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第7章Ⅱ:緋(ひ)と蒼(そう)の対立

数人の副官や従者に囲まれフェルティ王宮内を静かに歩くひとりの女性がいた。

その女性の姿を見た者は、騎士や従者や官僚の男性はともかく、女性である侍女までもが彼女の持つ完璧な美しい姿に暫し見惚れてしまっている有り様であった。


「相変わらずこの王宮は人の出入りが多いのですのね。」


皆の注目の的になっている女性、メリンダはそんな皆の視線など全く気にせず、傍にいた案内役であるフェルティ国宰相補佐官のリーンに話し掛けてきた。

話し掛けられたリーンはちらりと彼女のほうを見て、少し照れたような表情を浮かべて答えた。


「はい、この王宮内には議事堂も併設されておりますから、王族に仕える騎士や従者達だけでなく大臣や官僚達の出入りもありますので、自然と人も多くなっております。」


その言葉にああ、と納得したように頷いた。


「そういえばこの国はルルゥーム国より反旗を興した王族とその家臣達が国の全ての礎を造られたのでしたわね。

その流れが現在にまで至っているというわけですね。」


「そうで御座います。」


“それ故に王族と官僚が近い存在になってしまったのね。

確固たる一枚岩としてこの国を治めてきた反面、その性質故に一部の王族と官僚の悪しき癒着など、様々な問題も起こっているのだけどね…、”


いつの間にか二人は目的地である大きな両開きの扉の前までやってきていた。

扉の前には護衛とおぼしき二人の騎士が立っていて、メリンダとリーンの姿を見るなり姿勢を正し、深々と一礼した。


「これはリーン宰相補佐官。御苦労様です。」


「うむ。そちらも。」


それから騎士達は扉を開けて二人を中へと案内した。

室内は素晴らしい装飾で飾られ、そこに置かれた長テーブルには真っ白なテーブルクロスが掛けられ、上には綺麗な花々に多くの蝋燭が煌めく豪華な燭台、銀のナイフやフォーク等が並べられて今から行われる晩餐の準備がされていた。


そしてテーブルの一角には無表情で彼女達が来るのを待っていたアルザスと彼に寄り添う秘書のラルゴの姿があった。


「宰相様、メリンダ様をお連れ致しました。」


「御苦労であった。」


アルザスは納得したように頷くと、そのままゆっくりとメリンダ達のほうへと近付いていった。


「ようこそフェルティ国へ。遠路遥々お越し頂きありがとうございます。」


優雅な仕草で一礼すると、メリンダはにっこりと微笑み返して親愛の様を示した。


「こちらこそ、このような素敵な歓迎、感謝致しますわ。」


そしてすっと手を伸ばすと、アルザスもタイミングを合わせて彼女の手を取り、紳士の挨拶を交わした。


二人のその優雅な仕草に、余りの美しさに周りに控えていた侍女や従者達はほう、とため息をついて見惚れてしまった程であった。


「……。」


だが、ラルゴやリーン、他アクリウム国の副官等、彼らを良く知る者達は、びくびくしながら二人の様子を見守っているのであった。



()のアルザスと(そう)のメリンダ』



彼等を知る者、特に政治・外交に関わる者ならば一度は聞いた事のあるその言葉、彼らの瞳の色から言われるその言葉は二人の政治的外交における対立を表している。


三年前、宰相に就任したアルザスは同時期に国王代理となったカドゥースと共に、国内の改革だけでなく外交へも積極的に取り組み、瞬く間にフェルティ国を内外国共に認められる国へとしたのである。


特にアルザスの果たした役割は素晴らしく、敏腕かつ巧みな話術、強引にも近い手腕でもって他の国との外交を押し進め、当時はその実力で彼の右にでる者は居ないとまで言われていた。


一年程前、アクリウム国で彼女が、メリンダが宰相に任命されるまでは。


彼女は18歳という異例の若さで宰相に就任するや否や、その持ちたる実力を遺憾無く発揮し、アルザス同様巧みな交渉術とアクリウム国という大国としての名を駆使して様々な国と取り引きを行い、祖国に多大な利益をもたらしてきたのだ。


その交渉にはアルザスが目を付け狙っていたものも少なく無く、彼にとっては正にメリンダに煮え湯を飲まされることもしばしばになっていった。

勿論、その逆も有り、メリンダのほうがアルザスに煮え湯を飲まされることもあった。


外交の世界での彼等のこういった争いが他国の注目の的になり、またある意味興味のひとつにもなっていった。

それは彼等が才能豊かというだけで無く、まだ歳若いという事、二人して見目麗しい事、その立場が非常に似ているという事、

…そして何よりも二人共にまつわる怪しい噂が二人の関係を一層引き立てていたのである。


その噂、それは『彼等が深く関わった異性は皆狂気の世界に堕ちるか死ぬ』というものであった。


その噂がもちあがったのには当然な理由があった。

数年前、二人ともまだ宰相となる前の事、アルザスに関しては数多くの女性と浮き名を流してきた言われ、

メリンダに関しては交渉相手国の宰相や大臣と夜の相手をしてきたという噂が絶えなかったのだ。

一部では二人の才能を妬んだ者達が流した悪意の噂とも言われているが、何より噂された女性や宰相や大臣等がことごとく不審な死を遂げたり失脚したりしている事から、あながち噂だけでは済まされぬ状況であった。


だが二人して宰相となってからはその様な事も無くなり、この噂も下火になりつつあったのだが、彼等の対立が表面化してからは再び例の噂が持ち上がり、一部の不届き者などはどちらが先に堕ちてしまうのかと話している程であった。



      *



「食事はお口に合いましたでしょうか?」


最後のデザートを持ってきながら、今回の料理の責任者とおぼしき中年の男が、食後の紅茶を楽しんでいたアルザス達に尋ねてきた。


「ん、実に良かったぞ。」


「とても美味しかったです。特に魚料理は絶品でしたわ。」


それぞれ言葉は違えど、賞賛にあたる言葉を受け取った料理長は安心したようにほっと一息ついて一礼した。


「有り難き御言葉。」


そしてデザートを各々の前に配り、簡単に説明を終えると再び一礼して部屋から退室していった。


「本当にこの国の紅茶は美味しいですこと。」


食事中はほとんど会話の無かった二人であったが、ここに来てぽつりと呟いたメリンダの一言に、アルザスはぴく、と微かに反応した。


「お褒め頂き、光栄の限りです。」


「アクリウム国にも最近になって紅茶はある程度出回るようになりましたが、まだまだ認知度は低いものですわ。」


「……。」


“いきなり何を話してきたかと思えば…、”


彼女の言わんとする事を察したアルザスは、ただ無言のまま相手の出方を待っていた。


「最近はアクリウム国のみならず、他国でも紅茶の需要は高まっているようですね。」


「そのようですな。」


「その中で、ほぼ独占的にこの国でのみ紅茶の取引がされている事は、実に勿体無いと思うのですけど…、」


“やはり、な…、”


「生憎、紅茶に関しましては我が国の重要な産物となっております。ですので安易な条件の下では現在の取引状況を変えるつもりは御座いません。」


アルザスの柔らかめの口調とは相反するはっきりとした拒絶に、メリンダは一瞬呆気にとられ、そしてふふ、と笑みを浮かべた。


「失言でしたわね。申し訳ありませんでした。

あわよくばそちらの国の紅茶を是非我が国でも取引をさせて頂こうという甘い考え…、通る道理は有りませんでしたわね。」


「……。」


メリンダの冗談めいた口調にも、アルザスは無表情で黙ったままである。


「気分を害されたのでしたら謝罪致しますわ。

この一件に関しましてはアクリウム国の宰相としての発言では無く、私個人の、食事の席での戯言とお思い下さいませ。」


「そういう事にしておきましょう。」


その言葉を聞いて安心したようににっこり微笑むと、メリンダはゆっくりと椅子から立ち上がった。

それに合わせるようにアルザスも椅子から立ち上がり、彼女を見返した。


「実に素晴らしい御食事でしたわ。ありがとう御座います。では私はここで失礼させて頂きますわ。」


「こちらこそ。実に楽しい食事でした。

そこの者、メリンダ殿達を各々の部屋に案内してくれ。」


「「御意。」」


アルザスの命に、待ち構えていた侍女達が短く返事をし、メリンダ等の傍らまで近寄った。


「メリンダ様、こちらへ。」


「他の方々もこちらへどうぞ。」


侍女の案内に従って、メリンダ達はゆっくりと扉の側に移動していった。


「では皆様、おやすみなさいませ。」


そう一言残し、彼女と付き添いでいた宰相副官や従者一同が部屋から出ていった。


「……。」


後に残されたアルザスや補佐官のリーン、そして秘書のラルゴは暫しその場に佇んでいた。


“…やれやれ、何とか穏便に晩餐も終わったか。”


リーンとラルゴがそう思い、ほっと一息つく中で、アルザスは二人を見て命じた。


「ラルゴ、私は一旦執務室に戻る。お前は帰りの馬車の用意をしてくれ。あとリーン、明日の調印の準備は整っているか?」


「御意。」


「既に手筈は整っております。」


うむ、と二人の反応に満足したように無言で頷くと、独り部屋から出ていき執務室へと向かっていった。



      *



「こちらの御部屋になります。」


メリンダを案内していた侍女が王宮内のとある一室の中に彼女を招いた。


部屋の中は広々として豪華な造りとなっていて、ソファーにローテーブル、ダブルサイズのベッド等、高級な材で造られた家具一式が揃っていた。


「奥の部屋には沐浴の準備が整っておりますが、御手伝い等必要でしょうか?」


侍女の言葉にメリンダはにこやかに微笑んで答えた。


「ひとりで大丈夫ですわ。貴女はもう下がってくれるかしら。」


「畏まりました。ではごゆっくりどうぞ。」


そう告げると侍女はメリンダに一礼して部屋から出ていった。


「……。」


独りになったメリンダはふう、と疲れたようにため息をつき、近くのソファーに腰をおろした。


『あーあ、取引失敗してしまいましたねメリンダ様。』


突然部屋の中に響き渡る声。その声色や口調から、声の主は少女のもののようだ。

だが突然の声にも、メリンダは驚く事無く少し表情をひきつらせて天井を向いて呟いた。


「煩いですわよ。」


『全くあの男、見た目はこの上無い美丈夫なのに、愛想無くって取り付く隙が無いですわよね。やっぱりあの時に()ってしまえば良かったのにー。』


アルザスに対しての余りの言い種に、流石のメリンダもすうっと表情を曇らせた。


「一国の宰相たる御方に対して滅多な事は言わないのよネメシス、貴女私を怒らせたいのかしら?」


『……。』


「このような口ぶりを続けるのでしたら、あの時のように、また貴女に厳重な罰を与えることになるわよ。」


メリンダの静かな、だが怒りに満ちたその声に、音も無くひとりの女性が彼女の目の前に現れた。

その女性は、白い肌の肩までの栗色の髪をした小柄の、見た目10代半ばの実に愛らしいほんの少女であった。

だがその栗色の瞳は冷たい光を帯び、ぴったりとした黒の服が覆う身体は豊かな胸に括れた腰付きといった、その顔立ちとは不釣り合いな豊満な身体つきをしていた。


「失礼致しましたメリンダ様。」


少女、ネメシスはメリンダの前で膝をつき一礼をして今までの非礼を詫びた。


「ネメシス、貴女の気持ちは解りますが私欲の為の殺しは『黒水』ならず暗殺の掟に反する事。更にお前は『黒水』の長としての立場にいる身。そんなお前がこのような状態では困りますよ。」


「…はい。」


メリンダの冷たい怒りの言葉に、ネメシスはしゅんとなった様子でただただ主に頭を下げるだけだった。


「今後は口のききかたにもっと注意しなさい。もういいわ、お下がりなさい。」


メリンダの一言に、ネメシスは再び一礼すると音も無く姿を消した。


「……。」


再び独りとなったメリンダはふう、と疲れたように溜め息をついた。


“ネメシスが言ったからではないけど本当にあの男、こちらが下手に出ているというのにあの態度…。忌々しいったらありゃしないわ!やはりあの時に情けをかけずに少し傷めつけておけば良かったかしらね。”


そこまで思って思わずはっとなってしまい、ふふ、と自嘲気味に笑ってしまった。


“私ったらこんな事を考えるなんて、あの()の事だけを責められないわね。

…しかしネメシスのあのような暴言、若さ故とはいえ見過ごせないわよね。

暗殺者としての実力はあのシロフより遥かに上なのだけど、如何せんまだまだ礼儀が成って無いわね。

それさえ身に付ければネメシスも暗殺集団『黒水』の長として完璧なのに…。”


はあ、とため息をつき、少し不安げな表情をしながらメリンダはソファーから立ち上がり、奥の部屋にある浴室へと向かうのであった…。



      *



一方、執務室に戻ったアルザスのほうもまた自分の椅子に座り、疲れたように吐息をついた。


「……。」


“全くあの女狐め、よりによってフェルティ国の紅茶の取引権を狙うとは、大胆で傲慢極まりないな。”


先程の会話を思い出して、彼は表情を怒りに歪めて、忌々しいように舌打ちをした。


かつて戦乱の世は嗜好品である紅茶の需要は低かったのだが、国同士の争いが収まって数百年、各国が豊かになるにつれ嗜好品の紅茶に注目が集まり、高位の者達のステータス的な存在となってからは飛躍的に需要が伸び、現在はフェルティ国の主要な取引作物のひとつとなっていたのだ。


“そんな貴重な紅茶を、そう易々と他国になど渡すものか。”


『…アルザス様。』


そんな中、突然部屋から彼の名を呼ぶ男の声がした。


「その声、…シロフか?」


『はい。』


突然の姿無き声にもアルザスは全く驚く事無くそのままの姿勢で目に見えぬ者に呼び掛けた。


すると何処からともなく、彼の目の前にひとりの若い男が姿を表した。

浅黒の肌に漆黒の瞳、一部長い髪をひとつに纏め無駄な贅肉などついていない綺麗でしなやかな身体、その身体にぴったりと纏う黒の服装。それは正に影となって動く者の姿そのものであった。


「何事か?」


「お休み中に失礼致します。先の依頼の件、無事終了致しましたので報告にあがりました。」


アルザスに対して片膝をついて深々と頭を下げたまま男、シロフは主に一言そう報告した。


「そうか、意外と早かったな、御苦労である。」


男の言葉に、アルザスは少し満足したような表情を浮かべ、労いの言葉をかけた。


「有り難き御言葉…!?」


そう一言告げると、シロフは何故か厳しい顔付きをして部屋の隅に鋭い視線を向けた。


「?」


「鼠が一匹…。」


ぽつりと呟くと、シロフは電光石火で懐から投擲用のナイフを取り出し、壁に向けて投げ付けようとした。が、何故か寸前でそれを止めた。


「!?」


“いない!?確かに先程までは気配がしたのに…、”


「逃げられたのか?」


「はい、…申し訳御座いません。」


ナイフを懐にしまい、再び片膝をつき一礼して詫びるシロフにアルザスは淡々と告げる。


「お前のせいでは無い。相手のほうがお前より一枚上手なだけだ。」


その一言に、シロフはびくっとなって俯いたまま拳を握り締め、悔しそうにきりり、と唇を噛んだ。


“気配から察するに恐らくあれは…、あの女、我が主に対して舐めた真似をして!”


そして左腕の、微かに残る刀傷に爪をたてた。


「どうせあの女の護衛が遊び半分にここに来ただけで害を成すことは無かろう。深追いはするな、放っておけ。」


「!…御意。」


“流石アルザス様、曲者の正体を見極めておられたか。”


俯いたまま、シロフは一瞬で曲者の正体を暴いた目の前にいる己の主に微かな畏怖を感じているのであった。


「我らが『闇陽』、主たるアルザス様に永遠の忠誠を誓う者なり…、」



      *



「やばいやばい。完璧に隠れていたつもりだったのに、まさかシロフに見つかるとはねー。」


執務室から王宮の外れ、人気の無い小さな東屋まで逃げてきたその女、ネメシスはひょいと肩をすくめて独り呟いた。


“でもまあ、たとえ見つかったとしても、シロフが私に勝てっこなど無いけどね。”


そして何かを思い出したかのように少し表情を歪めた。


“ああ、あの時は本当に惜しかったわ。メリンダ様に止められさえしなければ、確実にシロフを殺せたのに、

主とそっくりで本当に運の良い、全くもって目障りな男…。”


きりきりと悔しそうに拳を握り締め、そんな事を考えながらネメシスはゆっくりと夜の闇の中に消えていったのだった…。

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