第5章Ⅰ:オーダーメード
第5章では、サーシャとジーフェスがフェルティ王家の食事会に招待されて、
そこでサーシャはフェルティ国と王家の光と闇の部分を知ることになります。
※宗教関係(かつて日本を震撼させた某教団を連想させるもの)の話が出てきます。不快に思われる方は御注意下さい※
※残虐な場面が出てきますので苦手な方は御注意下さい※
古の作品と伺わせる見事な絵画に彫刻で飾られた室内、数々の歴代の資料に書物が納められた豪華な書棚、豪華で重厚な机、厚い黒革造りの椅子、
そんな豪華な造りの執務室の中で、黒革の椅子に座るひとりの男がいた。
年の頃は30前後か、男は浅黒の肌に、髪は無くすっかり剃りあげられた頭、男らしい濃い眉、深翠の瞳には鋭い光を宿し、大きめの高い鼻に厚めの唇をしていた。
そして、最高級な布で作られた衣装をその体格の良い長身に纏うその姿は、まさに王者の風格に溢れていた。
「で、かの王女には逢ってきたのか?」
机の上の書類を見ていた男はふと、自分の傍にいたもうひとりの男に声をかけた。
「はい、殿下。」
話し掛けられた男、アルザスは椅子に座る殿下と呼ばれた男、カドゥースにそう答えた。
「お前から見て、どんな感じの人物だったか?」
にやにやと表情では笑みを浮かべているが、その瞳は物事を測るような真剣な光を帯びていた。
「ラティアの花ですね。」
「?」
アルザスのその一言にカドゥースは表情を歪め、意味が解らないと言わんばかりに首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「見た目が純粋過ぎて、その真意が読めないのです。」
半ば溜め息に近いようなその言い方に、カドゥースは暫し唖然とし突然ははは、と笑い声をあげた。
「まさかお前が手を焼く女がいたとはな!」
「殿下…。」
…あれは女というよりは、全くの無垢な子供だ。
そう喉まで出かけたが、止めた。
「まあ良い。一度二度逢った位でサーシャ王女の人なりが解るとは思ってはおらん。」
「……。」
「そういえば、食事会の手筈はどうなっている?」
カドゥースは手元の書類に目を通しながら、再び尋ねた。
「は、10日後の予定で組んでおります。丁度その時にルルゥーム国よりムスカス王子も到着するとのことです。」
「そうか。」
「ニィチェ妃殿下の御命令で、既にサーシャ王女の衣装の手配もしております。」
「ご苦労。流石、完璧だな。」
にやりと笑うカドゥースに、アルザスは一礼で答えた。
「お褒め頂き光栄で御座います、殿下。」
その一言に、何故か表情を歪めるカドゥース。
「アルザス、二人きりの時は殿下と呼ぶなと言ってるだろうが…。」
「御用がお済みでしたら、私はこれで失礼いたします。」
だがアルザスは、カドゥースの言葉を無視し、再び一礼して部屋から出ていこうとした。
「待て、アルザス。」
少し怒りの含んだその低い声に、ぴたと足を止めて声の方向に振り向く。
「お前、今回の食事会には、無論出席するのだろうな?」
「……。」
暫く黙ったままであったが、
「仕事が入らなければ、出席致します。」
「ならば、その日お前に仕事を与えた官僚共はわたしが皆降格か首にするとしよう。」
ふふん、と口元では笑いながらも瞳は真剣なカドゥースに、アルザスはぴくりと微かに表情を歪め、だが黙ったまま部屋を出ていった。
*
一方、ここはジーフェスの屋敷。
屋敷のダイニングでは、にこやかに笑うサーシャと、何やら少し元気の無いジーフェスとが二人で朝食を取っていた。
「何か、今日の旦那様ちょっと元気無いですねぇ。」
「そうですね。仕事で疲れが出ているのでしょうかね。」
ぼそっと呟くエレーヌとポー。
「……。」
ジーフェスの頭の中には昨夜聞いた、サーシャのあの台詞がぐるぐると渦巻いていた。
『好き、アルテリア様…。』
“誰なんだ、アルテリアって?”
もやもやとした感情が、彼の胸を包む。
“アルザス兄さんの屋敷に行った後のサーシャ殿の態度といい、もしかしたらそこでアルテリアという人物にでも逢ったのか?”
そしてはっとなって頭を振った。
“何考えているんだ俺は。サーシャ殿はあの時確かに言った筈だ。
『将来を誓った男性はいません。』
もしかしたら、飼っていたペットとか、仲の良かった友人とか、そんなものかもしれないし…。
何なんだ俺は。何も独りで悩む必要なんて無いじゃないか。直接彼女に聞けば済む事じゃないか!”
「…さま、ジーフェス様。」
突然聞こえたサーシャの声に、はっとなって顔をあげた。
「な、何か。」
「あの、顔色が少し良くない様子ですが、大丈夫でしょうか?」
不安そうな表情を浮かべてそう尋ねてきた。
「いや、少し疲れているだけです。今日は仕事が休みですから、ゆっくりしていたら治ります。」
「そうですか。でしたら食事が終わったらゆっくりお休み下さいませ。」
少し安心したような表情を浮かべたサーシャを見て、ジーフェスは心が揺らいだ。
「…サーシャ殿。」
「はい。」
思い切って尋ねようとしたその時、
『ちりりん』
と玄関のベルの鳴る音がした。
「?」
不思議そうに首を傾げながらも、いち早くポーが玄関に向かっていった。
「こんな朝早くからお客様なんて。」
「もしかしたら、御披露目会に来れなかった人かもな。」
二人がそんな会話をしていると、ポーが戻ってきてジーフェスの傍まで近寄った。
「坊っちゃま、王宮からの御使いで御座います。」
「王宮から?」
「はい。坊っちゃまに直接お話があると。客間に御通ししてますが。」
「解った。直ぐに行く。」
短くそう答えて、ジーフェスは席から立ち上がり、客間へと向かっていった。
「すみませんサーシャ殿、先に食事を済ませて下さい。」
「はい。」
*
ジーフェスが再びダイニングに戻って来た時、サーシャは丁度食事を終えたばかりの頃だった。
「何でしたか?」
「あ、カドゥース兄さ…、いや殿下からの書状が来たんだ。」
「殿下からの?」
「うん。」
そう言って手にしていた書状を見せた。
「しかし王宮から一体何の連絡なんだろう?」
訝しげな表情を浮かべながらジーフェスは書状の封を切り取り、中身を読んだ。
「…?!」
内容を読んでいたジーフェスが徐々に表情を歪めてきた。
「何と?」
「あ、10日後に王家の食事会があるので、出席しろとの通達だったよ。」
「王家の、食事会。」
“そういえば、確かアルザス義兄様が、
『サーシャ殿、後日殿下のほうから御食事会の誘いがあるかと思います。是非御出席を、御待ちしてます。』
そんな話を聞いた気が…”
「あと、サーシャ殿の為に食事会用のドレスを作成するので、今日お針子が採寸等に来るんだって。」
「え。」
「間に合えば昼前には来ると書いてあるけど…、」
と言いかけたその時、
『ちりりん』
と再び呼び鈴の音。
「え、もしかしてもう来られたのでしょうか?!」
横にいたポーが少し驚きつつも玄関に向かっていった。
「……。」
サーシャとジーフェスも後について玄関に行ってみると、そこには清潔でぱりっと洗練された服を着た中年の女性と、少し若い女性二人が立っていた。
「はじめましてジーフェス様、サーシャ様。」
ジーフェス達を前にした三人は恭しく礼をして挨拶をかけた。
「わたくしはパードと申しまして、王宮御用達のお針子で御座います。
ニィチェ妃殿下の命を受けて、サーシャ様の御衣装の作成を承りました。こちらに居ますのはわたくしの助手、エルサとルミアです。」
「エルサと申します。」
「ルミアと申します。」
若い二人の女性はにっこり笑いながら一礼して挨拶をした。
「早速ですが、仕事を始めても構いませんでしょうか?」
パードがちらりとサーシャのほうを見て尋ねてきた。
「……。」
いきなりの事で、少し驚いたままのサーシャが無言でどうしたものかとジーフェスに視線を送って様子を伺うと、黙って頷き返した。
「解りました。」
そしてポーに言った。
「ポー、この方達をサーシャ殿の部屋に案内してくれ。サーシャ殿、よろしいかな?」
「は、はい。」
「了解いたしました。」
*
お針子達がポーと一緒にサーシャの服の採寸をしている間、ジーフェスは独り部屋でベッドの上で寝転がっていた。
「食事会、ね…。」
それはフェルティ王族に代々受け継がれた儀式。
何か月に一度程度の割合で、王族が顔を合わせて夕食を一緒にするというもの。
ジーフェスが王族としての権利を取り戻してからは、当然彼にもお誘いが来るようにはなっていた、が、
ジーフェスにとっては、この食事会は苦痛でしかなかった。
“いつもながら気乗りしないから何かと理由をつけて欠席してたけど、今回はサーシャ殿の紹介がメインだから、欠席する訳にはいかないよなあ。”
「……。」
はあ、と深い溜め息をついて、ジーフェスは横に転がる書状を恨めしげに見つめた。
『今回はムスカスとアルザスも参加の予定だから、お前も必ずサーシャ殿を連れて出席するように。』
*
「えーと、胸回りは…、」
パードがてきぱきと手際よく採寸すると、横でルミアがノートに記録していく。
「エルサ、ちょっとそこの荷物をここまで持ってきて頂戴。」
「はい。」
エルサがよいしょ、と大きな重い鞄を持ってくると、パードはかぱっと鞄を開けて、中にあった様々な色や材質の布を取り出していった。
「サーシャ様の御姿から見て、この色なんかはどうでしょう?」
そう言って、サーシャの身体に優しい紫色をベースとした、同色の美しい濃淡のグラデーションの布を纏わせた。
「色が少し、大人っぽくないですか?」
普段はピンクや淡い青色を中心とした服を着ているので、大人の雰囲気を漂わせる、初めての色にサーシャは少し照れ臭そうに尋ねてきた。
「これくらい淡い色でしたらよくお似合いですよ。デザインも今のような可愛らしさを強調したのも良いですが、折角ですからこのような少し大人っぽいものはどうでしょう?」
エルサが鞄の奥から、紙の束を取り出して一枚のデザイン画をサーシャに見せた。
「ええっ!?こ、こんなの、私には似合いませんよ!」
それは胸元を強調し背中を剥き出しにした、正に豊満な身体つきをした、大人の女性が着るようなドレスであった。
「あ、ちょっと露骨過ぎましたか?じゃあ、こんな感じでしたらどうでしょうか?」
とエルサが取り出したもう一枚の紙には、確かに肩は剥き出しではあるが、先程のデザインに比べたら胸元も背中もそこまで露出せず、シンプルなデザインの中にも大人の雰囲気を漂わせるものが描かれていた。
「サーシャ様が御望みでしたら、このデザインにフリルや花をイメージした宝石をあしらう事も出来ますよ。」
「そうですね、これくらいなら何とか。」
そう言いながら、サーシャは先程の魅惑的なドレスのデザイン画にちらりと目をやった。
“私も、あんな魅惑的なドレスが似合うと、ジーフェス様と釣り合うのに…。”
ふと、サーシャはそのドレスを纏うライザの様子をイメージしていた。
“綺麗な身体のあの人なら、あんな魅惑的なドレスがとても似合うわよね。”
今まで忘れていたライザのことを思い出してしまい、サーシャの胸がちくりと痛んだ。
*
「で、どんな衣装になったのですかぁ?」
遅めの昼食を終えたサーシャに、今までお使いに行っていたエレーヌが、事の由を聞いて興味深そうに尋ねてきた。
「こんな風なデザインのドレスになりました。」
と、テーブルに置いていたデザイン画を見せた。
「うわー!大人っぽいドレスですねぇー!こんなドレス着たらきっと旦那様、サーシャ様にいちころですよー。」
と、隣にいたジーフェスをちらりと見た。
「……。」
エレーヌより先にデザイン画を見ていた彼は、その言葉にちょっと頬を赤くしたが何も言わずに食後の紅茶に口をつけた。
「流石王宮のお針子さんですね。サーシャ様のもうひとつの魅力を引き出すドレスをこうも簡単に考えつくのですから。」
とポー。
「あー、あたしもこーんな素敵なドレスを着て舞踏会とかに行きたいわー。」
「お前ならせいぜい良いとこ街の酒場の踊り子までだな。」
「あー!酷いですよー旦那様ー!」
ぶう、と頬を膨らませるエレーヌを見ながらも、ジーフェスはずっと胸にもやもやがかかった様な感じをひきずっていた。
“何気にしているんだ俺は…。
アルテリアという人物?が気になるなら、さっさとサーシャ殿に聞けば良いじゃないか。”
「サーシャ殿、ちょっと良いかな?」
「はい?何でしょうか?」
突然のことにきょとん、となりながらも自分を見つめるサーシャの綺麗な碧の瞳を見て、ジーフェスははっとなった。
“何しているんだ俺は。ここで『アルテリアとは誰なんだ?』と馬鹿な質問でもする気だったのか!?”
「……?」
“そもそも彼女のほうからその名前を直かに聞いた訳でも無いのに、『昨夜寝言で言ってたから気になって』とでも言ってから、聞きだすつもりだったのか俺は?
そんな事、まるで隠れて秘密を暴いたみたいで、とても言えるものではないよな。”
「……。」
「何かありましたか…?」
黙ったままのジーフェスに対して心配そうに尋ねてくるサーシャを見て、自分が恥ずかしくなってしまった。
「あ、い、いや…、何でもありません…。」
“何て女々しいんだ。彼女もあの時はっきり言ったじゃないか、『想っている人はいない』と。
俺が、彼女を信じてやれなくてどうするんだ!”
「そうですか。」
「そういえば坊っちゃま、サーシャ様に王族の血縁関係などの御説明はされてますか?」
突然脇にいたポーがそう言い出してきた。
「王族の血縁関係?」
「そうです。まかりなりにも王族の食事会ともなると、陛下は御病気で御出席出来ないにしても、ルーリルア王妃様や陛下代理のカドゥース様、ニィチェ妃殿下など、フェルティ国の王族一同が御出席される訳ですよね。
そんな中で、サーシャ様がフェルティ国王家の血縁関係を知らないままでいたら、サーシャ様はおろか、坊っちゃままでが恥をかく事になりますよ。」
「あ…。」
“確かに、自分はそんな事を考えもしてなかったわ。
ただ単に、アクリウム国の王女として挨拶をすれば良いと思っていたけど、これからフェルティ国の王家の一員となるのだから、最低限知っておかねばならない事よね。”
「でも、ある程度はサーシャ殿も周知では無いのか?」
そう言って、ジーフェスはちらりとサーシャを見た。
「いえ、私はずっと世間から隔離されてきたので、アクリウム国の内情以外は、ほとんど聞かされてないのです。すみません。」
「あ、そうなのですね。」
“普通王族にあるべき教育も、彼女はまともに受けていなかったというのか。
まあ、自分も人のことは言えないけどな…。”
「でしたら是非この機会に、皆でフェルティ国のことについて勉強いたしましょうか?」
「は…。」
すっかり先生モードに入ったポーの姿を見て、今日の午後の予定が決まってしまったのをジーフェスは感じていた。