第5章Ⅱ:フェルティ国
フェルティ国の建国は200年程昔に遡る。
アーリアナ海に面するルーム海峡とハロック海峡の利用権の争いから、流の国ルルゥームの中で内乱が勃発。その結果、当時ルルゥーム国第4王子であったマンティックが首領であった反乱軍がハロック海峡を含む一部の土地を奪取、分離独立に成功する。
分離独立を果たしたフェルティ国は、小さく狭い土地の中にも4つの街、
王都フェルティ・商いの街ルンタ・農業の街サガル・港街ポートミルを造り上げた。
マンティックを王として、商人を中心にしてハロック海峡の航海料、海外貿易、そして享楽的な王自らが推奨し王都フェルティの隣に造り上げた、『第5の街』、娼婦街の使用料で国は瞬く間に巨大な財を成していった。
これは現在においても、割合こそ変わってきているが、フェルティ国の財政を形成している。
国内は順に、王族、官僚・貴族、商人、平民・農民、そして階級とは外れて司祭の順で地位を決定している。
官僚や貴族は地位こそは高いが、その大半は金銭的に貧しい者が多く、富のある商人の縁者を婿ないし嫁に貰い莫大な結納金等を得る替わりに、商人は貴族の名を得るのが習わしのようになっていった。
またマンティック王の時代より、一部の王族と商人や貴族・官僚とが深く結び付き、長い間汚職や賄賂、収賄贈賄が蔓延してきた。
近年になって、王族が中心となり商人や官僚らとの関係を正した結果、彼らとの悪しき癒着はほぼ無くなってきている。
しかし一部の官僚・貴族と商人との結び付きが、未だに汚職の温床となっているのもまた事実であった…。
*
「このようにして、現在の我が国が成り立っているというわけなのです…。」
すっかり先生気取りのポーを前に、ジーフェスやサーシャ、そして何故かエレーヌやタフタやハックまでもがダイニングに集まってポーの講義?を聞いている……ふりをしていた。
「んあー?何か言ったか?」
「何かどっかの司教さんの説教にも聞こえたけどなあ…。」
「なんかよくわかんなーい。」
タフタとハックとエレーヌには、講義の内容はちっっ、とも理解出来ていない風で、退屈そうに欠伸をする始末であった。
「全く貴方達は…。フェルティ国の民ならば最低限知っておきたい知識ですよ!」
「まあまあポーも落ち着いて、今回はサーシャ殿にこの国や王家のことを知って貰うのが目的だから、彼らのことは取り敢えず放っておいておこう。」
苦笑いしながら、ジーフェスがポーに向かって宥めた。
「この国は、どうして娼婦という職にこうも寛容なのですか…?」
「……。」
ぽつりと呟いたサーシャの内容に、皆が黙ってしまった。
普通なら、このような場で何を言うのかと一笑にする所なのだが、以前サーシャにあった事件を思えば、それはとても笑えない事であった。
「確かにサーシャ様が受けた仕打ちを思いますと、悪の温床とも捉えるべき娼婦街を嫌悪される気持ちはお察しします。
ですが建国当初、交易をまともに相手にして貰えなかった我が国の財政を支えたのは、皮肉にもマンティック王が享楽的に造り上げた娼婦街に落としていった売上金だったのです。」
「……!」
「現在こそ、娼婦街の売上がこの国の財政に占める割合こそ激減しましたが、やはりそれでもそこの売上金に未だ国は頼っている状態なのです。」
「では、この国自体が娼婦街の存在を認めているというのですね。」
「そういう事です。」
「……。」
「サーシャ殿、アクリウム国には娼婦という職は無いのでしょうか?」
とジーフェス。
「非合法までは解りませんが、少なくとも、国が認めるのではそういう職の者はいません。」
「サーシャ殿、貴女が娼婦というものを嫌悪されるのは解ります。ですが、この街の存在は、性犯罪の減少に導いているのです。」
「…え…?!」
「他国と比べて、この国は性犯罪が極端に少ないのです。確かにこの国の人々が性に対して享楽的で奔放な者が多いのも理由のひとつですが、やはり合法的な場所があるということも大きいのだと思います。」
「でも…。」
「確かに娼婦街の存在で、金になるということで罪の無い女性が拐かされて売られるという、別の犯罪も発生しています。
ですが、現在の娼婦街の統治者であるマダム=ローゼスのもと、娼婦となる女性は身元の確認や当人の承諾無しでは受け入れないようになっていますし、もし違反した者に対しては、厳罰に処させています。」
「それは、やはり国、の承諾のもとでですか…?」
サーシャの一言に、ジーフェスは少し黙ってしまった。
「…そうです。ある程度の規制の下で国は、いや王家は娼婦街を承認しています。」
「……。」
それっきり、サーシャは黙ってしまった。
“女性首位のアクリウム国王家にとっては、女性が春を売る娼婦というものは、やはり赦せない存在なのだろうか…。
だが、フェルティ国において、娼婦街は春を売ることより、もっと重要な役割があるのだが…。”
それ故に、フェルティ国の王家や一部の官僚・貴族が一目置く存在となり、国自体も簡単に手出し出来ない状況なのだ。
「私達民は、絶対なる支配を持つ神に御仕えする身分。その神の教えに反するとも捉えられる娼婦の存在は、神に対する侮辱としか思えません。」
「神、ね…。」
だが、サーシャの深刻な呟きにタフタはあっさりと軽く応えた。
「…?!」
「ここフェルティ国にとっての神は、商売と計算とお金の神アラルキー様だけですよ。特に戒律を重んじる神なんかは全然信仰されてませんよ。」
「そん、な…。」
おっとりと穏やかな性格のタフタの意外な言葉に、サーシャは愕然とした。
「サーシャ様、タフタの言う通りですよ。この国の人々で戒律を重んじるハバール神を信仰するのはほんの僅かですよ。」
とハックまでがタフタに同意するように告げた。
「何故です?ハバール神は戒律と秩序の神。アクリウム国では最も重んじられている偉大なる神の一柱なのですよ…!」
「確かに、戒律と秩序の神ハバール神は、以前はアラルキー神と並んでこの国の二大信仰神だったんだよ。」
ジーフェスが重々しく口を開いた。
「では何故、今はハバール神の信仰が無くなっているのですか…?」
「……。」
サーシャの言葉に、ジーフェスも、そして何故かポーやタフタ、ハックもがその表情を歪めた。
「あ、あれがもとじゃないですかぁ?ほら、昔あったっていう、なんとか教団の滅亡てやつー。」
だが、エレーヌはそんな空気を知ってか知らずか、呑気に話し出した。
「エレーヌ…!」
「…?」
不思議そうな表情を浮かべるサーシャに、エレーヌが更に答える。
「昔ハバール神を主神として信仰する巨大な教団があったらしいんですよー。で、何かいろいろあって、王家の手によって滅ぼされたらしいんですよー。」
「…何故気高きハバール神を奉り信仰する神聖なる教団を王家が滅ぼしたのですか…?!」
その言葉には、微かに怒りが込もっていた。
「サーシャ様、それは…、」
「もう良い、ポー。フェルティ国と王家の歴史を語る上で、『ワラフォーム教団の反乱』は避けては通れない事柄だからな。」
諦めたような、少し寂しい表情を浮かべてジーフェスが呟いた。
「坊っちゃま…。」
心配そうな表情を浮かべるポー、ハック、タフタに対し、ジーフェスはふっと笑みをもらした。
「大丈夫だよ。いずれ真実は、皆が知ることになるからね。」
そしてサーシャのほうを見て、優しく微笑んだ。
*
「昔、それこそフェルティ国が建国されてから直ぐにハバール神を主神とする『ワラフォーム教会』が造られた。
当時、厳しい戒律と秩序を重んじるハバール神には、特に貧しい者達の信者が多くて、教会のほうも慎ましくも厳かに教えを説いていたんだ。」
「……。」
「だがある時、教会の牧師が代替わりし、一部の商人や貴族と結託するようになると教会から教団へと変貌し、今までの慎ましくも厳かな教えとはうって変わって、狂信的な教えに変わってきたんだ。
…信者には多額の御布施を要求し、払えなければ、子供や細君を奴隷として要求し、そうやって強引に得た奴隷は他国に売り飛ばして多額の利益を得たり、新たなる信者として洗脳して更なる御布施を求め、若い女性は教団の幹部達の性の慰みものにしてきたんだ。」
「そ、んな…!?」
「そんな非人道的な行為が繰り返される中で、教団は瞬く間に権力と莫大な財力とを手にしていた。
王家が気付いた時は、既においそれと手が出せない程に、ね。」
「………。」
余りの衝撃の事実に、サーシャは真っ青になって身体を震わせ、唇を噛み締めていた。
“そんな、そんな事が…!?”
「サーシャ殿、確かにハバール神自体は厳かで崇高な神なのです。
だけど、人間の傲慢と欲望が絡むと、神はその教えを崇高さを喪い、人を操る道具に成り果ててしまうのですよ。
何も知らない民を、純粋に神を敬い信仰するその心をワラフォーム教団は利用し、騙し、民から甘い汁を吸い尽くしていたのです。」
「……。」
サーシャは何も知らなかった。
神というものは絶対的なもので、私達民はその教えに従って慎ましく生きるものだと思っていた。
まさか神の名の下に、その力を利用して私利私欲を貪る者が居るなどとは…!
「そしてワラフォーム教団はその力を以て、フェルティ国王家に牙向いてきたんだ。」
「…!」
「ワラフォーム教団を巨大で邪悪な教団に成したのは、かつて王家と結び付き、汚職や賄賂等の闇取引をして私腹を肥やしていた商人や貴族達だったんだよ。
彼らは王家の手によって、癒着や腐敗の根絶の為、降格や追放されたりしていた。
王家によって追放され、恨みを持つ彼等はお互いに結束し、ワラフォーム教会という場を隠れ蓑にして着実に力を付け、王家への復讐を狙っていたんだよ。
…そして彼等はついに実行に移したんだ!」
そう語るジーフェスの表情は暗く冷たいものだった。
「彼等は離れで暮らしていた国王の妾妃と、彼女のまだ幼い息子を拐かして、教団の支配下に置いたんだよ。」
「!」
「そして国王に宣戦布告したのだよ。妾妃の息子を世継ぎとして認めよと。
正妃との間に産まれた、同い年の息子を世継ぎとして考えていた国王は当然その要求を無視した。
だが、教団の信者…その当時は、恐らく国の半数近くは居ただろうと思うけど、は教団の奨る妾妃の息子を時期国王へと推していき、世論はその流れに進んでいった。」
「………。」
「国民の大半を味方につけていた教団に、王家もなかなか手が出せずに、そのまま何年も硬直した状態が続いていったんだ。
だが、民のほうもそこまで愚かではなかった。
徐々に教団の悪事が露見して信仰を離れる者も多くなってきたし、一向に決着のつかぬ状況に業を煮やして一部の商人や貴族も離れていき、徐々にだが教団は破綻を迎えていった。」
「……。」
「そして、約8年の年月の後、ついに王家は動き出したんだ。
国軍全てを教団本部に投入し、徹底的に攻撃して、僅かひと月で教団を壊滅させたのだよ。
教団の幹部、援助していた商人や貴族は皆、斬首の刑に処され、教団自身解体されたんだ。」
「教団の莫大な財産は全て王家に没収され、出来うる限り元信者のもとに返却され、残りは元信者の心と身体の傷を癒したり、洗脳された人々の治療の為の施設の建設等に使われたんだ。」
「俺やタフタも、ワラフォーム教徒だったひとりさ。」
と、突然今まで黙っていたハックが口を開いた。
「おい…!」
「俺なんかはそこまで信仰心がなかったから被害は少なかったけどな、タフタなんかはかなりの金額を騙し取られたんだよ。
確かにハバール神自体は悪ではないけどな、そんな酷い目に遭えば、誰も信じようとはしなくなるよな。」
「お恥ずかしいけど、ハックの言う通りです。…儂はもう、ハバール神は、というより、神さまというものは最早信用出来ませんよ…。」
「そう、だったのですか…。」
ハックやタフタの様子に、サーシャは非難も慰めも、情けない位、本当に何ひとつ言えなかった。
「それで、教団に囚われていた妾妃様とその御子息は?」
結論は推測出来るけど、それでも確認したい…。
すると何故かジーフェスは、更に表情を歪めて長いこと黙ったままだった。が、
「妾妃、ティエリッタ様は教団の壊滅と同時に自害されたよ。
そして、彼女の息子は国軍に捕らえられ、王族の血を受け継ぐ者だったから極刑は免れたけど、二度と王家の脅威とならない様に、王位継承権を剥奪された上に、…宦官にされたんだ。」
「!?」
「王子という名こそ受け継げられたけど、正妃の息子である王子の傍で監視という名の下、忠実な下僕として従うことを強要させられたのだよ。」
「え、でも、それって…。」
「うん、ある意味凄く危険な状態だよね。
だけど、カドゥース殿下自身が彼に対して自分の右腕となり、従わせる事を強要したんだよ。」
「え…?!」
どうして、ここでカドゥース殿下の名前が…?
“だったら、先程の話の中の正妃様の息子とは、カドゥース殿下ということ?!
なら、妾妃様の御子息というのは…?”
そしてふと、ある日のジーフェスの言葉を思い出した。
『…サーシャ殿、こっちは俺の二番目の兄さんだよ。』
二番目の御兄様…、
一番目は当然カドゥース殿下の事、よね。
…妾妃様の御子息と同い年の正妃様の御子息、それがカドゥース殿下なら…!?
「…まさかその、妾妃様の御子息というのは…!」
もしかして、だけど半ば確信の思いを抱いて、サーシャは敢えて尋ねてみた。
「そう、妾妃ティエリッタ様の子息というのは、…アルザス兄さんの事だよ。」
「!?」