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第6章Ⅶ:一通の手紙

あれから時間が経ち、すっかり日も暮れて夜の帳が辺りを覆う時分、


「…ん、」


いつの間にかベッドで眠っていたサーシャはふと目を覚ました。


「私、いつの間に…、」


“確か、ジーフェス様とライザさんの仲が良い所を見てしまって、それで独りで怒って泣いて、意地を張ってここで籠城していたんだっけ…。”


「……。」


あの時、二人とも必死で弁解するような言い方をしていた、


『誤解よ!お願いだから話を聞いて!』


“もしかしたら、本当は何か訳があったの?別の理由で二人はああいう事をしていたの?”


ふっとそんな考えが頭の中をよぎり、そしてはっ、となった。


“駄目!騙されては!あの二人は私のことをからかっているのよ!

そうよ!ここで負けたら駄目よサーシャ!”


そう変に息巻いて起き上がろうとしたその時、


『ぐー』


という音。


「……。」


それが自分のお腹の音だと判ると、サーシャはかあっと独り恥ずかしくて頬を赤くした。


“そういえばお昼も食べてなかったわね。お腹空いたし、何より不浄に行きたいわ。”


ちょっと恥ずかしい事を思いつつ、立ち上がってそっと鍵を開けて扉を少しだけ開いてみた。


「……。」


周りには誰もいないらしく、しん、と静けさが広がっていた。


“誰も居ないみたいね。今のうち…、”


サーシャは用心深く辺りをきょろきょろ見回し、誰も居ないのを確認すると、そっと部屋を抜け出し、こっそりと不浄に向かっていった。



陰からひとりの人物が見ていたのに気付かないまま…。



「ふう。」


不浄から出てきて、再び部屋の前まで戻ってきたサーシャ。


“さて今からどうしようかしら…、”


そしてくるくると鳴るお腹に手を添えた。


“ポーさんに言ったら軽食くらいは貰えるでしょうけど、そうなったら嫌でもジーフェス様やライザさんに会うことになるわよね。”


「……。」


昼間よりは落ち着きを取り戻したとはいえ、流石にまだあの二人と話をしたり、会う気は全く無かった。

というか、また会ってしまえば、先程のように感情的に叫んだり言い合いをしそうな気がしていた。


“お水はあった筈だから、今日はそれで我慢しましょう。

まだ、もう少し、独りになって落ち着きましょう。”


今日は誰にも会わないようにしようという結論に達し、部屋の中に入って目にした光景に驚いた。


「え!?」


ローテーブルの上には、先程までは無かった筈のサンドイッチやスコーン、サラダ等の美味しそうな軽食と温かな湯気が立ち上る紅茶の入ったポットとカップ、そしてミルクが置かれていたのだ。


「いつの間に!」


驚きつつも、とても嬉しい贈り物にサーシャはつい笑顔がこぼれてしまい、テーブルに向かっていった。


「…?」


と、食事が置かれていた脇のほうに一枚の手紙と、少し分厚い封筒があるのに気が付いた。


手紙を手に取ったサーシャは、そこに書いてあった文章を目で追いはじめた。



『サーシャ様。


お昼から食事をされていらっしゃらなかったので、勝手ではありますが準備をさせて頂きました。まだ必要でしたら、台所に私が居りますのでいつでもお声を掛けて下さい。


ポー』


「ポーさん…、」


綺麗な文字で書かれたポーの優しい手紙に、サーシャは胸が熱くなった。


『サーシャ様ー、サーシャ様が居なくて私、ちょっと寂しいですよー。

あと旦那様もライザさんもかなり落ち込んでいますよー。

食事が終わったら、出来るだけ早く仲直りしてあげて下さいねー。


エレーヌ』


「エレーヌさんったら…、」


続いてちょっと幼い、可愛らしい感じの文字で書かれていたエレーヌの一言に、サーシャはくすっ、と笑みがこぼれた。


『サーシャ様、早く元気になって下さいな。折角美味しい魚を仕入れたから、新鮮なうちにご馳走したいです。


ハック』


「ハックさん…、」


『サーシャ様、美味しいものを食べて飲んで、嫌な事は早く忘れて下さい。


タフタ』


「タフタさん…、」


屋敷の皆の慰めと励ましの一言に、胸が温かくなってきていた。


“皆さん、本当に私のことを心配してくださっているのね。”


その心遣いが嬉しくて、サーシャは久しぶりに温かく優しい笑みをこぼした。


「……。」


そしてふと、厚手の封筒に目をやった。


“もしかして、これは、”


何となく予想がついてしまい、サーシャはすっと表情から笑みを消して、だが恐る恐るそれを手に取った。

そしてゆっくりと封を開いた。


封筒の中には予想通り何枚かの手紙が入っていた。


それを丁寧に取り出し、そして暫く手にしたままじっ、と手の中の手紙を見つめていたが、やがてゆっくり開いていった。



『サーシャへ


この手紙を手にして、そして開いてくれてありがとう。』



「……!?」


…やはり、この手紙はライザさんが!?



『本当はサーシャの前で、私自身の言葉でお話をしたかったのですが、それだとお互いに感情的になりそうで、そうなってしまうと真実が上手く伝わらないと思い、敢えてこうやって文章にしました。』



「!?」


“感情的に、ですって!

そういう事をしたのはもとはライザさんとジーフェス様のほうじゃないの!”


サーシャは今までのことを思い返し、先程までの優しく温かな気持ちが急速に冷め、醜いどろどろとした気持ちになっていった。


「誰が、ライザさんの手紙なんて読むものですか!」


怒りの余りに、ぐしゃっ、と手紙を握り潰し、叩き付けるように床に放り投げて目の前にあったサンドイッチを掴んで頬張った。


「……。」


…美味しい。


それが自分の大好きな木苺のジャムサンドだったのもあって甘酸っぱさが口の中に広がっていき、サーシャの荒れた心が少しだけ落ち着いてきた。


“絶対、絶対に手紙なんて読まないわよ!”


それでも怒りは収まらず、彼女は食欲が赴くままに無我夢中で食事をするのであった。



      *



「……。」


お腹も一杯になって、満足そうにソファーで座って寛いでいる風のサーシャだった。が、


“あれからジーフェス様もライザさんも来ないわね。”


二人の様子がつい気になってしまい、ふと扉のほうを見てしまう。


それからはっ、となって頭をぶんぶんと振った。


「何期待してるのよ!あの二人が来ても、絶対気を許したりなんてしないわ!」


独り自分に渇を入れるように呟くと、ベッドにどたりと身体を横たえた。


しん…、とした静けさが辺りを包み、自分以外、近くに人の気配を全く感じない。


“夜も更けてきたし、今日は二人とももうお休みになっているのかもね。”


「……。」


それでもやはり、何か期待するかのように扉を見つめてしまう。


…何をしてるのかしら、もう私も寝ましょう。


そう思い、サーシャは寝服に着替え、部屋の灯りをひとつだけ残して全て消して、ベッドに潜り込んだ。


「……。」


だが、先程眠っていた為なのかどうなのか、全くといっていいほど眠くならない。


“全く眠れないわ。どうしましょう。”


頭の心の中が複雑な気持ちのまま、暫くの間サーシャはベッドの中で落ち着かない様子でいたが、やがて起き上がって本棚へと向かっていった。


眠れない夜を読書で過ごそうと本棚から一冊の本を取り出した時、ふと視線が床に落ちていたあの手紙に向いてしまった。


「……。」


“ライザさん、どんな事を書いているのかしら?”


そしてはっとなった。


「もう!私ったら何してるのよ!」


手紙なんて読まないって決めたじゃない!


だが、そう思えば思うほど、サーシャの心の中であの手紙のことが気になってしまい、放っておけなくなってきていた。



『サーシャは本当に優しくて温かくて、居るだけで側にいる人を慰めてくれるわ。』



…ライザさん。


偶然とはいえ、姉のメリンダと同じことを言ってくれた彼女のことを、どうしても本気で嫌いにはなれなかった。


「……。」


暫くの間、じっとその場で立ち尽くし床に落ちていた手紙を見ていたが、やがて意を決したようにその手紙を拾いあげ、ソファーに座ると丁寧に皺を伸ばしながら再び広げていった。



『サーシャ、貴女は昼間に見た光景から、ジーフェスと私が男と女の関係かと思っているみたいだけど、それは全くの誤解です。』


「……。」


先程から何度も聞いてきたその言葉を文字で目にして、一瞬怒りの為に手紙を破り捨てようとなったが、何とかそれを思い止まり、続きを読み始めた。


『結論から先に書きます。

あの時、ジーフェスは私を“患者”として“診ていた”だけなのです。

実はジーフェスは、彼は私よりも遥かに高い技術を持った、優れた医師なのです。』


「…ええっ!?」


患者?診ていた?

それに、それにジーフェス様が医師ですって!?

一体どういう事なの!?


突然のその言葉にサーシャは訳が解らなくなってしまい、暫し混乱してしまった。


“医師って、そんな事、ジーフェス様から一言も聞いていないわよ。

もしかしてライザさん、今までの事を誤魔化す為にこんな嘘を言っているの?!”


そう邪推しながらも、それでも何とか頭の中を落ち着かせて更に先を読んでいく。


『私はある事件がきっかけで子宮という、女性特有の部位に病を抱えてしまい、年に一度、ジーフェスから定期検診を受けているのです。

貴女が見たのは、丁度その診察の最中だったのです。』


「……。」


“そんな、ジーフェス様が医師で、ライザさんが女性特有の病ですって!?”


そんな、作り話みたいな事を信じるなんて…、


だが言われてみれば、確かに腑に落ちない点も幾つかあった。


“あの時、確かにライザさんは素足を広げてはいたけど、上半身はきちんと服を着ていたし、ジーフェス様も白い服をちゃんと着衣していた、

もし二人が男と女の関係ならば、『交わりの儀式』のようにお互いに裸になるだろうし、そうでなければ服に多少の乱れもあったでしょう。

だけど、あの時、特にジーフェス様は全くといっていい位、服を乱していなかった。”


白い服、


あの時は気が動転して気づきもしなかったけど、確かにあの服装は確かに医師の格好そのものであった。


“ライザさんの言う通り、本当はあの二人は只の医師と患者の関係だったの。”


少しずつ落ち着いた様子で、再び手紙に目を通していく。


『私がこの病を持ったのは今から4年半前の事。

あの時の私は愛する夫のエントと結婚したばかりで、幸せの最中、程無くしてあの人との赤ちゃんを授かった。

あの時は人生の中で一番幸せだった。本当に幸せだったわ。

でも、その幸せは長くは続かなかった。』


そして次の文章からは、躊躇っているのか、先程の文字と比べて微かに震えている様であった。


『…結婚から僅か半年後のあの日、今から丁度4年前の、大雨が降ったその日、

エントは、仕事帰りのあの人は馬車に轢かれようとした子供を助けようとして自分が馬車に轢かれてしまい、あっけなく死んでしまったの。』


「!?」


『私の医師の技術だけでは、あの人を助ける事が出来なかった。

私は、私は目の前であの人が死んでいくのを、止めることが出来なかった…。』


…この辺りは涙を溢しながら書いたのか、所々で濡れたのか文字が滲んでいた。


『愛する夫を喪ったショックからか、その直後、私はお腹の赤ちゃんを流産してしまったの。

夫だけでなく、あの人との子供まで喪った私は自暴自棄になってしまい、仕事はおろか、まともな生活すら出来なくなってしまって、半ば狂ったような人間になって、ただ日々を、生きているだけの日々を過ごしてきたわ。』


「……。」


『ある日、そんな私のお腹に突然激痛が走って、そして(しも)から大量の出血をしてその場に倒れてしまったの。

原因は、流産の時の不始末。

流産の後、私はろくに後処理もしないで荒れた生活をしていたから、子宮に残っていた胎盤が腐ってしまい、周りの健康な部位にまで腐敗が広がって壊死寸前の状態にまでなっていたの。』


「!?」


サーシャも女であるから女性特有の(しも)の出血は経験があるが、倒れる程の大量出血ときいてその様子を想像してしまい、ぞくりと身体を震わせた。


『そんな状態の私を助けたのがジーフェスだったわ。彼は倒れていた私に早急に手術を施してくれて、私は何とか九死に一生を得たの。

治療の結果、子宮も摘出を免れてある程度は元に戻り、今では妊娠も可能になって定期的に検診を受ければ良い位まで回復出来たの。

これも、全てジーフェスのおかげなのよ。』


「……。」


『ジーフェスは私の命の恩人なの。とても優しい人なの。

彼は、決して貴女の思いを裏切るような人ではないわ。

私のことは信じなくても良い。憎んでも、蔑んでも良い。

でもジーフェスは、彼のことは信じてあげて。お願い。

こんな事で貴女の彼への気持ちを、揺るがせないで欲しい。』


「……。」


『私は信じているわ。サーシャ、貴女が私のことを、この文章の内容を信じてくれる事を。

そして、ジーフェスへの想いを変えないでいてくれる事を。』


そこでライザからの手紙は終わっていた。


手紙を読み終えた後も、その余りの衝撃的な内容に、サーシャはまるで夢物語でも見た風な感じがして、現実味が全く感じられなかった。


“そんな、そんな出来事を信じてくれだなんて、そんな…。”


サーシャは手紙をローテーブルの上に置いて、身体をベッドに横たえた。


“あんな事、あんな、出来過ぎた悲劇のお話をして、私ならこの程度の話で簡単に誤魔化せるって思ったのかしら。”


「……。」


“でも、もし話が本当の事ならば、ライザさんはいくら私への誤解を解く為にとはいえ、どうして自身のこんな辛い過去を書けたのかしら?”



『私のことは信じなくても良い。憎んでも、蔑んでも良い。

でもジーフェスは、彼のことは信じてあげて。お願い。』



“ジーフェス様の為なのね。その為に、私に話をしてくれたのね…。”


その為になら、自らの辛い過去を話すことが出来る。


サーシャはライザのジーフェスに対する思いに嫉妬し、そして微かに胸を痛めた。


自分は、自分の辛い過去を曝してまで、そこまでしてまでジーフェス様を庇える?

ジーフェス様に尽くせる?


「……。」


…多分、今の私には出来ない。

それ程までに、ライザさんのジーフェス様に対する思いは、強いものなのね。


『私は信じているわ。』


“ライザさん…、

私、貴女には勝てない。

貴女は本当に、本当の意味で強くて優しい人なのね。それなのに、私は軽はずみに誤解して、貴女を傷付けてしまった。

ごめんなさい。本当にごめんなさい…。”


暫くの間、サーシャは懺悔のように、まるで今までライザやジーフェスに対して抱いていた、澱んだ醜い気持ちを全て洗い流すように、ただ涙を流し続けた。


“ライザさん、ジーフェス様、私、貴方達を信じて良いのよね。でも…、”


そしてサーシャは気付くのであった。


“でも、もしこの手紙が事実ならば…、”


彼女の胸の中に、新たにふと沸き上がる謎。

そしてそれを解く鍵となるのは、


「ジーフェス様、」


“どうしてジーフェス様は自らが医師である事を隠していらしたの?

どうしてライザさんよりも優れた技術を持っていながら、今は医師をしていらっしゃらないの?”


アクリウム国において、医師というのは非常に貴重な存在で、それ故に王族や巫女、神官や大臣・官僚に次ぐ程、高い地位のある職になっているのだ。


“フェルティ国において、医師がどの程度の立場なのかは解らないけど、

それでも医師というのは高い知識と技術がないと簡単にはなれないと聞いているわ。”


「……。」


“何故、今はその地位を蹴ってまで自衛団の団長を務めていらっしゃるの?

確かに自衛団の団長も大切な御仕事ではあるけど…、”


解ってはいるのだ。

ジーフェスとライザ、二人の関係の誤解を解くのに、この疑問を解決する必要は無いのだと。


でも、ライザの手紙の内容が本当の事だと思えば思う程にサーシャの胸の中に生まれた新たなる疑問。


…それを知りたい…。


「……。」


暫くの間サーシャは何か考え込んでいたが、やがてゆっくりと立ち上がり、手紙を持って部屋を出ていき、隣の部屋へと向かっていった。


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