第1章Ⅲ:屋敷の人達と自衛団
「というわけで、その…、俺に、嫁さんが来ることになった。」
その日の午後、ジーフェスは屋敷の使用人全てを集めて、結婚の事の全てを説明した。
「………。」
「………。」
余りの突拍子の無い話に、皆が黙ったままだった。
「まあ、経緯はともかくとして、先ずはおめでとうございます。」
最初に口を開いたのは、長年この屋敷でジーフェスに仕えてきた老メイドのポーであった。
「ポー。」
「そうだよな、旦那様に嫁さんが来るんだもんな、めでたい事だよな。」
そう続けたのは、ちょっと小肥りの中年男の料理人、ハックだった。
「だな、おめでとうございます旦那様。」
「おめでとうございます。」
使用人の皆が口々に、ジーフェスに祝辞を述べてくれる。
「ありがとう皆。」
ジーフェスはちょっと胸があつくなってきた。
「アクリウム国の方なら、きっと真っ白な肌の綺麗な女性ですよ、きっと。」
と、小間使いの少女エレーヌ。
「あー、以前俺もアクリウム国に仕事に行った時、沢山別嬪さんがいたなー。」
こちらは馭者のタフタ。
「それでその、花嫁様は、いつ頃こちらに来られるのですか?」
ポーの問いに、ジーフェスは苦笑いで答える。
「今のところは解らない。後々王宮から伝達が来るだろうから、気をつけておいてくれ。」
「了解いたしました。」
「あと、…この事は暫く他の人には黙っておいてくれないか。」
ジーフェスの言葉に、皆が不思議がった。
「何故?」
「一応、この結婚が確定するまでなるべく内密にしておきたいんだよ。万が一、ってこともあるからね。」
「てか旦那様、単に恥ずかしいだけなんでしょ。」
とエレーヌ。
「これ!失礼な!」
慌ててたしなめるポー。
「確かにそれもあるかな。」
ははは、と笑って誤魔化したジーフェスだった。
*
黙っておけよ、と確かに念押ししていた筈、なのに……。
「団長さん、今度結婚するんですって、おめでとうございます♪」
「よっ!団長、結婚おめでとうさん。」
「アクリウム国からお嫁さんが来るんですって。おめでとう。」
何故か翌日から、ジーフェスが街を歩く度に皆から声を掛けられ、祝辞を言われる。
「…誰だ、喋ったのは?」
屋敷でまたもや使用人を呼び出しての尋問。
「わたくしはラーシアさんにしか喋ってませんわ。」
「あたしはカーマだけよ。」
「俺はナムサだけ。」
「儂はイールだけじゃよ。」
「……………。」
皆の発言に、ジーフェスは頭を抱えてしまったが後の祭り。
不幸中の幸いなのは、花嫁がアクリウム国の第四王女ではなく、単にアクリウム国の女性としか噂されてないことであった。
「全く、お喋り共が。」
数日後、仕事場の自衛団の庁舎ではあ、とため息をつくジーフェス。
「おや、団長。マリッジブルーですかい?」
ふと、ジーフェスに声を掛ける中年の男がいた。
「ああ、サンドル副団長でしたか。てかマリッジブルーって?」
その人物は、自衛団前団長で、今は副団長を務めているサンドルであった。
彼は、ジーフェスをこの自衛団に勧誘した張本人でもある。
「何だ知らんのか?そうだな、結婚は嬉しいけど、環境が変わるからちょっと不安になる、ていった症状のようなもんだ。」
「ふーん。初めて聞きましたよ。」
「まあな、どちらかと言えば、女性のほうになりやすい症状だがな。」
「………。」
そう言われて、ジーフェスは考えてみた。
“そうだよな。この結婚で一番大変なのは花嫁のほうだよな。いきなり見知らぬ土地の、見知らぬ男のところに嫁ぐんだからな。”
今まで、自分のことしか考えてなかったジーフェスは、ちょっと相手のことを考えるようになった。
“相手の女性、…サーシャだったかな、もしかしたら、この政略結婚が嫌で涙してるかもしれない。もしかしたら、国に想い人がいるかもしれない。”
そう考えると、ジーフェスはちょっと胸が痛んだ。
“俺にはそんな、将来を約束した女性とかは居なかったし、この国を離れる必要も無いから、まだ良いほうだな。”
…だけど、ジーフェスの心は晴れない。
“もし、他の男を愛する女性を、俺は好きになれるだろうか。それ以前に、夫婦でいられるだろうか。”
複雑な気持ちのまま、ジーフェスはその日を過ごした。
*
「ただいま。」
ジーフェスが屋敷に戻ったのは、夕方近くであった。
「お帰りなさい坊っちゃまっ!」
いつものように、ジーフェスを出迎えてくれたポーだが、何だか様子がおかしい。
「直ぐにこちらに来てくださいっ!」
と、いきなりジーフェスの手を握って、屋敷の奥へと連れていった。
「ち、ちょっと…。」
慌てふためくジーフェスが連れてこられたのは、客間だった。
客間の来客用のソファーには、二人の男、…先日、ジーフェスを王宮に迎えに来たあの二人組、が座って待っていた。
目の前のテーブルには、客用のお茶と、ひとつの書状とひとつの大きめの袋が置いてある。
「ジーフェス様。」
ジーフェスの姿を確認すると、屈強な男達は立ち上がって一礼した。
「私達は王宮の使いで参りました。カドゥース殿下から、こちらをジーフェス様にお届けするようにと。」
そういって、男のひとりがテーブルの上を指差した。
「カドゥース殿下からの伝達と、アクリウム国からの持参金の一部です。」
「!」
よく見ると、書状と袋にはフェルティ国王家専用の紋章で厳重に封がされていた。
「ジーフェス様、確かにお渡しいたしました。では、これで失礼いたします。」
男達は一礼すると、そのまま黙って屋敷を出ていった。
「………。」
暫くジーフェスもポーも黙ったままであったが、客間の外で成り行きを見守っていた他の使用人達が恐る恐る近付いてきた。
「旦那様。」
馭者のタフタが声をかける。
「取り敢えず、書状をお読みになられては如何ですか?」
とポー。
「そ、そうだな。」
ジーフェスも気を取り戻し、封を切って書状を開き読み始める。
『ジーフェスへ
先程連絡したように、アクリウム国のサーシャ王女との婚礼は正式に成立した。ついて、先日送られてきた持参金の一部をそちらに送るので、必要な物資を揃えておくように。』
そこまで読んで、改めて持参された袋を見た。
『あと輿入れだが、花の月の30日になる予定である。その日の前後は必ず空けておくように。』
「………。」
黙ったままのジーフェスに、不安そうに使用人達が様子を伺う。
「何と?」
ポーが思わず聞いてきた。
「あ、いや、花嫁が花の月の末日に来るから、それまでにこの持参金で必要な物を調達しとくように、って。」
とジーフェス。
「花の月の末日ですかー。」
「丁度今からひと月後ですねー。」
使用人達は口々に話し出す。
「しかし、持参金って。」
馭者のタフタだけは、袋の中身が気になるらしく、ずっと視線を袋に向けてる。
「これだけの大きさなら、一体どれだけのお金が入っているんだろう。」
「これっ!」
ポーがたしなめるように呟く。
確かに、かなり大きな袋である。
ジーフェスは思い切って袋の封を切り、中身を見てみた。
「!!」
中には、予想通りぎっしりと金貨が詰まっていた。
「これ、全部ランド金貨だ!」
しかも、只の金貨では無く、万国共通で使える特殊なランド金貨だった。
万国共通で使えるランド金貨は、その利用性から普通の金貨の倍以上の価値がある。
「すげー量の金貨!」
「眩しいくらいですねー。」
「これだけあれば、この程度の屋敷ならまるまる買えますよー。」
使用人達は、本当に他人事の様に呑気に勝手な事ばかり言っている。
そんな様子に頭を抱えながらも、ジーフェスはふと呟いた。
「準備って、一体何をしたら良いんだ?」
「そりゃあ、花嫁さん用のものでしょう。家具とか、服とか、女性物が色々必要でしょう。」
とハック。
「そっかー。」
と納得するジーフェス達。
「じゃあ、ダブルベッドも必要ですよね♪きゃー、えっちぃー♪」
エレーヌが、一体何を想像してるのかきゃーきゃーとはしゃぎながら言った。
「これエレーヌ!何というはしたないことを!」
ポーがたしなめるように叫んだ。が、当の本人はへへっ、と舌を出して、全く反省してる様子は無い。
「…………。」
エレーヌの言葉にジーフェスは少し赤くなっていた。
“そうだよな。結婚するんだから、そういう事もあるんだよな。”
頭の中は、ちょっと良からぬ事を想像してしまっていた。
が、直ぐに気を取り戻し、ぶんぶんと頭を振った。
「と、とにかく、この金貨で花嫁の為の準備を頼んだ。ポー、金貨はお前に預けておくから、忙しいだろうがお前が中心になって準備を頼むぞ。」
「は、はい、了解致しました。」
ちょっと驚くように返事したポー。
「使い込みするなよー。」
とタフタ。
「貴方とは違いますからご心配無く。」
ポーはタフタの嫌みにも平然と答える。
「とにかく腹へった。夕食にしてくれ。」
ジーフェスの一言で、皆がはっとなった。
「は、はい、今からお持ちしますね。」
*
それからの準備は早かった。
早速、翌日の早朝からは、ジーフェスの部屋の隣、…普段ほとんど使わない、来客用の宿泊部屋、を、ポーとエレーヌが掃除していた。
「ふああ…、朝から何しているんだ?誰か客でも来るのか?」
早朝からの騒がしさに早く起きて、寝惚け眼のジーフェスが問いかける。
「ここを花嫁様のお部屋にするんですよ。それで、取り敢えず掃除してます。追々家具類とかを揃えていくつもりです。」
「すっごく素敵で可愛いお部屋にしますねー♪色はピンクにしたいなー♪」
エレーヌがにこにこ答える。
「貴女に任せたら下品なまっピンクになりそうだから却下します。」
「えーー!ポーさんの意地悪ー!」
やれやれ。
何やら話し込んでしまった二人を置いて、朝食に向かうジーフェス。
ダイニングには、既に朝食の準備がしてあったのでジーフェスは独り、躊躇わずそれを食した。
と、ふと見ると、ダイニングの端のほうでハックとタフタが何やら話し込んでいた。
「何しているんだ?」
食事中だったが、奇妙な組み合わせにジーフェスが席を立ってつい尋ねに行った。
「あー、旦那様。おはようございます。」
「おはようございます旦那様。いえ、ポーから部屋にある家具の運び出しを頼まれたんですけど、何せ二人とも力仕事には疎遠でしょう。どうしたものかと考えていたんですよ。」
「です。」
二人の言うことに、ジーフェスもあー、と少し納得。
「そうだなー。」
*
「だったら、俺達が手伝いに行きますよ♪」
そう答えたのは、自衛団の若手二人だった。
まあ、若手と言っても、ジーフェスと同じか少し歳上のほうだが。
取り敢えず屋敷の悩み?は放り投げて、仕事へと行ったジーフェス。
そこでついつい自分の結婚話が話題になって話してみたところ、こういう話の運びとなってしまった。
てか、仕事してるのか自衛団よ。
「まあ、今は暇だから、行って来ても良いぞ。」
そう言ったのは、副団長。そして慌てたのはジーフェス本人。
「ちょ?!…今から見廻りがあるのに!」
「大丈夫大丈夫、儂ひとりで充分だよ。」
「しかし…。」
「おやおや、団長は儂の腕を侮ってませんか?仮にも前団長も務めた位ですぞ。そこらの若い者にはまだまだ負けませんぞ。」
にかっと笑う副団長に、ジーフェスははあ、と笑いながらため息をついた。
「負けましたよ。じゃあ、お前達は屋敷で手伝いをお願いする。」
「はいっ!」
「副団長、では見回りよろしく頼みます。」
「はい。」
それぞれ返事をすると、それぞれお互いの目的地に向けて出発していった。
ひとり、自衛団の庁舎に残ったジーフェスははあ、とため息をついた。
「何事も起こりませんように。」
*
取り敢えず、何事も無く昼食の時間になった。
独りジーフェスは自衛団の庁舎でお昼をつつきながら、皆の帰りを待っていた。
「只今戻りました団長。」
にこやかに戻ってきたのは、副団長。手にはしっかりお弁当を握っていた。
「ああ、お帰りなさい。何もありませんでしたか?。」
「何も無いですよ団長。平和そのものです。」
にっこり笑いながら、副団長はジーフェスと向かい合うように座って持ってきたお弁当を広げた。
「奥さんからのですか?」
包みに入ってるお弁当を見て、ジーフェスが尋ねた。
「そうだぞ。節約弁当だがな。」
ははは、と笑う副団長。
それでも弁当は大きめのパンに肉と野菜ががっつりサンドしてある、なかなか豪快なものであった。
「なかなか上手そうじゃないですか。」
「まあな、ところで、あいつらはまだ戻って来ないのか?」
副団長の問いに、ジーフェスはため息で答えた。
「そうなんですよー。全く、ちゃんと仕事してるのかどうか…。」
「では、お昼終わったら見て来たらどうですか?」
「…………。」
*
昼食を終えたジーフェスがちょっと自分の屋敷に戻ってみると、
「……何だ……。」
目の前の余りの光景に、ジーフェスは言葉を無くしてしまった。
屋敷の廻りの小さな庭には、所狭しとあらゆる家具類が並べられ、お手伝いに向かった若手団員をはじめ、タフタやハックまでもがせっせと動き回っている。
「一体、何でこんなに荷物が…。」
唖然とするジーフェス、
「あれ〜、旦那様、随分とお早いお帰りですね〜。」
と呑気に話しかける人物がいた。
「エレーヌ、一体何があってるんだ。」
ジーフェスは自分に話し掛けた、箒を持って何となしにしか掃除していないエレーヌに聞いてみた。
「あ〜、あのですね〜、ポーさんの提案で、いっそのこと屋敷を大改造しようってことになってですね〜、取り敢えず家具を外に出したのですよ〜。」
呑気に話すエレーヌとは対照的に、若手団員達は少し疲れきった様子だ。
「あ、団長ぅ〜。手伝って下さい〜。まさかここまでやらされるとは思ってませんでしたよ〜。」
二人とも半ば涙声だ。
「………。」
手伝わない訳にはいかなくなったジーフェスは、はあ、と頭を抱えてしまった。
“几帳面なポーに任せたのが失敗だったな…。”
*
その後、更に数人の団員のお手伝いも加わって、その日の夕方になってやっっと何とか家具類も屋敷内に納まり、整理も一段落ついてきた。
「すまなかったな、皆。」
本当に、本当にすまなそうにジーフェスは手伝ってくれた団員の皆に謝った。
「いいですよ〜。結構楽しかったし。」
「そうですよ。困った時はお互い様です。」
団員は皆、にこにこしながらそう答えた。
「お礼というわけじゃ無いが、夕食はがっつり肉をご馳走するから、食べていってくれ。」
庭の端のほうで、夕食の、立派なバーベキューの準備が揃ってあり、いち早く肉体労働から抜け出していたタフタとハックが既に肉を焼き始めていた。
「おおっ♪」
肉の焼ける匂いに、団員の皆が嬉しそうに唸る。
「お酒も沢山ありますからねー♪」
「おおっ♪♪」
お酒をつぎ分けるエレーヌのお誘いに、団員は皆舌なめずりをした。
「有難う御座います団長っ!」
と言うが早いか、皆一斉に肉と酒に向かっていった。
「…………。」
半ば狂喜乱舞しながら焼肉と酒に食らいつく団員達を見て、ジーフェスははあ、と安堵のような疲れたような溜め息をついた。
暫くの間、団員達の、呑めや歌えの、半ば宴会に近い状態が続き、お開きになったのは夜もすっかり更けた頃だった。
団員は口々にお礼を言って帰宅していったが、若手団員ふたりは酔い潰れてしまい、結局客室のベッドに運ばれていった。
「さてと、俺も寝るかな。」
疲れたせいもあって、早く休もうと、湯浴みもしないまま、奥の自分の部屋に向かっていった。
「…は?!」
だが、部屋の扉を開けた途端、ジーフェスは目を丸くした。
何と、そこには今まであった筈のベッドやソファーやテーブルや机などが一切無く、本当に空の部屋になっていた。
「お、おいっ!、俺の部屋の家具が…!、一体どうなってるんだ!。」
ジーフェスは慌てて食事の後片付けをしていたポーに問いただした。
「ああ、まだ坊っちゃまには申し上げてませんでしたね。よくよく考えた結論として、今までの坊っちゃまの部屋を花嫁さんのお部屋にして、坊っちゃまの部屋はその隣に移したのですよ。」
「はあ?!」
「安全面で言っても、その方が良いですからね。」
「そ、そうか。」
何とも納得がいかないまま、疲れていたので取り敢えずそのまま言われた通り、隣の新しい部屋に向かっていった。
そして、部屋の扉を開けた。
「!?」
確かに、今まで自分の部屋にあったソファーやテーブル、机や椅子や洋服タンスとかがきちんとあった。
そう、あるひとつの家具以外は。
「お、俺のベッドはどこだっ!!」
そう、ただひとつ、ジーフェスのベッドだけは在るべき場所に無かった。
「あー、ベッドは新しく注文したので古いのは処分しましたよぉ。」
たまたま通り掛かったエレーヌが呑気に答えた。
「し、処分って。」
「心配しないで下さい旦那様、明日には新しいベッドが来る予定ですからぁー。
きゃー、ダブルベッドよー、えっちぃー!」
「いや、今日俺が寝る場所は…。」
ジーフェスの話など全く、本当に全く聞かないで良からぬ想像をしながらきゃーきゃー騒ぐエレーヌ。
「……。」
最早、ジーフェスには言い返す気力すら無く、その日はソファーに寝るはめとなったのであった…。