第5章Ⅴ:表と裏
王家の食事会が翌日に迫ったその日、
サーシャは独り、部屋の中で先日ジーフェスに書いてもらったフェルティ国王家の家系図を見ていた。
「…。」
“やはりフェルティ国にも、アクリウム国と同様に王家内に歪んだ関係があったのね…。”
ジーフェス様の事といいアルザス義兄様の事といい、…何となく、私達姉妹と似ているわね…。
そうサーシャは思った。
『王家の血を引く者でありながら、何故力を持たぬ外れ者なのか?』
『成長しても巫女の力はおろか、容姿も人並みだし、突出した才能ひとつ無いとは…、本当にアクリウム王家の血を引く者なのか?』
「……。」
かつてアクリウム国で言われた事を思い出し、サーシャは胸を痛めた。
『あんな奴らの言うことなんか真に受けては駄目よサーシャ!
奴らは貴女に嫉妬しているだけよ。貴女は立派なアクリウム国の王家の一員なのだから、堂々としていれば良いのよ!』
メリンダ姉様…。
“私が落ち込んでいる時は、いつも姉様が慰めてくれた…。
姉様、お元気でいるかしら?”
『コンコン』
突然扉をノックする音が聞こえ、サーシャははっと我に帰った。
「…はい。」
「お休み中申し訳ありません、サーシャ様に王宮より御客様がお見えになっております。」
「私、にですか?」
ポーの声にサーシャは首を傾げた。
「はい、先日補正したドレスと、カドゥース殿下からサーシャ様への贈り物をお持ちしたとか…。」
「カドゥース殿下から?」
…殿下が一体私に何を?
「解りました。直ぐに参ります。」
サーシャは見ていた紙を机の上に置いて、ドレッサーに自分の姿を写して髪と身なりを整えると、部屋を出て、ポーと一緒に客間に向かった。
サーシャが客間に来ると、そこには宮中の遣いの印である緑の紋章をつけた、身なりの整った2人の若い男と1人の中年の女性、お針子のパードの姿があった。
「サーシャ様。」
サーシャの姿を確認すると、男達は椅子から立ち上がって一礼した。
「サーシャ様、ドレスが完成致しましたのでお持ち致しました。」
パードは脇に置いてた箱を抱えてそう言った。
「こちらはカドゥース殿下からサーシャ様への結婚の御祝いの品で御座います。是非中身の確認をお願い致します。」
男のひとりが持っていた、少し小さめの箱をサーシャに示してそう告げた。
「わざわざありがとうございます。ポーさん、よろしくお願い。」
「畏まりました。」
ポーはパードから大きな箱を受け取り、そしてサーシャは遣いの男から小さめの箱を受け取った。
ポーがサーシャを見て、サーシャが応えるように目配せすると、ゆっくりと大きな箱を開けた。
中から先日から採寸して仕立てた、紫の濃淡のついた見事なドレスが姿を表した。
「綺麗…、とても素敵に仕上がってますね。本当にありがとうございます。」
「畏れ多い御言葉。有り難き事に御座います。」
サーシャはパードが恭しく礼をするのを見届けると、今度は手にしていた小さな箱を開けた。
中には紺色のヴェルベットに覆われた宝飾箱が入っていた。
「これは…。」
サーシャがその外見から中身を想像し、箱の中の宝飾箱を取り出して蓋を開け中身を見て驚いた。
「まあ…、」
「…何て素敵なの…!」
中には予想していた通り、いや、それ以上に素晴らしいプラチナとホワイトサフィールで細工された、繊細だが素晴らしい造りのネックレスとイヤリングのセットが入っていた。
「素晴らしい品々、確かに受け取りました。本当にありがとうございます。是非とも明日の食事会で使わせて頂きますと御伝え下さいませ。」
「御意。用件も済みましたので、我々はこれで失礼致します。」
遣いの者達と、パードは恭しく一礼すると部屋から出ていき、屋敷を後にした。
*
夕刻、いつもより早い時間に屋敷に戻ってきたジーフェスにサーシャは早速頂いた宝飾を見せてみた。
「これは…、見事なものだな。」
「ですよね。」
宝飾に疎い彼でも、それが並々ならぬ逸品であることは容易に理解出来た。
「でも、こんな豪華な宝飾、本当に私に似合うのでしょうか…?」
ふと不安そうに尋ねてみた。
「そうだね、これは確かに素晴らしい品だけど、優しくて繊細で、サーシャ殿そのものに見えるけど。」
「…え?!」
「このネックレス自身がサーシャ殿そのものだよ。殿下もサーシャ殿の事をよく聞いた上で造らせたんだろうね。」
「……。」
「明日が楽しみだな。サーシャ殿がどこまで綺麗になるのか。」
くす、と微かに微笑んでそう話すジーフェスを見て、サーシャは頬が熱くなるのを感じていた。
「あ、あの…。」
「ちょっと部屋に戻って着替えてくる。」
ジーフェスが席を立った後も、サーシャは頬の熱と胸のどきどきが止まらなかった。
“ジーフェス様があんな事を言われるなんて。もし、あの宝石が似合わなかったらどうしましょう。”
何とも可愛らしい心配をするサーシャであった。
…一方、自分の部屋に戻ったジーフェスは、扉を閉めるなり頬が熱くなるのを感じて、思わず口元を手で覆ってしまった。
「…。」
…先日試着していたあのドレス姿にあのような宝石を身につけたサーシャ殿…、
そんな姿を頭の中で想像してしまい、ジーフェスは柄にも無くどきどきしてきた。
“普段の愛らしさとは違った、女性としての、魅力的な姿だったな…、そんな姿にあの宝石はさぞかし似合うだろうな…。”
『惚れ直しましたか?』
ハックの一言を思い出し、ジーフェスははっとなった。
“…俺は、多分、サーシャ殿が好き、なんだな、きっと…。”
そう認めると、何だか胸の中が穏やかで温かくなるのを感じた。
『…やっとお前にも運命の相手が現れたのかな?』
ふとジーフェスの脳裏に囁く男性の声。
「!?」
…エント、兄さん?!
それは懐かしくも、哀しい思い出の人物。
『俺はあいつを、…ライザを幸せに出来なかったが、お前は幸せになれよ。』
*
「……。」
部屋に戻ったサーシャは、部屋に掛けられている、例のドレスを見ていた。
…紫のドレス、
ポーさんは、紫はフェルティ王家の証色と仰っていたわね。
その色を使ったこのドレスは、正にフェルティ王家の証そのものになるのかしら…?
“私も、れっきとしたフェルティ王家の一員として認められるのかしら?
それも、明日の食事会次第なのかしら。”
そしてふう、と一息ついた。
“私はフェルティ国の王家の一員になろうとしている、けれど、私はアクリウム国の王女であり、そして…、”
サーシャの心の中は複雑な思いでいっぱいだった。
*
食事会当日。
「食事会は夕方からだから、午前中は仕事に行ってくるよ。」
「はい。」
ジーフェスがいつものように朝から自衛団の庁舎に向かおうと、そしてサーシャはジーフェスを見送りに玄関先まで来ていたその時、
『ちりりん』
と突然玄関からベルの音が聞こえてきた。
「?」
「何かしら?」
何だろうと思いながらもジーフェスが扉を開けると、そこには大きな鞄を抱えた中年の男が立っていた。
「おはようございます。朝早くからすみません。手紙を届けに来ました。」
配達人のその男は、ジーフェスの姿を見てぺこりと頭を下げてそう告げると、一通の手紙を渡した。
「あ、ありがとう。」
「じゃ、失礼いたします。」
手紙を渡すと男はそそくさとその場を立ち去っていった。
「誰からだ?」
ジーフェスが白い封筒のその手紙の裏を見て、びくっ、と身体を震わせた。
「どうされたのですか?」
その様子に心配になってサーシャが尋ねてきた。
「あ、いや、アルザス兄さんからの手紙だったからちょっとびっくりしたんだよ。」
「お義兄様から?」
「一体何なんだろう?」
首を傾げながら、ジーフェスは懐から取り出した短剣で器用に封を破り、中の手紙を取り出して広げてみた。
「…!」
読み始めて直ぐに表情を歪めてひきつらせていたが、徐々にまた普通の表情に戻っていった。
そして一通り読み終えると、再び手紙を封筒にしまって、それをサーシャに手渡した。
「サーシャ殿も読んでおいて下さい。」
「え?」
不思議がるサーシャにジーフェスは尚も続けた。
「屋敷の庭のことについて書かれてますので、サーシャ殿が読んでいたほうが良いかと思います。」
「でも…。」
「最終的にはサーシャ殿の好みの庭にするのが一番だと思うので、俺に構わずにサーシャ殿の好きなように決めて下さい。」
「…わかりました。」
確かに自分から言い出した事ではあったが、全てを一任されるのにちょっと戸惑いもあった。けど、それより初めて自分の手で一から庭を造るという嬉しさと期待のほうが勝ってサーシャはつい肯定の返事をしてしまった。
そんな様子の彼女を見たジーフェスは安心したように微笑んだ。
「では仕事に行ってくるよ。」
「いってらっしゃい。」
仕事に出るジーフェスを見送り、そしてサーシャはふと手にしていた手紙を見つめた。
…一体何が書かれているのかしら?
部屋に戻ってソファーに座ると、サーシャは先程の手紙を取り出して広げてみた。
「…!」
まず最初に目に飛び込んできたのは、先日無断で自分を屋敷に向かわせた事に対する痛烈な批判の内容の文章であった。
「……。」
ああ、これを読んでジーフェス様は表情を硬くされていたのね…、
先程の様子を思い出して、サーシャはくす、と不謹慎ながら笑いが出てしまった。
続いて読んでいくと、ジーフェスが言っていた通り、ここの庭についての事が書かれていた。
『…雨の月の5日目くらいに、ここの庭師をそっちの屋敷に向かわせるので、サーシャ殿とも打ち合わせが出来るように。』
『…大体の庭の設計はこちらの庭師が決めているので、後はそちらとの話し合いで修正し、造園等進めるように。』
「!?」
ついにここの庭を造りにあの人が来るのね…!
手紙の内容にぱあっと表情を明るくして、思わずぎゅっと手紙を胸に抱き締めたサーシャ。
「久しぶりにフェラク様の腕が見れるのね。ああ、フェラク様は一体どんな庭園を造られるのでしょう!」
嬉しそうに声をあげて、サーシャはまるで幼子が喜びを表すように立ち上がってくるくるとその場を回りはじめた。
*
一方、仕事に来ていたジーフェス。
「……。」
…近日中に兄さんの庭師が来るのか…、
先日の屋敷への訪問の様子を思い出して、ジーフェスは少し複雑な思いだった。
“もしかして、その庭師がアルテリアという人物なのか?だが、兄さんの屋敷では基本若い者は雇っていないと聞いているが…、”
「団長。」
と、いきなり声がした。
「な、何だフュリュ。」
目の前には団員のひとりの若い男が立っていた。
「すんません驚かして、団長にお客さんですよ。」
「客?」
「はい、あそこに…、」
不思議そうにジーフェスが聞き返すと、フュリュは庁舎の入り口付近を指差した。
「何だ、お前か。」
ジーフェスは呆れたように溜め息をついて、自分に近付いてくるその人物を見ていた。
「何だとは失礼ね。」
と、ライザのほうも顰めっ面で答える。
仕事場から来たらしく、白衣を纏ったままの姿であった。
「お前仕事をほったらかして何してる?俺は忙しいんだ。」
と、今までは無視してきた書類に目を通し、忙しいふりをしながら呟く。
「全く…、そろそろ例の時期でしょう?」
「…?」
訳が解らないという感じで首を傾げるジーフェス、そんな彼を見てはあ、と深い溜め息をつくライザ。
「ジーフェス、そろそろ雨の月でしょう、忘れたの?」
「あ…!?」
そこまで言われて、はっとあることを思い出した。
「もう、相変わらず私が言わないとほったらかしてしまうのね。」
半ば呆れたように呟く。
「悪い、すっかり忘れてた。」
「で、何時にする?ちょっと早いけど今日の夕方になら自分時間が取れるけど、どう?」
だが、ライザの誘いにジーフェスは首を横に振った。
「悪い、今日は既に用事が入ってる。他の日にしてくれ。」
「あらそう。もしかしてサーシャとデート?」
にやにやする彼女に、ジーフェスは少しむっとなって答える。
「それならまだましなほうだ。今夜は王宮の食事会だ。」
「あらあら、珍しいわね貴方が食事会に出席するなんて、いつもは堅苦しくて嫌だとか言って断るくせに。」
「サーシャ殿を紹介しろと脅されたんだよ。おまけに食事会用のドレスをオーダーメードで作らせたしな。」
「完全に囲まれたというわけね。」
「そういう事だ。」
そしてふう、と溜め息をついて続けた。
「また時間がある時に声をかけてくれ。こっちの時間が空いてたら対処するから。」
「解ったわ、忙しいところごめんなさいね。食事会頑張ってね。」
「ああ。」
ゆっくりと立ち去っていくライザの後ろ姿を見送ることも無く、ジーフェスは再び書類に目を通した。
“そうか、もうそんな季節になるのか…、
あの時から、もう4年が経つのか…、”
「……。」
ジーフェスはふと昔のことを思い出していた。
『貴方に何が解るの!ただひとりの愛する人が居なくなった哀しみを、本当に人を愛した事の無い貴方に何が解るの!』
『ああ!確かに俺は誰かを本気で愛した事なんてないし、そんなお前の気持ちなんて理解出来ないさ!
…だけどな、俺の目の前でエント兄さんだけでなく、お前まで逝ってしまうのは我慢出来ないんだよ!』
…ライザ…、お前は少しは傷が癒えているのだろうか?
でも俺は…。