええ、待ってるわ姉様。」
「じゃあ行ってきますね。」
「宜しくお願いしますねタフタさん。」
「はい。」
にこやかに笑って手を振るサーシャを後に、メリンダを乗せた馬車は目的地に向かって出発したのだった。